三十八話 息子と少女と闇の柩と
「ねえ、お母さん」
ゴリゴリと薬研で乾燥させた材料を砕いているセルピナに、作業台の上にはやっと胸から上が出ているだけの男の子が訊ねた。
「な~に?」
つい先日、盛大に催された十歳の誕生日パーティーを済ませた息子へ、短い中にもたっぷりと愛情をこめた返事をする。
父親譲りの翡翠色の目が興味深げに、そして楽しそうに作業台の上の調合を眺めている、薬草の名前や効能など教えたことはすぐに吸収していく明晰さに、この子は将来素晴らしい薬師になるわと、女神も子供を持てば親バカになるんだということを身をもって実証したセルピナであった。
「その薬って、夜、お父さんの飲むお茶に毎日こっそり入れてる薬?」
「ぶふぁっ⁉」
粉末の出来を確かめているときに思いっきり息を飲んだものだから、気管に吸い込んで派手にむせ返ったのである。
ゲホンゲホンと咳をしながら赤い顔をしたセルピナは、ヤッベ~……というような表情でそちらを向き。
「あの……タイチさん……なぜそれを……?」
プルプルしながら尋ねると。
「お父さんも知ってるよ、でも聞いたらお父さんは、こーいうのを受け止めるのも男の器ってやつだ、って言ってた」
それを聞き、作業台にバタッと突っ伏してヒクヒクしてる母に「?」というような顔をしながら、タイチは知らずに冷酷な質問を浴びせる。
「ねーお母さん、これってなんの薬なの?」
「か……家庭円満薬……デス……」
突っ伏したままの母が顔を上げれない理由を、タイチはまだ理解できぬであろう、そう、それがたとえ精力増強剤だという本当のことを知らされたとしても……
「タ~イ~チィ~」
アトリエの入口から女の子の声が呼ぶ、次いでカチャリとドアが開くと声のイメージとぴったりの可愛らしい顔が現れた。
「おばさまこんにちはっ」
ペコリと頭を下げる、輪にしてそれぞれリボンでとめている両サイドの三つ編みも一緒に揺れる、ドーナツ型の愛らしいアレンジであった、最近髪型に凝るようになってきたようで、タイチと同い年であるがやはり女の子のほうが成長が早いとみえる。
「あら、カンナいらっしゃい、きょうはお薬じゃなくてタイチなのね?」
「はいっ! 瑪瑙を拾いながらデートですっ」
海岸には瑪瑙が打ち上げられる、装飾品や小物に加工されるのだがもちろん産業になるような規模ではない、まあそれはいいのだが……デート……だと……?
「そ……そう……あまり遅くならないようにね」
同い年であり、少しおっとりした性格のタイチに積極的なカンナはウマが合った、小さいころから姉弟のように育ってきたが、まさかもう色気づいてくるとは……
「じゃあ行ってくるー」
手を引っ張られて連行されるように出て行くタイチに、いってらっしゃいと言いながら、セルピナは心の底からなにか面白くない感情が湧き上がってくるのを覚えた、まるで彼氏を盗られたような気分であった。
「カンナめ~……」
ボソッとつぶやく、十歳の女の子にライバル心を燃やす、齢六百歳を超える女神さまであった。
「お母さんっ! カンナは⁉ 大丈夫なの⁉ ねえっ! お母さんっ!」
それからまだ二か月ほどしか経っておらぬ嵐の夜であった。
土砂降りの雨の中をアトリエへ戻ってきた母に、焦燥した様子で待っていたタイチが母屋から飛び出してきて訊ねる、セルピナは黙ったまま背を向け、棚から治療に使えそうな薬草類を選んでいるのであろう、次々に鞄の中へ詰めていく。
「お母さんっ!」
焦れたタイチがもう一度強く呼ぶと、セルピナは体をビクッとさせその手はぴたりと止まる、振り返る母の顔を見たタイチは言葉を失った、いつも明るくニコニコしながら優しくタイチを見つめる母が、今はその目を合わせられぬように伏せてうつむいている。
言葉もなくうつむいたままのセルピナの雨に濡れた髪から滴が流れ、今にも泣き崩れそうなほどの悲壮な表情をつたって落ちた、十歳のタイチの心にもこの先知らねばならぬであろうことに恐怖に似た感情が湧き上がる。
「タイチ……しっかり聞いてちょうだい」
遠雷と叩きつける風雨の音が、悲しい叫びのように小さな漁村を渡っていく。
「そ、それでカンナは……どうなったのじゃ?」
