三十一話 初恋とポヨンと大神官と




「な、なに? ……こ……恋だって?」


 無事帰還してから五日が経過した、新しい住人としてイルビスが参加し、連れ帰ったイルビスの美少女姿に逆上したローサが、オレの首を絞め上げるなどのお約束行事を経て、ようやく落ち着きを取り戻してきた頃である。


 ねえさまの様子が少しおかしいと、オレを外へ呼び出したイルビスが、木立の陰からリビングのソファーに座るアリーシアを窓越しに隠れ見ながら言い出した。

 確かにオレもそう思っていた、帰ってきてからのアリーシアはどことなくポ~ッとしているというか、物思いに耽っている時間が多いというか、小さくため息をついていたりもするのである。


 オレはてっきりシグザールとの別れの悲しみが続いているせいだと思っていたのだが、そう言うとイルビスはあっさり否定した。

「アウルラのもとへ向かったのじゃから、悲しむことなどなかろう? シグザールの人格との別離はもちろん寂しく思うが、それよりなによりシグザールは二千年の呪縛から解放されて逝ったのじゃぞ? 私が言うのもなんじゃが、ねえさまとて晴れ晴れとした気分であるはずじゃ」

 それを聞いたオレはなるほどなあ……と思った、アウルラの分身ともいえる女神ゆえの死別への価値観なんだろうな。


「でも……じゃあアリーシアは一体どうしちゃったんだ?」

 そういえばカムイの中でもちょっと変だなって思うことが何度かあったな……判断材料になればと、思い出しながらかいつまんで説明すると、イルビスはオレを横目でジロッと睨みしばし思索してるようであったが、やがて深いため息をつきながら渋々と口を開く。


「もしやとは思っておったが……どうやらねえさまは……恋をしておるようじゃ……」

 オレはたっぷり十秒ほどあんぐりと口を開け、それから冒頭のセリフを吐いた。


 黒のミニワンピースのスカートをヒラリと翻しながら、イルビスはオレに背を向け再び木の陰よりアリーシアの様子を探りはじめる、何故だかあまり話したくなさそうな雰囲気が伝わってくる。

 やむなくオレは、前かがみで木の陰から顔の半分だけを覗かせているイルビスの、小さいが形は抜群のお尻に訊ねる。


「恋って言ったって、アリーシアは愛の冠をいただく女神なんだろ? 年中恋してるようなものなんじゃないのか?」

 しかし振り返ったイルビスの顔は、呆れを通り越して憐みの表情になっていた……

「ねえさまも何が悲しゅうてこんな朴念仁を……いや、かえって憐みの感情が変化したのやも……完璧な女性は欠陥だらけの男によく引っ掛かると聞くしのう」

 なんだかとてもヒドイ言われようである。


「って、ちょっと待て、アリーシアの恋の相手って……オレなのか?」

 それには答えてもらえず、苦虫を噛み潰したような顔になり、中年のオッサンのようにハァ~と大きな溜息をつく絶世の美少女は、噛み潰した苦虫の死骸を見るような目でオレを見ながら話を始める。


「タクヤよ、例えば母親が子へ注ぐ愛情をお前は恋と呼ぶか?」

 かぶりを振るオレを見ながらイルビスは続ける。

「ねえさまが冠にいただく愛とは、生きとし生けるもの全てに注がれる無限の博愛じゃ、愛情の深さに差こそあれ生命には皆等しくねえさまの愛が向けられる」

「素晴らしいとは思わんか? この世の生命はねえさまがおる限り必ず愛されておるのじゃ、ねえさまの名をいただく国ができ、ねえさまを祀る教会が興ってもなんら不思議はないであろ?」


