四十三話 古都と文献と変な司書と



 尖塔群が蒼穹を指して伸びている、まるで太陽を射ようとする矢のようだ。


 ゴシック様式に類するであろう古めかしい建築が目立つ街並が広がる、古都の風格を際立たせる灰白色の壁は歳経た証の黒ずみで覆われ、街を縦横に走る石畳の道も轍の跡が深く刻まれており、その悠久の歴史を至る所で窺うことができる。


 新興の頃はさぞや勢いがあったのであろう、意志の上昇を象徴するかのような無数の尖塔が天を突き、かつては競うようにその高さを誇っていたことを窺わせていた。


 サウル帝国、帝都ユーディットである。


 黎明期の栄華と背徳の残り香がいまだに漂うこの都も、歳月と共に人口は減り続け、緩やかに老いていくかのように街全体を停滞と凋落の雰囲気が覆っている。


 その帝都の中心地区、議事堂や裁判所など政治の中枢が集まる区域に、この世界で有数の蔵書数を誇る帝国図書館があった。



 ライラは自分の上半身ほどもある大きな革表紙の蔵書目録を開いていた。


 書架から控えてきたリストを目録と照らし合わせてチェックを入れる、日常業務としてのこの作業は決して終わることがない、毎年の目録更新のためでもあるのだが、古代史専攻の彼女が任されている古代史・神話・伝説・伝承カテゴリだけでも一万を軽く超える文献が揃っているために、作業は延々とループするのである。


 交代制で受付業務がまわってくるため、ライラは受付デスクに座りながらの作業となっていた、デスクにはメモが広げられ右手には羽ペン、左手で大きな目録を閉じぬように固定し、左目にはモノクルを嵌めて目録の微細な文字を追っていく。

 集中力の必要な作業であった、ゆえに少しづつ小休止をはさんで持続させていかなければならない、肩の凝りをほぐすために首を回しながら最近彼女はよく考えるようになっていた。


 振り返るとライラは十二歳でこの図書館の下働きを始め、必死で働きその素養を認められて司書課程へ進んだ、そしていつのまにかもう二十年が経過しようとしている、気が付けば年齢ではまだ自分より年上の職員は多いものの、勤続年数的にはもうある程度自分の意見を好きなように言える、いわゆるお局様に近い状態になっていたのであった。


 マズイわね……このままじゃ婚期を逃しちゃうものね……

 まだ逃してはいない、という前提で考えられる分だけ前向きではあるのだが。

 ひっつめてきつく後ろで括られたアッシュブロンドは、自然に下せば腰にとどくほどである、ターコイズブルーの瞳の色と合わせてその灰色がかった金髪のせいで全体的に白っぽいイメージがあり、自分で自分に年寄りくさいという評価を下しているのであった。

 ならば服装でなんとか……と普通ならば考えそうなものであるが、ライラ本人が悩みというほど悩んでもいないのであろう、今は白のブラウスと膝下までの黒のラップスカートという、図書館の職員としては満点であろうが、地味なことこの上ない様相であった。


 ライラの容姿は決して悪くはない、しかし特別良いわけでもない、それ以前の問題として、女性として蕾が開き大輪の花を咲き誇らせる最盛期を勉強と仕事に追われ、色のついた想い出が悲しいかな皆無のせいも大いにあるであろう、自分の持つ女性としての魅力を表に出す術を全くと言っていいほど知らなかった。

 なので結婚に対する捉え方も、ロープで輪を作り、逃げ惑う雄の野生馬の群れの中から一頭を捕獲する、といった認識に近いものがあるというのを、もし知られたとしても決して誰も責められぬではあろう……


 しかしやはり、多少は相手を選びたい気持ちもあって当然ではある、同僚の男性職員には全く心が動かない、なんせ皆青白い顔をしてヒョロヒョロと頼りなく、頭でっかちで理屈っぽいときた、来館する利用者も似たり寄ったりの者ばかりである。

「あ~あ……図書館じゃ物語みたいな恋なんてあるわけないものね~……」

 小さくボヤきつつ目録のチェックを再開しようとしたその時、目録のでかい革表紙の向こうからコツコツとこちらへ向かって歩いてくる足音が聞こえてくる。


 受付の利用かしらね、と思っていると案の定デスクの前で足音が立ち止まる、利用者の求めを解決する本を探し出すことをレファレンスと言う、面倒臭がる輩もいるがライラは問題が解決する文献を手にして喜ぶ利用者の顔こそが司書の誇りと思っている、なのでどんな時であろうとにこやかに、こんにちは、本をお探しですか?と声を掛けてきた、今もそうすべく視線を遮っている目録を下げて利用者を見る。


「こん……」

 最初の二文字しか出てこなかった。


 デスクの前に立つ姿に目が吸い寄せられる……ダークブラウンの前髪がサラッと揺れ、赤銅色に焼けた肌がライトグレーのドレスシャツの逞しい胸元から覗く、そして精悍な顔の表情はあくまでも優しそうで、特に穏やかで思慮深い光を湛えた翡翠色の目は、ライラの目を一瞬で捉えてしまいもう離さないのであった。