ティーカップの中の冷めたお茶を見つめながら情景を想い浮かべていたのだろう、話を中断してキセルに火をつけているセルピナへ、待ちきれぬ様子でイルビスが先を急かす。
「カンナの最期を看取る気があるかと訊いたの……タイチは初め逡巡したわ……助けられないのか? どうにもならないのか? って考えてるのが手に取るようにわかったわ……でももしそれができるなら、何があっても絶対に私がそうしてたと思ってくれたのね……黙って頷いてくれた……」
アトリエに紫煙が漂った。
「カンナは夜更けに逝ってしまったわ……」
後にセルピナから聞いたカンナの症状から、心臓の弁膜症の類ではないかと推測した、昔親戚の叔父さんが手術したのをきっかけに調べて覚えていたのである、皮肉にも薬師の投薬では進行を遅らせるくらいしかできず、手術が必要な病であった……
「十歳の身で……酷いことじゃ……しかし残された方もまた……そういうことか? セルピナよ」
深い嘆息と共にイルビスが問う。
「ええ、カンナが息を引き取ってすぐよ、それまで呆然と見ていたタイチが……」
カンナの家の中は悲しみで溢れていた。
眠ってるだけにしか見えぬ娘の、小さな体にすがって泣く両親の声が細く響いている。
昼過ぎに倒れてから意識も戻らず、そのまま別れも告げずにひっそりと命を終えた姉のように慕った女の子、その突然すぎる別れにも、たった十歳で終えた短すぎる命へ対する運命の理不尽さにも、そしてそれに全く抗うことのできなかった無力な自分にも……タイチの心がざわめく……
セルピナの後ろで呆然と死を見ていたタイチが、フラリと立ち上がりカンナへ一歩踏み出したとき……
ザ……ザザ……ザザザザザアッ
村にはおらぬ医者の代わりに、カンナを看取ってからうなだれていたセルピナが驚愕の表情でタイチを振り向く、影が突然ざわめきだしたのだ、もちろんセルピナの能力ではない。
「タ、タイチ⁉ あなたなの⁉」
ザザザと影のざわめきは収まらず、むしろ強まっているようでもある、さらにもう一歩を踏んだタイチからは明らかに能力の波動が溢れていた、カンナの両親も驚いて顔を上げている。
「おじさん、おばさん、お母さん……ごめんなさいっ」
タイチがカンナの両親と母に謝り、カンナの亡骸へ手を真っ直ぐに伸ばす、するとなんということか、霧のような影が湧きだしカンナの身体が包まれていく。
「まさかっ⁉ 影渡りを? タイチッ! だめっ! やめなさいっ‼」
セルピナがカンナを包もうとする黒霧を止めようと掌を向ける、が……
「と……止まらない⁉」
信じられなかった、闇の女神たる自分の能力を凌駕しているというのか? たった十歳の息子が……?
しかし驚いてばかりもいられない、なんとかタイチを止めなければっ!
「BB‼」
呼ぶ声に間髪入れず窓からBBが飛び込んでくる。
「タイチを縛って!」
命じられるままに翼を広げたまま宙に浮き、カンナに次いで自分の周りにも黒霧を展開し始めたタイチへ、BBは影を捕らえて本体であるタイチの動きをも封じようとした。
「ぐっ……」
強い力に抑えつけられたようにタイチの動きが止まる、が、止まったのはほんの数瞬であった、ググッと顔をBBの方へ向けたタイチの翡翠色の目が、射貫くように鳥を模したその目を見つめる。
「BB! ボクの言うことをきけっ‼」
バリバリッと音をたてて身体から何かが引き剥がされるような感覚が走る、セルピナは無意識に両手で己の身体を抱きしめながらその場にへたり込む、今まで一度も……そう、一度たりとて離れたことのなかったBBとのつながりを……巨大な喪失感が放心状態を引き起こす、そのセルピナの目の前から黒霧に包まれたカンナの亡骸とタイチの姿は消えていった……
二人が見つかったのは、嵐が去り夜明けの光が徐々に分厚い黒雲の隙間から射し始めた頃であった。
村が背にする崖の上に広がる大きな森、その中にはタイチとカンナがよく遊びに来ていた美しい泉があった、その泉を見下ろすように枝を広げる大きな木の根元、うろになっているそこに黒い柩が据えられているのを、この場所を知るセルピナが見つけたのである。
