四十四話 レストランとカクテルドレスと一計と



「どう? なかなかいいお店でしょ?」

 キャンドルの光が幻想的な、ムードたっぷりのレストランであった。


 格式はさほど高くなさそうではある、他のテーブルとの距離も小声で話せばなんとか聞かれることはないというくらいしか開いていない、いわゆる庶民がちょっと贅沢する時の店という感じだ。


「そ、そうだね……落ち着いた感じだし……料理もおいしいよ」

 シャンパンのせいなのかタイチのせいかは分からぬが、少し紅く染まった頬でウットリと上機嫌なライラと、どことなく落ち着かぬ様子で、どこをどう間違えてこんなことに……という自問自答を、三回ほど繰り返し済みのタイチであった。



 ライラの司書室で禁書が目的なのを見抜かれ、警備を呼ばれるか脅迫されるか……と身構えるタイチに、意外にも彼女は協力と恭順を申し出た。


 もちろんにわかには信じられない、そんなことをしてもライラには何のメリットも無いであろうからだ、むしろ今の地位や生活を失う恐れだってあるはずだ。

 どういうつもりなのかと問うと、ソファーに並んで座るライラは改まった様子で、こう話を切りだした。


「タイチさんは、さっきスクルージ卿の蔵書庫へも行ったと言ってました……そしてニコル王墓出土の、白夢の書の序文を諳んじていました……でもスクルージ卿は誰にも、絶対に自分の蔵書を読ませることはしない人なんです、そして白夢の書はニコル王墓発掘調査に出資したスクルージ卿の蔵書……写本も存在しません……」


 しまった……とも思ったが、素直にライラの慧眼に舌を巻き、タイチは続きに耳を傾ける。

「おかしいとは思ったんです……あれだけの場所を巡って、あれほどの非公開文献の開示を請求してたら、二十年や三十年じゃききません、開示される保証すらないという問題だってあります、つまりタイチさんは……」

 もうこの時点でタイチはなんだか楽しくなってきていた。


「盗み読み……できたんですよね……? どうやったのかは解りませんが……」

「文献を盗んだとは……考えないの?」

「盗難であれば知らせが届くはずです、図書館や愛書家は結構密接につながっているんです、それに……タイチさんは盗んでなんかいないはずです……」


「どうしてそう思うの? 僕は悪者かもしれないよ?」

「だって……盗んで持っているのなら、タイトルから序章・序文まで全部暗記する必要なんてないじゃないですか……盗品の内容をわざわざ他人に喋ったりもしないでしょうし……」

「あ……」

 タイチの完敗であった、ついさっき会ったばかりの彼女に、僅かな会話だけでここまで読まれるとは……


「で、でも、それだけで無条件に協力するなんて……どうして思えるの……? 文献を盗むのも、こっそり内容だけを盗むのも、どちらも変わらぬ犯罪じゃないかな……?」

 少し負け惜しみ気味にタイチがそう言うと、ライラはムッとした険しい表情になり、タイチの目の前に人差し指を立てた手をニュッと出して詰め寄ってくる、顔が近い……


「その文献を書いた本人が、見せたくないと言って仕舞い込むならともかくですよ、世に出された素晴らしい知識の贈り物を……ただ入手したっていうだけの所有者や機関が勝手な都合で閲覧を禁止するって……そんなの……そんなのって……許されるわけないじゃないですかっ!」

 言ってるうちに目がじわっと潤んできている、かなり昂っているようだ……ところがグイグイ来ていた彼女が、スッ……と身を引くと。


「タイチさんは、どうして内容だけを盗んだんですか? そんな手間ばかりかかってリスクの高いやり方より、文献をそのまま盗んでしまう方が遥かに楽だったでしょうに……」

「そ、それは……」

 急に静かな物腰になって問うライラの言葉にタイチは言い澱む、しかし彼女は嬉しそうに頬を染めながら、口元で自分の両手の指を合わせて指先にキスするように語る。


「私、わかります……それはタイチさんが文献や書物が大好きだからなんです……大好きだからこそ、それを盗まれた愛書家や図書館職員の気持ちが分かるんです……誰も悲しませないように、書かれた内容だけを盗もうと考えることができて、しかも本当に盗んじゃうなんて……なんて素敵な泥棒さんなんでしょう……」

 うふふっと笑ったライラは、彼女の評価で赤くなったタイチに優しく微笑みながら続ける。


「文献そのものを欲しがる訳じゃなく、求めるのは書かれた内容、つまり知識のみ……しかもそれは、一般の人はほとんど知らない古代の図書館のことに限られていて、どこの研究機関にも所属していないタイチさんは、単純な学術目的で動いているとも思えません……知識への渇望に無理やり理由をつける気もありませんが、でも……」

