四十九話 戦端と戦略会議とお返事と



 グワァッ! と火球が膨れ上がり小さなフードローブ姿が吹き飛んだ。


 火球の高熱で命中個所の体液が瞬間的に沸騰・蒸発・膨張し、まるで熱した油に水滴を垂らしたような感じでボンッ! と空中で爆ぜながらグチャっと地面に落ちる。


「イルビスッ! そっちに一体行ったぞっ!」

 オレの声の当たる背を丸めて、走るというよりは跳ね飛ぶように移動する小さな姿が、遠くの木々の間に見え隠れするイルビスの方へと疾走していく。

 あっという間に射程内へ入ったのであろう、弓猿はオレから距離をとるために疾走は続けながら短弓へ矢をつがえ、迫る姿に気付いたはいいが無防備に立ったままのイルビスへとその鏃を向け始める。

 そのとき、ザアッと黒霧が弓猿とイルビスの間に湧き、中からセルピナが姿を現した、すると途端に弓猿は慌てた様子で鏃を上へ向けて狙いを逸らし、たたらを踏んで立ち止まってしまう。


 その瞬間であった、止まった弓猿へ太い蔦が横薙ぎに襲い掛かる。

 イルビスの操る木の精霊の容赦のない一撃であった、爆発音に近い打撃音が耳に響いた次の瞬間にはもう、太い木の幹に嫌な音をたててフードローブ姿は叩きつけられていた。

 あの様子だと完全に戦闘不能であろう、眺めていたオレはとりあえず一安心してこちらはこちらでまた警戒に入ることとする、不意の狙撃に備えて木々を盾にしながら辺りを注意深く窺い始めた。

 するとすぐにバサバサっとオレの頭上で羽音がしたかと思うと、そのまま頭頂にボフッとBBが乗ってきた、鳥の巣に戻った黒い鳥というような図である、今のところ近くにはもう弓猿の姿はないという意思表示らしい。


「BBお疲れさん、せめて肩に止まってもらえると……見栄えがいいと思うんだけどなあ……」

 頭上なので見えないが、ワザと言葉に反応しないで頭頂に座り込む雰囲気が伝わってきた、どうやらそこがいいらしい、フンをしたり卵を産む心配が無いのだけが救いである。


 戦闘が一段落したようなので、先程火球で仕留めた弓猿へ向かうとファイが様子を見ながらふよふよ浮いている、ファイの火球もあまり容赦はしてないように見えた、実際すごい火力のように見えたものだ、これが生きた猿であれば間違いなく致命傷であるはずだ、そう……生きていればの話である。

 毛や油脂の焼けた嫌な臭いが辺りに漂っている、ファイと並んで眺めてみると、まだブスブスと焦げた大穴から黒煙を立ち昇らせているその姿はピクリとも動かない、フードがめくれて猿の顔が露わになっているのも併せてどうにも気持ち悪い様相だ。

 火球は胸の真ん中に命中しているので、イルビスの予想した条件には十分当てはまっているはずだ、要は封印式のどこでもいいので維持不能になる程度の破壊が必要とのことであったが……


 焦れてきたのでそーっと猿の顔を覗き込んでみる、当然すでに屍であったのだから生気は無い、目も虚ろに濁ってあらぬ方を向き、先程まであんなに素早く動いていたのが嘘のようであった。

 封印式の破壊には至らなかったのかな……と、覗き込んだまま考えていたところへ突然。

 カッ!

 と、屍の口が開いたではないか、小さな牙も剥き出されている。

「ひえっ!」

 驚いて尻餅をつきそうになるが危ういところで踏ん張ってこらえる、またイルビスとセルピナにプ~クスクスされるのはゴメンである。


 心臓をドキドキさせながら見ていると、屍の開いた口から黒い影が立ち昇り、全て出尽くすとすぐに精霊の形に固まって現れる。

「これが……影の精霊……」

 現れた影の精霊は茫とした様子であったが、すぐにハッと気が付き、不思議そうに周囲を見回す仕草をするとそのまますぐにシュルッと消えてしまう。

 残ったのは猿の屍だけであった、埋めてやりたいところだがまだいつ次の弓猿が襲ってくるか分からぬ状況である、急ぎイルビスとセルピナの方へと向かうと、そちらでも同様に屍から現れた影の精霊が消えていったところが遠目から見えた。



