三十九話 研究と成果と古代の智慧と



「タイチが研究した中で、特に注目すべきものの一つに精霊への義体付与ってのがあるのよ」

 遅めの昼食を済ませてから、今度はティーリーフを発酵乾燥させたという、紅茶としか思えない香りと味のお茶を楽しみつつ、セルピナの話が再開する。


 先のセルピナの昔話を聞いてオレもなんとなく疑問に思っていた、BBって影の精霊のはずなのに、ずっとこの世界で鳥としてセルピナに付き従ってるような話しぶりだったからだ。

 ファイにしても、今まで見てきた精霊も、ほとんど全部が呼び出されて用が済めばすぐ消える、そういうものだと思っていたし、そうとしかできないものだとずっと思い込んでいた。


「BB~、ちょっときてくれる?」

 セルピナが天井へ向けて声をかけると、半分ほど開きっぱなしの天窓からすぐに黒い姿が舞い降りてくる。

 一度床スレスレまで降下してからその勢いを上へ向けて上昇し、フワッと優雅にテーブルの上へ降り立った、どこからどう見ても本物の鳥にしか見えない、イルビスの目がキラキラと輝き表情が緩む、犬や猫にも同じようになるのを何度か見ているので、基本的に動物好きのようであった。


 むんず、と前触れもなしにその黒い羽がセルピナの両手に握られる、羽がビロ~ンと広げられ、体はブラ~ンと吊り下げられてこちらへ向けられた。

「これも義体付与の一種ね、私が闇を結晶化させたもので作った体にBBが入っているのよ」

 セルピナのBBへの扱い方にちょっとショックを受けたオレとイルビスは、話が半分ほどしか頭に入ってこない、当のBBは全くの無抵抗でされるがままだ、おそらく抵抗が何の意味もないという、諦めの境地に至る長い道のりを歩んできたんだろうな……


「どお? すごいでしょ~? このふわふわ感! 結晶を微細な針状にして組み合わせることでやっとこの感じが出せたの、苦労したわあ~」

 セルピナが得意になって説明してる間にも、羽を広げられてブランブラン揺れるBBのすごく嫌そうな顔が黙ってこちらを見ている……ああ……わかったからもう……お願い……離してあげてぇ……


「なるほどのう……属性を結晶化できるセルピナならではの技じゃのう……」

 棚と天井の隙間の死角へ逃げ込んでいったBBを気にして、チラチラ見ながらイルビスが感心する、しかしそこは流石なもので、気を取られているように見えてしっかりと頭脳は回転していたようだ。


「じゃが、BBを義体付与の一種と言うからには……タイチは別の方法を行ったのじゃな?」

 ちょっとグッと詰まるセルピナ、そして、やるわね……というムゥ~とした表情で。

「最初はタイチも闇の結晶での義体作成を模索してたわ……でも耐久度に難点があるって言って……ほら、闇の結晶ってすごくデリケートだから……」

 さっきBBを鷲掴みにしてた人の言葉とは思えないが、そういうことであるらしい。


「で? 何に行き着いたのじゃ? 理想の義体とやらは見つかったのか?」

 オレはハッと気がつく、イルビスはもう答えに行き着いている……しかも少し憤っている様子だ、一体どうしたというのか……

 言い澱むセルピナ……少しの沈黙がアトリエの中へ風にそよぐ森の木々の音を呼び込む、やがて口を開いたのはイルビスであった。


「言えぬか? なら私が言おう……タイチは……生き物の死体を使いおったのじゃな?」

「し……死体……だと……?」

 オレは思わず訊き返してしまう。

「イルビス……それって……」

「ああ、禁忌というほど固く禁じられてはおらぬが、忌み嫌われておる外法じゃよ……考えてもみよ、数日もすれば腐臭をまき散らし、やがて腐れ落ちる体へ精霊を無理やり詰め込んでどうするつもりなのじゃ……」


