二十話 幼女と角とつながりと
ここ、シグザールの居城に来てから、丸二日くらいが過ぎた……ハズである。
はっきりとはわからない。
太陽が輝いたり星が瞬くべき天空には、巨大な恐ろしい渦がうねっているだけなので、今が昼なのか夜なのかの判別がつかない。
そもそも時間の経過からして狂ってるような感じがする。
動き回れば疲れは感じるし、空腹感もやってくる。
疲労感もあるので、もうしばらくすれば眠気もやってくるだろう。
だが、その感覚がやってくる速度がすごく緩慢な気がする。
水の中で走ってもなかなか進まない感覚とでもいうべきか。
そういえばイルビスも、ここでは時間は永劫だ、とか言ってたしな……
今いる客室に案内されてから、食事は一回摂っただけだった、この部屋に来てすぐにイルビスが大きなバスケットを持ってきてくれた、パンやワインから肉や果物、チーズなどが入っており、今のところそれで十分腹は満ちている。
問題なのは食事が終わってからであった。
イルビスがオレを嫐りはじめたのだ。
とはいっても押し倒されたりしたわけではない。
イルビスの嫐りは、オレを視覚のみでその気にさせようという遊びであった。
ソファーに座るオレに、寄っては引き、引いては寄り、決して過度に触れることはせずに、オレの反応を引き出して楽しむ。
実に悪趣味である、どんだけ暇なのかと思う。
だが、そういう遊びをするだけあって、イルビスは男の目を釘付けにする所作を本当によく心得ていた。
オレの横に腰掛け、背をむけて髪をまとめ上げる仕草を始める。
眩暈のするような色香の漂ううなじと背中を存分に見せつけてから、また美しい黒髪をさらりと流して隠してしまう……
それから立ち上がり、背をむけたまま軽く脚を交差させて上体を前へ深く倒す、するとドレスの布越しにピッタリと尻の形が浮かび上がってしまうのだ……
そうしたかと思うと、今度はオレの座っているすぐ横へ片足を乗せる、目の前にはドレスのスリットから真っ白い脚がすべて曝け出されている……
オレの視線が内腿を舐め上げるように移動するのを、イルビスも見られる快感を覚えながら観察しているようであった……
このような猛攻撃を結構な長時間受けたのだ、当然最後には鼻血を出して白目をむいた。
何もオレは聖人君子ではない、人並みに欲望もあるし禁欲するような柄でもない、正直言うと眼福だと思う部分もかなりあった。
だがやはり、相手が相手である。
なにもイルビスを毛嫌いしているわけではない。
むしろ見た目はとても素晴らしい、顔もスタイルも最高である、オレごときが文句を言えるレベルではもちろんない。
だが中身がヤバすぎる。
アリーシアの妹女神であり、二千年前の王国の大神官様である。
さらに魔王を誕生させた女であり、己も堕ちた身だ。
正直童貞のオレの手に負える相手ではない。
まあ、それよりなにより、初代国王陛下であり魔王であるシグザールと……その……兄弟になるのは……さすがになんとも、畏れ多いのである。
あれこれ考えを巡らせていると、少し眠くなってきた。
こういう状況下でもあることだし、眠れるときに寝ておこうと寝室へ移動する。
しかし、最初にこの部屋にきたとき、部屋の入口からチラッと見て思っていたが、いざこうやって目の当たりにすると、でかい……なんだこのベッド。
縦幅は二メートルちょっとくらいか、まあ少し大きい程度だ、が問題は横幅だ。
三メートル半はあるな……キングサイズの倍くらいか……
そういやイルビス、オレを嫐りながら「あのベッドが狭く感じるほどのことをしてやるぞ?」とか言ってたのはコレのことだったのか。
でもコレが狭く感じるって……ブレーンバスターでもする気か?
