三十二話 居場所と求婚と優しさと
人は誰も己の居場所を求めている、己が生きる場所と言い換えてもいい、もし今在る場所が己の居場所だと断言できるのなら、その人は幸せ者と言っていいであろう。
この世界に飛ばされてきたオレは、タオじーちゃんヤヨイばあちゃんの家に拾ってもらった。
それからハナノ村の職人トリオに受け入れてもらい、商店街からやがては村全部が受け入れてくれるようになり、オレの居場所はどんどん広がっていった。
感謝の気持ちは言葉に表せぬほどである。
夕食を終えてしばらく後、灯りの揺れるリビングで、オレはローサと最近お気に入りの果実酒を飲んでいた。
アリーシアとイルビスはここ数日、なにやら文献の束だのスクロールだのを精霊学部の大図書館から運び入れて、二階のアリーシアの部屋で調べ物をしている。
一度何事なのかを訊ねたのだが、イルビスにジロリと睨まれて、お前には関係無いの一言で一蹴されてしまった。
なので今、リビングにはオレとローサの二人きりである。
薄紅色の果実酒の注がれたグラスが、灯火を透かして幻想的に見える。
あまり強くない酒であり、口当たりが良く果実の香りも楽しめるために、ついつい飲み過ぎてしまう。
しかし、酔いのせいでも幻想的な光のせいでもなく、明確な目的のもとにオレはローサに訊ねた。
「なあローサ、お前、どうして騎士団に入ったんだ?」
ポーッとしながらグラスを回し、揺れる果実酒の波を眺めていたローサの手が止まる。
思えばハナノ村から王都へやってくる馬車の中で訊いたのが初めてであった、そのときはなんとなくはぐらかされてしまい、それ以降も何度か似たような話題が出てはいるのだが全てうやむやにされている。
振り返るとオレはローサのことを何も知らないままであった、生まれも、育った環境や家のことも、家族や親しい人たちのことすら……
もちろんそういう話をしたがらないローサをとやかく言うつもりは毛頭ない、オレにしてみたって元の世界のことをほとんど話してないんだし、そもそもオレは他人のパーソナルな情報を、好んで得ようとするタイプではない。
しかしそれが心に持つ悩みやわだかまりなら話は別だ。
自発的に話してもらえるのが一番いいと思っていたので、今までは深く入り込みはしなかった、ローサも自覚してはいるのだろう、心の中になかなか言えないことがあるせいで、周りからは一歩引いた、物事をキッパリと言い切ることのできないイメージがついてしまっている。
「どうして……そんなこと聞きたいの?」
オレから少し離れたソファーの上に両膝を抱えて座るローサは、膝の上に持つグラスから目を離さずに質問で応えてきた。
「知りたい……と、思ったからだな……他にもあるがそれは後で話す、もちろんローサが話したくないことであれば、無理にとは言わないよ」
しばし無言の時間が流れ、やがてグラスから薄紅色の液体を一口飲み、ローサはゆっくりと話し始める。
「私はランカスター伯爵家の次女、一番上のお兄様と長女のお姉様と私の三人兄姉妹、お父様は商売が上手な人で……その財力で若いときに、上の階級の家から今のお義母様を娶ったの……」
「お義母様……?」
「うん、私ね、本当のお母さんは普通の一般人なの……だからお兄様お姉様とは異母兄姉妹、よくある話でしょ? 気位の高い妻に疲れた貴族の男の人が、一般の女性とちょっとした恋に落ちるとかって……」
「でね、これもよくある話だけど、やっぱりその恋は報われなかったの……そりゃそうよね、だってもうお父様はお義母様と結婚して子供もいたんだもの……」
「お父様がいなくなってから、お母さんが私を産んで……女手ひとつで育ててくれて、貧しかったけど、でもとっても幸せだった……お母さんの口癖はね、ローサの髪って私とそっくりね、栗色でクセッ毛で……って、いつも優しく笑いながら頭を撫でてくれたの……」
そして哀しさが結晶化したような光が目元に浮かぶ。
「お母さんね……私が十二歳のときに……急に病気になって死んじゃった……」
オレは情けないことに言葉も出ない、ただただローサを見つめるしかできなかった……