 タイチを見つめるターコイズブルーの目が、彼女の大きな期待と少しの不安を伝えてくる。


「でも……どうしても私はタイチさんが、古代の図書館への道を本気で探しているとしか思えないんです……だからこそ禁書を求めてこの帝国図書館まで……違いますか……?」

 タイチがここでとぼけてしまえばこの話は終了である、ライラもそれは重々承知であろう、だが彼女は包み隠さず自分の考えをタイチへ伝えてきた、己の思惑優先であるなら、もっと上手く立ち回ることも彼女ならできたはずである……


 タイチは両手を肩の前で広げ、参ったのポーズをとる。

「降参だ……ライラさんの言う通りだよ」

 パアッとライラの表情が明るくなる。

「なら、禁書の内容を得るために協力させてもらえませんか? 協力の見返りとして、もし、古代の図書館が現存するのを確認できて、タイチさんが到達できたのなら……タイチさんが古代の図書館について見たことや知ったことを、何か手に入れることができたのならそのことも……できるだけでいいんですっ、絶対行くことのできない私に……教えていただけないでしょうか?」


 真剣な顔で懇願するライラであるが、タイチは少し驚いていた。

「正直少し意外です……今までの話でライラさんなら、一緒に行きたいとか連れて行ってほしいとかを望まれるものと思ったんですが……」

 そう言いジーッとライラを見ていると、やがて少し上目でタイチを見返していた彼女の口元が、耐え切れなくなったのであろう、少し笑う形に変わっていく。

「やっぱり……人が悪いな……僕を試しましたね……?」

 そうタイチが言うと、ライラは堰を切ったようにクスクスと笑いだす。

「ご、ごめんなさい、うふふっ」


「まったく……でもよく考えたもんですね……簡単に了承しても、逆に断っても……どちらも信用するに値しない能無しか、もしくは嘘つきってことになっちゃうんですね……肝心なのは、宝珠の入手に女神の能力が必要だということを知っているか、そしてそれを前提としているお願いだというのに気付けるかどうかということか……」


「そういうことですね、タイチさんが何の疑問も持たずに安請け合いをしたのなら、気付けていない、もしくは気付けていたとしても、私がどこまで知ってるのかを気にもしない、いい加減な約束をするということになりますし……」

「うん、そして断った場合は、禁書入手に協力など必要ないという驕った考えか、ライラさんの申し出の意味に気付けぬ愚か者ということになっちゃいますね」


「でもライラさん……」

 突然タイチの優しい目が急にスッと細められ鋭い光を見せる、威圧こそしていないものの、普通であれば相対する者が言葉を失うくらいの迫力である。

「どうして僕なら行けると考えているんですか?」

 静かに、しかし危険な雰囲気がその場に漂う……いや、漂うはずであった……実際にタイチには漂わせようという意図があった、漂っていないとおかしい場面だったのである……が、しかし……


 熱っぽい潤んだ目がタイチを見つめる、更に上気して紅くなった頬と小さく開いた口が、喘ぐように少し早めの呼吸をして微かに震えている、よく見るとスカートの中で両の太ももを切なそうに擦り合わせて動かしているではないか……

 意図したのと全く違う方向で、効果はバツグンだったらしい。

 タイチの中で緊急警報が鳴る、これはマズイやつだっ、なんだかよく解らないがマズイやつだっ!


「ラ、ライラさんっ! そういえば相談したいことがっ!」

 必死の回避行動である、相談したいことなんて本当は考えてもいなかった、額に汗が浮かぶタイチの脳内はフル回転を始め、もの凄い勢いでブドウ糖が消費されていく。

「相談……ですか……?」

 頼られているという意識が煩悩の縁から理性を引き戻したか、若干の正常な光が彼女の目に戻ってきた、これを逃せば後がないっ! とタイチはすぐに言葉を継ぐ。


「はいっ、実は今日この街に着いたばかりで、宿もまだきまってないんです、知りたいことが入手できるまでの間、逗留できる安くていい宿をご存じないかなと思いまして……」

 健全な思考が煩悩を振り払ってくれることを望みつつ、タイチは様子を窺う。

 思い当たる宿を思索中なのだろうか、少し顔を伏せ気味にするライラだが、タイチはほんの一瞬だけ俯き顔のライラの目がギラリと光り、ニヤッと笑ったような気がしてドキリとする。


