四十二話 晩餐と製作者とジェラシーと
「まあっ、物質界まで行ってしまったんですか……」
アリーシアが目を丸くして驚く、もちろん回廊がつながっていない現在では、それがどれだけ大変な事かというのを彼女はよく承知している。
夕食の席であった、オレは事の顛末を大雑把に説明し始めたところであった。
椅子に座る尻がズキズキ痛む、先程のローサとの追いかけっこで、二人ともヘロヘロになるまで走り回ったあと、最終的に剣の先端で尻をブスッと刺されて試合終了になったのである。
なので右大殿筋をかばうように座りつつ話を続け、物質界から海辺の森へ出て弓猿に襲われ、BBに助けられてアトリエに案内され、セルピナに出逢うまでを順を追って説明していった。
予想以上の冒険話にしきりに驚嘆するアリーシアとサマサ、まだ不機嫌なままのローサも話だけはしっかりと聞いているようである。
それから語り部はセルピナに移り、彼女の過去から現在に至るまでの話が語られる、それまで喋ってたオレはようやく夕食にありつくことができた。
やはり女子というものは恋愛話が大好物のようで、セルピナとタオの出会いの話になると皆が身を乗りだすように聞き入りだす、一度聞いているイルビスですら乗り出すものだから、語るセルピナを取り囲む女子の輪ができてしまい、オレはなんだかはじき出された感じになってしまった。
いい場面になると質問も飛び交うものだから、話の進展は遅々としたものである、オレが食事を終えてもまだ出逢った初日の話のままであった、女子には部屋を去り際のタオの、待っててくれ……というのがたまらないらしかった。
オレはというと痛む尻をかばいながらのたのたとキッチンへ行き、気が付いて立とうとするサマサを手で制しながら、果実酒に氷砂糖をひとかけら入れたグラスを作って、またのたのたとそのままリビングへ向かいソファーへと身を沈める。
丸二日ほど活動しっぱなしということになる、さすがに疲労感が濃い、弓猿との戦闘もあったし先程はローサに追っかけ回されもした、さほど体力に自信があるわけでもないオレは、本来なら途中でダウンしてしまっていたであろう。
しかしなんとか持ちこたえているのは皮肉なことに、あのブレインエフェクターという怪しげな薬の効果によるところが大きいと感じていた、今回の騒動の発端とも言うべきあの薬は間違いなくかなりの強精作用もあったはずだ、さもなければあんなにオレの股間がお祭り騒ぎになるハズがない。
とはいえドーピング効果もほとんどが抜け去り、ダルさだけが重く残った状態の身体へ、果実酒のアルコールは睡眠薬に等しい効果をもたらせた、まぶたがいつ閉じたのかも分からぬまま微睡の中に引き込まれていく。
波に揺れるような心地良い時間であったが、オレの右隣へドサッと荒く腰を下ろす振動で一気に覚醒する、右尻がズキッと痛んだせいもある、見るとローサであった、オレが目を覚ましてそちらを見ていると知るとプイッとそっぽを向いた、まだご機嫌斜めのようである。
どうやら話が一段落したらしい、女性陣がぞろぞろとリビングへやってきた、L字型のソファーの長い方にオレと右にローサ左にアリーシア、短い方にイルビスとセルピナが座った。
サマサがそれぞれの飲み物を運んでくれてサイドチェアーに着席する、職業意識の強いサマサは決してソファーにゆったりと座ることはない、すぐに動けるようにとサイドチェアーなのであった、本当に感心してしまうのである。
そのサマサが珍しく皆を前に話を切り出した。
「あの……皆さま、今回は申し訳ありませんでした……」
「ん? サマサどうした?」
尋ねるオレにサマサはチラッとローサを見て。
「私があのような薬をタクヤさまに飲ませてしまって……こんな騒動になってしまいました……」
「ああ、そのことか……気にするなよ、サマサはオレのリクエストに一所懸命応えようとしてくれただけじゃないか」
「そ、そうよっ、あの騒ぎだってタクヤが全部悪いのよっ、サマサは気にしちゃダメよっ!」
オレとローサの間を仲裁しようという意図のサマサの言葉の意味に気付かず、鼻息荒くローサが言った、サマサは困ったような笑顔を返すしかない、と、そこで薬と聞いて何事かと思ったのであろう、セルピナがオレに尋ねる。
「な~に? 薬って?」
「ああ……オレがさ、物質界で飲んでたコーヒーっていうのを飲みたいって、サマサに相談したら説明した効果に近い薬を入手してくれたんだけどね……その効果がちょっとばかり強烈すぎちゃって」
「まったく大変じゃったぞ、こやつ本能のままに動くケダモノになりおってな、身体能力まで向上しておるものじゃから誰も止められなんだ……」
イルビスが話に加わる、返す言葉もなく沈黙してしまうオレをジロッと睨み、オレの変態っぷりを思い出したのか身震いを一つしてから、その時の状況をセルピナに説明していったのであった。
「……そう、そんなことが……」
経緯を聞き終えるとセルピナは、険しさの混じった真剣な表情になっていた。
「あのね、これは薬師としての立場からの言葉なんだけれども……」
皆、何事かと注目する。
「薬っていうのはね、用法、用量を守らなければ大変な結果を招くものがとても多いのよ……その薬を作った薬師さんも、正しい用途で使われること前提で調合しているはずなの……」
