三十七話 オバケと朋友と愛息と



 ギギーッと軋むドアを薄く開き、オレとイルビスは中を覗き込む。


 早朝と言えるくらいの時間のはずだ、人がいるなら寝ててもおかしくはないと考えてたので、とりあえずそーっと覗いてみることにしたのである。

 やはり工房のようだ、奥は籐製のカウチソファーなどもあり、居住スペースになっているように見える、だが人影は見当たらない。


「おい……留守みたいだぞ? 勝手に入ったらまずいんじゃないか?」

 スルッとドアを抜けて入り込むイルビスに慌てて声をかけるが、やはり一顧だにされない、まるで猫のように傍若無人に中へと進んでいく。

 まったく……何かに興味を持つとオレの言うことなんて聞きやしない……でもここは他人様に迷惑がかかることだ、一言ビシッと言わなくちゃな。


「ほらほらイルビス~、オバケが出るかもしれないぞ~」

 あっ……そんな目で見ないで……予想以上にキビシイのが返ってきたっ……何? そのすっごく可哀想な人を見る目……せめて何か罵りの言葉でもいいから喋って……お願い、無言でその目はやめて……


「い……いやその……なんかさ、森の中にこんな工房が一件だけポツンとなんて、不気味だなあ……なんて……思わない?」

 イルビスの目に耐え切れず慌てて言葉を継ぐ、しかし当のイルビスはもうすでにこちらに興味を失くし、薬品であろうか様々な形の瓶や、乾燥した植物らしきものがズラリと並ぶ大きな棚を興味深げに眺めている。


 やむなくオレも中へ入り工房内をぐるっと見回す、するとイルビスが棚を眺めたまま背中越しに。

「どうやらここは薬師の工房のようじゃぞ、森の中に建っていても不思議はあるまい、なんせ周りに材料が生えているのじゃからのう、不気味どころか理想的な環境じゃろうて」


 ははぁ~……そういうことなのかあ~……というのが表情に全部出てるオレの顔をチラッと横目で見て満足げになり、しかし何か含みのある顔つきでオレの方をジーッと見つめ始めたイルビスは、スーッと目を細めて真顔になり。

「じゃが、そのオバケとやらいうのは……もしかしてお前の後ろのソレのことかのう~……」

 とオレの後ろを指さした。


「え……?」

 指をさされた瞬間から背後に気配が湧く……何かいる⁉ イルビスが言うんだからいるのだろう……背筋をゾワッと上がってくる恐怖感が行動を鈍らせる、恐るおそる振り返るとそこに……

「バアッ!」

 空中に浮かぶ女性の生首がすぐ眼前に、瞬時に認識できたのはそれだけだった。

「ぎぃやああああああっ‼」

 オレは絶叫を上げてエビのように後方へ飛び、床に尻餅をドスンとつく、芸術的な腰の抜けっぷりであった。


「ぷっ……ぶっはっはっははははぁ~っ!」

 愕然と生首を見上げるオレの顔を見ながら、当の生首が噴き出して大笑いし始めるではないかっ! なんだ? コレは一体なんなんだ? イルビスはこの非常事態になぜ黙っている? なにをしてるんだ? と、救いを求めるようにイルビスを見ると。


「ヒィ~ッ……」

 と、黙っているわけではなく、か細く肺から空気を絞り出す音をたてて腹筋を両手で押さえつつ、悶絶するように笑っていた……

 笑っているということは、危険な状態ではないということなのか……? それにしても訳がわからん……もう一度浮かぶ生首をそーっと見る、目が合った。

「ぶふっ!」

 笑いの収まりかけていた生首がまた噴き出す、いや……もういいから……


 よく見ると生首は、宙に浮く黒い霧の塊のようなものから突き出ているようであった、その霧が突然大きく広がり、まるで空中に黒い扉が開いたようになる、するとその中から生首に続いてスラリとした肢体が現れてオレの前に立った。


 いつの間にかイルビスもオレの背後に立っており、二人は向かい合う、と、イルビスが片足を内側斜め後ろにスッと引き、背筋は伸ばしたまま軸足の膝を軽く曲げて、カーテシーと呼ばれる淑女の挨拶を行った、笑われた直後で少々癪に障るが非常に可憐で優雅とすら感じてしまう。


「お久しぶりじゃ、セルピナ」

 親愛の情がこもった声であった、へえ……と思う、イルビスのこんな声は初めて聞くんじゃないだろうか、よっぽど親しいのかな……あっ……だとするともしかしてこの女の人って……