 ここでイルビスは真顔になり、オレの顔を正面から見ながら。

「シグザールへさえ……彼へさえ向けられていたのはその愛じゃった……」

 オレはハッ! と顔を上げ目の前のイルビスの顔を凝視する、彼女が何を言わんとしてるのかがようやく解りかけてきた。


「もちろん他とは比べ物にならぬほど深い愛ではあったがの、しかし……やはり平等であるに等しい愛じゃ……」

 突然ガッシとオレの両頬をイルビスの白く華奢な掌が左右から挟む、しゃがみ込んでいる姿勢のオレを上から見下ろす顔は真剣そのものである。


「よいかタクヤ、私の見たところアレは……初恋じゃ……」

 オレの目は見開かれ、身体は小刻みにプルプル震える、事の重大さが飲み込めたのだ。

「そう、あのねえさまが愛の女神としてではなく、恋する乙女として感情のままに行動したとすると一体何がおきるのか……恐ろしくて想像もつかんではないか……」

 イルビスの声も少し震えている、オレの喉がゴクリと鳴り、口の中は乾いてヒリヒリしていた。


「だからよいな? いくら良い雰囲気になったとて、ローサと目に見える場所で乳繰り合うなど以ての外じゃぞ?」

「そ、そんなことはしないけどもっ!」

 赤くなるオレの反応を面白いと思ったのか、イルビスは途端にオレの顔を挟む掌をグリグリ動かしながらニヤニヤしはじめる。


「じゃが帰って来た日、お前、彼女に首を絞められたあと個室で二人っきりで、しばらく何やらやっておったじゃろう~、何をしておったのじゃ? 誰にも言わぬから言ってみよ? ん? どんなことしておったのじゃ?」

 オレの顔をグリグリしながら絶世の美少女は、下世話なオバチャンのような下種笑いをしていらっしゃった。


 ほれほれと囃したてるイルビスに、モゴモゴ文句を言おうとしていたそのとき。

「あら? こんなところで二人で、何してるんですか?」

 不意に声がかかり、木立の陰からアリーシアが突然姿を現した。

 心臓が飛び出さんばかりの驚愕で、ぎゃああああ! という顔になるオレとイルビスだったが、二人とも叫び声を押さえることができたのは僥倖であった。


 しかし今さっきまでリビングにいる姿を隠れて見ていたのである、まさか気付かれていたのか? 驚愕と混乱で言葉すら出てこない、黙っているオレたちにアリーシアがもう一度。

「二 人 で 何 を し て る ん で す か ?」


 表情はいつも通りにこやかだ。

 しかし言葉の中に、事情を知らぬ者であれば気が付かぬほどの、ほんのわずかではあるが威圧が込められている、アリーシア本人も意識していないのかもしれない。


 だがその威力は凄まじかった、イルビスはいつの間にかオレから少し離れたところで直立不動になりガチガチに固まっている、顔も変になっている。

 こいつはもうダメだっ……イルビスには頼れないことを瞬時に察知し、この場を切り抜けるべくオレは脳をフル回転させる、動揺を隠してなるべく平然を装いながら。


「い、いや~、新しくイルビスも生活に加わっただろ? 何か不便なことや、人にはあまり言えないような困ったこととかがないかな~と思って、こっそり聞いてたんだよ~」

 言い終えたあとの束の間の沈黙……オレにはその数秒が永遠に感じられた……そして。


「まあっ! そうだったんですかあ、そんなに気を使っていただいて……」

 アリーシアはしゃがんでいるオレの背後に回り両肩にそっと手を置いた。

「やっぱりタクヤさんは……優しいんですね」

 言うなり頭の上に大きなポヨンとした感触が二つ乗せられる、普段なら無条件で喜ぶオレも、このときばかりは背中にイヤな汗をかいた、固まってるイルビスの顔もこの様子を見てさらに変になる。


「イルビス、あまりタクヤさんに心配かけちゃいけませんよ? あ、それから家事のお手伝いもそろそろ覚えていかなければよね」

 ポヨンの冠をオレにいただかせたまま、アリーシアは直立不動の妹にそう言うと、突然ハッと思い出したように。

「いけないっ、洗濯物を干すお手伝いしなきゃ、忘れてたわ!」

 クルッと振り返りパタパタと走って行ってしまった。


 オレたちは展開の速さについていけず、しばらく唖然としていたがやがて。

「こ、怖かったな……」

 掠れた声で言うオレに、無言でコクリと頷くイルビス。

 まだ固まった表情の目の端からつぅっと涙が頬を伝う。



 数日後、大聖堂前の屋外広場。


 広場の外縁には篝火が無数に燃えている。


 燃え上がる炎が照らせぬ天空には満天の星々が煌き、中空にはその星々を従える女王のように蒼い満月が世界に清浄な光を注いでいた。


 人々のざわめきが大きなうねりとなって夜を渡っていく、広大な屋外広場を埋め尽くし、それでも収まりきらずに周辺へ溢れている、王都中や近隣の村から集まった王国の住人たちは皆、大聖堂入口の前に造られた巨大な演壇に見入っていた。


