二十七話 王の心と女神たちの想いとオレの微笑みと



 王座の前に辿り着いた。

 魔王の姿のまま骸になったシグザールが、石の王座からオレたちを迎える。


 イルビスを肩から降ろし地面に座らせる、様子を見るが身体は瘴気と魔素のせいでボロボロだ、しかしなんとか意識を保ってくれているようである。


「辛いか? もう少しだからな」

 虚ろな表情の頬を左手の甲でそっと撫でる、応えはないがオレの左手にほんのわずかに頬を寄せた、イルビスは二千年の間、誰にもこんなことしてもらえなかったはずだ、気が遠くなる年月の中で、誰にも頼ることのできない孤独を思うと胸がしめつけられる思いである。


 アリーシアを振り返るとシグザールの骸を見つめていた、つとめて表面に出さないようにしているようだが、やはり辛い表情を隠しきれていない、しかしオレが心配そうな顔で見ていることに気づくと、一度大きく深呼吸をしてから頷く。


 頷き返したオレは、イルビスの上体が倒れないように左手で支えながら、シグザールへ話しかける。

「シグザール、待たせたな、来たよ」


 少しの間があり黒い水面が周りに広がる、オレたちは音もなく沈み始め、最後にアリーシアの黄金の髪が消えると、水面も中心に向かって沈んでいくように小さくなっていき、やがて最後は小さな点になって消えた。


 周囲の景色が変わった、どこまでも黒く滑らかな床が続く、天を埋め尽くす闇と濃い灰色の霧の世界、シグザールの次元の扉で運ばれたこの場所は以前オレが初めてシグザールと会った空間であった。


 オレは膝立ちになり床に座るイルビスの背中を支えながら、傍らに立つアリーシアと共に二人へ話しはじめる。

「アリーシア、イルビス、聞いてくれ」

 アリーシアはオレへ向き直る、イルビスは虚ろな表情のままだ。


「オレは以前ここでシグザールに会った……そして二つのことを頼まれた、一つはアリーシアを助けること」

「そしてもう一つはイルビス、イルビスを救ってほしいと……」


 支えていたイルビスの背中がハッとした様子を伝えてきた、後ろのオレのほうへ震えながら一生懸命に首を巡らそうとするが、わずかしか動かない、何か言おうとしてるようなのでオレのほうから顔を近寄せる。


「わたし……二千……年……なにも……」

 かすれた弱々しい声が泣き声のように伝わってきた。

「イルビス、シグザールは二千年の間ずっと語りかけていたよ……」

 突然の言葉の内容をすぐ理解できないのだろう、イルビスは固まったように黙ってしまう。

「シグザールの心の中には怒りや恨みなんてなかったんだ……あったのはただ自分の魔王としての行いへの悲しみと、アリーシアとイルビス二人への想い、それだけだった……」


「イルビス、イルビスは二千年の間、シグザールが自分を女性として愛してくれているって……考えたことがあるかい?」

 オレのこの言葉にイルビスの目は見開かれる。

「シグザールにはアリーシアがいる、自分のことを愛するわけがない……そう強く思い込んでしまっていただろ……? イルビス自身がシグザールの心の声を聞き入れられる状態ではなくなってしまってたんだ……」


「それはもちろんイルビスが悪いわけじゃない、イルビスが純粋であればこその思い込みなんだ……それがわかるからシグザールも切実にオレに助けを求めた、男のオレであれば理解ができ、助けることができるからだ……」

 アリーシアがハッと理解した顔になる。

「それじゃあ、シグザールは私たちを……」


「そう、シグザールの心の中はアリーシアとイルビスという、二人の素晴らしい女性への等しい愛情で一杯だったよ」

 それまでの信じられないという表情が徐々に氷解していき、潤み始めたイルビスの目と、アリーシアの嬉しそうな微笑みとを見て、オレはホッとしながら続ける。


「もちろんシグザールは同時に二人を愛したことに罪悪感をもっていたさ、でもそのことに関しては、オレはシグザールの味方をしてしまうな」

 アリーシアが不思議そうな表情をするので、オレは付け加える。

「それだけ二人がそれぞれ魅力的だってことさ、なんといっても女神だからな……しかもその二人の女神から同時に想いを寄せられているなんてなると、人間の男の中に抵抗できるやつなんかいないと思うぞ」

 そんなものなのかしら……というような表情のアリーシアはさておき、話を本題へ戻す。


「だからイルビス、お前のただ一つ望んだものは、ずっとお前の手の中にあったんだ……イルビスだけじゃない、シグザールもアリーシアも、三人が……それぞれお互い同士がちゃんと想い合ってつながっていたっていうのに気付いてなかった……」


「イルビス……シグザールの心が留まり続けてる理由にも、本当は疑問を感じていたんだろ? でもずっとその心を確かめることができなかった……オレ、イルビスの苦しい気持ちがわかるよ、もちろん全てではないけどな……」


