六話 お迎えと朝霧の別れとゲロゲロと
今、追いかけられている。
なんかヌラヌラ光ってて、カエルみたいな顔してるけど体は大トカゲ、でも四本の足は長くて結構な速さでピタピタ追ってくる。
体長は二メートル超くらいか、体中粘液で光っていて、足を動かすたびに周りに飛び散っている。
平たい顔の両脇にポツンと付いた、小さく丸く真っ黒い眼が無感情にずっとこっちを見ていて、こんなのと目があったら誰でもこう叫ぶだろう。
「うわああぁ! きもちわるうううぅいぃ‼」
悪口を言われたのを察したのか、クレームをいれるが如くヤツが呻き声を発する。
「グゴゴゥロゥロウロロオオ」
粘液でネチャネチャ糸を引いている赤黒い口の中を見てしまった、オエッとなるのをこらえて。
「ローサさん、追いつかれちゃうよおおぉ!」
オレが馬車のキャビンから後方を眺め、追ってくるヤツの様子を見つつ叫ぶと、前方の御者台で二頭の馬によく似た動物を必死で操る、ローサと呼ばれた女の人がやはり必死な声で応える。
「これで全速力なのですぅ! これ以上は無理ィ!」
うっカワイイ……半泣きのような声に、こんな時なのにちょっとドキッとするが、そんなこと言ってる場合じゃない、ヤツはピタピタ迫ってきている。
「ローサさん、あれなに⁉ オレたちを食おうとしてるのっ?」
「あ、あれはガエルですっ! 雑食で、なんでも飲み込もうとする貪欲なやつです!」
「ガエル⁉ カエルじゃなくて? いや、たしかにカエルには見えん……ひぃぃ、やっぱりあっちのほうが速い、このままじゃ追いつかれるっ」
じわじわと距離が詰まって、差はもう十メートルを切っている、オレの身長を遥かに超える大きさの、グロテスクな生物に実際に追いかけられると恐怖感は半端じゃない。
「ローサさん、騎士だよね……? 剣でなんとか……できない?」
できるならとっくにやってるだろうから、無理なんだろうなぁと思いつつ、騎士のプライドを傷つけないように、遠慮気味に聞いてみると。
「ぅわわわ、私はああいうヌルヌルしたのだけはダメなのですぅ」
案の定、顔からサーッと血の気が引いて身を縮め、プルプル震えながら言われた。
馬というよりは、耳の長いロバに近い感じの動物二頭が曳く馬車のスピードは、追いかけられる前は、ポックラ……ポックラ……で、追われ始めてからは、ポクポクポクポク……正直自分の足で走ったほうがずっと早いっ。
が、それはできない、仮にオレが馬車を追い越してスタコラ走って逃げたとしよう、ローサさんの面目丸つぶれだよね……男としてそれだけはやっちゃいけない。
旅目的なので略装だが、凛々しい騎士服をまとったローサさんと、王国の紋章の入った立派な馬車。
王都からオレを迎えにきてくれたのである。
一か月ほど前。
「ハナノ村~、火の精霊使いにして~製造マイスターにして~投資家~、タクヤ殿!」
音楽室の壁に貼ってある絵の中の音楽家に似た、横にクルクルした髪型の人をオレは初めてリアルで見た。
クルクルさんは巻いた紙を両手で縦に広げて前にかざし、朗々と文面を読み上げている、いわゆるメッセンジャーってやつなんだろうな。
ジュリアさんがチームに参入してから一年ほどが過ぎ、製品のラインナップも増えて、王都でのタクヤブランドもそれなりにその知名度を増してきていた。
なので製造マイスターというのはそのことだろう、問題は投資家と言われたことであった。
思い当たるのは一つ、ブーツがヒットしてそのあと参入してすぐのジュリアさんに、オレが作った飾り指輪を改良したものを量産してもらうことになった。
それもまたヒットし、結構な額の資金ができたので設備投資の運びとなったのである。
まず皮加工に水が必要とのことで、自前の井戸を掘ることにした。
場所を選定してると、ファイがここを掘れと指さすので、火の精霊に水のことがわかるのか……? とは思ったが、言うとおりに井戸掘り業者に掘らせたところ、なんと温泉が出た。
そこで、まあ村のためにもなるしと思い、しっかりとした浴場施設を作ったのだが、それを聞きつけた近隣から、果ては噂を聞いて王都からも客が来る始末。
宿泊施設も作らざるを得なくなり、ヤケクソでタクヤブランド直売お土産店も作ってしまった。
投資額はあっという間に回収できたし利益も上がり続けている、タオじいちゃんは温泉を気に入って毎日通ってるし、村も潤うのでまあよかった、ということで投資家っていうのはこのことなんだろうなと推測した。
クルクルさんのメッセージは続く。
「タクヤ殿に~王立アカデミーへの~参集を通達するものである!」
「迎えの者が~一か月後に参るので~つつがなく準備されたし!」
「以上!」というとクルクルさんはクルッと振り返り乗ってきた馬で帰っていく。
……???
当然訳が分からない、工房前の村の広場でチームの四人と談笑してたときの、いきなりの出来事である。
露店のおばちゃんに貰った直角バナナを手にしたオレも、職人トリオも皆呆然としていた、そこへ。
「すっごいじゃないですかっ! タクヤくんっ‼」
横手に停まっていた荷馬車の陰から走り寄ってくる、おサルさんじゃなかったバザルさん。
こういうときには非常に頼りになる、なんといったって王都と村を年中行き来しているのだし、貴族にも顔が利くほどだ、特にオレたちの商品を扱ってからは、上級貴族にすらパイプができたと喜んでいたくらいだ、事情通である。
バザルさんは王立アカデミーの説明をしてくれた。
まず、この国は『アリーシア聖導王国』という、初めて聞いたぞ……
んで王都が首都、城塞都市というわけだ。
王都の王城には当然王様がいる、事実上のトップだ、んでその下に貴族院と王国議会ってのがあって、国政を取り仕切る最高機関だ。
その王国議会の傘下に王立アカデミーがある、同列に王国軍を率いる王国騎士団もあるそうな。
アカデミーなんていうからオレはてっきり学校的なものかと思ったが、それは大きな間違いであり、常に国中から有能な人材を集めるべく公募したり、噂を聞けばスカウトに行ったりと、人材育成の意味も込めての理念からきた名称らしい。
その活動は国を支えるものとすら言えるそうで、技術製造・経済・農業・芸術など分野ごとの学部に枝分かれしていて、それぞれがそのまま国内で実働している、いわゆるギルドの集合体のような組織らしい。
唯一、アカデミーに属しているとはいえ例外的な存在なのが精霊学部で、これは教会に直結しているためだという。
今の国王様の名前は『トムⅠ世』という、シンプルでとてもいい。
ならばトム王国では? と思うのだが違うのである『アリーシア聖導王国』なのだ。
由来は伝説にまで遡るそうで、女神アリーシアの導きにより建てられたといういわれがあるようだ、んでそのアリーシア様を祀るのが教会というわけである、権威がないわけがなかった。
そういやハナノ村にも教会あるもんな、入ったことなかったけど……
「それでタクヤくん、私、途中からしか聞こえなかったんですが、どこの学部から誘われたんです? やっぱり精霊学部?」
バザルさんに聞かれたが「?」である、そんなこと言ってたっけ?
「ほら、最初に名前言われる前に、~のとか言われませんでした? 二つ名みたいに」
ああ、そういえば……
「えーと、火の精霊使いとか言ってたな……」
「あーやっぱり、じゃあ精霊学部ですねえ、さすがは……」
とバザルさんの言葉の途中ではあったが。
「あと、製造マイスター……」
「え……?」
バザルさん、ぴたりと止まる。
「それから投資家って言ってた」
「み、三つもですか?」
ウンと頷く。
バザルさん言葉が出てこない……
「…………」
「あ、これ食べます?」
なんか話をせねば、と、ずっと持っていた直角バナナを差し出すと。
「あ、いいの?」
ちょっと嬉しそうだ、やっぱりバナナがよく似合う。
それから一か月は、輪をかけて忙しい日々になった。
どうやらオレに断るという選択肢は無いようで、断わろうものなら王都の権威による圧力で、ハナノ村全体に迷惑がかかってしまうようだった。
アカデミーでどうなるかはわからないが、もしかすると年単位で村には戻れない可能性もあるということで、これからの製品の計画書を作成し、チーム内にしっかり伝え、オレが長期間留守にしていても大丈夫な用意をしておかなければならない。
旅というか、なんか単身赴任のお父さんの気分で、出発の準備も進めなくてはならなかった。
一か月はあっという間に過ぎていく。
迎えの人の到着を教えられ、工房の外へ出ると……
工房前の広場には立派な二頭立ての馬車と、旅用のフードローブを身に着けたさほど背の高くない姿が一人。
オレは前に進み出て。
「遠いところをお疲れさまでした、ハナノ村のタクヤです」
と告げる、するとローブが中から動き、その合わせ目から隠れていた腕が現れる。
その手でローブが払われると、白を基調としたシンプルだが優雅な騎士服が現れ、次いでフードが後ろへと流れて下がった。
へえー……オレの正面に立ったのはオレと同年代に見える女の子だった。
「王国騎士団、第一騎士団所属ローサです、王立アカデミーの依頼によりハナノ村のタクヤ殿をお迎えに上がりました」
一礼すると明るい栗色のショートヘアーがサラッと揺れる、たぶんオレ、今ちょっと赤くなってる……ハッと気を取り直してローサさんへ。
「温泉宿に部屋を用意しました、とりあえず今日はのんびり旅の疲れを癒してください、後ほどこれからの打ち合わせをしに、そちらへ行きますので……」
温泉宿と聞くと途端に顔がパアッと明るくなる、楽しみだったんだな……カワイイ。
夕刻、頃合いを見計らって宿へ向かうと、ローサさんはもう温泉を堪能したようであった、部屋に備えてある客に大好評の、ジャパニーズ浴衣を着てホカホカになっていた。
失礼します、と声をかけ部屋に入ると、ホニャ~という顔をして壁にもたれて座っている姿をササッと改める。
微笑ましいので笑いながら、お湯はいかがでしたか? と聞くと。
「素晴らしい! この温泉をタクヤ殿が作ったというのは本当ですか? 最高に素晴らしいっ、まるで天国のようです……」
ずいぶん気に入ってくれたようだ、騎士団って普段肩がこる生活してるのかな……などと思いながらも、喜んでもらえるとやっぱり嬉しいものである。
「気に入ってもらえてよかった、田舎なので質素なものですが、すぐお食事も運ばせますね、お酒も付けましょうか?」
オレが言うなり、ふわぁ……お前は神か? という顔をするローサさんにちょっと引き気味になりながらも、出発について尋ねてみる。
「実は到着期限がありまして、今日から十日後までにアカデミーに着かなければなりません」
なるほど十日か。
「まあ私の馬車は、急げば五日で着きますので、まだまだ余裕です」
ニッコリと笑って言うが、もう数日温泉を堪能したいという欲望が透けて見えている。
「では、明後日の朝に出発ということでよろしいでしょうか?」
この人相手にギリギリはまずい、という直感が働き余裕をもった提案をすると。
「そうですねぇーではそういたしましょうかぁ」
今度は明らかに不満げな声だ、この人は……
「あ、えーとそれから……」
ローサさんが何か言おうとする。
「えーと……」
「…………」
「?」と、なりながら待っているオレに。
「いや、なんでもなかったです、失礼しました」
ニャハハと笑ってごまかしている。
なんだかよくわからない人だなあ……と思いながらも、では出発までごゆっくり、と挨拶をして宿を後にした。
出発の朝は霧がでていた、タオじーちゃん、ヤヨイばあちゃん、リイサちゃんとは家の前でのお別れだ、広場まで行って見送ると言われたが、辛くなるからと家の前にしたのである。
ぺったり張り付いてニャーと泣き続けるリイサちゃんを、広場まで連れていくことはさすがにできなかった。
リイサちゃんの両親は一度帰ってはきたが、またすぐ商売で行かなければならないと出ていった、なので別れには余計敏感になっているのだろう、その気持ちを慮ると余計に辛くなってしまう。
頭を撫でて、頑張ってなるべく早く帰ってくると約束するとやっと離れて、お守りといってファイの形の人形をくれた、もう胸がいっぱいで、ありがとうと震えた声で言うことしかできなかった……
見送り手を振る姿を、すぐに包んでくれた霧に感謝しながら広場へと向かう。
ローサさんは馬車の準備もすっかり整っているようだった、周りに職人トリオとバザルさん夫婦、コロナさんや村長さんまで来てくれている。
早朝なのにありがとう、と皆に言うと。
「タクヤ、これを持っていけ」
ジュリアさんが短剣を渡してくれる。
「今までの中で最高傑作だ、先日やっと完成した」
「柄と鞘は私だよ」
とウッディーさん。
「ベルトとホルダーは当然私だ」
とキャメルさん。
ニッと口元で笑いながら無言で受け取り、ベルトを腰に巻く。
ホルダーの位置もそこに差し込まれている剣のバランスも、オレ以外の誰にもこんなにフィットしないであろう。
ニッとしていた口元が震えてしまう。
オレはみんなにクルッと背を向けた。
ズッ……スンとすすりあげる音と、タクヤ早く帰ってこいよ……と震えるジュリアさんの声が背中に当たる。
「みんな! オレのいない間! 留守をたのむ!」
振り返らず背後へ、大きな声でオレは喚いた。
「じゃあ、いってくる‼」
後ろは見ない、そのまま馬車へ乗り込む。
出発は泣かないと決めた、なので涙は出ていない。
だが変な汁で顔中ぐちゃぐちゃにはなっていた。
馬車は走り出す。
別れの余韻が引いてきたのは昼をすぎての頃だった。
もうとっくにオレの知る土地を抜け、見たことのない風景が広がっている。
やがて街道は川沿いを走る道になった、河原が横に広がり涼し気な水の音が聴こえ、川の水と水辺の匂いがしてくると、胸が一杯であまり朝食を食べられなかったせいか、腹がぐぅと鳴った。
オレが元気になってきたと見たか、ローサさんが話しかけてくる。
「タクヤ殿、その着ておられるのはご自分の手がけられたものか?」
そう、ロングチェスターレザーコート、少し細身に見えるすっきりしたデザインのコートだ。
「作ったのは仲間の職人さんだけどね」
男物の革ブーツも発売されており、今オレも履いている。
工房のことや、温泉発見に至る話などローサさんはよく笑いながら聞いてくれた。
もちろんローサさんの話も聞いた、なんと年齢は二十歳、おれの二つ上のお姉さんだった、しかも貴族の家の御息女だそうで、オレが同い年くらいと思ったのは温室育ちのせいだったのかもしれない。
騎士団にいる理由は濁されたが、そのお家の内情的な話のような気がするので深くは聞けなかった。
傍らに置いてある旅用のでかいバッグから、ヤヨイばあちゃんが持たせてくれた昼食を出し、ローサさんと二人で食べた。
のどかな川沿いを道は続いていて、鳥のさえずりがあちこちから聞こえてくる。
「平和だなあ」
こんなのんびりとした時間久しぶりのような気がする。
と、そのときビシッと馬車の車輪が小石を撥ねた。
見るとヒューッと河原の方向へ飛んでいき、草むらへズサッと刺さる。
その草むらからムクリと黒っぽい影が持ち上がってきた。
短い平和であった。
二メートルを越えているデカブツである、五~六メートルほどにも近づけばもう目の前にいるという感覚になる。
御者台で必死に手綱を繰るローサさんの口からは、ずっとヒィィーという細い悲鳴が漏れていた。
これは本当にまずい、なんとかしないと……よし、やってみるか。
馬車の横腹に備え付けてある非常用の松明の存在を思いだした、横から身を乗り出してつかみ取る。
松明は棒の先端に包帯のような帯布をグルグル巻いて、燃料を染み込ませたものである。
巻いてある布の端を探し出し剥がしていくと、帯状の布がシュルシュルとほどけていく。
燃料のたっぷり染み込んだ、ほどけた布の束を手でまとめて構えると。
「ファイ!」
シュオッと現れるファイに。
「頼む!」
と言うのと同時に布の束をゲロゲーロにめがけてフワッと投げる。
途端にファイが炎の矢と化した、しかも五本も、シュッと流れて帯布のあちこちに命中するや、それはぶわっと勢いよく燃え上がる。
燃え上がる帯布は狙い違わずヤツの正面に飛んで、顔にぶつかり手足に絡まり至る所にまとわりついた。
燃えてなければダメージなど皆無であろう、いや、燃えていてもダメージ的にはさほどでもないであろう、が、生き物の持つ火への本能的な恐怖心は別だ。
ましてやヤツはヤツなりに全速力で走っている最中である。
まとわりつく炎から逃げよと本能が命じる、手足がその本能に従い動く、が、体は全速力で走っており前へ進んでいる最中だ。
結果バランスを崩しもんどりうって転がり、路肩の立木に勢いよく突っ込んでいった。
木にぶつかったドーンという音が低く響いて聞こえてくる。
「ふううぅ~」
安堵に胸を撫でおろし、ありゃしばらく行動不能だな……と後ろを眺めていると、矢から普通の姿に戻ったファイが戻ってくる。
「ご苦労さん、ありがとな」
オレがそう言うと、あいよっという感じでシュルンと消えた。
「ローサさん、なんとかなったよ」
と前を見ると。
「火の精霊……聞いた通りですね! すごーい!」
ローサさんはこっちを向いて感激しきりだ。
それはいいが……ちゃんと前見て運転しろっ。
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