五十二話 白霧と神気と暴虐と



 声の主を探す必要はなかった。

 すぐにオレたちの目の前、泉の中央に白い霧が湧き立ち始めたのだ。


 霧はみるみる濃さを増しながら回転して渦を巻き、全てを渦の中心へ吸い寄せるように柱状へと変化していく、そしてついには乳白色の回転する石柱のように見えたと思いきや、突然その回転が止まりフワッと拡散して薄くなる。


 全てが静寂の中で流れるように行われていた……音も無く拡散する霧の中から現れたのは静かに水面へと立つ、白霧と同じ柔らかな白い姿であった。

 なんの飾りもない軽やかな白いローブを着て、ローブから覗く足首や腕は血液が通っているのかすら疑わしいほどの白さに見える、同じく真っ白な胸元から首筋へと視線は移り、そしてその顔を見たときである……オレの胸中にさざ波が立った。


 髪はプラチナを通り越して純白に近い銀髪である、髪型は市松人形のようにおかっぱでストレート、後ろは肩にかかるほどの長さであった、そしてなにより驚いたのは、その顔だちがとても和風であったということだ……肌は真っ白い、髪と同じく眉や睫毛さえも白銀色だ、だが顔の造りは日本人である、モンゴロイドとかアジア系とかいうのではなく『和』なのである。

 あえて表現するなら、市松人形をベースにしたバービー人形という感じである、こちらの世界の中では和を感じるような人を見たことがないせいか、異界で出逢った同郷の顔に先日里帰りしたときよりもずっと郷愁を感じてしまったようであった。


 そんなことを思っていると、白銀の睫毛が揺れて伏せられていた瞼がゆっくりと開いていく、その目がオレたちをとらえた途端であった……

 なんの前触れもなく突然衝撃が襲ってきた、耳がガーンッと鳴り目の前が暗くなる、全身がビリビリして感電したように動きが封じられてしまう、がしかし物理的な衝撃ではない……精神が身体から吹き飛ばされるような波動……神気だ……


 神気だというのは分かった、何度かアリーシアやイルビスから受けて学習済みである、だがこれは威力が桁違い過ぎる……猫のパンチとプロボクサーのストレート程の差があるであろう。

 天と地がどっちなのかすら分からなくなり、今自分がどんな体勢をとっているのかすらも知るすべがなくなっている、神経が麻痺して完全に無力化させられてしまったようだ、だが意外と意識ははっきりしている、地に着いている足の裏の感覚だけを頼りにふんばって、なんとか倒れずに済んでいるようであった。


 白い姿の、そこだけが紅い唇から澄んだ声が発せられる。

「ほう、人間が私の神気に耐えるか」

 耳鳴りはすごいが言葉は聴こえた、視界は真っ暗で指一本動かせぬ状態でも、倒れずにいるという一点のみで耐えたと評価してくれたようであった、オレは以前イルビスと戦い魔素で麻痺した時のことを思い出し、呼吸を深く繰り返しながらパニックを起こしている神経を鎮めるべく努めていく。


 魔素とは違い清浄な神気が原因であるためか回復は早かった、深呼吸をする胸部を中心に麻痺がスーッと退いていくのがわかる、戻ってきた視界にぼんやりと映りだしたのは水面を優雅に歩んでこちらへ来る白い姿であった。

 急いで左右のイルビスとセルピナを見ると地にうずくまっている、気絶こそしてないようではあるがオレと同じく麻痺してしまったのか、呻き声すら上げられないで固まっているようであった。

 発した神気だけでこの二人をこんな状態に……予想だにしない白い女神の突然の出現に意表を突かれたのもあるではあろう、だがそれだけではないものをオレは近づいてくる姿からひしひしと感じていた。


「人間、名乗れ」

 あと五メートルほどまで来たときに、有無を言わせぬ威圧の乗った声がかかる、やはりこいつ……能力的にかなり凄いものを持っているのが、声の中にたっぷりと染み込んでいる傲慢さから推し量れる。