「イルビス~ッ! ほんっと久しぶりね~」

 セルピナと呼ばれた女の人はイルビスをギュ~ッと抱きしめる、身長差があるのでイルビスは顔をセルピナの胸辺りに押し付けられていた、ミスコンの南米辺りからの出場者でこんな感じの人をよく見る、褐色美人というやつだ、それが白磁のような肌と黒髪の美少女をギュ~ッとしてるのだ、なんだかちょっとグッとくる。


「私の大神官就任式以来じゃからのう、もう二千年近くになるかの……」

 やっと強烈なハグから抜け出したイルビスが、オレの感覚とは桁違いの年数を口にする、セルピナさんも女神確定であった。

「もうそんなになるのね~……いろいろ噂は聞いてたわ……ね、あっちでお茶にしましょ、いろいろ聞かせてほしいわ~、そちらのかたも……」


 と言うとセルピナさんはオレを見る、つられてイルビスもオレを見る、オレは床に尻餅をついたままの姿勢で二人を見上げる。

「ぶっ……」「ぷふっ……」

 二人がプルプルしながらまた噴き出す……いや……ホントにもういいから……



 大きな作業台兼用のテーブルに着くと、すごく良い香りのハーブティーが出された、ひと口飲むとさらに香りは広がりなんとも言えぬ夢心地になってしまう、さすが薬師だけはある、安息効果ってのはこれのことを言うんだなあと実感させられてしまった。


「タクヤさんっていうのね、アウルラ・フィネスタ・セルピナ、闇の冠をいただいた女神セルピナよ、セルピナでいいわ、よろしくね、あとさっきはごめんね~、ほら~こんな所ほとんど誰も来ないでしょ? 久しぶりに誰かが来るとついついああいうイタズラしちゃうのよね~」

 そうか……あの黒い霧みたいなのは闇の女神の能力ってわけなんだな……そんなことを思いながら愛想笑いで返事をすると、セルピナはよっぽど退屈してたのか、すぐに言葉を継いでイルビスに訊ね始めた。


「ね、イルビス、タクヤってイルビスの彼氏?」

 お茶を噴き出す美少女を間近で見るのは初めてであった。

 ゲホゲホとむせてから落ち着きを取り戻すのにたっぷり二分ほどかけてから、スーッと深呼吸をしてイルビスは話を切りだした。


「私ではなく……ねえさまがこやつに熱を上げておっての……困っておるのじゃ……」

「ええっ⁉ アリーシアが? へえぇ~……」

 二千年前のイルビスを知っているということは、アリーシアとシグザールの関係も知っているのであろう、半信半疑の顔でオレを見るのも頷けるというものだ。


「あのねイルビス、私もいろいろ噂は聞いてるわ、あの侵略戦争を境にあんなに仲の良かった姉妹神が離れてしまったって……あの若い王様が魔王になってしまったっていうのも、しばらくアリーシアが聖堂に籠りっきりになってしまったっていうのも……ずっと心配していたのよ……差支えなければ訊いてもいいかしら……?」

 掛け値なしに心配していた様子である、当然イルビスも分かっているようで、静かに頷いて魔王の誕生から現在までの経緯を、アリーシアを消滅させようとしたことまで包み隠さず全てを話したのであった。


 ぐ……ぐすっ……すん……

 セルピナはすすり上げながら話を聞き終える。


「そう、そんなことがあったのね……最後の最後でやっと報われたなんて……とても切ないわ……でも間に合ったのね、素敵なお話……」

「私の不徳の致すところで多くの人に迷惑をかけた、償いの意味も含めて先日、大神官に復職したのじゃ……」

「またアリーシアと二人で仲良く国を支えるのね、よかったわあ~……」

 本当に嬉しそうに言うのを見てると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる、するとセルピナはオレの方を向いて。


「タクヤ、あなたすごいわねえ~、幼少のアリーシアを過去で救って、現代の物質界でも救って、命懸けでイルビスとシグザールまで救っちゃうんだもの……アリーシアが惚れちゃうのも納得だわね~」

 改めてそう言われるとなんだかすごく照れくさい、しかしそうか……アリーシアの視点から見るとオレに数度救われてることになるんだな……オレ自身がいろいろ助けてもらってるものだからそんな実感全然なかったが……


「いやあ、でもほらアリーシアは女神さまで、オレはただの平凡な人間ですからね」

 敬愛はあっても恋愛にはならないだろうという意味で言ったのだが……なんだかセルピナさんの反応がおかしい、ふ~ん……まだまだねえ~、と言わんばかりの表情でちょっとニヤ~としながらオレを見ている。


