四十話 オーブとお茶と永訣と



「ないわ……」

 訊ねられたオーブの有無を、首を振りながら言うセルピナであった。


 彼女はちょっと困ったような表情で、唖然となるイルビスを見ながら、なんとか説明しようとしているようではあるが、話しづらい内容でもあるのか言い澱んでる風でもある。


「では一体どこにあるのじゃ? 今の話でもう分かるであろ? そのオーブが古代の図書館の知識を引き出すであろう道具じゃということが……それを調べればタイチがしでかしたことの詳細が解るかもしれぬのじゃぞ?」

 焦れたイルビスがなかなか話さぬセルピナに詰め寄る、しかし今度はセルピナの方がイルビスの言葉にキョトンとしている。


「タイチが……しでかしたこと?」

「そ、そうじゃ、セルピナ、お前が言ったのであろう、カンナを止めてくれと……義体や封印術の研究目的は全て、カンナの身体へ精霊を入れて動かすためではなかったのか?」

「そ……そうなのかしら……やっぱりそうなのかしら……」

 イルビスの言葉を受けて葛藤し激しく迷う様子のセルピナに、予想外であったのだろう、当のイルビスも困惑してしまう。

「で、でもねイルビス……」

 セルピナは訴えかけるようにイルビスを見つめながら。

「タイチはアウルラへ還るまで……一度もカンナの柩の封印を解いていないのよ……?」


 束の間アトリエに時が止まったような沈黙が落ちる、オレもイルビスも思考の切り替えに時間を要しているのだ、先入観による思い込みがあったらしい、まずは事実確認だ……と、思い直して切り替えが終了したのは二人ともほぼ同時であったようだ、イルビスが切りだす。


「一度も……ただの一度も封印を解かずに……タイチは逝ってしまったというのか?」

「ええ……むしろ封印をより強固にする研究すらしていたようよ、闇柩には改良の余地はなかったみたいだけど……」

 グッ……と何かを言いかけるが飲み込むイルビス、気持ちはすごくわかる、じゃあなぜカンナは動いている? と言いたいのであろう……だが我慢して確認を続けていく克己心はたいしたものである。


「では先程のオーブの話じゃ、ないと言っておったが……できるだけ思い出してみよ、心当たりなどは一つもないのかの?」

「心当たりというほどのものではないけれども……」

 それでもよい、と頷くイルビスを見てセルピナは言葉を継いでいく。


「タイチはいつも、そのオーブを肌身離さず大事に持っていたわ……だから……」

 目を伏せるセルピナにオレとイルビスはハッとなる、さっきも言い澱んでいたのは……そうか……

「だから……オーブが消えた日は、タイチが……アウルラへ還った日……」



「おはよう、お母さん」

 よく晴れた日の朝であった。


「あら、おはよ、タイチもお茶飲むでしょ?」

「うん……もらうよ、お母さんの淹れるお茶を飲まないと目が覚めないんだ」

「まあ、うふふ、じゃあとびきり美味しいのを淹れなきゃねっ」


 やがて湯気の立つティーカップがタイチの前に出される、とても良い香りの立ち昇るカップを持つその手はやせ細って皺だらけであり、肌にはあちこちに闇の結晶がその濡れるように黒い表面を覗かせていた。

 手だけではない、頭髪の全て抜けた頭から顔、首から襟元まで、肌の見える部分は闇の結晶が至る所からその姿を体表へ現している。


 生まれてより千二百と余年、女神の能力を受け継いでいるとはいえ身体は半分は人間である、本来であればとうに朽ち果てているのであろう、しかし骨格から体組織や臓器まで、長い間研究した結晶化と封印術の応用でなんとか活動を維持し続けてきたのであった。


 だがやはり、もう人前へ出ることもかなわないその姿が、淹れたてのお茶を飲む様子を、これだけは昔と変わらぬ愛情の込められた眼差しで見ながら、セルピナは優しく尋ねる。


「今日も行くの?」

「うん……」

「あまり無理しちゃだめよ?」

「うん……」

 ティーカップが空になり、タイチはゆっくりと立ち上がってドアへと向かう。


「お母さん」

 外に出た身体が振り返り、半分ほど閉じたドアから中を覗き込んでいた。


「なあに?」

「今日のお茶、すごく美味しかったよ」

「あらっ、ふふっ、お世辞でも嬉しいわ」


 優しく微笑んで母を見る顔が、閉じるドアの向こうへ消えていく。


「カンナ、きたよ」

 静かで美しい泉の水面が揺れる、次いで渡ってくる風が、黒い柩を守るように枝を広げる巨木の葉を揺らして去っていく。

 千二百年前と変わらぬ姿で眠る少女の傍らに跪き、千二百年の時を生きたタイチは、だが今は千二百年前と変わらぬ眼差しで微笑みながら少女を見つめていた。


 ふと目を上げるとすぐ目の前、柩の上にちょこんとフクロウがとまっている、知性的な丸い目がタイチを見つめ、タイチもまた笑顔でフクロウを見る。

「カノポス……お前とももう長い付き合いになるね」

 千年余りを共にしてきた友であり家族であった、多くを語らずとも互いに全てを理解している。


 柩の横、老巨木の根に座り直してタイチはオーブを手に握り、しばらく何かを念じるように穏やかな表情で前を見つめる、やがて口が動き何か一言発すると、全てが終わったかのように目を閉じ深いため息をつく。


