二十四話 カムイと巫女と口づけと




 甘い匂いが漂っている。

 お香のような、しかしそれだけではない、何かわずかに淫靡な物質を含むような甘さの匂いに感じる。


 足の裏に伝わる感覚は滑らかな石の床のようだ、前方へごく緩く下る傾斜になっている気がする。

 カツ、カツとオレとアリーシアの足音が聞こえる、が、足音が反響してくるような感じはない、それなりに広い空間のようだ。


 目隠しでグルグル巻きになってるので視覚の情報がない、視覚が封じられると他が鋭敏になるという。

 それは本当なのだろう、聴覚も嗅覚も鋭敏になってるように思う、が、それ以上にオレの右腕の触覚は超鋭敏になっている。


 というのも、扉が閉まった途端にアリーシアは引いてた手を離し、オレの右腕に腕を絡めて歩きだしたのだ、絡めるというよりは抱き締めるに近い感じで、当然二の腕にはこれでもか、といわんばかりに柔らかい何かが当たる感覚がある。


 アリーシアの性格もかなり把握してきているオレは、この柔らかい感覚は意図した上での行動だと断じた、しかし理由が判然としない。

 不安からなのか、からかっているのか、それとも他に……


「アリーシア、このカムイってどのくらいの広さなんだ?」

 黙ってると間が持たないので、とりあえず何か質問することにした。

「はい、直径百メートルほどの円形ドームになってます」

「百……でかいな……」


「中央に三メートルほどの次元の穴があり、その周りに八人の巫女が常駐して結界を護っています、側には私の住居兼交代の巫女たちがすごす建物もあります」

「なるほど、巫女さんは八人で一チームの交代制かあ、結構な人数なんだな、ところで巫女さんってどんな衣装なんだ? オレの国にも巫女さんっているけど、結構人気あってさー、こっちではやっぱり洋風のローブか何かなのかねえ?」


「…………」

 あれ? アリーシアが急に黙っちゃったな、何かマズいこと聞いたんだろうか、ん? オレの右腕を抱きしめる力が少し強くなったが……

「タクヤさん……目隠しちゃんとされてますよね? 隙間から見えてるとかはないですよね?」

 なんだか少し低いトーンで妙に念入りに聞かれる。


「ああ……もちろん真っ暗闇だけど、どうかしたのか?」

「……ここの巫女たちは……薄い羽衣を肩からかけてます……」

「へー、じゃあ中国風とかかなあ、それとも和装に近いのかな?」

「いえ……羽衣だけ……です……」

「え……だけって……」

「はい……だけ……です」

 ここで、与えられた情報から類推される映像が頭の中で完成する、スゴい画ができた。


 そしてオレがそういう作業を行っているだろうと、見抜けないアリーシアではない、さらに強くオレの腕を抱きしめて。

「タクヤさんっ、変な気をおこしちゃダメですよっ! 絶対目隠しはとらないでくださいねっ!」

 なるほど、そういう意味でしっかりしがみついてたのか……


 オレは自身の名誉のために、断固としてこの理不尽な物言いにクレームをつけねばならない、なんせさっきアリーシアナイトだの枢機卿だのになったのである、プライドを護らなければならない立場になったのだ。

 アリーシア、よくお聞き、と話しだそうと口を開いたそのとき。


 ペタペタペタペタッと足音が近づいてきた、裸足のようである。

「お姉さまっ! お待ちしておりましたっ」

 オレと同年代くらいだろうか、若い女の子の声だ、巫女……なんだよな? ……しかし今、『お姉さま』って……確かに言ってたな……

「これっイチア!」

 アリーシアが小声でたしなめている。


「あ……ハイッ、アリーシアさま、ごめんなさ~い」

 テヘッってやってるのが見えなくてもわかる、と、またペタペタペタッと小走りにやってくる足音が二、三人分ほど、イチアと呼ばれた女の子と合流したようだ。

 口々に「お待ちしてました」やら「お姉……じゃない、アリーシアさま!」などと言い、アリーシアはカムイの中では、全体的にお姉さまと呼ばれてるらしいことを暴露する、右腕にアリーシアがガックリするのが伝わってきた。