 そこへ、やはり大好きなアリーシアが、オレなどに特別な感情を持っているなんて話は面白くないのであろう、ちょっとムッとした様子でイルビスが割って入る。

「ところでじゃ、セルピナはどうなのじゃ? 一体なぜこんな隠者のような生活をしておるのかの? 以前は商売するために街や村のそばを選んでおったと思ったが……?」


 そう問われたセルピナは、ちょっと何かを想い出すような優しくて遠い目をしたあと、さらにちょっとだけ寂しそうな笑顔になってから話を始めた。

「村はね……あるのよ、ほら、そこの窓から外を眺めてみて」

 陽の入る大きな窓を指す、窓辺に置いた小さな薬瓶に小さな青い花が活けられていた。


「うわあ~っ!」

 驚きと感動の入り混じった声が出た、群青の空と地平の合わせ目を境に広がる翡翠色の海原が目に飛び込んでくる、時刻はもう昼頃であろう、真上から射す陽光を受けて遠くの波頭が煌き、古い森の中であるはずの工房のその窓は、天工が描いた至上の海洋画のようにすら見えた。


 さすがのイルビスも声すらなく、オレの隣で魅入られたように海を眺める、高い場所から海を眺めるこのアングル……どうやらこの工房が建つのは海を臨む崖の上であるようだった。

「この崖の下にね、ずっと昔小さな漁村があったの……」

 その声に含まれた深い想いがオレたちの視線をセルピナへと向けさせる。

「今度は私が話をする番ね、聞いてくれる? 今から千八百年前のこの場所で出逢った、私の愛しい人たちの話を……」


 う……うぐっ……ひっく……

「うっ……よ、よかったのうセルピナ……タオがしっかりと掴んでくれて……」

 うんうんと頷くオレ、今度はこちらの二人がズルズルになっていた。

「うふふ、そうね……BBが気を利かせてくれたから間に合ったのよね……」

 セルピナも当時が鮮明に想い起されているのだろう、そう言いながら少し目が潤んでいた。


「で? それからどうしたのじゃ? ま……まさかお主等……」

「ええ、村の皆が祝福してくれて……」

 言葉を途切れさせて溜めるセルピナに、オレとイルビスはググッと身を乗りだす。

「結婚したわ……うふっ」

 キャッと赤くなった頬に両手を当てて恥じらうセルピナ。

 イルビスも負けないほどに赤くなり、言葉も出せずにプルプルしている。


 オレはさっきのセルピナの何か含んだ表情の意味がやっとわかった気がした、女神だの人間だのなんて壁は簡単に超えられるのだということだったのであろう、しかしその事実を知るというのはオレやアリーシアにとって本当に良いことであるのだろうか……

 だがそんな気になるのはまだ早かった、オレもまだわかった気になっていただけだと思い知ることになる。


「結婚してから三年経った頃にね、私……男の子を産んだわ……」


 バンッ!

 イルビスがテーブルに手を叩きつけて立ち上がった。

「子を成したじゃと……⁉ セルピナ……お前……」

 そう言うイルビスの顔は、先程までとは打って変わって蒼白になっている、恐怖に近い表情であった。


「え……女神って……子供を産めるのか……?」

 オレも驚いたが疑問が先に立つ。

「子宮や卵巣を創りおったんじゃ……禁忌じゃよ……」

 イルビスが震える声で答えてくれた。

「子宮……って……子を産む器官まで創ることができるのか……」

「知識があればの話じゃがの、前例もいくつかあるそうじゃが……」

 穏やかな微笑みを浮かべて沈黙しているセルピナに、一度深呼吸をして落ち着きを取り戻したイルビスが語りかける。


「気持ちはわからなくはない、愛した者との間に子を成したいと考えるのも、相手のことを思えばこそなのじゃろう、しかしセルピナならば知っておったはずじゃ、前例がどのようなものであったのか……」

「タイチって名前よ……前例なんか関係ないわ、タオと私の愛しい息子だもの……」


 千八百年前の話だと思い直したか、イルビスは再びストンと椅子に腰を下ろし、激高した分だけ今度は沈んだ感じになってしまった、さすがに何を考えているかは皆目見当もつかないが何かを考え始めているのであろう、焦点の定まらぬ目をして、しかしその明晰な頭脳はフル回転しているのがオレには分かる。