「こんにちは、あの……文献を探しているんですが……」

 こん……と言ったきり息を飲んで固まっているライラに「?」となりながらデスクの前に立つ男性は、見た目の若さよりもかなり落ち着いている声で話しかける。

 その声に背中を撫で上げられるようなゾクゾクッとした感じを覚えて戸惑いながらも、ライラは必死に職業意識を奮い起こして対応しようと努める、しかし何故だか身体の奥が熱くて全然力が入らない気がするのだ……脚も少し震えているようである……


「はっ……はいっ、お伺いしますね……」

 目録をいったん閉じてデスクの上を片付けようとしたときであった、身体に力が入らないということは、握力も落ちているということに想いが至っていなかった、しっかり掴んでいると思い込んでいた大きな目録は、あっけなく手をすっぽ抜けて机下へ落ち、ライラの足の甲をゴズンッと直撃する。

「ぐっはあっ!」

 目をむいて叫ぶ彼女の声と表情にビクッ!と引く彼。


「だ、大丈夫……ですか……?」

 それでも案じて尋ねてくれる彼に、真っ赤な顔になって目の端に浮かぶ大粒の涙は、足の痛みからなどではなく、心を奪われるほどの男性の前で痴態を晒してしまった自分への羞恥と自己嫌悪の涙であった。

 そのとき、彼がデスクを回り込んでライラの側に立つ、呆気にとられる彼女の目の前で目録を拾い上げデスクに置くと、スッと片膝をついて屈み込み座ったままの彼女の足をサンダルごと掌に乗せ、目録で強打した足の甲を診だしたではないか。


「赤くなっているけど、骨には異常なさそうですね……痛みますか?」

 そっと赤くなった部分に触れながら言い、そのままライラを見上げる、見上げた途端に、うわっ……?という感じで再び引き気味になる彼。

「あ……へ……へひ……」

 ライラは椅子の背もたれに全てを預けて天井を仰ぎ、茹で上がったような真っ赤な顔で白目を剥きかけており、ピクピクしながら意識の大部分がすっ飛んでいる様子であった、ご丁寧にヨダレも少し出ている。

 驚き慌てる彼の呼び声も、何か様子がおかしいのでやって来た同僚の声も、足の甲を撫でられただけでイッてしまった彼女の耳には、真っ白になった意識の奥で響く遥か遠くの木霊のようにしか聞こえないのであった。


 修復の作業中だったのであろうか、経年劣化で表紙の崩れかけた本と筆やピンセット、薬品類などの道具がデスクの上に所狭しと並んでいた。

 古い文献特有の匂いが薬品のアルコール臭と混ざり合い、これぞ図書館というような匂いの部屋である。

 ライラに与えられている司書室であった、小さな部屋ではあるが壁が全て本棚になっており、写本作成のための書写作業がしやすい大きな天板のデスクと、中央に簡素な長ソファーとテーブルのセットが据えられている。


 運び込まれてソファーに寝かされたライラであったが、同僚と共に部屋を退出しようとする彼に気付くとガバッと飛び起きて腕を捕らえて引き留める、ドアを開いたままこちらを窺っている同僚には手でシッシッとやって追い出してしまった。


「あの……具合が悪いようでしたら無理せずに……」

 気遣う彼の言葉にブンブンと首を振り、腕を引いて半ば無理矢理ソファーに座らせる、ライラはというと、普通であればテーブルをはさんだ対面にデスクの椅子でも出してきて座るものなのであろうが、そのまま彼の横にちょこんと座り込んでしまった。


「さ、先程は……お見苦しい所を……」

 しおらしく頭を下げる彼女に、幾分警戒を解いた感じの彼が応える。

「いえ、大丈夫のようでしたらよかった」

 そう言って微笑む彼にまたポ~ッとなりかけたライラであるが、今度はなんとか持ちこたえたようである。


「遅ればせながら、お探しの文献があるとのことでしたよね……?」

「ええ、エントランスの受付で聞くと、古代史コーナーのライラさんに尋ねるようにと案内されたのですが……」

 今日のエントランスはリコのはずだ……ナイスリコッ!今度なんでも好きな物おごってやるっ!そんなことを考えながら彼に見えないように拳をグッと握って小さなガッツポーズをする。


「私が古代史担当のライラです、どうぞよろしく」

 澄まして名乗り、手を差しのべる。

「タイチです、よろしくお願いします」

 タイチは出された手を取りしっかりと握手をする、ライラはなぜか手をなかなか離してくれなかった。


「さて、お探しの文献とは何についてのものでしょう?」

「はい、古代の図書館についてと、それに類するもの全て……なんですが、漠然としていて申し訳ないとは思いますが……」

 タイチのその言葉を聞いた途端に、ライラのどことなくユルい部分が消え失せ、誇りを持つプロフェッショナルの表情へと切り替わる、タイチがその様子を見て、へえ……と心の中で感心したほどであった。