心の底の想いを注ぐようにグラスを見つめながら彼女は続ける。
「ご近所の人たちに手伝ってもらってね、やっと墓地の隅に埋葬が済んで……一人ぼっちになってどうしていいかわからずに泣いてたときに、お父様からの使いの人が迎えに来たの」
「お母さんが亡くなる前にね、隣のおばちゃんに手紙を預けていたみたい、もし万が一のことがあったらこの手紙を出してって……それがお父様に届いて私はランカスター家に入ったの」
「子供ながらに事情はなんとなく把握していたんだ……家族として迎えられただけ幸運だったっていうのも……でもきつかったな……みんな金髪なのに私だけ栗色の髪だし……」
「お父様は優しかったけど……お義母様にしてみたら夫の愛人の娘だもんね……なんとか気に入ってもらおうと頑張ったけど、ほとんど相手にされなくて……たまに呼ばれるときも、よそよそしくローサさんって……お義母様も、お兄様も、お姉様も、ローサさんって……他所の家の人を呼ぶみたいに……」
ぶん殴られるような衝撃だった、オレはローサのことを何もわかってやれてなかった、今までのローサの言動がいくつも脳裏によみがえる。
さん付けを極度に嫌う理由も、頭を撫でると子供のように喜ぶ理由も、オレが次元の狭間に向かうと決めたときの思い詰めた様子の理由も……
「騎士団は陛下が勧めてくれたの……」
「へ、陛下が?」
「うん……お義母様が陛下の遠縁にあたる人で、たまに陛下は家へいらしてたの、陛下は人の心がとてもよくわかるお方で、ある日そんな状態の私を見つけてくれたわ……そして私に、ローサ君、騎士団に入ってみないか? って……」
「そうか……そうだったのか……」
あの王様、オレの身辺調査でローサを知ったんじゃなくて、以前から気にかけていたのか……だとしたらあの言葉も意味合いを変えてくる……
「騎士団の官舎は古くて狭い部屋だったけど、そこにやっと自分の居場所を作ることができたの、家が貴族だし陛下の口添えだから、特別扱いとか七光りとか言われることもあったけど、本当のことだからしょうがないしね……」
「これでだいたい全部かな~、あまり楽しい話じゃないでしょ? だからなかなか言えなくて……でもここに来てからはとっても楽しいし、みんな優しいし……それに……タクヤが一緒だし……」
少し恥ずかしそうに膝の上に持つグラスでこちらの視線を遮る、頬が少し赤いのは酔いのせいだろうか……
オレも少々照れてしまい、少し沈黙の時間が流れていく、気まずくなりそうになってきたので、なんとなく疑問に思ってたことを訊いてみた。
「そういえばローサ、オレがアリーシアと次元の狭間に向かうときに、ずっと思い詰めてただろ? オレに行くなって言いたそうなのはなんとなくわかったんだけど……」
あっ、と少し驚いたような表情をしてローサが顔を上げる。
「でも、その他にも何か考えてるというか……意志みたいなのを感じてさ……ちょっと不思議に思ってたんだ」
驚いた表情が徐々に嬉しそうな恥ずかしそうな様子に変わっていく、最後にはフフッと笑いながらちょっとクネクネしてる、ど……どうしちゃったのかな……
「ちゃんと私のこと見てくれてるんだね……すごいねタクヤは……なんでもわかっちゃうんだ……ウフフ」
今のお前の考えはさっぱりわからないが……
するとローサはグラスの中に遠くを見るような視線を移す、まるでそこにもう戻らない幸せな時間が閉じ込められているような……失われた情景を愛しそうに眺めるような……幸福と寂しさの入り混じった微笑みに、オレはハッと胸を突かれる。
「お母さんがね、病気になる少し前、まだ元気だったときに、どうして家にはお父さんがいないの? って訊いちゃったことがあるの……」
「そしたらお母さんね、それには答えないで私の頭を優しく撫でながら言ったの」
「ローサも将来大好きな人ができたら、いい? その人のことをなにがあっても信じるのよ、例え周りからどんなことを言われても、不安になって疑いそうになってしまっても、絶対にあなただけはその人のことを信じてあげるの」
「そうすればあなたは、その人から愛される資格を得ることができるわ」