「みんな、きょうはよろしくね」

 アリーシアが、ちょっとため息混じりに優しく言う。

「ハイッ!」

 揃った元気な返事である。


「あ……あの……」

 巫女の一人がおずおずと聞いてくる。

「そちらのかたが……タクヤ様……ですか?」

 そりゃあいろいろ聞きたいだろうな、アリーシアが男の腕に胸を押し付けて抱きついてる姿なんて、見たことないだろうしな……

「見えてません……よね?」

 また別の巫女が聞く、多分に恥じらいを含んだ声だ、これも見えなくともわかる、手や腕で前を隠しながらモジモジしてるな絶対……改めて考えると、薄い羽衣一枚のほぼ全裸の女の子がオレの前に数人、恥じらいながら並んでるのか……これはまた……なんという……


「タクヤさん、鼻の下、おもいっきり伸びてます」

 イメージ画像で脳内がいっぱいのオレの心臓に、アリーシアの冷たい声が突き刺さった。

 しまった、これじゃあ名誉だのプライドだのなんて言えねぇ……


 キャッキャッとかしましい中、再び歩き出す。

「アリーシアさまとタクヤ様って、お付き合いされてるんですかぁ?」

 などという、危うく吹きそうな質問に。

「さあ、どうでしょうか、うふふ」

 と、アリーシアがさらりと返す、この男は危ないから押さえてるのよ、なんてこと言わない優しさはあるようだ。


 他愛のない会話が続き、それを聞きながら思う、アリーシアはこの場所を本当に大事にしてるんだなと、長久の年月に渡り結界を張り続けてきた、歴代の巫女たちに感じている自責の念は、オレなんかにはとてもじゃないが量り知れないだろう。

「終わらせなきゃな」

 中心部についたのだろう、歩みが止まったときにボソッとつぶやいたオレの言葉が聞こえたのか、アリーシアはまたオレの腕にギュッと抱きつく。


「タクヤさん、それでは説明いたします」

 周りがザワザワしだした、打ち合わせ通りに準備を開始してるといった雰囲気だ。

 結構な人数のほぼ全裸の女の子たちが、オレの近くを、あちこちプリンプリンさせながら走り回ってる音がする、しかしそのイメージを振り払い、アリーシアの説明に集中すべく努力する、ものすごい試練である。


「これより結界を解き、封印を取り払います」

「そして封印を除いた後、次元の穴の縁を結界にて動かないように固定します」

「それは開けっ放しにするということなのか?」

「はい、その通りです、こちらとつながっている状態にするのが目的です」

「つながっている……そうか……むこうでも精霊が呼べるように……」

「はい、穴から離れすぎると、精霊にとって大変危険ではありますが……」

「イルビスが穴を塞ぐかもしれないと?」

「こんなことは考えたくもありませんが……穴を塞がれて時間が経つと、実体を維持する力を失った精霊は、拡散して消滅してしまいます……」

「そうか……まあ、精霊を呼ばなきゃならない状態にはしたくないものだな、そうならないように頑張るよ」

「タクヤさん……すみません……私があなたを巻き込んでしまって……こんなことまで……」


「アリーシア」

 今のアリーシアの目には涙が浮かんでいるだろう、顔すら見ることもできないので、胸を張って真っ直ぐ立つ。

「それを気に病んでいるのはお前だけだ、オレはそんなこと微塵も思っちゃいない、オレは自分から進んで、アリーシアとイルビスとシグザールを助けに行きたいと言ったんだ」

「タクヤさん……」

「だからアリーシアは自分のすべきことに集中しろ」

「私の……すべきこと……」

「そうだ、アリーシアのすべきこと……自分自身のことも含めて、イルビスとシグザールの全てを赦すことだ、そして赦されることだ」

「簡単なことじゃないのはわかっている、でもあの時、震えて泣きながら二人を赦すと言ったお前の言葉を……オレは信じている、だから大丈夫だ」


 オレが言い終わると右腕からアリーシアがスッと消える。

「?」と、なっていると、急に首に両腕が回されて正面からアリーシアが抱きついてきた。

「うおっ? ア、アリーシア?」

 周りから女の子たちの「きゃ~!」だの「わぁ~!」という声が聞こえる、恋人同士のハグのように見えちゃってるのか?


