二十一話 汗と嗚咽と言の葉と
アリーシアに身体を返したあと、オレはぶっ倒れたらしい。
あとで聞いたところによると、一日半ほど眠り続けていたようだ。
生身の身体のただの人間が、次元やら時間やらを行ったり来たりしたのだ、無理もかかるというものである。
やっと目を覚ましたとき、ベッドの傍らにはローサがついていてくれた、まあベッドに突っ伏して寝てはいたが。
ずっとついていてくれたみたいだな……
明るい栗色の髪がかかる頬をそっと撫でると、まぶたがピクッと動きゆっくり目を開ける。
ぽーっとした顔でこちらを見るや、はっと覚醒し、すぐオレの首に腕を回し抱きついてきた。
ベッドの上で横抱きのかたちでローサを抱きしめる。
「ばかっ、心配ばっかさせてっ」
「ごめん、ほんとごめんな」
ローサの気持ちが伝わってくる、しばらく無言で抱きしめ合った。
やがてローサは腕をゆるめて。
「熱がでてたよ、だいじょうぶ? 具合はどお?」
「そうなのか……いや、ちょっとダルいくらいで平気みたいだ……ん?」
上半身が裸なのは起きたとき気がついた、それはまあいい。
なんか違和感を感じて、布団の中の自分の身体を探る。
「あれ? ちょ……あ……なにもはいてない……え? なんで?」
自分で脱いだ記憶はない、ということは誰かが脱がせたはずだが……
ローサを見ると、視線を泳がせてちょっと赤くなってる。
「あ……あの?」
オレが訊くと、さらに赤くなったローサが話す。
「熱がでてね、すっごく汗をかいてたから、タオルを絞って……全部拭いたの……」
「全部って……全部?」
コクリと頷く。
「アリーシアもサマサも自分がやるって言いだすから、絶対ダメって、私が……」
言葉の最後のほうは消え入りそうになっていた。
「そ、そうだったのか……いろいろ面倒かけちゃったみたいだな、すまない……」
「面倒なんかじゃないよ、してあげたいって思ったんだもん」
オレはつくづく果報者である。
「そうか……ありがとな」
頭を撫でて、そのまま額に軽くキスする。
ローサはンフッと笑い、またギュッと首に抱きついてきた。
そしてそのまま訊いてくる。
「ねえタクヤ」
「ん?」
「……溜まってるの?」
「ブッ⁉」
突然の言葉に噴く、ほんとに予測のつかないヤツだ。
「た……な、な、なんで?」
「タクヤの……拭いてたら……すっごいことになっちゃって……」
「ちょっ! まちなさい! 生々しいからっ! ダメッ! それに……」
ここで言葉を切り、オレは部屋の入口ドアを指さす。
「?」となるローサにアゴで開けてみろと合図する。
意図を察したのか、ローサはそーっとドアに近づき……素早くバッ! と引き開けた。
「キャッ!」「ヒャッ!」と短い悲鳴と一緒に二つの影がドサッと部屋の入口の床に現れる。
「あ、あははは……」
サマサが笑う、アリーシアもあら~という笑顔だ。
オレは構わずに。
「二人とも、心配かけてごめんな」
「あと、腹が減ったんで食事の用意お願いできるかな?」
そう言うと、逃げる口実ができたサマサが即答する。
「ハイッ! すぐ作りますね!」
バタバタと走り去る。
「あ、私も手伝います!」
続いてアリーシアも逃げた。
もうっ、という感じでため息をつくローサ、そしてオレと目が合う。
「ふふふっ」「はははっ」
帰ってきたって実感が湧いてきた。
こちら側では、オレが消えてから戻るまで、四日ほどが経過していたようだ。
オレがシグザールの居城で過ごしたのは、体感で二日くらいだと思うので、やはり時間の経過がかなり狂っているのだろう、まあ次元の狭間なんて所だから、オレの常識なんかは通用しないのも当然か。
そんな場所から無事戻ってこれたのもシグザールのおかげであった、その願いに応えるためにもオレの役目は、まずアリーシアに全て話すことであった。
全てを話し、決めなければならない。
アリーシアが皆にも聞いてほしいと言ったので、ローサとサマサも同席して聞くことになった、キッチン横のダイニングテーブルを皆で囲む。
今までアリーシアはイルビスの名は極力出さないようにしてきた、というのは今回の件で分かったことであるが、オレが拉致されたことで覚悟を決めたらしい、アリーシア自らイルビスの存在をローサとサマサに前置きとして説明した。
