三十話 美少女と置き土産と忘れ物と




「アリーシア、どうしちゃったんだ? なんか……変だぞ?」

 オロオロしながら押しとどめるように両手を前に出す。


 オレの出した掌をポーッと眺めながらアリーシアは両腕で自分の身体をギューッと抱きしめると、背中を反り返らせてフルフルと震える。

「ハ……ハァ……」

 切なそうにため息をついて虚ろな目をこちらに向けた、なんだかどうにもならなさそうな雰囲気だ、一体どうなってるんだ?


「私……やっぱり変ですよね……でもとめられないんです……」

 止められるものなら止めてごらんなさいと言わんばかりに、オレの出した手など見えないかのように身体ごと近づいてくる、オレの突き出した手にアリーシアが突き出した胸が触れそうになる、まずいと思って引くと、もうっ、というような不満そうな顔をされる、いやいや、オレどうしたらいいんだ……


 猫科の大型獣のように、身体をしなやかにくねらせるアリーシアがさらに近付いてくる、細い指の先が肩に届いて、オレは動けない獲物のようにあっという間に捕獲されてしまった。

 そのまま白い腕がオレの首に巻き付き、理性からオレの身体を引きはがそうと絡め取ろうとする、顔が近付くとまたアリーシアの甘い匂いが漂い、このままだとすぐに抗えなくなるのは確実であった。


「ア、アリーシア、だめだ……」

 オレはなけなしの克己心を総動員して、首に回っている腕を掴み、強引にでも外そうとする。

 アリーシアの中にも葛藤があるのだろうか、予想に反して腕はさほど強い抵抗もなくほどけ、両の手首を掴んだまま密着した彼女を引き剥がしたオレは、なんとか抱きつかれた形から解放された。

 しかし、そのまま接近し過ぎた距離を少し開こうとしたとき、オレは見事にアリーシアにしてやられてしまう。


 クニャリとアリーシアの身体から力が抜けた、ふらーっと横に倒れかかるので当然オレは慌てて支えようとする、この場合両の手首をそれぞれ掴んでいるので、そのまま引っ張って身体を引き起こそうとする、反射的な咄嗟の行動だ。

 しかし引いた彼女の腕は、ほとんど抵抗なくオレが引いた分だけ伸びて、オレのバランスを崩させる、アリーシアがわざと肘を伸ばしてオレの力を相殺したのだ。


 アリーシアはそのまま床に倒れ込む、オレの体勢もかなり前のめりだ、そしてそこにトドメとばかりに、今度はアリーシアが倒れながらオレに掴まれた腕をグイッと強く引く、そうなるとさすがにバランスが崩壊して、オレはアリーシアの上に覆いかぶさるような体勢になってしまった、しかも両手首を掴んで床に押し付けているように見える態勢だ……


 素っ裸の金髪美女を、床へ、両の手首をそれぞれ掴んで、押し倒している。

 唖然とした頭の中で現状認識するために、単語が一つ一つ組み合わさって文ができあがる、信じ難い状況だ、もうこれ以上何かあると理性を保てなくなってしまう、頼むこのまま起き上がらせてくれというオレの切実な願いを、オレの下で蕩けるような顔をした女神様はあっさり却下した。


 まるで観念したかのような表情で目を閉じ、首をひねって顔を横向きにする、黄金の髪が数本流れる真っ白い首筋が露わになる、押さえつけられている体勢に昂ったのかまた背中が反り返りフルフル震えると、仰向けでも形の崩れない見事な胸が震えに合わせてフルンフルンと波打った。


 限界だった、抗えない、どこかにまだ残っていた理性が最後に訊ねる。

「アリーシア……本当にいいのか?」

 顔を横に向けたまま目だけを薄く開けて、アリーシアは喘ぎながら微かに頷く、それでオレの理性は完全に吹き飛んだ、アリーシアの自ら晒す首筋へ顔を近づけようとしたとき……