「セルピナ? なにを……?」
隣に座るイルビスが怪訝な顔で訊く、が、セルピナは気にせず続ける。
「特にオーダー受注で作ってる薬師さんなんて、できるだけ顧客の要望に応えてあげたいっていう優しい気持ちがあるものだからね……」
「おい……セルピナよ」
「そんな注文通りに調合した薬がね、正規のルートから外れて闇市なんかに流れて行っちゃったとしても、薬師さんには落ち度なんて全然ないと思うのよ……」
「おいこら」
「だってそうよね? 仲介業者や注文主が転売しちゃったら、薬師には分かるわけないものね? 可哀想な薬師さんは全然悪く……」
ガシッとイルビスがセルピナの両頬を手で挟み、無理やりその顔を自分の方へ向ける。
「ブレインエフェクター、お前が作ったのじゃな?」
「……アイ……シュミマシェン」
「オーダーで作ったというのも嘘じゃな?」
「う……面白半分で作って……闇市に流しちゃった……えへ」
ああ……とその場の全員が嘆息して手で顔を覆う。
「で、でもね、一応あれって私の薬師としての集大成なのよ? あれほどの強壮剤なんて私にしか作れないんだからっ」
「いや……強壮剤なんてレベルじゃないだろ……理性が吹っ飛ぶんだから……」
飲んだオレが言うのである、間違いはない。
「それよ、おかしいわよね~、いろいろ試したけどタオはそこまで変にはならなかったのに……」
「そこまでって……じゃあ、ある程度は効いてたんじゃないか……そんなときはどうしてたんだよ……?」
「どうしてたって……もうっ……この身体で責任とってたに決まってるじゃないっ」
セルピナは頬を染めてクネクネしながら言う。
オレは開いた口が塞がらなかった、他の女性陣は赤くなって俯いている。
オレは思った、もし将来オレが家族をもつことがあれば、薬師とだけは結婚するなと家訓にしたためようと……
「でもよかったじゃない、理性が吹き飛んで暴れた割には皆無事だったんでしょ?」
無事ではない、オレの尻は割れ目が一つ増えるところだった。
「でも……」
そのときローサが口を開いた。
「私には興味ないって……指一本触れなかったわ……」
目には涙がこぼれそうに浮かんでいる、先程逃げ回りながらもいろいろ声を掛けたのだが、余程傷ついたのであろう、未だに解決には至ってなかった。
「うふふふっ」
セルピナが笑う、いやそこ笑うとこじゃない……と思ったがどうやら違うようで。
「だからローサはさっきタクヤのこと追っかけてたのね~、でもねローサ、私の薬は半端じゃないのよ~?」
セルピナの言葉に「?」と首をひねるローサ。
「私の薬で理性が飛んだなら例外なんかないわ、その場に居ればお婆ちゃんにだって手を出してたでしょうね」
お婆ちゃんが居なくて本当によかった。
「じゃあ……じゃあどうして私だけっ?」
大粒の涙がポロポロと落ちる。
そんなローサにセルピナは優しく微笑みながら。
「決まってるじゃない……理性だの本能だのなんてものより、もっと深いところでタクヤはローサのこと想ってるからでしょ」
「え……?」
「理性の飛んだ状態になっても、本能のままにローサを傷つけることは許さない……それが想われていないなんてことあるわけないじゃない……」
「あっ……」
セルピナの説明に納得がいったのだろう、ローサはクルッとオレを振り返って潤んだ目でオレを見つめる。
正直言うと、そうなのかな~……という感じである、単純に普段のローサの女子力の低さが原因としか……と、そのときローサの背後のセルピナが、オレにこっそりウィンクをしてニッと笑ったではないか……
そ、そうかっ……これはローサの怒りを鎮めるための……まるで豪華客船のように感じるその助け舟に、オレは心から感謝して乗り込むことにした。
まったく……という感じでオレを見つめるローサの頭を撫でる。
「もう……それならそうと……どうして言ってくれないのよう……」
鼻にかかった声で甘えるようにローサが言う。
「ばっ……そんなこと……恥ずかしくて……」
「ちゃんと言ってくれなきゃ……わからないわよう……」
「ああ……ごめんな……」
周囲は、はいはい、あーもうわかったから……という感じでダレている。
どうやら一件落着であった、明日のことも話し合わなければならない、そう考えて切り出そうとしたところでまたローサの声が遮る。
「これで一つは解決したわね、問題はあと一つなんだけど……」
「え……? まだ……何か……?」
本当に予測のつかないヤツである、まだ何か持っているとは……
「帰ってきたときに……イルビスが見たことない靴を履いてたし、タクヤの持ってたバックパックから出した紙袋を大事そうに抱えて部屋に入って行ったし……」
そう聞いた瞬間、オレとイルビスの顔から血の気が失せて青くなる。
「二人で物質界で何してたのかしら……?」
にこやかに問うその言葉に、オレの左隣のアリーシアもウンウンと頷いている。
セルピナは、そりゃーもう私は知らんわー、とそっぽを向いた。
今夜は長い夜になりそうであった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます