十七話 黒いドレスと虜囚と物語と



 呼んでいる。

 真夜中だ。

 オレは寝ていた……と思う。

 今も寝ているのかもしれないし、起きているのかもしれない。

 とにかく呼ばれている。


 頭が回らない、考えたことがすぐどこかへ消えてしまう。

 でも行かなきゃならない気がする。

 強くそう思う。


 フラフラと部屋を出て、家を出て、声を追った。

 進まなきゃならない。

 なぜだ、という疑問は出てきてもすぐ消えてしまう。

 どのくらい歩いたのかもわからない。


 林の中にいる。

 いつの間に来たのか。

 真夜中で、灯りもなく、真っ暗な闇のはずなのに。

 見える。

 大きな木の前に立つ、綺麗な人が。

 黒のドレスを着て。

 オレを呼ぶ。


 オレは来たぞ。

 あんたは誰だ。

 あんたがオレを呼んだのか。

 オレをどこかへ連れていくのか。

 その黒い扉のむこうへ。

 真夜中の暗闇よりも。


 なお暗いその扉のむこうへ……


 目が覚めた……


 というよりは、意識のスイッチがオンになったような、突然の覚醒。

 一気に頭がはっきりする。

 ここは……


 ゆっくり上半身を起こし、座りながら周りを見る。

 そこは立派な寝室のように見えた。


 壁にかかった灯火が、部屋を淡く照らし出している。

 オレはベッドの端に腰掛けてから、そのまま後ろに倒れ込んだようなかたちで寝ていたようだ。

 コートもブーツもきちんと身に着けている、普段めったに装備しない短剣すら、腰のホルダーに収まっている。

 ハナノ村の職人トリオの心がこもった短剣だ、こんなときには何より心強い。


 改めて首を巡らせ周りを見る、石造りの建物だな、でかい屋敷か、ひょっとすると城なのかもしれない。

 こんなところに連れてきてどうするつもりなのか。


 呼ばれる声に誘われて歩いたのは、霧の中の映像のようにぼんやりと記憶している。

 疑問を持ったり、警戒したりする気持ちが麻痺してるような感覚だったな、部屋を出るとき短剣を装備できたのは、本能で危機を察知できたからかもしれん。


「ほう、意外に落ち着いているな」

 寝室の入口から声がかかる。

 ハッと驚く、全然気付けなかった。


 座ったままそちらを見ると、正面の入口に影がある。

 いや、影に見えたのは黒いドレスを着た女の姿だった。

 自分の目が見開かれるのがわかる。

 なんて綺麗な人なんだ……瞬時に目を奪われてしまう。


 全身から艶めかしい雰囲気が溢れている。

 ねばりつくようなオーラを放たれている錯覚にすら陥る。

 その身を包むのは、胸元の大きく開いたイブニングドレスであった。

 余計な飾りはなく造りはシンプルすぎるのであろうが、開いた胸元はみぞおちの辺りまで切れ込みがあり、そこから覗く真っ白い肌が全ての装飾を不要にしている。

 細い身体とあまり膨らみのない胸が余計妖艶さを際立たせていた。


 オレが声もなく目を奪われていると女が歩き出す、オレが影と見間違えた最大の理由である黒く長く美しい髪が流れるように続く。

 歩を進めるたびにスリットから見える白い脚から目が離せない、まるで磁力をもっているようだ。

 部屋を斜めに横切り、壁際の酒瓶がたくさん並ぶ大きな棚の前、ハイスツールに引っ掛けるように腰を下ろす。

 女もオレをずっと見ていた、値踏みするように、何かを探るように……


「名を申せ」

「……タクヤ」

「そうかタクヤ、私はイルビス……イルビスと呼べ」

 イルビスと名乗る女は、オレが沈黙してるのを面白がっているようだ、きっとうろたえて、質問を連発する姿を予想していたのだろう。


「ふむ……わからぬ、なぜこのような者がねえさまの器になり得たのか……」

 独り言を呟くように言う。

「タクヤよ、なぜそんなに落ち着いておる? 怖くはないのか?」

 今度ははっきりと話しかけてくる。

「殺すつもりならとっくに殺しているだろう、寝ている間に拘束しないのは、抵抗しても無駄か、する必要がないからだ」


「あははははは……」

 イルビスはよっぽどおかしかったのだろう、しばらく笑うと……

「面白い、見かけよりは切れるらしい」

「だがタクヤよ、お前、まだ誰からも私のことを聞いておらぬな?」

「聞く?」

 なんの話だ?