「よいわけなかろう! このタワケがあっ!」

 背後から突然叱責の怒声がかかる。


「うぉわああああっ!」

 心臓が跳ね上がりついでに身体も跳ね上がる、アリーシアから手を離しピシッと床に正座した、小心者の見本のような行動だと我ながら思う。


 それ以上の声がすぐにかからないので、そーっと後ろの声の主を振り返る。

 声で女の子なのはわかっていた、透き通った綺麗な声だと思った、だがそれが分かっていてもその姿を目にしたとき不覚にも声が出なかった。


 振り返ってすぐ目に入ったのは黒のミニワンピースであった、そして膝上十センチほどでヒラリと揺れるスカートの裾からは細くて真っ白な脚が伸びている。

 両手の当てられた細い腰と、さらに締まったウエストを遡るとささやかな盛り上がりの胸と華奢な肩があり、そして細い首の上の顔を見上げたとき、オレの目は大きく開かれた。


 十五、六歳に見えた、艶やかな真っ直ぐの黒髪が流れている、そのせいで白い顔がさらに白く見えていた、細い柳眉を吊り上げて、少しきつめの目はしかしあどけなさがあるせいかさほど嫌味ではない、すっきりとした鼻梁から続く小さく柔らかそうな唇をキュッと引き締めて、頬だけがなぜか恥ずかしそうに赤く染まっている。


 もの凄い美少女だ、見た瞬間固まってしまう、自分が今素っ裸で尻丸出しなのも忘れて口を半開きにしたまま魅了されてしまった。

 両手を腰に当てて仁王立ちになっている彼女は、恥ずかしそうな表情からやがて、オレがボーッと見つめていると目を逸らしさらに頬を赤く染め、最後には真っ赤になって伏し目がちになり、プルプル震えだしてとうとう限界に達したようだ。


「ジロジロ見てるでないっ! 貴様女なら誰でもよいのかっ! この節操無しのド助平がっ!」

 これにはこれで言葉もなく固まってしまった。


 フーッフーッと肩で息をしながら真っ赤な顔をして彼女は続ける。

「ねえさまもねえさまじゃ! なんじゃその艶姿はっ!」

 言われたアリーシアはちょっと口を尖らせるが、正座して腕で前を隠しシュンとなる。


「ね……ねえさま……って、じゃあ……お前」

 震える指で彼女を指して言う、言われた彼女はハッとして次の瞬間、湯気が出るんじゃないかと思うほど真っ赤になって自分の身を護るように両腕で抱きしめ。

「いや~っ! 見るなっ! 見るでな~いっ!」

 その場にしゃがみ込んでしまった。

「イ……イルビス……お前……」

「いや~っ! 呼ぶでな~いっ!」


 半刻ほど後、ようやく収拾がついて落ち着いたオレたちは、カムイの中に建つ、どことなく正倉院に似た木造の建物の中にいた、巫女たちの控え室兼休憩室とアリーシアの居室のある建物だ。


 中も和風の造りであった、巫女たちの休憩室へ通され、入るときに巫女たちがいるかなとキョロキョロしてるとジト目のアリーシアに、みんな帰りました、と冷たく言われた、まあとにかく服を着て座卓を囲んでオレたちは座る。


「アリーシア、イルビス、ちゃんとお別れできたのか?」

 本題を切りだす、もちろんシグザールとの別れだ。

 そのときの二人の女神の晴れやかな顔は忘れることはないであろう、すると二人は並んで座り床に手を着き深々と頭を下げる、オレは慌てて。


「いや、そういうのはいいって、オレにはそんなことしなくていいんだって」

「いえ、タクヤさん、あなたはシグザールと私たち二人の全てを救って下さいました、タクヤさんがどんなに謙遜なさっても、私たちの心はこれからタクヤさんと共にあり続けることでしょう」