「お答えする前に一つお尋ねしてもいいでしょうか?」

 どうぞと頷くタイチにライラは続ける。

「タイチさんはどちらかの学術・研究機関に所属されている方なんですか?」

「……いえ?自分一人での調べ物なんですが……?」

 きょとんとした顔でタイチがそう言うと、ライラは信じられない……というような表情になる。


「失礼ですが……個人の方であれば古代の図書館という名に行き着くことすら困難なはずなのですが……関連する文献の数が少ないというのもあります、しかしその最たる理由は現存する文献の大部分が、良くても閲覧禁止で閉架書庫にあるか、最悪では禁書扱いで禁書庫へ厳重封印されてるものもあるということなんです」


「ええ……どこへ行ってもだいたいそんな感じでした」

 あっけらかんと言うタイチは、それまで訪ねてきた図書館や、有名な蔵書庫を所有するビブリオフィリア(愛書家)などの名を幾つか挙げる、その錚々たる名称がタイチの口から告げられていくのと並行して、ライラの表情の驚愕度もどんどん大きくなっていく。


 さもあらん、タイチの挙げた場所を全て巡るとなれば、例え旅行感覚で見て回るだけとしても優に数年はかかるであろうことは、図書館の職員であれば知ってて当然くらいの常識である。

 それを、少なくとも必要になる開示請求期間と、文献の内容を理解するほどの研究期間も含めるとなると……


「タイチさん、冗談にしても悪ふざけが過ぎますっ!」

 こと図書に関することではライラは妥協しない、どう見ても二十代中後半ほどにしか見えぬタイチが、子供の頃から古代の図書館の文献を各地を巡って研究していたとは考えられないからだ。

 鼻息も荒く顔を紅潮させて異議を唱えるライラに苦笑いしながら。

「いえ……本当なんですよ、えーと……じゃあ……」


 そう言うとタイチの目がスッと細められ、視線が宙のあらぬ処に固定される、ライラの心臓はドキッと音をたてるほどに跳ね上がる、なぜだか理解できる……彼は今、すごく集中して自分の知識の書庫を開いている……タイチの頭脳の中の知識のページがめくられる音が聴こえるような気がした。


「クサカ文書・理の節、記憶を伝う者は常に其の場所に在り、しかして其に至る道に標なく――」

「ハーベー石版・序、天を支える二柱の狭間、進んで来たれ求むる知あらば――」

「デルフ古代遺跡出土・シビュラ託宣控え、英知は知の中に在らず、無知の中にこそあれど、知の集う其の処、英知を超える真理が棲む――」

「出処不明・伝承、其の地は長き洞窟の最奥にありて彼の地の入口にあり――」

 次々と関連文献のタイトルと序章・序文を諳んじていくタイチ、ライラは息をするのも忘れてその語る内容に呆然と聞き入っている。


 本物だ……ライラは悟る、タイチの諳んじていくタイトルの中には、この帝国図書館に写しがあるものも幾つかあった、ライラが研究の素材にしたものもある、諳んじられる序文にも間違いはなかった……なにより全てここでは閲覧禁止である、一般の目には触れずに閉架書庫に眠っている文献ばかりであった。


「す……すごい……」

 ようやく声が出た、第一声はもちろん掛け値の無い称賛の言葉である。

 信じてもらえた様子なのでタイチも笑顔になる、実のところタイチも少し感心していた、今諳んじた内容をすごいと評価できるだけでも、ライラの専門的な知識は並ならぬものがあると判る玄人的な判断であった。


 タイチの笑顔に頬を染めながらも考えを巡らせていたのであろう、ライラがタイチに申し出る。

「それだけの文献を読まれた上でなお、この帝国図書館へおいでになるということは……タイチさんは研究だけではなく本当に……古代の図書館の在り処を探していらっしゃるのではありませんか?」


 今度はタイチがドキリとする番であった。

 さすがこの歴史のある巨大な図書館のカテゴリーを任されているだけはある、単なる変な人ではなかったんだな……と。

「本当にあるのであれば……そうですね、行ってみたいなとは思います……」

 無難にごまかそうとするタイチであった、しかしライラは嬉しそうに言葉を継ぐ。


「うふふっ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ……古代の図書館を目指すということは、イコール禁書を読みたいってことになりますもんね……でも、その気持ちすっごくよく分かりますっ!だから私には隠さなくったっていいんですよ?誰にも言ったりしませんっ……」

 そしてさらに赤くなった顔でモジモジしながら。

「ふ……二人だけの……秘密……ですっ……」


 なんなんだろうこの人……タイチは呆気に取られて見ている、かなりな知識の持ち主であるとは思うのだが……さっぱり解らない……

 こんなにも彼を「?」状態にさせる女性は生涯二人目だ、一人目は言わずもがな、彼の生みの親である闇の女神さまであった。


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