とにかく着衣や装備もそのまま寝ることにした、夜這い対策である。
ローサたち、いきなりオレが消えて心配してるかなあ、などと考えてるとゆっくりと眠気がやってくる、脱出経路探さなきゃなあ。
そこは寂しい場所だった、黒く滑らかな水面にも見える床が、見渡せるかぎり続いている。
天は闇だ、星の光の一つもない。
地はどの方向を眺めても、うすぼんやりと濃い灰色の霧がかかっていた。
夢の中だとは気付いている、現実の記憶もはっきりしている。
そして、オレはここで待っていた。
誰か? はわからない、が、伝わってくるのだ。
『悲しい』って感情と『助けてほしい』という切実な願いだ。
姿もまだ見えないのに心が伝わってくる、よっぽど強い想いなのだろう、訳もわからないのにオレは、心の底からなんとかしてやりたいと思い始めていた。
灰色の霧の中から人影が現れた、背が高い。
ゆっくりとこちらへ来る、伝わってきた想いの主であろう。
近付くにつれて姿ははっきりとしてきた。
オレの前に立ったのは……
威風堂々とした王の装束、隆々たる筋肉の腕と脚。
そして鋼の意思を感じる精悍な顔。
だが、その眼には悲しみが湛えられ、オレへ向ける表情はどこまでも深く思い悩み、助けを求めているようであった……
流れてくる想いにオレは理解する。
「やっぱり怒りや復讐なんかじゃなかったんだね……わかったよ、シグザール」
王はオレへ頷き、手に持ったものを差し出す。
オレはそれをしっかりと受け取った。
王の口が動く、言葉は聞こえなかった、が、その口ははっきりと言った。
『たのむ』
二千年の苦悩が結晶となったような想いに、オレはしっかりと頷き返す。
あのでかいベッドの上だ、目が覚めたようだ。
だが夢だったというような感覚は無い、上体を起こしそのままベッドの上に座ると、思った通りしっかりと手の中にあるものの感触を確かめる。
と、ダダダと走ってくる足音、すぐ寝室入口に目を吊り上げて真剣な表情のイルビスが現れる。
「タクヤッ! お前⁉」
その時もうオレはイルビスを見ていなかった、オレの周り……ベッドの上のオレの周りだけが黒い……水面のようだ……
ちゃぷん
イルビスの見る前で、オレは僅かな水音を残して水面の中へ消えた。
気付くと、さっき夢の中でシグザールと会った場所に似ている。
黒い水面に似た床、闇しかない空、霧に覆われた地平……
オレは手の中のものをコートのポケットにしまい、周りを見渡しながら考え始めてみる。
ここはどこなのか、次元の狭間なのか、夢の世界なのか、それとももっと別のところなのか……
オレは何をすべきか、何をしなくちゃならないのか、シグザールはオレがどう動くことを望んでいるのか……
腕組みをしながら少し考え込む、しばらく考えていると、なんとなくだが悩むだけ無駄のような気がしてきた。
よし、知りようのないことは、今は考えるのはよそう。
まず、自分で判ることから組み立てる。
オレがまずしなきゃならないこと、それは家へ帰って『アリーシア』と話すことだ。
考えた瞬間、ポッと小さな光が見えた。
本当に小さな白い光の粒、この薄暗い世界じゃなかったら気付けなかっただろう。
少し離れたその光目指して歩いていく、もう少しで届く……あと少し……
よし届いた、と思った瞬間、転移でもしたように周りの風景が変わった。
さすがにギョッとして立ち竦んだ、が、周りの様子を把握するにつれて緊張感は薄れていく。
天上から射す柔らかい光に浮かび上がる広場のようであった、あちこちに小さな白い花が群生しているのが見える。
光はかなり上から射し込んでいるらしく、まるで井戸の底へ日が射すように、広場の中心部分を円形に浮かび上がらせており、光の届かない端に行くにつれてどんどん暗くなっている。
しかしこの光は……なんて優しい光なんだ……
光から何か大きな存在に守られ、包まれているような満ち足りた安心感を味わう。
深呼吸すると心身がリフレッシュした、爽快である。
改めて辺りを見回すとオレのいる光の端とは反対側の端のほうに何かが動いているように見えた。
ゆっくり近付いて行ってみる……広場の中心ほどまで来るとようやく分かり始めてきた、どうやら白い花が一番たくさん群生しているところに誰かがいるらしい。
こんなところに……人なのか?
妙に小さいようだ、精霊? いや、精霊にしては大きい……あれは……子供か?