 歩きながらオレは対策がいい感じで効果を上げているのを感じていた、セルピナを夕食へ招待した昨夜、皆でしっかりと戦略を練っていたのである。


 だが、肝心の戦略会議に至るまでが大変であった、薬で変態野獣と化したオレのローサ無視? 疑惑が片付いたと思いきや、なんと引き続き、オレとイルビス物質界でお楽しみ? 疑惑が持ち上がったのであった。

 根っからの攻撃型で受け身になるとめっぽう弱いあのイルビスが、ローサとアリーシア連合によってたかって。


「さーイルビス、物質界で何して遊んできたのー? 全部教えてー?」

「イルビス? 隠し事はいけませんよ? 誰も怒ったりしませんから、正直に言ってみてね?」

「そうそう、悪いのは大抵タクヤなんだからー、気にしないで言っちゃいなさいって」

 と、表情はにこやかに、だが言葉には有無を言わせぬ圧力を込められて詰問されていた、オレが物質界でのことに関しては、あくまでもとぼけて口を割らなかったからである。


 矛先の向けられたイルビスはアウアウと涙目になりながら、しかしなんと驚いたことに、オレのとぼけた内容に沿って口裏を合わせ続けて頑張ってくれたのだ、まさかあれほど敬愛しているアリーシアにすら隠し通すとは思ってもみなかったので、正直感動してしまったのであった。

 まあ全て正直に白状してしまうとなると内容はどこからどう見てもデートである、イルビス自身が大いに楽しんでいたのも事実であるだろうから、さすがに言えないと判断する気持ちもわかる。


 だがオレは、おそらく彼女の絆の属性が導いたセルピナとの出会いの中で、彼女の属性を信じてセルピナを進んで助けるというオレの選択に恩義を感じてのことなのであろうと考えた、あと靴や図鑑を買ってもらったことも影響していたかもしれないのではあるが……

 追及をかわしきった後オレとイルビスとの間に流れる、お前やるじゃないか……ふっ当然じゃ……という雰囲気になんだかとても面白くなさそうな様子のローサとアリーシアであった。


 そして改めて翌日の戦略会議が始められる。

 セルピナとイルビスの話をまとめるとこうであった。


 おそらくはオーブを持ち、タイチの知識を得ているであろうカノポスは、猿の屍に封印処理をして、その中へ影の精霊を入れていると思われる。

 そしてその際に、影の精霊をヒュプノで操っているのではないかという予想であった、その予想の主因としては、セルピナとBBには絶対に危害を加えようとしないという点と、逆にそれ以外には無条件で襲い掛かるという両極端な行動からによるものがある。


 そもそも精霊が自発的に無関係な人を襲うなどということからして異常であり、タイチの研究内容にも存在するヒュプノの使用は確実であろうとみられた。

 そこで弓猿対策としては、オレとBB、イルビスとセルピナが二人一組となり、オレないしイルビスへ攻撃に向かってくる弓猿の前へBB・セルピナが出現し、攻撃停止の混乱でできる隙を突くという作戦が立案された。

 ヒュプノにかかった影の精霊はどうなるか尋ねると、弓猿の体の封印式が破壊されて戦闘不能になればヒュプノの指令も遂行不能となるために、自然に解除されて目が覚めるであろうとのイルビスの予測である。


「猿共はこの方法でなんとかなるじゃろうの……じゃが問題はその猿が護るカンナの方じゃのう……」

 イルビスが腕組みしながら、難しい問題を解く最中のような顔で言う。

「やっぱあの弓猿ってカンナ……カノポスが中に入ってるだろうってことだけど……そのカンナを護るための護衛ってことなのかなあ?」

 漠然とそうなんじゃないかなとは思っていたが、はっきりと言葉に出されると疑問も湧いてくるのである。


「状況だけを見てもそうとしか考えられまい? 二十年間にかけて勢力を広げるわけでもなく、例の泉を中心に一定の範囲のみで侵入者を攻撃するだけのようじゃとのセルピナの見立てもあるしのう……」

 だが、そう言うイルビスもやはり分かってはいるようだった、じゃあ、カノポスはカンナを一体何から護っているのか……そう考えると答えは未だ得られぬままの現状である。


「なあセルピナ、闇柩が消滅した後、何回くらい動いているカンナを見たんだ?」

 オレが尋ねると、少し考え込んでいた様子のセルピナは顔を上げて答える。

「それがね……一回だけなのよ……闇柩が減衰して消えて、カンナも消えて……私も探知を使いながら探し回ったんだけど、全然見つからなくて……でも一か月くらい経ってなんとなく泉を見に行った日にね……」