 姿勢を正してそう言うアリーシアからは神気が伝わってくる、超本気だということらしい。


 アリーシアの神気にオレの左腕がピリッと反応する、アリーシアの一部で傷口を塞ぎ、運動機能を補填されているので少なからずつながっているのであろう。

 問題なのは右腕だ、見たところ変わったというほどの変化は無いように見えるんだが……


「オレの身体はどんな感じになってるんだ?」

 アリーシアが淹れてくれたお茶をすすりながら尋ねると、途端にイルビスは申し訳なさそうに目を伏せる、アリーシアが答えるところによると。


「外傷は全て完治させました、骨折部分が完全に固着するまではあと半日ほどかかりますが……」

 アリーシアはチラッとイルビスを見るが、そのまま続ける。

「魔素と瘴気による汚染の浄化はもうしばらくかかりそうです、これから私が毎日治療にあたらせていただきます、そして……」

今度はアリーシアの表情も曇ってしまう、が、それは悲しいとかではなくなぜか困ったというような感じであった。


「右腕の肘から先は大部分が壊死してました……シグザールが残った細胞を賦活させ、足りない部分も彼に残る力のほとんどを使って生成し融合させました、機能的には全く問題はないはずです、握力や反射速度などを含めた運動機能も、触覚や温度感知などの知覚機能も以前に劣るところは無いと思われます、ですが……」


「何か問題が……あるのか?」

 言い淀むアリーシアに少し不安になりながら訊く。

「はい……シグザールが言うには……力が入り過ぎたと……」

「へ?」


「シグザールは、その……真面目すぎるところがありまして……」

「ああ……それは分かる気がするが」

「治療に熱が入るあまりに、どうも……何らかの力が付与されてしまったようで……」

「な……何らかって……どんな?」

「それが、当のシグザールにも分からないみたいで……」

「そ……そんな……じゃあどうすれば……」

「なんでも、もし力が発現するのなら、その効力はタクヤさんご本人の資質によるところが大きいであろうと、すみません、そのくらいしか……」

 どんどん申し訳なさそうにシュンとなるアリーシアに、いやいやと手を振り。


「いや、まだ何も解っていないんだし、もし便利な能力とかだったらラッキーじゃないか、そうか~、もしかしたらコレってその力と関係あるものかもなー」

 そう言いオレは右手の甲に浮かんだ、三枚の葉っぱを扇形に並べたような三つ葉の痣を眺める、ついさっき見つけてなんだろな~? と思っていたのだ。


「でもオレの資質による力かあ~、一体どんなんだろ? 風もないのにスカートがめくれるとか?」

 ハッとしてアリーシアがトーガの前を押さえる。

「いや……冗談だよ……」


 そんなことを言いながらイルビスの様子を窺うが、正座をしながらうなだれて縮こまってしまっている、やはりオレの大怪我や、一時的とはいえ死の直接的な原因をつくったという立場である、さすがにこの話題はキツかったか……


 フゥと鼻からため息をついてイルビスに話しかける。

「イルビス、もしオレが最初から最後までイルビスのこと、少しでも恨んだり憎んだりしてたら……結果はたぶん誰も救えないで終わっていたと思う……」


 イルビスはまだよく把握できないのか、怪訝そうな顔を少し上げてこちらを見る。

「オレはイルビスが苦しんで悲しんでるのがわかったよ、そしてそれは全てシグザールのことを想ってのことだというのもわかった、想う人のためにとった選択肢をオレは間違いだとは思わなかった」


 なんとなく理解できてきたのか、大きく開いた目がオレを見つめる。

「だからオレはそんなイルビスを救いたいっていう想いだけで戦うことができたんだ、その結果オレ自身がどうなろうとも後悔しない覚悟もできていた、その覚悟の上での行動と結果は誰のせいでもない、オレ自身の責任だ」


 理解できたらしい、だがまた伏し目がちになってイルビスは言う。

「しかし私が傷つけたのも事実じゃ、そのせいで命までも……」


 その言葉を聞いて、オレは間違ってなかった……と実感する、表情が自然に微笑んでしまう。

「お前がオレを傷つけるのだけが目的で戦ったのなら、オレはこんなザマにはなってないさ、途中で逃げちゃってただろうからな」

 あ……というキョトンとした表情になるイルビス、オレは続ける。

「イルビスはイルビスの信じるやり方で行動しただけだ、結果なんか関係ない、オレがそれを認めてるんだぞ? 胸を張れよ」


 無言になったイルビスの目は潤みはじめている。

「気の遠くなるくらい長い時間をさ、寂しくて辛かっただろうに……よくがんばったなイルビス……」

 言い終わらぬうちに大粒の涙がボロボロこぼれ落ちる、隣のアリーシアの胸にすがってか細い泣き声をあげはじめた、深い慈愛を込めて頭を撫でるアリーシアと、それを見ながら微笑むオレと、ようやく終わったんだなあという実感が湧いてきた。