驚かさないようにゆっくりと近づきながら観察する、と、そのとき、子供のような姿の向こう側、光の届いていない暗い部分から、何かが湧き上がって出てくるのが見えた。
真っ黒い雲のようだ、だが生物のような質量もありそうに見える。
イヤな感じがピリッとした、危険だ! 本能が告げる、オレは咄嗟に走り出す。
「おいっ、君! あぶない! 逃げろっ!」
小さな姿に叫ぶ。
ビクッと驚いて花の群生から顔を上げるその姿は……やはり子供だ。
その向こうの黒い雲は、その子へ真っ直ぐ向かって動き出した、結構な大きさだ、色となんとなくの形で言うなら黒いライオンといった感じだろう、だが禍々しさはライオンの比どころではない、凶悪な害意すら感じる。
オレの視線を追ったか、その子も黒雲獣の方を向く、ようやく気付いたようだ、が、やはり竦んで動けないか、恐怖に固まってしまった様子であった。
間に合え! と念じつつ走る脚に力を込める、右手では短剣をスラリと抜き放つ。
ザザァッと靴底で滑りながらブレーキをかけると、子供と黒雲獣の間に入るのは成功した、が、距離がない、もう目の前だ!
考える余裕もなく黒い塊とぶつかる、というより相手がのしかかってくるような感じだ、両腕でなんとか押しとどめる、が、思ったより質量がある、重い。
「君! 下がれ! 逃げろ!」
背中の子供に叫ぶ、が、恐ろしくて竦んでいるのだろう、動く気配がない。
と、腕にヒヤッとした感触がある、コイツ、すごく冷たい! すると、同時に触れている腕の部分から細い虫が無数に蠢いているような、とんでもなく気色悪い感触がつたわってきた。
「うわわわああっ!」
さすがに悲鳴のような声が出る、途端にその声に反応したか……
グパッと音をたてて腕が接している辺りが割れた、まるで口が開いたような感じであった。
が、喰うための口ではないであろう、消化器官へ通じる穴もなければ舌のようなものも見当たらない、ただ黒い牙のずらりと並ぶ裂け目であった、つまり攻撃しようということだ!
オレの肩口へかぶりつこうとするところを左腕で遮る、首筋の急所を食い破られるよりマシだ。
次の瞬間、脳天を貫くかのような激痛が走った。
「ぐがっ、ぎゃ……」
あまりの痛みにロクな悲鳴も出ない、左手の甲から手首にかけて黒い牙が深々と食い込んでいる。
「こ……の……」
やっと怒りが湧き始めてきた、押しとどめるために使っていた右腕をスッと引くと、オレに食いつく咢の少し下を狙い、短剣を思い切り刺し込んだ、あまり強い抵抗は感じずに刃は根元まで入る。
効果ないのか? と不安がよぎる、が刺し込んだまま横に薙ぐとこれは強い手ごたえがある。
ブチブチッと細いものを斬り裂いていく感覚、食いつく咢の力がガクッと弱まった、さらに刃を返して薙ぎ払い咢の下部へダメージを与え続けると、やがてガパと咢が開きズボッと音を立ててオレの腕から牙が抜け出る、その瞬間また激痛が走った。
「ぐ……ぐ……ぐっ」
飛び出ようとする絶叫を奥歯でかみ殺す、また声に反応されたらマズイ。
少し下がった黒雲獣は、オレに薙ぎ払われた裂け目をカパカパさせながら、未練たらしく子供のほうを伺っているようだ、が、オレは短剣を構えて立ち塞がる。
僅かな間、睨み合うように互いに動かなかったが、やがてズルッズルッと黒雲獣は暗闇のほうへと引き返して行く、どうやら斬られたダメージはあるようだ、動きが遅くなっている。
戦いへの恐怖が今になって襲ってきた、激しい動悸を抑え、震えだす脚に力を込めつつ短剣をホルダーへ戻し、子供へ振り返る。
「君、光の中心のほうへ、ここはあの暗闇に近すぎる……」
声をかけながらその子を見てハッとする。
フワッとした黄金の髪と白く柔らかいトーガ、人間の子供なら五~六歳くらいか。
怯えてるのか、涙をいっぱい目に溜めて少し震えていた。
オレは片膝をついて目線を下げ、激痛をこらえて微笑む。
「怪我はないかい? もう大丈夫だよ」
「あ……あ……」
やっと恐怖の硬直から抜け出せたようだ、声が出てきた。
「うで……が……」