「タクヤだ……あんたは誰だ?」

 こういうプライドの高そうな輩は、こちらから名を聞かねば怒り出すのが多い、経験則ではあるが今回は役立ったらしい。


「ふん、知らぬのも無理はないか、だが教える前にタクヤとやら、お前はなぜ今私を女神の一言で括らなかったのだ?」

 変な質問返しをしてきやがった……意味は分からないがなんとなく正直に答える。

「正直……あまり女神っていう感じがしなかった……」

 事実である、なんとなくではあるがオレの知ってる女神、アリーシア、イルビス、セルピナとはなんだか少し違うような感じがしたのは間違いない。

 数瞬の間をおいて紅い唇がニイッと歪むように笑みの形をつくる、オレはヒュプノの危険性を考えてあまり相手の目を真っ直ぐ見ないようにしていたのだが、今はなぜか自然と見てしまった。


 それはアズライトのような瞳であった……深くもあり淡くもある青の色が、見る角度なのかはたまた光の加減か……その色が常に変化するような不思議な瞳であった……

「ミツハ……水を支配する者だ、覚えよ」

 機嫌が良くなったのかな……という声音である、しかし内容がなんか変だ。

「え……支配するって……? 冠をいただく~とかじゃなくて……?」

 しかしオレのその問いに返ってきたのは、すぐ横でうずくまるイルビスの震えた声であった。

「げ……原初の八柱……」


 ミツハの唇がさらに深い笑いに歪む、イルビスの声に含まれた畏れと恐れを察知したようだった、イルビスを見ると神気のダメージは抜けてきたようだが、目の前の出来事にかなりのショックをうけているようである、反対側のセルピナに至っては地にへたり込み放心状態になってミツハを見つめていた。


「げ、原初の八柱って……? そ、そういえばイルビスなんか言ってたな……」

「ふん、呼び方なぞどうでもよい、原初などといっても我らは神代の世界の末子ぞ、この世界へこの地を移し来ときに発生したにすぎぬ」

 畏れられているのがよっぽど気分いいのか、ミツハは顎をツンと上げオレたちをあからさまに見下す姿勢と、姿勢よりさらに高みからの物言いで話し出す。

「セルピナ、お前とてその原初の八柱とやらの一人であった闇を支配する者の末裔ぞ? 何も伝えられてはおらんのか?」

「わ、わ、私……は……四代目……としか……」

 突然の問いに震えあがり、これも震える声で答えるセルピナをフンッと鼻で笑い、ミツハは蔑むように言葉をたたみかける。

「所詮は派生神に成り下がった身か、人間に恭順するどころか子まで生しおって」


 セルピナの怯えた表情が驚愕のものにかわっていく、もう思考がまとまらなくなってしまったのであろう、口をわずかにパクパクさせるだけで言葉が出てこない、やむを得ずオレが横から口をはさむ。

「タイチを……知っているのか?」

 横からの言葉にジロッとオレを睨むミツハであったが、セルピナがまともに応対できる状態に見えないのがあるのだろう、咎めることはせずに今度はオレに向かって話し始める。

「直接は会っておらぬ、だが千六百年以上前からの縁ならばある」

「そ、そんな昔から……でも、どこで……?」


 オレの問いに答える気があるのかないのか、フイッと斜め上を見上げて難しい顔になったミツハは、忌々しい記憶を呼び起こすような様子で口を開く。

「私はここより北西にあるサウル帝国の帝室にいた」

 それを聞いたイルビスがピクッと反応すると、その様を目敏く見たミツハが思い出したようにイルビスに言う。

「そうよ、お前の姉アリーシアと共に国を造った王は、元々は帝国騎士団に居った若い騎士であったな、覚えておるぞ」

 こ、こいつ……シグザールまで知ってるというのか……


 唖然として声も出ないオレとイルビスを尻目に。

「まあそんなことどうでもよい、帝都には私のお気に入りの文献を集めた禁書庫があってな、だがそこに私の留守中に忍び込んだ無作法者がおったのだ」

 ジロリとミツハの視線がセルピナへ向く。

「侵入者の大概はトラップとして置いてある私のペットのエサになる、運よくそれを逃れても、禁書庫前の仕掛けを解かねば目当ての文献にはなかなか辿りつけん、実際に仕掛けを解いた者より解けずに逃げ帰った者の多かったことよ」


「まさか、タイチが禁書を盗んだというのか……?」

 旅に出ていた十年、古代の図書館、持ち帰った知識、行き先をほとんど話さなかった……というセルピナの話からそうつながってしまい、訊ねたオレの言葉にミツハの眉はキリキリと吊り上がり始める。