 錯覚だったのであろうか……顔を上げたライラは爽やかな表情で通常に戻っており、心臓をバクバクさせながら戸惑っているタイチににこやかに応え始めた。

「そういうことでしたらお任せくださいっ、安くて清潔な部屋の宿を知ってます! 宿の女将さんと知り合いなのですぐに泊まれますから、そうですね……夕食の後でご案内しますねっ、夕食は私いいお店知ってるんですっ、出逢った記念に御馳走しちゃいますねっ、楽しみだわぁっ!」


 自分から言い出したこととはいえ、こんなにも断ることのできない流れで進行してしまうものなのだろうか……ルンルンと上機嫌なライラと対照に、少し青ざめてプルプルしながら胸中では嫌な予感しかしていないタイチであった。



「ねえ、バルコニーに出てみましょう?」

 コースの料理が全て済んで食後はデザートワインが出された、ひと口飲んで少し冷え過ぎかな……と思っていたら、そうか、バルコニーで楽しむ人が多いから最初は低めの温度で出すんだな……と気付く。


 グラスを持って誘われるまま、薄い布が掛かっているだけのバルコニーへの出口をくぐると思わずため息混じりの声が出る。

 高台に建つこのレストランの売りでもあるのだろう、見事な夜景であった。

 寂れつつあるとはいえ帝国の首都である、眼下には無数の光が煌き、全てを覆う夜の闇から幻想的な古都の姿を浮かび上がらせている、街路沿いに灯る光が川のように街を流れているようであった。


 空には星々が浮き立つように、さんざめくように瞬いている、そう見えるのはこの大きな街に来て自分の心も踊っているからか……ワインのせいか……それとも……

 アンティークホワイトのカクテルドレス姿が、タイチのすぐ隣でワイングラスにワインより紅い唇をつける。

 図書館では後ろで纏めていた髪も全て下ろし、ゆるくウェーブのかかった腰近くまであるアッシュブロンドが微かな夜風に揺れている、胸元にはモノクルの水晶レンズが灯りを反射して透き通った光を見せていた。


 このレストランに来る前に、タイチは独り中央広場で一時間近く待たされた、その時は独りでボヤいていたのだが、こうして見ると待たされた甲斐があったくらいの変身ぶりではあるようだ。

 眺めるタイチの視線に気付き、バルコニーの手摺りに肘をついて夜景にウットリしていたライラが、タイチを向き恥ずかしそうな表情になる。


 ライラは着ているドレスの話も食事中に話してくれた、本当は自分はドレスなんて一着も持ってはおらず、これはリコからの借り物であると、もうちょっと鮮やかな色はないのか? と問うと、アンタの髪と目の色で派手な色を着たら痛い目に遭うよっ! と怒られたという話であった。

 派手な色が似合うかどうかは分からぬが、このドレスに決めたリコさんの見立ては正しいとタイチも思う、しかし当の本人は大人しすぎると思っているようで。


「やっぱりもう少し胸元が開いてるほうが、タイチさんも好みじゃないですか……?」

 と、少し上目をつかって悪戯っぽく言ってくる。

「い、いえ、そのままで十分似合ってますって……」

 なんだか照れて夜景に向き、グラスを口に運ぶ。

「でも、ドレスが大人しいかわりに……下着は結構きわどいんですよ……」

「ぶふっ!」

 ワインを噴きそうになりゲホゲホむせるタイチに、楽しそうに笑いながら。

「うふふっ……冗談ですっ」

 ゲホゲホしながらタイチは、どこをどう間違えてこんな……と四回目の自問自答をするのであった。


 広いバルコニーにはタイチたちを含めて三組ほどの客しかおらず、それぞれが間を開けて夜景を楽しんでいるため会話には気を遣わずに済んでいた。

「私自身はちっとも気にしてないんで、暗い気分になっちゃったりしないでくださいね」

 ライラの言葉に「?」となるタイチに彼女は語りだす。


「私、孤児だったんです」

 ハッとするタイチに。

「ほらっ、気にしないでくださいって」

 明るく笑って話を続ける。

「十二歳まで孤児院で育ちました……両親の顔も、他人との会話の仕方も、世の中のことも……何一つ知らなかった私に、いろいろなことを……いえ、世界の全てを教えてくれたのは本でした……」


「院長先生が寝る前に読んでくださる絵本が、小さな頃の私には全てでした……私も自分の力で本が読みたいって考え始めて……一所懸命勉強して、絵本が読めるようになったのが六歳の時です……」