 イルビスが泣き止み、ようやく落ち着いてきたころ、オレは今現在の最大の疑念を晴らすことにとりかかる。

「ところでイルビス……」

 まだ濡れている目をこちらに向け小首を傾げると、ドキッとする可愛さがある。


「えーと……その可愛い姿は……どういうことなんだ?」

 言うなり顔がまた真っ赤になり、更に止まった涙がまたぶわっと溢れてくる。

「き……貴様! 愚弄する気かっ!」

「可愛いって言うと愚弄になるのっ⁉」


 身を護るように両腕で自分を抱きしめながら、赤い顔でウ~ッとオレを睨んでいたが、やがて諦めたように。

「元の身体の破損が激しすぎてな、使用不能になったゆえ恥を忍んでこのような姿になった、この身体はな……私がこちらの世界に初めて降り立ったときの身体なのじゃ……」


 ほーっと感心しながら眺めていると、赤い顔のまま柳眉がキリキリと吊り上がり。

「これも身から出た錆じゃっ! 甘んじて受けよう! 笑いたくば笑うがいいっ!」

 目に涙を溜めたままの怒り顔もまたイイ。

「笑う? なんで? いいじゃないか、すっごく可愛いぞ?」

 言うなりヒッ! と小さな悲鳴を上げたイルビスは怯えたような顔になり。

「き……貴様! やはり愚弄する気なのだなっ!」

「だからなんで可愛いって言うと愚弄になるのっ⁉」


 アリーシアが小声で教えてくれたところによると、神官職に就くまでの十年ほどをこの姿で過ごしたらしい、大人の姿になってからこちらの少女の身体はアリーシアが保管していたそうだ。


「そういえばアリーシア、出発してからどのくらい経ってるんだ?」

「ちょうど五日が過ぎたところです」

 ゲッ……そ、そんなに経ってたのか……マズイぞ……

「やばい……ローサ、絶対怒るだろうな……」

「無事に帰れば怒らないですよ……」


 アリーシアはそう言うが、少なくとも遅いと言われてからまれるのは確実だ。

「よしっ! すぐ帰ろう」

 よっこらしょと立ち上がるとアリーシアも続く、数歩進んで休憩室の出口でオレは振り返る。

「イルビス、なにやってんだ? 早くしろよ、置いてっちゃうぞ?」


 座ったままで曇っていた表情が驚きに変わり、そしてオロオロしはじめる。

「わ、私が? い……行ってもいいと?」

 それには答えずクルッと背中を向けオレとアリーシアは再び歩き出す。

「もうお前も立派な仲間だよ、早く来ないと本当に置いてっちゃうぞー」


 口元がちょっと笑ったオレと、ニコニコと満面の笑みのアリーシアと、パタパタと慌てて追ってくる足音の三人は、わが家へと帰るべくカムイの扉へと向かう。



 風の吹くはずのない地に微かな風がおこった。

 小さな影が瓦礫の中で動いている。


 みすぼらしいフードローブをまとったその姿は、粗末な粗布でできた袋で慎重に床にある物を、直接触れないように拾い上げようとしていた。


 器用にすくい上げてから袋の中をのぞき込むと、まるで生きているかのように脈動するそれに目が吸い寄せられそうになる、虜になる寸前に紐がシュッと引かれて袋の口は閉じられ、腰の小さなバッグに袋ごと押し込まれてしまう。


 影は辺りを窺いながら瓦礫の陰へと入りそのまま暗闇へスッと溶け込む。

 戦いの傷跡が生々しく残るシグザール城の大テラスは再び動く者のない世界に変わってゆく……


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