 演壇の上では黄金の髪が夜風に柔らかく流れている、夜の闇が切り取られてそこだけが黄金の光に満ちているような錯覚に陥ってしまいそうだ。


 祝福されて光り輝く細身の黄金の錫杖をかかげて、宣託を歌うように告げるアリーシアから神気が波のように伝わって広場を覆い尽くしていく、人々はその神々しい美しさと身を震わせる神気の波に呼吸すら忘れたように息を飲む。


 アリーシアが眼前にかしずいていた法衣姿に錫杖を与えると、与えられた黄金の錫杖を手に群衆へ振り返るその姿に、人々が飲み込んだ息は空の星々へ届くほどのため息に変わっていった。


 夜の闇が染め上げたような長い黒髪が、白地を金糸と銀糸で飾った法衣との鮮やかな対照で人々の目を吸い寄せて離さない、そして凛とした表情で遠くを見つめる絶世の美少女は今夜、二千年の時を経て帰還した伝説の大神官というふれ込みであった。


 歓声が湧き上がっていく、演壇を中心に近くから遠くへ向けて、衝撃が伝わっていくかの如く、イルビスへ向けられた感嘆と驚嘆と賛嘆と賛美のその声は、やがて王都を揺るがせるのではないかと思わせるほどに高まっていった。


 カツン!


 地を錫杖で一打ちした音で、最高潮に達しようとしていた群衆が静まり返る。


 なんという統率力か、もうすでにこれだけの大勢を魅了してしまっている、瞬時に静まり返った群衆は、また次の瞬間にはもうイルビスの第一声を待ち焦がれる体勢になっていた。


 銀鈴の音色のように澄んだ声が広場を通る。


 私の愛する王国の民よ

 私はこの国が生まれ育ってゆくのを見てきた

 この国を愛する者たちの手で

 大事に大事に育まれてゆくのを見てきた

 人は時とともに移ろいながら

 しかし想いは時を超えて降り積もる

 この国を愛した者たちの心は

 この国の礎となって子等を守り

 そして子等もこの国を愛し生きる

 私の愛する王国の民よ

 私は祈りましょう

 絆は生ける者だけのためにあらず

 降り積もった想いにも巡り

 今を生きるあなたたちにも巡る

 どうか忘れないで

 この国を愛した者たちが

 優しくこの国を包んでいることを


「アウルラ・ヴァンデ・イルビスの名において、私は再び大神官としてこの国のために祈りを捧げていくことを誓いましょう!」


 両腕を拡げて告げるイルビスの宣誓に夜空を震わせる大歓声が上がる、手を叩き歓声を上げながらも多くの人々が、イルビスの語った言葉で目を潤ませていた。


 オレは演壇横の貴賓席でイルビスの様子を見ていた、遠くを見つめる意志に溢れた目はしかし、もう逢うことのかなわぬ者をそれでも追い求めているように見える。

 やっぱり寂しいんだよな、そうだよな、シグザールもトレーネも逝っちまった、今イルビスには並んで立っていてくれる人がいない、寂しいのが当然だ。


 精霊たちが祝福に集まってきた、ポッ、ポッと光が中空に現れる、まるで天の星々がその数を増やしていくように見える。

 やがて夜空に光の奔流が生まれる、見上げる人々の目は輝き自然と皆が笑顔になっている、壇上のイルビスはその様子を見て寂しそうに微笑みながらそっと裏の階段へと退いた。


 いてもたってもいられずにオレは演壇の裏へと向かう、行っても何と声をかけたらいいかすら分からないが、とにかく行かなくてはという想いだけでの行動である。

 屋外コンサートのステージのような造りの巨大な演壇を外側から回り込み、貴賓席のゲストの証として付けられた胸章の効力で、礼をしてくる警備の騎士に偉そうに片手を上げて応えながらどんどん進むと……

「あれえ?」

 演壇裏へ到着したオレは気の抜けた声を上げてしまう。


 アリーシアは分かるのだがローサとサマサまで……イルビスを囲んで笑いながら話をしているではないか。

 歩みを止めて見守っているとローサとサマサの言葉にイルビスまでクスクスと笑っている、最初は驚いたがだんだん状況が飲み込めてきた、そうか……あいつらも同じことを感じたんだな……


 騎士の略装服姿のローサがオレを見つけて指をさす、コラコラ人を指さすんじゃない、口元が自然と笑ってしまう。

 おっそーい! と飛んできた、いわれのない非難に抗すべくこちらは、お前、会場警備の仕事をサボってるだろう? というカードを切るために華やかな輪へと歩き出した。


 きっとイルビスはまた笑ってくれるはずだ。


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