そしてオレは次元の狭間での話を始めていく。
イルビスの呼ぶ声に誘い出されて、シグザールの居城へ連れていかれたことから始まり、彼女の話した魔王が生まれるまでの話、魔王の人としての最後の言葉、城を回廊の入口前に据えた翌日に死んだこと……
アリーシアがどこまで知っていたかはオレには分からない、だが話の途中でアリーシアは顔を掌で覆い、やがて必死で嗚咽をこらえはじめる、オレはそれを見止めながらあえて続けていく。
イルビスに魔王の亡骸を見せられたこと、しかしその精神はアウルラのもとへ向かおうとせず、その場に留まりつづけているということ。
イルビスはその原因が、アリーシアへの罪の意識と、物質界への憎悪の二つのせいだと思い込んでおり、シグザールの精神を開放するために、アリーシアと物質界両方を消滅させようとしているということ……
それから、オレがシグザールと会い、彼に心を託された話へと移る。
時間すら超えてオレに幼きアリーシアを救わせ、そしてその出会いが未来にもう一度彼女を救う鍵となるよう運命づけたこと、その後オレとアリーシアの身体を城から脱出させたこと。
アリーシアは椅子に座りながらうなだれていた、黄金の髪がその表情を隠していて見えてはいない、が、小刻みに震える身体が全てを語っている。
ひとしきり話したあと、オレの言葉は更に核心へと向かっていく。
「アリーシア、イルビスは……シグザールを愛した」
「……はい」
深い哀しみのこもった、か細く震える言葉が返ってくる。
「イルビスは、アリーシアへ向けられるシグザールの想いを、羨み妬んだ……」
「もちろんそんな自分を許せなかった、けどそれでも想いは止められなかった、それを自分で罪だと言っていた」
「だけどイルビスはそれほどの想いがどうしても……アリーシアを愛するシグザールには届かないと感じたんだ、そこから少しづつ狂気が生まれていった」
「そしてとうとう最後に、アリーシアを裏切り傷つけてでも……シグザールの願う、国を救いたいという想いを叶えるという選択をしてしまったんだ」
「イルビスはそんな自分を呪った、だから魔に堕ちた……」
アリーシアの姿は深くうなだれ、今にも崩れ落ちそうに見える、背中が波打ち、嗚咽も隠しきれずに漏れはじめてきた。
オレは椅子から立ち、アリーシアのほうを向いた。
うっうっ……とむせび泣く姿に折れないでくれ、と祈りながら呼ぶ。
「アリーシア」
アリーシアは必死で返事をする。
「ひっ……ぐっ……は……い……」
「二人を……シグザールとイルビスを……」
「二人が罪と思い、自分を縛る全てを……」
「お前は赦してやれるか?」
オレのこの言葉を聞き、アリーシアの頭がわずかにピクッと上がる。
深くうなだれていた上体が徐々に起き上がり、嗚咽を必死にこらえ、オレのほうを向きはじめる。
「う……ぐっ……ひっ…ぐ」
こらえても止まらないしゃくり上げの声もかまわず、顔をあげ立ち上がると、目元は赤くなり涙でぐしゃぐしゃになっていた。
オレへ真正面に向き直り、背筋を伸ばしてまっすぐ立つ、ひっくひっくと止まらないが、涙で濡れ真っ赤になった目は、それでも揺るぎない意思を湛えている。
そのまま胸の前で両手を合わせ握り、しゃくり上げに苦労しながらも、アリーシアは女神としての言の葉を紡ぐ。
「わ…わた…しは……二人…を……赦し…ます!」
「赦し……ますっ!」
再び涙がぽろぽろとあふれだす。
「確かに聞いた」
「よくがんばったな、辛かったろうアリーシア」
オレが言うと間髪いれずに飛び込んでくる。
「うあああああ……」
オレの肩口に顔を押し当てて大声で泣く背を撫で、そのアリーシアの背後に続く悠久の哀しみを想いながらオレは言う。
「二千年も続いたんだ……」
「もうこの哀しみは終わらせよう、アリーシアそのまま聞いてくれ」
「オレはイルビスも救いたい、だから……もう一度行こう」
「次元の狭間のあの城へ……」
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