 今でもはっきりと覚えているのであろう、その風景を眺めるような目をしながらセルピナは言葉を続ける。


「泉のほとりの大木……闇柩が収められていた大きな木の、伸びた根の上に……水面を見つめながら静かに立っていたわ……」

 誰も言葉を発せなかった、語るセルピナの表情と雰囲気が皆を沈黙させていた。

「見た瞬間背筋がゾッとしたの……千八百年前に亡くなったあの子が、そのままの姿で立ってるんですもの……遠目からだけど、私に気付いてこっちを見た目……まるで暗い水底のような目だったわ……」

 木の向こう側へ吸い込まれるように消えた姿が、セルピナの見たカンナの最後の姿だったという。


「それから間もなくよ……短弓を持ったフードローブ姿が森の中に現れたのは……」

 リビングにしばしの沈黙が落ちる、皆言葉もなく、だがどこか知らぬところで明確な意思を持った何かが動いている……そんな気がしていた。

「イルビス」

 オレの声が沈黙を破り、イルビスはこちらに視線を移し首を傾げて応える。

「カノポスはシグザールの角を使えると思うか?」

 オレのこの問いにふーっとため息をついて肩を落とすと、イルビス自身も何度もシミュレートしていたのであろう、答えはスムーズに返ってくる。

「無理じゃ、体に取り込もうものなら、あっという間に魔素に精神を支配されるじゃろう……あの時の私を見ていたのなら分かるであろ?」

 たしかに……次元の狭間、シグザール城で額に角を植え付けたイルビスは、憎悪と哀しみの塊のようだった……

「なら最悪の場合は、カンナの体ごと破壊しなければならないということか……」 

「そういうことじゃろうな……」


 最悪のケースの想定は必要なこととはいえ気が滅入る作業である、場の雰囲気も暗くなってきているので何か明るい話題が欲しいところであった、少し考えてふと思い付きオレはセルピナに尋ねる。

「そういえばセルピナのアトリエの下は海だよな、今でも崖の下に下りて行って釣りとかできそうなのか?」

「え? ええ、もちろんよ、昔に比べたら浸食で砂浜はだいぶ小さくなっちゃったけどね、岬の方に行けば結構な大物だって釣れるんだから~」

 さすが漁師の嫁である、釣れる魚種だの仕掛けの作り方だのを事細かに教えてくれる、が、しかしもっと会話が弾んでもよさそうに思ったのだが他の女性陣はダンマリである、別に気を悪くしてる様子ではなさそうだが……不思議なことに皆何かをハッと思い付いたような顔をしてから思索に耽っている様子に見えた。


 よく分からないが、まあ今日はこのへんで終わりかな……と考えていると、ローサが突然オレの方を向いてなんだか機嫌の良い様子で口を開く。

「明日、私も一緒にいくわね~」

 また突然こいつは……と少し呆れて思いながら。

「いや……明日はオレとイルビスだけで……」

 と言ったところで今度はアリーシアが。

「私もご一緒しますね」

 にこやかに言う。

「え、いや……だから行くのはオレとイル……」

「私もご一緒させてくださいっ」

 サマサまでっ⁉


 皆どうしちゃったのかな……と思いつつ、対弓猿の作戦が破たんしてしまうのでやむなく説得に移る。

「弓猿の行動を止める役がセルピナとBBの二人しかいないからさ……引きつけ役が多いとちょっと困ったことになっちゃうんだ……」

「なら私たちセルピナのアトリエで待ってるからいいわよ」

 弱った様子で言うオレにローサがあっけらかんと言い放つ、アリーシアとサマサも笑顔で頷いている。


 オレはといえば混乱してきた、一緒に戦うと言い出したのかと思ったらアトリエで待ってるとか……正直言って訳が分からない、見ると三人に含めてイルビスもなんだか同じような思惑を持っていそうな雰囲気がある……

 二択がオレの目の前にあった……理由を追及するか、訳は分からずともアトリエで待ってるなら良しとしておくか……どちらを採るべきか……


「……わかった……でもちゃんとアトリエで待ってるんだぞ?」

「ハ~イ!」


 後者を採ったオレに三人の明るい返事が返ってくる、一体どうなることやら……


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