二十五話 入城と迷いと魔の刻と



 わずかな浮揚感の後、両の足が地に着く。

 カムイから次元の穴に飛び込んで、落下の感覚が終わるのはあっという間であった。


 呆気ないくらいの短い移動で次元の壁を超え空間を飛び越える、魔に堕ちることと引き換えに入手する能力の凄さを改めて思い知った。

 結び目が解けない目隠しを、やむなく引きはがすように取ったあと、そのままコートのポケットに突っ込む。

 やっと視覚が戻る、やはり見えるのはいいものだ、さっそく辺りを見渡してみる。


 前方には巨大な門がそびえていた、そして振り返り天を仰ぐと、そこには全てを飲み込もうとしているように見える巨大な渦が地を睨む、魔王となったシグザールの捻じ切った回廊跡である。

 どうやら城の正門前に着地したようだった、しかし、こうして城の外から周りを見渡すと、なるほど、とてもじゃないが常識では理解しようのない光景だ、城の背後は巨大な垂直の岩盤でできた壁面になっている。

 その壁面の、城で隠れた部分に精神界への扉があるのだろう、シグザールはそこを塞ぐためにこの城を次元の扉へ沈めたと聞いた。


 そして城の前方だが、少し先で地面が見えなくなっている、右も左も横方向に地面がずっと続いているようには見えない。

 どうにもこの場所は、城の背後にある、巨大な垂直の岩盤からせり出した岩棚の上なんじゃなかろうかと推測する、ずいぶん恐ろしい所に建ってるもんだ……


 周囲の地形を把握してる間も、なにも起こることはなかった。

「お迎えは無しか……」

 異様な光景とは裏腹に、今のところは静寂そのものである。

「アリーシア」

 緊張に顔をこわばらせ、城を見つめているアリーシアを呼ぶ。

「行けるか?」

 短い問いに。

「はい、行けます」

 これも短い応え、覚悟を決めて来た以上、回りくどい確認は必要なくなっている。

 並んで歩き始める、巨大な門扉は人が一人通れるくらいの幅で開いていた。


「タクヤさん」

「ん?」

「ずいぶん堂々と進みますね」

 まあ、門をぬけてそのまま真っ直ぐ正面入り口に向かっているから、その評価は間違ってはいない。

「おそらくカムイの封印を解いた時点でイルビスは気付いてるよ、次元の裂け目とかの動きを探知する能力があるはずだからね」

 シグザールの力でアリーシアの身体を持ち出しに来たとき、すぐに察知して飛んできたことを思い出しながら言う。


「はい、私もそう思います」

 オレがしっかり知識を得ていると知って少し嬉しそうな様子だ、さっすがぁ、と小さい声で言うのが聞こえる、このような男の自尊心をくすぐる言動が、天然でやってるのか計算ずくなのか、非常に判断に困るところではある。


 そういうわけで、隠れるような行動をとっても意味はなさそうだし、そもそも不意を突いたからといってどうなるということもないので、そのまま最短距離のど真ん中を闊歩していく。

 正面入り口の扉を開き建物内へ入る、エントランスホールの真ん中に立ち、少し様子をみてみるが何もない。


「なるほど、あそこで待ってるということか」

 と、つぶやきながら。

「アリーシア……」

 そちらを見た瞬間言葉を失う、そうだ、城内に入り、想い出が甦らないわけはなかった、呼びかけたときにはすでにアリーシアの心は二千年前へと戻っていた……


 そのあまりにも切ない表情に、オレはこの瞬間なすすべもなく、配慮が足りない上に無力な自分を呪いたくなる気持ちになる。

 楽しい想い出も辛い記憶もたくさんあるはずだ、イルビスの話だとアリーシアはこの城も含めてシグザール、イルビスと二千年もの長きに渡って隔絶されているはずであった……


 それはつまり、それからたった一人で王国を支え続けてきたということになる。

 あまりに過酷な話である、想い出の中に引き込まれた彼女へオレはかける言葉もなく、ただ虚ろで切ないその表情を見つめるだけであった……

 だがアリーシアはさほど経たずに戻ってきた、尋常ならざる克己心が必要だったろうに……


「すみませんタクヤさん、もう大丈夫です」

 うっすら涙は浮かんでいるが、その目には意思の力が戻っている。

「……うん」

 信頼するゆえの短い返事、頷いて、そしてすぐに前をむく。

「アリーシア、案内してくれ、行くべき場所は……屋上大テラスだ」


 廊下を渡り、階段を上り、また廊下を渡る。

 上の階に来るにつれて見覚えのある場所もでてきた、そして狭い螺旋階段の前に着く、そうだ、これを上りきれば屋上の大テラスに出る。


 この先で全てが決まる、足が止まり、オレはアリーシアを見る。

 ずっと考えていた、終わらせるなんてカッコよく言ってきたが、もしそれが失敗したらどうなるか……オレ一人が命を落とす程度で済む問題ではない、アリーシアも再び物質界へ落とされて今度こそ消滅してしまうだろう、その後物質界は巨大隕石を落とされて焦土と化す……


 いざ目の前にその瞬間が迫ると、責任の重圧に押し潰されそうになる、もしオレが何もしなければ事態は確実に悪い方へと進む、ならばやってみるだけ無駄ではない、と理屈では考えて納得してきたが、しかし今日オレが失敗したら、オレがアリーシアや物質界を消滅させる原因の一端を担うことになるんじゃないだろうか……