オレの腕の怪我を気にしてくれてるのか……
「ああ、これか、なあに、大丈夫だよ」
そうは言うが血がボタボタ出ている、小さい子にはショッキングすぎるな。
コートの袖を伸ばして隠そうとしてるところを、その子はフルフルと首を振って止め、おれの無事な右手をひいて光の中央へ連れていく。
「ここへすわってね」
光の当たる中心、あまり大きくはないが寄りかかれるくらいの木がある、言われるまま座った。
女の子が左手側に座り、一生懸命オレの左袖をまくる、血がついちゃうよ……と言いかけると首を振って言葉を遮る、この歳で口を差し挟ませない、妙な迫力みたいなものがあった。
傷口が全て露出した、オレも改めてよく見ると、手の甲は見事に貫通して大穴が開いている、手首にも表に三つ裏に二つ深々と牙の跡があり、左手指は親指以外はピクリとも動かない、血もまだ流れ続けている。
真剣な顔の女の子が小さな手を両方、傷の上へかざした。
こんな予感はあった、が、やはり目の当たりにすると感動がある。
小さな手が光を帯び始めると、最初は小さく、そして徐々に大きく、だんだん強くなる暖かい波動が波のように広がってくる。
手の光も強さを増し、その光はオレの左腕へ届いて優しく包み始めた。
暖かさも熱いほどになってきている、黒雲獣に咬まれてから強烈な寒気を感じていたが、ジーンと痺れるようなその熱に悪寒などはもう感じない。
やがて手だけでなく女の子の全身が光り始める、左腕を包む光も眩しいくらいに強さを増していく。
「血が止まった……」
見るとボタボタ落ちていた血の流れが、ぴたりと止まっていた。
この短時間での止血に驚きの声が出る、痛みもかなり和らいだようである。
が、驚くのはまだ早かった。
血が止まった腕に、かざしていた小さな手が直接触れる、すると途端に感じていた波動が段違いに強くなった、左腕を包んでいた光もどんどん強くなって広がり、それはオレの全身をも包み込み始める。
天上から射し込む光も呼応するように輝き出し、やがてオレと女の子は一つの光の球になってしまったようであった。
「ごめんなさい、おにいちゃん、わたしをまもるために……」
光の女の子が語りかけてくる。
「気にしなくていいよ、オレは守れてよかったと思ってるんだから」
「ありがとう……おにいちゃん」
「どういたしまして」
自然と微笑んでしまう。
元来話し好きなのだろう、こうなるといろいろ話し始める。
「わたしね、きょうおはなをつみにきたの」
「わたしここのおはながだいすき、とてもかわいいもの」
「じげんのはざまのここにしかさかないの」
「こんどね、わたしにいもうとができるんだって」
「いもうとにだいすきなおはなのかんむりをあげたくてきたの」
「そうか、きっと喜ぶよ、お姉ちゃんのこと大好きになってくれる」
「わあ、うれしいな、はやくあいたいな」
オレはどうしても涙を止められなかった。
「おにいちゃんのきず、わたしのいちぶでふさいだけど」
「きずがおおきくてきれいにできなかったの……ごめんね」
その言葉に見ると、なんと……塞がっている……あの大穴が……
傷跡は溶接したように引きつっているが完全に塞がっている、しかもなんと指が全て普通に動くではないか。
「すごい! こんなに治るなんて……十分すぎるくらいだよ、ありがとうな……」
「ほんと?えへへ、よかったあ」
「あとね、おにいちゃん」
「ん?」
「わたしかってに、おにいちゃんのこころのかたち、みちゃった」
「とってもきになったから、ごめんね、えへっ」
「でもおにいちゃんのこころのかたち、まるくてとってもやさしいかたち」
「わたしこのかたちだいすきっ」
「そ、そうなのか?なんか照れるな」
「うふふふ」
やがて治療のための光も消え、天上の光が注ぐもとの広場に戻っていった。
「さて、そろそろ行かなきゃだ、一人で帰れるかい?」
「うんだいじょうぶ、おにいちゃんまたあえる?」
「……ああ、きっと……な」
「わあ、うれしいな、きっとね」
「ああ、じゃあ、またな」
「うん、またね、ありがとう、やさしいおにいちゃん」