その柩は大きな一つの結晶のようであった、哀しく、美しく、創った者の心がそのまま結晶化したかのようにも見えるその表面には、納められた可愛らしい少女が色とりどりの花に囲まれて穏やかな顔で眠っている。
「闇柩……とっても難しい封印術なのよ……誰からも教わってないのに……よっぽどカンナのために何かしてあげたかったのね……」
柩の少女を守るように、そして寄り添うように、柩に伏してスヤスヤと寝息をたてている愛しい息子の頬に母の涙がひとしずく落ちる。
「なんと……能力に覚醒してすぐに封印術じゃと……?」
オレは女神の能力には詳しくないので、悲しい話のほうにズビズビになっていた。
まあイルビスにしても、もちろん目の端に涙の大粒が浮かんでいるので十分に切なくはなっているのであろう。
「そうなのよ~、もう天才だったんだから~うちの子」
切ない気持ちが台無しである。
イルビスが真顔になってセルピナを見つめた。
「前例にもあるのう、女神と人の間に生まれた子は非常に強い力を現したことがあると……そしてこうもあった……」
フッと笑ってセルピナが言葉を継ぐ。
「わかってるわ、女神と人の間の子、人の性を色濃く受け継ぎ探究への欲望並ならぬ……ってね」
「なんじゃ、やはり知っておったか……」
「当然でしょ~、女神ってやっぱり保守的な部分が大きくて、探究への欲望なんてほとんど無いものね~、好奇心の塊みたいなイルビスが異質中の異質なのよ~?」
後半はオレに向けての言葉である、そう言われてみればアリーシアは読むとしても詩集やファッションの本くらいだったな……やっぱりイルビスのほうが変わり者だったんだな。
「やっぱりそうだったんだ……」
ボソッと不用意に言ったオレのその一言に、当然イルビスはカチン! ときたようだ。
「やっぱり……じゃと? タクヤお前、私を変なヤツという目で見ておったのか? ああっ?」
「い……いや、そうじゃなくてさ……ほら! なんというか……いわゆる……勉強マニア……?」
言ってからしまったと思った、言葉も出ずにプルプルしているイルビスを見て更にしまったと思った、そしてスーッと上がる彼女の右手を見て神に祈ろうかと考えた、ああ、祈るまでもないや、その神にぶん殴られる寸前なんだな……
「うふふっ、あんたたち本当に仲いいのねえ~」
そっちの神の一言が救ってくれた。
「ど……どこがじゃ! こやつと仲が良いなら私と蜘蛛は大親友じゃ!」
矛先が一瞬でそちらに向いた、しかし……
「あらイルビス……蜘蛛が苦手だったのね……」
ぐっ……となるイルビス、蜘蛛は昆虫ではないくせに益虫と言われているものの、その恐ろしげな容姿から嫌われている虫のトップランカーであるのは違いあるまい、イルビスも女の子なんだなあ……と思っていると。
「だ……だってじゃぞ、ヤツら意外に脳が大きいのじゃぞ?」
「へ?」
オレとセルピナは怪訝な顔でモジモジと赤くなるイルビスを見る。
「八本の脚をあれだけ自在に操るのじゃぞ? その上あの芸術的な網での獲物の捕獲じゃぞ? あんな虫なのにじゃ、あの網を作ってみよと言われても私には作れんっ! どうじゃ? 恐ろしいとは思わんか?」
「……う……うん……そうね……」
オレもセルピナも、なんだかちょっとションボリしてしまった。
「話が逸れたがの、セルピナよ、タイチもやはり能力の探究に傾倒したのか?」
そう問われたセルピナの様子が、オレにはちょっと変わったように見えた、さっきまでの明け透けに何でも話してた彼女が、言おうか言うまいかを決めかねているように見えたのだ。
イルビスも何かを感じたのかスッと目を細める、そして慎重な口調で訊ね始めた。
「そのあたりが……今もなお影響を残しておることなのじゃな?」
問われたセルピナは沈黙したまま目を閉じ、大きな深呼吸を一度だけゆっくりとしたあと、開いたその目には何かを決意した強い光が宿っていた。
「本当にイルビスの絆の冠が導いてくれたのかもしれないわね……」
頷くオレとイルビスに藍色の目が訴える。
「お願い……カンナを止めてあげて……」
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