「そして絵本の中よりももっともっと広い世界が……文献・書籍の広大な海が絵本の先に広がっていることを知ったんです……私はより多く、より深くを求めてずっと勉強を続けました、十二歳で帝国図書館に下働きで入り、それからもずっと学び続けてきました……」


 そう話した彼女は慈愛のこもった笑顔を浮かべ。

「司書になって、この歳になって、やっと振り返ることができて思ったんです……私、やっぱり本を愛してるんだなあ……って」

 ライラは黙ったまま見つめるタイチの目をまっすぐに見つめ返す。


「どうして僕なら行けると考えてるのか……って質問の答えです、タイチさんがご自分で行けると考えているからです……私には分かります、タイチさんは今日、私が落とした目録を拾ってくださったとき、その落ちた縁をそっと撫でていました……それを見たとき私、とっても嬉しかった……」

「タイチさんは文献・書籍が大好きで、盗まれたときの持ち主の気持ちまで慮る優しさを持っていて……不可能と思うような困難な……知識だけを集めるということを成し続けて……そして最後に帝国図書館の禁書の前に立とうとしている……」

「そんな素敵なあなたのこと……疑えっていうほうが無理です……」

 本を愛するライラらしい、情熱的な愛の告白ともとれる言葉であった。


 タイチは大して気の利いたセリフも言えず、朴念仁の自身に自己嫌悪気味である、なんせ、あ、ありがとう……しか言えなかったのであるからだ、それでもまだ機嫌よくワインを楽しむ様子のライラに救われた気持ちになりながら店を後にし、約束していた宿へ案内してもらうこととなる。


 ライラの知り合いだという小太りの女将さんは、ライラのカクテルドレス姿とタイチを交互に見比べながら、あらまあまあまあ……と満面の笑顔で迎えてくれた。

 小さな宿である、一階は小さな食堂と小さなバーカウンター、二階に三部屋、三階に二部屋であった。


 タイチに割り当てられたのは三階の一室、三階は二部屋あるのだがもう一室は物置になっていて実質三階はタイチのみになるようであった、三角屋根の建物の天井がそのまま部屋の天井なので、真ん中が高く横が低くなっている。

 清潔なベッドと使い易そうな天板の広いデスクを気に入って、とりあえず三日の逗留を申し込む、ライラの口利きもあるのであろう、思っていたよりもずっと安い部屋賃であった。


 なんだかんだいってもライラに世話になりっぱなしのタイチである、一階で待っていたライラに送って行こうと申し出たが、彼女は首を振って大丈夫と微笑む。

「明日は私、図書館には昼からいますから……昼過ぎに司書室へ直接来てくださいね」

 彼女がそう言うと二人の間の言葉は途切れ外の喧騒が流れてくる、別れが切ないせいなのか、ライラは先程から言葉数が少なくなっていた、タイチが予想していた、泊まって行っちゃおうかな……という類のアプローチも無いようで、安堵と拍子抜けと若干の寂しさの入り混じる複雑な心境が彼の胸中に広がっていた。


「今日逢ったばかりなのに……別れるのがちょっと……寂しいね……」

 この言葉にはさすがのタイチも少しグッときた、しかし気の利いた言葉を探す間もなくライラが告げる。

「今日はすごく楽しかった……ありがとう……じゃあ……おやすみなさいっ」

 言うなりクルッと振り返り宿屋を走り出て行ってしまう、あ……と伸ばした手だけが残り、タイチは心に小さなトゲが刺さったような気持ちになるのであった……


 朝食の時間を教えてもらってから三階の自室に向かう、身体は疲れているしアルコールも入っている、しかし何故だかまだ眠れそうな気がしない、夜空でも眺めながら考えをまとめようか……と思って窓を開くとすぐ前に隣の建物が建っており、夜空は真上を見上げても建物同士の隙間からわずかにしか見ることができなかった。


 真下を見ると狭い路地とも言えぬ隙間である、人が一人やっと通れるほどであろう、目の前には隣の建物の窓があり、こちらも向こうにも小さな鉢植えを置く張り出しがあって実質的な隙間が二十センチほどしかない。


 向こうの窓が開けば面と向かうことになってしまう、気まずい思いをするのも嫌なので諦めて閉めようとしていたとき、突然バンッと目の前の窓が開いたではないか。


「あら、こんばんは、とてもいい夜ね」

 悪戯っぽい光を湛えたターコイズブルーの瞳が、タイチを見てニッコリと微笑んだ。


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