手を振る小さな姿に、オレも手を振り返す。
「またねー、やさしいおにいちゃん」
その様子が画面が遠ざかるようにスーッと小さくなり、気付くとオレは先ほどの薄暗い場所にいた。
今のでなんとなく把握した、ここは強く想った人や物のところへ行く出発点ってところであろうか、だがそれだけではない……
今の出来事……オレは時間すら超越した……何か大きな流れ、言うなれば運命みたいなものすら感じていた……これもシグザールの力なのだろうか……
オレはコートのポケットから、そのシグザールに手渡されたものを出し呟く。
「あと一回だけ寄り道させてくれ」
小さな光が煌き許可してくれたような気がする。
場所を念じると先程と同じ小さな白い光が現れた、歩いて行き手を伸ばして掴むと……次の瞬間周りが変わる。
目の前のベッドに美しい姿が横たわっていた、アリーシアの身体だ。
すぐにお姫様抱っこで抱き上げると、思っていたより軽かった、流れる金色の髪がとても綺麗である。
すぐにダンッと音がして入口にイルビスが立つ、半ば呆然とした顔をしている。
「タクヤ……お前いったい……」
それには答えずオレは言う。
「イルビス、今度はオレの家に遊びに来い、待ってるぞ」
何かを言いかけるイルビスの前で。
ちゃぷん
オレとアリーシアの身体は黒い水面に消えた。
目を開くと夜だった、空に星がたくさん瞬いている。
アリーシアの身体を草の上へ座らせて支えながら、オレは手の中のものを見る。
シグザールに渡された魔王の額の角であった。
込められた力を使い果たしたか、サラサラと崩れ風に流れてとけていく……
最後の一粒が舞いながら光って消えるのを見送り、オレは呟いた。
「待っていてくれ、シグザール……」
アリーシアの身体を抱きかかえなおして歩き始める、目の前には元ペンションの我が家があった。
「ただいまあー」
背中で扉を押し開けながら、アリーシアの身体を運び込む。
オレを心配してたのだろう、リビングに皆揃っていた。
ローサとサマサは、アリーシアの身体を見て声も出せずに固まった、手鏡はテーブルの上で、こちらとは反対のソファーのほうを向いている。
「ローサ、サマサ、ただいま、心配させちゃったな……ごめんな」
アウアウしている二人をスルーしてソファーへ向かう。
アリーシアの身体を座らせる、手鏡の前である。
鏡の中には両手で口元を押さえ、目を大きく見開いて驚くアリーシアがいた。
「アリーシア、さあ、受け取ってくれ」
皆が見守る静寂の中、ゆっくりと鏡面が光を放ち始め、それはどんどん強くなっていく。
糸のような光の流れが鏡面と身体の胸の中心をつなぎ、やがてその糸は撚り合わさるかのように強く太い流れとなりながら、身体へ向かい始めていった。
身体は光に包まれ、命が吹き込まれていくように輝きを増していく。
光の波動を受けて黄金の髪がなびき、波はさらに広がってリビングを渡り始めた。
強く輝く光は鏡面から溢れ出るように流れ、流れ込むその身体をまるで黄金の繭のように見せている。
やがて奔流が全て流れ終わり、渡る波動がおさまって、リビングの中には灯火の光が戻ってきた。
オレは少し離れて見守っている。
するとアリーシアのまぶたが動いた。
ゆっくりと目が開いていく……
自分の手を見て、確かめるように一度手を開いて握る。
そしてゆっくりとソファーから立ち上がった。
アリーシアはオレと間をあけて正面に立つ。
その視線はずっとオレの左手の傷跡にあった……
「ひさしぶりだね、アリーシア」
オレの声に少しの沈黙が流れ。
そしてぽろぽろとアリーシアの目から大きな涙の粒が落ちる。
おずおずとつま先が前に出て、最初の一歩を踏み出した次の瞬間――
タッとかけだしてオレに抱きつき肩口に顔を埋めた。
泣いている……背中が震えている。
そっと頭を撫でると……少し落ち着いてきたようだ。
そして。
「はい……」
「はい、おひさしぶりです、やさしいおにいちゃん!」
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