「まだ子供だったからよく理解できなかったけど、幸せそうな顔でそう言ったお母さんの気持ち……今ならよくわかる気がする……」
「後から想い起すと、なんだかその言葉がお母さんの遺言みたいな気がして……」
「だからね……私、タクヤのこと、何があっても信じるって決めたの」
凛として、晴れやかで、少し恥ずかしそうな花のような笑顔、胸を貫かれたような感覚にオレは言葉すら出なかった。
『うん、約束、信じて待ってる』……そうだ、ローサのこの言葉だ……
オレはこの言葉で必ず戻ろうと決意して次元の狭間へと向かった……
オレはこの言葉で忘却の川の淵から生き返る力を取り戻した……
いつの間にかオレは、とてつもなく大きなものをローサからもらっていたんだな……
無言のまま見つめるオレに「?」となりながら首を傾げるローサ、オレの決心は固まった。
「ローサ聞いてくれ、今日、貴族院と王国議会の連名で通知があった」
「通知……?」
「アリーシアとイルビス救出の功績で近々オレに子爵位が授与される」
「え? ええー⁉ タクヤが子爵になるの? すっごおおおい!」
掛け値なしに驚き喜ぶローサ、その純粋さはやはりオレを笑顔にさせる。
「実は次元の狭間に出発する前、ナイトの称号授与の後で陛下と話したんだ」
「陛下と? 何を?」
「無事に解決して帰ってきたら、子爵位を与えるって言われた、でもローサも知ってるだろ? オレがそういうのに全く興味ないって、言われてすぐに辞退しようとしたんだけど……」
「だけど?」
「陛下が言ったんだ……ローサは伯爵家の次女だ、功績を上げて勢いのある子爵となら十分良い組み合わせになる……って……」
笑顔だったローサがハッと気付く、話の内容とオレの声の緊張で把握したようだ、頬にサッと朱が走り身体を強張らせる。
夜の静けさが急に密度を増したように感じる、灯りがジジッと燃える音すら大きく聞こえてくる、このままじゃ心臓の音が聴こえてしまうかもしれない。
オレはオレをじっと見つめる潤んだ目を見つめ返す。
「だからオレは……子爵位を受けると決めた……ローサ……」
「は……はい……」
「すぐにとはいかないだろうけど……オレと……け……け……」
「結婚、してくれないか?」
「え……え~……イヤよぅ……」
え? ……オレの耳がおかしくなったのか? すると二階への階段の上からガタタッ、ゴンッ、キッチンの入口あたりからズルッ、ゴツンッと聞こえてきた、うん、皆聞いてたらしい。
幻聴ではないようだ……が、あまりにも予想外過ぎて頭から血の気が引いてクラクラする、ローサは一体どうしちゃったんだ?
オレのあまりに愕然とした様子に気付き、ローサがアワアワと慌てる。
「違うの、タクヤ、違うのよう……嬉しかったよ、泣いちゃいそうなくらい……とっても嬉しかったよ」
「じゃ……じゃあどうして……」
「だって……だって……抑えられなくなっちゃうんだもん……」
「へ?」
「婚約とかしちゃったら……もう私……タクヤにずっとべったり甘えちゃうもん……抑えられなくなっちゃうもん……」
「それに……何か問題が……?」
「ずっと私たちがベタベタしてたら、アリーシアもイルビスもサマサだって気を使っちゃうじゃないっ!」
「そしたらそのうち、みんな……自分達がお邪魔かもって思っちゃうのよう……」
ハッとした、そうか……
「それでみんながここに居づらくなったりしたら……私、そんなの絶対にイヤッ‼」
言葉の途中でもうポロポロと涙がこぼれ落ちる、オレはローサを抱きしめた。
居場所がない辛さを誰よりも知っているんだったな……
だからこんなに優しくなれる……
陛下がオレに護ってくれと頼むわけだ……
でも陛下は少し思い違いをしてる、護るのはオレだけじゃなかった……
ベソをかいてすすり上げるローサと、ローサを抱きしめてよしよしと頭を撫でるオレと。
二人の座るソファーを囲んで優しく微笑みながら見守る、二人の女神と家政婦の姿がいつのまにか……
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