「ふむ、聞くがいい、私の真名はアウルラ・ヴァンデ・イルビス、アウルラよりヴァンデの冠をいただく者、イルビスじゃ、お前のよく知るアリーシアの妹じゃ」

「い……妹だと? アリーシアに妹がいたのか? ……じゃあ、イルビスって女神さまなのか?」

 この質問にイルビスは少し複雑な顔をしたが、オレはそれに気付けなかった。


 妹の話にはさすがに面食らったが、同時にハッと思いつく。

「じ……じゃあ、アリーシアがどうして今、あんな姿になったままなのか、知っているのか?」

「なんじゃお前、それすら聞いておらんのか、何も知らないのと同じではないか!」

 あきれた声を出す。

 痛いところを突かれるが、そう言われてもしょうがない。


「それとなく聞いてはみたんだけど……アリーシアは昔のこととか、魔王とか、封印の話題になると、すごく悲しそうな顔になって聞けないんだよな……」

 オレの言葉に今度はイルビスがハッとなる。


「なるほど……そうか、わかった……よし、よかろう、私が話してやろう」

 ハイスツールに腰掛け直し脚を組む、白い脚が腿まで露わになる、面白そうにオレの反応を伺いながらイルビスは話し始めた。


「まずはこの世界についてじゃ、アウルラの説明は受けておるか? じゃろうな、ねえさまはこういう説明は苦手じゃった」

 首を振って答えるオレに、イルビスは少し寂しそうに言った。

「まあ、物質界からきたお前には全てを理解しろと言っても無理な話じゃ、アウルラのことは生命の根源とか光の神とでも思っておけ」

「あ……ああ」

 イルビスも得意ではないんだなと思いながら返事する。


「全ての生命はアウルラから生まれアウルラへ還る、それがこの精神界じゃ」

「精神界? じゃあ物質界は?」

「物質界は……地獄じゃ」

「じ……」

 言葉が出なかった。


「二千年余り前に回廊が捻じ切られてから、物質界の生命はアウルラへ還ることができん、浄化されず、物質界をグルグル巡るだけじゃ」

「え……二千? 回廊?」

「まあ黙って聞いておれ」


「浄化機能が無ければ澱むのは当然、己が救いを求めているときに他人を気遣うのが難しいのと同じで、全てが利己の方向へ傾いていく」

「争うのが当然になり、騙し、奪い、隠し、他人と己を比較するのに終始する」

「お前がいた世界はそうではなかったか?」

「あ……」


「生命がアウルラを求めておるが故、本能的にネットワークなるものを、エサを求める粘菌のように拡げておるようじゃの」

「ネットを知ってるのか……どうして」

「私は裂け目を覗く力があるでの」

 ふふ……と笑いながら言う。


 あまりの話に理解が追いついていかない、物質界にまで及ぶ話だったのか……

「話がそれたの、もとに戻すぞ」

「肉の身を持って生まれる人間をはじめとする生命体とは別の存在として、精霊と女神がおる」

「精霊は肉の身を持たず、通常はアウルラ近くにおり、必要な時だけこちらへ現れる」

「女神は己の力で身体を構築し、その中に精神が入り人間と大差ない行動ができる」

「精神だけの存在では、こちらに長くいるだけで拡散してしまうでな、要は入れ物が必要ということじゃ」


「入れ物……ということは、アリーシアがあの状態を続けてるのはもしかして……」

「なんじゃ? 言うてみい?」

 イルビスは楽しそうに言う。

「アリーシアの身体が、精神が戻っていける状態にはないってことなのか?」

 ニイッと紅い唇が笑う。


「アリーシアは魔王にさらわれたって言ってた……アリーシアの身体は魔王のところで封じられているのか?」

「よいのう……」

「……え?」

「よい……よいぞタクヤ、私は理解の早い男が大好きじゃ!」

 よほど楽しいのか、イルビスの白い顔は少し紅潮しているようだった。


「お前になら話してやってもよいのう」

「少し長い話にはなるが、なに、ここでは時間は永劫じゃ」

「タクヤよ、聞きたくはないか?」


「アリーシア聖導王国なる国ができたときの話を」

「ねえさまと共に国を作った王の話を」


「この世界に魔王が生まれたときの話を!」


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