 その次の瞬間、グイッとオレの首にまわるアリーシアの腕に力が入る、なので自然と少し背を曲げてうつむく姿勢になる。

 すると柔らかい感触がオレの唇に触れた。

 周囲が息をのむ気配。


 シーンと静まり返る中で、柔らかい感触はオレの唇をチュ~ッと吸う。

 そしてチュパッと音をたてて離れていく、かなり濃厚な女神の祝福であるようだ。

「キャ~~~ッ‼」と、艶気を含んだ歓声と悲鳴が混ざった波が湧き起こる中で。

「タクヤさん大好きっ」

 と、抱きついたままのアリーシアに言われる、クラクラして何が何だかわからなくなっているが。

「しょ、しょんな急に言われてもオレ……」

 やっとの思いでこれだけ言えた、しかし。

「あら、私、二千二百年以上前から言ってますよ、うふっ」

 と言われて、ちびっ子アリーシアの言葉を思い出す、やられた……

「でもローサさんには内緒ですね、おこられちゃいますっ」

 さすが愛の冠をいただく女神様だ、敵わない。


「お姉さま……じゃなかった、アリーシアさま! 準備が整いましたっ」

 イチアと呼ばれてた娘の声のようだ、イチャイチャしてる最中にすんませんね、というニュアンスが多分に含まれている声であった。

「わかりました、ありがとう」

 もうっ、という感じでアリーシアも返す、まあそれは『お姉さま』に対してだとは思うのであるが。


 それからは粛々と事は進んだ、とはいっても結界や封印の解除なんて、目隠しされてると何をやってるんだかすらさっぱりわからない。

 唯一わかったのは、封印が取り払われて次元の狭間とつながったとき、確かにあの世界の匂いがした、封じられて時が止まったような世界の孤独な匂いだった。


「タクヤさん、準備は全て終了しました、あとは私たちが出発するのみです」

 封印解除と再結界のために、中心部へ行っていたアリーシアが戻ってきて言った。

「よっし! じゃあ行こうか!」

 決死の地へ向かう悲壮感なんて絶対に願い下げである、ここは自分に期待した通りの軽くて明るい声が出た。


 腕を引いてもらい穴の縁へ立つ、視覚が封じられてると、飛び込むという行為への恐怖感は半端じゃなく倍増するのがわかった、だが目隠しを取るなどという提案ができるわけもない。

 オレ、ちゃんと飛び込めるかな……

「縁まで二十センチほどです、合図で一緒に五十センチほど前へ飛んでください」

 オレの緊張が伝わったか、アリーシアが的確に状況を伝えてくれる、イメージがはっきりできると恐怖感は多少薄れていく。


「みんなー、いってきますねー」

 オレの右腕をしっかりと抱きしめたアリーシアが、周囲に言っている。

 「いってらっしゃいませー」「ご無事でお帰りくださいー」と周りからたくさん声がかかる。

「それじゃあ、イチア、あとはお願いしますね」

「はいっ、お姉さまどうかご無事で……」

 みんな心からアリーシアの心配をしているのが、ひしひしと伝わってくる。

 

「これは無事に連れ帰らないと、タダじゃすまないな……」

 ボヤくように言うオレの言葉に。

「え?」

「いやー、みんなの『お姉さま』をさ」

 ちょっとからかう口調、途端に。

「あ、いてっ!」

 右腕を抱きしめたまま指先でつねったのだろう、そしてすぐにグイッと強く引かれる、足が地を離れた。

「もうっ!」

 プンプンしているアリーシアの声、そして浮遊感と続いて落下の感覚。


 二人は次元の狭間、シグザール城へと向かう。


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