 やがて考えがまとまったのであろう、目に光が戻り顔を上げて口を開く。

「セルピナよ……訊いてよいか? タイチは何年生きた……?」

「千二百年と少し……」

 驚愕であった、そ、そうか人と女神の間に生まれた子だもんな……女神の何かしらを受け継いでいるということなのか……


 しかしセルピナは全く動じてない、それもそうか、いまさら何かに動じるような時の過ごし方はしてないということなんだな。

「生まれてから二十歳過ぎくらいまでは普通に成長したわ、でもそこからは何十年経っても同じ姿……最も充実した年齢の姿で止まるのは前例と一緒ね」


「なるほど……そうか……なら能力はどうだったのじゃ?」

「兆候は十歳のとき……BBの指揮権をいきなりもぎ取られたわ……」

「なっ⁉ ……セルピナから……しかも眷属の指揮をじゃと⁉」

 楽しげに語るセルピナと、ショックを隠せないイルビスが非常に対照的であった、セルピナにしてみれば我が子の成長記録を見返しているようなものだもんな、気楽な様子なのも頷ける……


「タイチが男の子だったからっていうのもあるのかしらねえ~、精霊への統率力も影渡りの能力も、十五歳を過ぎたあたりからはもう私を追い越すくらいになってたのよ~」

 どう? すごいでしょ? という顔でニコニコとイルビスを見ている、イルビスはというとやはり二の句が継げずに引きつった顔をピクピクさせていた。


「んんっ!」

 咳ばらいを一つして気を取り直し、イルビスは真剣な表情をしてオレへと向いた。

「タクヤよ、この地へ次元の裂け目の出口が現れたのは、やはり単なる偶然なんかではないようじゃぞ」

「何か思い当たることがあったのか?」

「最近私とねえさまが、調べものをしておったのは分かっておるな?」

「ああ、二階のアリーシアの部屋にいろいろな文献やらを運び込んでいたやつだな、そのうち二階が図書館になっちまうんじゃないかとヒヤヒヤしてたぞ」


「んんっ!」

 二度目の咳払いでオレの軽口は一蹴され、イルビスの説明は続く。

「まず先に一つ、今まで黙っておったがの、次元の狭間での戦いのとき私の額に融合させたあと、お前が抜いてくれた魔王の角を覚えておるか?」

「あ、ああ、もちろん覚えてる……たしか遠くに放り投げたはずだったな……」

「その角が何者かに持ち去られたのじゃ」


「え……あの場所から? あんな物を? 一体何の目的で……いや、それよりも……あの場所に行けるヤツということの方が問題か……」

「その通りじゃ、大聖堂の内神殿付きの神官が報告を上げておってな、地を這う影がカムイの扉をすり抜けて入っていくように見えたと……」

「そ、そうか……オレとアリーシアが出発するときに次元の穴の封印を解いて、結界で固定して開きっぱなしにしたんだったな……そこから出入りしたというのか?」

「おそらくのう、次元の裂け目を作る能力がなければ、そのような方法をとるしかあの地には行けぬ、にしても内神殿とて相当の警備のはずじゃ、目撃された影といい人の業ではありえんとの結果になってのう」


「で、あの調べものか……何について調べたんだ?」

「むろん影じゃ、古今の影にまつわる記録を片っ端から集めてな、地図上に分布図を作成してみると面白いことに、王都より真南の方角の海沿いの地域に集中しておった……この場所ではないのか? セルピナよ」


「あた~りぃ~」

 黙ったまま楽しそうに聞いていたセルピナが応える。

「さもありなん、この地に影の総元締めの闇の女神がおったのじゃからのう、分布も集中するというものじゃ……」


「じゃあ、ここに次元の裂け目の出口ができたのは、その地図が反映したってことなのか? もっと詳しく知る場所じゃなきゃまずいんじゃなかったか?」

「そこじゃ、お前のその右腕の能力……ただ使う能力を増幅するだけではなく、私の冠である絆の属性にも働いたのじゃとしたら……ピンポイントでセルピナのおる地に出るなど、地図の反映だけではとても理由にならぬわ……」

 そう言うとイルビスはセルピナに向き直る。


「そして私の絆の属性が惹き合わせたのじゃとしたら……セルピナよ、人の子でありながら女神の業を受け継いだタイチの能力……まだこの世界に何か、影響を与えているのではないか? ……そしてそれはカムイへと侵入した影と何か関係があるのではないか?」


 尋ねられたセルピナは初めて少し悲しそうな目を見せる、しかし落ち着いた様子で軽く溜息をつき、海を臨む窓の方へ首を巡らせる。

「そう……タイチの残した哀しみだけが……勝手に一人歩きしているわ……」


 どこかから渡ってきた風に窓辺の青い花が小さく揺れた。


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