「タクヤさん」

 優しい声がオレを呼んだ。

「心配いりません、私が自分でタクヤさんについていこうって決めたんです」

 アリーシアに焦点が合う、急に穏やかな笑顔が目の前に現れる、なんてことだ、アリーシアのほうを向いてたのにアリーシアが見えていなかった……


「どうして……いや……さすがアリーシア、ありがとな」

 嬉しそうな笑顔が返ってくる、太陽が霧を消し去るように、不安が渦巻く心の迷いは文字通り霧散した。

 再び進み始める、螺旋階段に一歩を踏み出し、そしてまた一歩、オレは先頭になり屋上へと向かう。


 天の大渦がより近くに感じられる。

 屋上、大テラスに立ち様子をうかがう、まだ静かであった。


 追いついてきたアリーシアと並び、テラスの奥へ進む、目的地は石の王座だ。

 進みながらも周りに注意を向けるが、静かすぎる……なんだか漠然とした良くない雰囲気が感じられてきただけに、静寂が不気味にすらなってくる。

 そうしてるうちに王座がはっきり見えてきた、そして……いた、イルビスだ。


 シグザールの亡骸が座す石造りの王座に向いて、その少し手前に、床面に膝を抱えてそのまま座っている、抱えた膝に顔を埋めて全く動かない、泣いているようにも寝ているようにも見える。


 そのまま歩みを止めず、イルビスのもとへと進む、華奢な背中をさらに丸めているせいなのか、すごく小さくなったように見えてしまう。

 あと五メートルほどのところでアリーシアを手で制し、その場に止まらせた。


 オレはその五メートルを進みイルビスの傍へ、片膝を突いてそっと呼んでみる。

「イルビス……」

 少しの間があり、そして膝の間の顔がゆっくりと、わずかに上がり目元が見える。

 その目は茫として、焦点が合わないままただ前方を眺めているようであった。

「なんの用じゃ」

 視線をこちらに向けようともせずに短く言う。


「この前は、ごめん、勝手に消えて……」

 謝られるとは思ってなかったらしく、顔は動かないが視線はこちらを向く、目に焦点が戻ってきたようだ。


「……なぜまた来た?」

 イルビスが応えてくれたのが嬉しく思える。

「もちろんイルビスと話をしにさ……でもあのときはまず、アリーシアと話をして確認しなきゃならないことがあって……」

「そうしないと、会話がほとんど憶測の上での話になってしまうものだから……不器用なことですまないけど、順序だててやっていく必要があったんだ」


 ここで様子を窺うが、こちらを睨んだまま応えがない。

「あの……これだけは信じてほしいんだけど、決してイルビスを嫌って出ていったわけじゃないぞ? むしろお前との会話は楽しいし……ここに住めとか……あのエロイ攻撃とかはちょっと困ったけど……」

「誰もそんなことは聞いておらんっ」

 さすがに慌てたイルビスが話を遮る。


 そして目をスッと細めてオレに問う。

「私が聞きたいのは、タクヤよ……お前、シグザールに会ったのであろ?」

 そうだ、イルビスは当然それを最も気にしているであろうと思っていた。

「ああ、会った、会って託された……今日オレがきたのはそのことを……」


「もうよい」

 イルビスの冷たい刃のような言葉で、オレの言葉は止まった。

 全身に寒気が走る、恐怖? 危機? 体の中で本能が最大級の警報を鳴らしている。


「イルビス、その……手に持ってるのは……なんだ?」

 抱えた膝で死角になっている左手に何かを持っている、伝わるこのどす黒い感覚、良いものであるわけがない。

 パサリと長い黒髪がかかり表情が見えなくなった、そのままイルビスは音もなく立ち上がる。


「イルビス、だめ……やめて……」

 背後からアリーシアの震える声が聞こえる。

「待て! イルビス、話を聞け!」

 必死に呼びかけるオレとアリーシアの声に。


「ダ マ レ ヨ」

 ゴオォッ! と目には見えない波がイルビスを中心に渦巻いた。

 次の瞬間、凄まじい魔気が吹き付ける、風のような物理現象ではない、しかし身体の芯に氷の柱を突っ込まれたような冷気に襲われる。


「二千年ジャぞ……ズっと傍にツイてたノに……私ニはナニモカタラナイ」

 まるで地の底から湧き上がるような苦悩に満ちた声が響く。

 顔が上がった、黒髪で隠れていた顔が現れる、その眼は暗黒の色であった、そして暗く禍々しい炎の赤瞳が、暗黒の眼の中心で激しく燃えていた。


「イル……ビス……ちがうんだ……」

 絶えず吹き付ける魔気で凍えてしまい、身体の感覚がない、声も出せなくなり始めている。

 そのオレの目の前でイルビスの左手がスッと上がった。

 その手に握られているものを見て愕然とする。

「つ……角じゃないか……!」


 シグザールの側頭部の角か⁉ その手で引き抜いたのか⁉

「それを……どうするつもり……だ! ……イルビス! ……やめろ‼」

 かすれた声しか出ない、が、声の限り叫ぶ、しかし。


 ニイィッと紅い唇は凄惨な笑みを浮かべる。

 しかし暗黒と炎の眼からは血の涙が流れる。

 左手は頭上へ上がり、その黒く鋭い角の付け根を己の額へ向けた。


「やめろおおお!」

 漆黒の角はイルビスの魂に食い込むように見えた。

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