 泉に空が映っていた、白い雲が水面をゆっくりと流れている。

 柔らかい日が暖かく射す森を、しばし目を細めて嬉しそうに眺め、やがて柩に向かって跪く。


「カノポス、あとは頼んだよ……」

 傍らで見つめるカノポスへ笑顔をむけ、そのままその笑顔に少しの哀しみを織り込んだ顔が、眠る少女へ向けられる、ゆっくりと柩に伏していきながら、夢に落ちていくような声が少女の名を呼んだ。

「カンナ……瑪瑙を……拾いながら……デート……しよう……」


 十歳の少年が十歳の少女と手をつなぎ波打ち際を歩く。

 本当に楽しそうに笑いながら。

 やがて波が消してしまうであろう、だが今はまだ二人の残す足跡は、果てしなく後ろへと続いている……


 タイチの掌からオーブが静かにこぼれ落ち、猛禽の鋭い爪がそれを掴むと、柔らかい羽音をわずかにたててフクロウの姿が空へと舞い上がり、上空で一度円を描いてから森へと消え去っていった。


「あの嵐が去った朝と同じだったわ……カンナを守るように柩に伏して……眠ってるみたいだった……」

 胸騒ぎが収まらずに様子を見に行ったセルピナが見た光景である。


「なんだかね……楽しそうな顔をしてたのよ……きっと二人でデートでもしてたんでしょうね、やけちゃうわ……」

 ふふっと笑って語り終えるセルピナ、しかしその寂しそうな笑顔に胸が締め付けられる思いがする、イルビスも同様のようであった。


「それでね、イルビス」

 セルピナが話をオーブへと戻す。

「それっきりカノポスを見なくなったの……私、思うんだけど……オーブはカノポスが持ってるんじゃないかしら……それからね、それから……カンナの身体に入ってるのも……」

「じゃろうな……」

 イルビスが短く同調する、少し怪訝そうな顔で考え込んでいたが、すぐにセルピナへ訊ねた。


「カンナの闇柩の封印はいつ頃、どのようにして解けたのじゃ?」

「解けたのは今から二十年ほど前ね……ある日様子を見に行ったら、もう柩は跡形もなく消えてたわ、カンナの姿もなくて……カンナの周りを飾っていた花が萎れて散らばっていたから、封印が解けたんだってわかったの……」

「なるほどのう……二十年前とはつい最近じゃのう……ということは、タイチが逝ってから六百年ほど経っておるということか……」

 つい最近の二十年前には、まだ生まれておらぬオレが尋ねる。

「時間がなにか関係してるのか?」


 イルビスはタイミング良く質問されると機嫌が良くなる傾向がある、わかりやすいことに今もちょっと気を良くしているようだ。

「うむ、封印全てという訳ではないのじゃが、闇柩のような限定空間を固定するような封印術は、維持するために術者からの力の供給が必要での、供給が断たれると少しづつ減衰していきやがては消滅してしまうのじゃ」


「なるほど、でも減衰して消えるのに六百年もかかるっていうのも……すごい話だなあ」

「それは術者の力量よ、タイチは紛れもなく天才じゃ……どうやら闇柩の封印は自然に減衰して消えたと思ってよさそうじゃのう」

 タイチを褒められて機嫌を良くしたセルピナが言葉を継ぐ。


「でも、まだまだ分からないことだらけよね~、二十年前に封印が解けて今現在もカンナは動いているわ、カノポスだけの力で可能だと思う……?」

 その問いにオレはハッと気付く。

「そうか……タイチの開発した動く物体への封印術……それを使用できる術者がいないと……カンナは二十年も活動を続けることができないんだ……」


 さらにハッ! と思い出す。

「あっ! あのっ! あの猿っ! オレたちを襲ってきたあいつらっ! あれも猿の体の中に精霊が入ってたのかっ⁉」

 興奮して喚くオレに、しかしイルビスは、うわぁ~……という顔を返してきた。

「タクヤよ……それは気付くの……遅すぎじゃ……」

「え……そ、そう? だよ……ね……」

 ガックリとするオレに、さすがに可哀想だと思ったのか、イルビスが付け加えてきた。


「あ、じゃ、じゃが自分で気付けたというのはよいと思うぞっ……」

 その優しさが逆に心に痛い……


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