「禁書を盗んだのならば問題なかったのだ」

 怒気が圧力をもって伝わってくる、うっとなって踏ん張らなければならないほどのものであった、言葉にも怨嗟に近いものが乗っていた。


「トラップや仕掛けなぞ余興に過ぎん、禁書庫の全ての文献には行方を追跡できる私の属性素子が仕込んであった、禁書を盗み出し得意になってるヤツを追い詰めて、なぶり殺しにしてやることこそ私の最大の愉しみであったというのに……」

 ギッと突然睨まれたオレはヒィッと小さな悲鳴が漏れる、一見清楚な白い姿なだけに怒りに青く燃えるような目がひときわ恐ろしく見えるのであった。


「長い歴史の中で一人だけ……たったの一人だけだ……文献を盗まず書いてある知識だけを持ち去りおった……この私をコケにしたのだ……」

「い……いや、考え過ぎだって……タイチに悪意はないだろそれ……」

 言うなり凄まじい目がオレを射殺すように見る。

「ひ……ひいいぃーっ」

 なんでオレがこんな目に……と思わないでもないが、こんなドS女神の勝手な思い込みでタイチを悪者にしておくわけにもいかなかったのである、しかし幸いなことにオレの情けない悲鳴で溜飲が下がったのか、怒気の圧力がスッと失せていく。


「文献を持ち去らなんだので侵入者を追跡できる手がかりはほぼ無かった、しかし唯一そやつが読んだのが、全知の書院への行き方を記した手紙だというのが書棚の痕跡からやっと知れたのだ」

 全知の書院って……古代の図書館のことなんだろうな……この話を聴いてイルビスが腰を浮かして若干乗り出し気味になっている、この状況でもとはさすがである、だが頼む、自重しててくれ……


「書院の守護者から訊き出すのにも骨が折れたぞ忌々しい……だが禁書庫に侵入者があって間もなく、一人の半神が闇の属性で渡ってきたことが知れた、ならばあとは闇属性を追えばよい……と思っていたのだがな……」

 グイッと今度はセルピナに向かってガンをつけ始めた、可哀想なセルピナはひいっと硬くなる。

「だがセルピナ……貴様がこのような変な所に住んでいるせいでっ! 千六百年もの間見つけることができなかったではないかっ! なんだここはっ、獣と一緒であろうっ!」

 逆恨みにも程がある一喝であった。


「ひっ……ひどっ……」

 どんな表情をしていいのかすら分からなくなっているのであろう、半笑いのような顔で目の端に涙の大粒を浮かべながらセルピナは絶句する。

「黒い水晶に眠る少女の伝説、などという興味本位の風聞を耳にしなければ今も見つかっておらぬところよ」

「闇柩にそんな噂があったのか……で、見つけたのはいつなんだ?」

「ふんっ、闇の柩が減衰消滅する一年ほど前よ、まったく上手く隠れおって!」

 いや……隠れてたわけじゃないと……


 そのときミツハの感情の波がスッと静まっていくのを感じた。

「私が柩の前に立つとな、フクロウが一羽、立ちはだかりよるのよ、ふっふ……」

 紅い唇が歪んで嗤う、いつのまにかミツハの横にカンナの姿が、ミツハの力であろう水面に並んで立っていた。

「そのフクロウを見たとき、私は狂喜したぞっ! そう、禁書庫のことなぞもうどうでもよくなるほどにな!」


 ミツハが笑った、その笑みにオレの背筋は凍りついた、そして理解したのであった、こいつは人と共に生きるアリーシアたちのような女神じゃない……神代の世界の末子と本人も言っていた通り……ただの神だ……


 ミツハの掌が寄り添うカンナの頭を撫でる、慈愛など欠片も無い……気に入った道具を扱う手つきであった……

「この動く物体の表面を覆うことのできる封印術、不可能と半分諦めながらも私が求め続けていたものの一つよ」

 微動だにせず頭を撫でられているカンナを見てオレはミツハに尋ねる。

「カノポスに……ヒュプノをかけて従わせているのか……?」


 問われたミツハの笑いに歪みきった唇から、鋭く尖った鬼歯が覗いた。


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