 イルビスのその言葉にセルピナは慌てた様子で。

「ちがうのっ、イルビス、生き物の死体は使うことは使うんだけど……タイチがやったのはそれだけじゃないのよ……」

「それだけではないと? ……まあ確かにそれだけじゃと研究などとはおこがましい、ただの悪趣味なイタズラ程度になってしまうのう……話してみよ」

「ええ……順を追って話すわね、あの子が研究に没頭し始めたのは百二十歳を過ぎた頃からよ……それまでは漁師として、なにより村の人間として生活してたわ……」


「十三歳での初漁、十七歳で成人の儀の単独漁……家族みんなで一喜一憂して大騒ぎして……泣いたり怒ったりもしたけど、その何百倍も笑ったわ……」

 穏やかな遠くを見る目が在りし日の情景を追いかけている。

「でも……やがて人は歳を重ねて老いていき……そして寿命を迎える……お義父さま……お義母さま……そしてタオも……」

 オレは今セルピナが、アリーシアとイルビスがシグザールを偲ぶときと同じ表情をしていることに気がついた、女神は愛した人の最期をこんなに慈愛を込めて想い出してくれるんだな……


「とても楽しかったわ……家庭ってあんなに幸せなものだったのね……」

 ポツリと言ったその言葉を聞いたオレの胸の奥は少しズキンと痛んだ……そのとき、オレの手を隣のイルビスが上からキュッと握ってくれる……驚き、不覚にも涙が出そうになったがなんとか鼻水だけで済ませることができたのであった。

 

「村も世代交代が進んでいって、もちろん私は薬師として信頼されてたし、女神というのも周知されていたから問題なかったわ、タイチだって成人してからはみんなに頼られるくらい逞しくなって……村長就任への話だって何度もあったくらいなのよ」

「でも……やっぱり自分は普通の人間じゃないって……思ってしまうものなのね……」


「その反動なのかしら、百五十歳くらいのときにね、突然旅に出るって言って出て行っちゃったのよ……」

「旅じゃと? 行き先はわかっておらぬのか?」

「ええ……今でも謎のまま……帰ってきたのは十年も経ってからなんだから……その間ずっと私、もう気が狂いそうなくらい心配してたのよ」

 さすがの女神さまでも待つ十年は長いか……


「旅から帰ってきたタイチは本当にどこで学んできたのかしら……かなりの質と量の知識を得ていたわ……あとこのくらいの大きさの……」

 と言うと、セルピナは片手の親指と人差し指で輪を作った。

「オーブを大事そうに持っていたわね……カノポスを連れて……」

 知識と聞きイルビスが身を乗りだす。


「セルピナよ……もう少しわかりやすく説明できんのか……? タイチはどこに行っておったのか全く話さなかったのか? オーブとは? カノポスとは誰じゃ?」

「オーブはオーブよ? ただの水晶の玉みたいに見えたけど……大事そうに持ってるから思い出の品かしら? くらいに思ってたわ……カノポスは影の精霊に付けた名前でね、旅で出会って筆頭眷属にしたんですって、私とBBみいたいなものね」


「あとは肝心の場所よね……私もしつこく聞いたんだけど全然教えてくれなくて……あっ、でも、ただ一言だけ言ってくれたのが……イルビス知ってる? 『古代の図書館』って……」

 聞いた瞬間イルビスは呆気にとられた顔になる、まるで突然眼前へ探し求めていたものを差し出されたような、不意を衝いて訪れた歓喜に戸惑っているような、そんな様子に見えた。

 そして乗りだした身をペタンと椅子に戻した彼女は、微かに震えながら定まらぬ視線で見つめる宙へつぶやく……

「古代の図書館……そうか、オーブとは……実在しておったのか……」


 どうやら何か知っているらしい、だがこういうときに声をかけると例の冷ややかな目が返ってくるだろう、自分から喋りだすまで我慢我慢……そんなことを考えながら待とうとした途端、イルビスはオレをジロッと見て。

「なんじゃ? 疑問の一つも思い浮かばぬのか? 理解する努力と思考を怠ると発想が貧困になるぞ?」

 なんだよチクショー……だがちょっと様子が変だ、その古代の図書館っていうのは彼女にとってよっぽど嬉しいことなんだろうか……?