 イルビスの目からはぽろぽろと涙が落ちる、心も身体も疲れ果て深く傷ついている彼女の涙は、それが枯れたときイルビス自身も消えてしまうのではないかと思わせるほど儚かった。

 こんな状態のイルビスに何かをさせるなんてことは、普通ならありえない話だ、しかし成さなければ誰もが救われない、イルビス自身もだ、意を決しオレは話を切りだす。


「イルビス、辛いだろうけど……でもがんばれ……シグザールの心を解き放ってやるんだ」

 そう聞いた途端、イルビスの瞳に光が戻る。

 涙は止まり、意思を湛えた表情は先程までの弱りはてた彼女を一掃し、その存在の全てを燃やし尽くしてでも成すべきことを成す決意に満ちていく。

 なんという純粋で深い想いだ……オレはくだらない心配をした自分を恥じる気持ちになってしまった。


「立た……せ……よ」

 オレとアリーシアに支えられて立ち上がる、立ち上がって正面をしっかりと見据える、今、イルビスは王からの想いに応えるべく、そして王への想いを伝えるべく、全てを受け入れる意志で立っていた。

 するとその意思に呼応するかのように灰色の霧が流れていく、イルビスの見る正面に霧が流れ、そして流れ去ると人影が現れこちらへ近付いてくる。


 イルビスをアリーシアに預けオレは後ろへ下がる、ここからの世界は三人のものだ、フラフラと歩きながらよくやってこれたとしみじみ思う、動かない右腕が冷たく感じる、疲労のせいかちょっと寒気もするな、邪魔にならない離れた場所で、少し……ほんの少しだけ……疲れたんで座って休ませてもらうとするか……


 霧の中から王の装束がにじみ出す、腕が、脚が、そしてその装束にふさわしい強い意思を感じさせる顔が現れた、その顔はとてつもなく長い旅をしてきたように見える。

 そして、その身にまとった遠くの地から連れてきたような風が、灰色の霧をゆっくりと押し流して消していく。


 王は両腕を広げ、涙でくしゃくしゃの顔で待つ二人の女神を同時に抱きしめる、その強靭な腕は、しかし優しく、しかし強く、万感の思いがこもった胸へと二人を引き寄せ、そして包み込む。

 三人が一つに溶けあったような抱擁が続いた、この刻をこのまま永遠の匣に閉じ込めたいと、見る者があれば誰もが想ったであろう、二千年の隙間に流し込むにはあまりに短い時間ではあるが……


 やがて黄金の女神が抱擁を離れ二人へ祈るように言葉を告げる、天上の歌を天使に囁かれたとしてもこのように清爽な涙は出ないであろう、二人は永劫の重き枷から放たれたように喜びの涙を落とし、黄金の女神の告げた言葉を受け入れた。


 次に王が二人の女神へ告げる、一人の男としての心のうちを、なにものにもとらわれることのない本当の想いを、二千年をかけてようやく言える短い言葉を、二人の女神は幸せそうに、そして優しくも哀しくも見える微笑みで王の言葉を受け入れる。


 黒の女神が王に支えられながら告げる、多くは語られない、己の過ちを素直に詫びる涙混じりの短い言葉と、しかし多くを語るよりも心に響く短い言葉を、王と黄金の女神の名を呼び、かすれた声で必死に告げた『大好き』という叫びを、そして三人はまた固く抱きしめ合う。



 黄金の女神が呼ぶ声、呼んでいるのは若者の名だ。


 少し離れた場所で座って休んでいる姿をすぐに見つけ、名を呼びながら歩いて若者のもとへと近づいていく、晴れやかで幸せそうな表情であった。


 再び名を呼ぶ、が、応えがない、さらに呼ぶ、明るかった顔が曇り胸騒ぎがしはじめたようだ、黄金の髪が後ろへ流れる、歩みから駆け足になったのだ、後ろに黒の女神を抱き上げて運ぶ王も続く、漂う緊張感に気づいたようであった。


 若者のところへ辿り着いた頃には、呼び声は叫び声に近くなっていた。

 床に脚を投げ出して座り、少しうつむいて寝ているようにも見える、その顔はうっすら微笑んでいる、二人の女神と王にむけられた微笑みなのであろう、少なくとも黄金の女神はそう確信する。


 予感させる最悪の結果に恐怖の表情を浮かべて若者の肩に触れる、息を飲む、震える手で首筋に触れ、信じたくない結果に何度も首を振る。

 追いついた愕然とする王、王に抱きかかえられながら若者へ、震える崩れた手を伸ばそうとする黒の女神。

 

 鼓動の止まった若者を何かから護るように抱きしめ、黄金の女神は悲鳴をあげる。


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