「じゃ……じゃあ訊くけど、古代の図書館ってなんだ?」

「その話はあとじゃ、今はセルピナの話が優先じゃぞ、空気を読まぬか」

 ……こ、こいつ……ワザとやってるのだろうか。

 プルプルするオレを尻目に、イルビスは平然と話を進める。


「セルピナよ、それからのタイチは何をしたのじゃ?」

「え~と……それまでやりかけだった義体の研究と同時平行して……そう、封印術の研究も始めたわ」 

「封印術か……どのようなものじゃった?」

「それが、すごいのよ~……動いている物体の表面を覆う封印って……信じられる?」

 それを聞いたイルビスは額に手を当ててハァ~ッと辛そうな溜息をつく、表情も険しいものであった。


「封印式の中に動く物体を閉じ込めるならまだしもじゃ……動く物体と一緒に伸びたり縮んだりする封印なぞ理解の範疇を超えるわっ」

 あきれるように吐き捨てる。

 しかし納得のいった部分もあるようで。

「なるほど……信じられんがその封印術が適うなら……生き物の死体を義体として使用するのも現実味を帯びてくるのう……」 

「ええ、嵐の翌日の森からね、フクロウの死体を見つけてきて……それからはそれがカノポスになったわ……」


「鳥か、BBと一緒じゃな……ふむ……セルピナよ、タイチはもしかして……少々マザコンの気があったのではないか……?」

「マザ……し、失礼なこと言わないでちょうだいっ!」

 目を丸くして驚くセルピナが抗議する。

「そりゃあ私の可愛いタイチですものっ、私のこと尊敬だってしてたでしょうしっ、誰よりも私のこと大大大好きだったでしょうけどね~っ、マザコンなんてとんでもないっ!」

 余計なこと訊くからもう……というオレの視線に、こればっかりは素直に、失敗した……と思っている様子のイルビスであった。


「ソ……ソレデジャ、セルピナヨ」

 なんとか話題を変えようと、ぎこちなく話を切り出すイルビスである、まだ少々鼻息の荒いセルピナは、それでも矛を収めてくれたようだ。

「タイチが傾倒した研究は、他にはあるのかの?」

「あとは……それほど長期にかけてやったものではないけれども、探知術や影渡りと、影の精霊への指揮の仕組みとか……ヒュプノってのもあったわね……でも、なんせ封印術へのこだわりがすごくて、そっちばっかりのように見えたわ」


 ふむ……と頷き考え込むイルビス、だがすぐに思い出したようにオレへと顔を向ける。

「そうじゃ、古代の図書館の説明がまだじゃったのう」

 イルビス自身が知識に貪欲なせいか、知識欲に関する部分では律儀である、知りたいことにお預けをくらった状態は、彼女的にも我慢ならないと思うのであろう。


「女神にすら伝説でしか知れておらぬであろうの……現存する最も古い文献よりも遥か昔、その文献にすらおとぎ話としてしか記述されておらぬほどのものじゃ」

「それが造られたのは……いや、現れたと言った方がよいのかもしれぬな、一万年前とも一万数千年前とも言われておる」

「いちまん……」

 絶句であった、物質界じゃ石器使ってウホウホしてたんじゃないかな……


「精神界では人の文明と呼べるものが発生するのはせいぜいが六千年ほど前じゃ、女神とて原初の八柱以外の派生神は人類史とともに出現してきたのじゃ、一万年前のことを記録されてること自体が眉唾なのじゃがのう……」

「な……なんだかだんだん難しくなってきたなあ……」

 泣きが入ったオレにムッとするイルビスであったが、歴史的な講釈をしてると時間がいくらあっても足りないと思い直したようで。


「まあよい、つまりはじゃ、おとぎ話でしかないようなその古代の図書館に、タイチが行き着いてそこから知識を授かったのではないかということじゃな、一説では時間を冠に持つ女神が護っているともあるが……」

 するとイルビスは椅子の背もたれに軽く背中をつけ、まるで空中にある透明の古文書を朗読するように語りだした。


「其の地は長き洞窟の最奥にありて彼の地の入口にあり」

「選ぶは眼にあらず取るは手にあらず知は心に流れる」

「資格を得るは難からずただ問いに真名を示し」 

「証としての宝珠を得ること永劫に其と共にあるに等し」


 ふーっと息を継いで諳んじ終えたイルビスは、少しうっとりした様子で。

「作り話じゃと割り切って諦めてたんじゃがの……タイチの古代の図書館という言葉と……そして持ち帰ったというオーブ……」

「あっ! 今言ってた証としての宝珠って……そのオーブのことなのかっ⁉」

 やっとつながって驚くオレと、へえぇ~と感心するセルピナ、オレとイルビスの顔はセルピナへ向く。


「で、セルピナよ、そのオーブは今どこにあるのじゃ?」


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