第11話:脱出

「艦長、全シェルターが射出されていきます!」

 情報科の士官が言い、エリミネーターの艦橋に緊張が走る。

「発進用意、主機最大運転。レーダー測距による諸元を基に第一、第二主砲塔撃ち方用意!」

 マーシャが指示し、艦橋にいる士官たちが慌ただしく動き始める。

「全てのシェルターが安全圏にまで離脱するまでおよぞ十分、同時に固定ボルトの爆砕が始まります。爆砕五分後、プラントの崩壊開始を確認してから最大船速で正面隔壁群を突破、脱出と共に砲撃開始!」

「はっ! プラント崩壊を確認後、最大船速で急速離脱、解放された正面エアーロック隔壁を突破し、脱出と共に撃ち方始め!」

 マーシャの命令に間髪入れず、ナターシャが復唱する。

「一号、二号、五号、八号脱出艇、安全圏まで退避完了。三号、四号、六号、七号も一分以内に退避完了の見込みです!」

「全艇が安全圏にまで退避完了次第、爆砕が始まるでしょう」

 レーダーの情報を監視していた女性士官が報告し、マーシャが今一度、警告する。その警告に、艦橋にいる全員の顔に、緊張が走った。

 戦闘時はいつもこうなる。いつ見ても、この光景はどこでも変わらないものね。と、マーシャは思う。彼女がいた戦場では、誰もが戦闘に入る前に、顔がこわばり、目つきが変わった。そこに、人を殺すという意識はあるのだろうか。自らが生き残るのに必死すぎて、終わったら敵が、味方が死んでしまっているのではないのだろうか。

 戦場で立っているということは、人が死ぬところを見てきたということだ。人が死ぬところを見て、そこから推量し、研鑽を重ね、生き残る。それを失敗すれば、死ぬ。

 人の生命とは思っているより軽い。死ぬときには簡単に死ぬし、一斉に、大量に死ぬ。

 かのスターリンは言った。『一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計上の数字でしかない』

 全くその通りである。初めて人を撃った時は、その引き金の軽さに驚き、命の重さがその軽さとまったくもって同じだということを知り、自らの存在の脆さを知るからこそ恐怖する。十人殺せばその恐怖を受け入れ、相手に対して祈るという進歩を遂げる。だが、百人殺せば段々と麻痺してくる。自分が殺した相手の顔など覚えているはずなどない。そうしなければ自分が死ぬという残酷なエゴイズムを平然と用い、淡々と殺しを始める。そして、その殺人鬼は唐突に死ぬ。そして、何百、何千、何万という数字の一つへと成り下がる。

 そして、冥界は未曽有の大賑わいを見せるに違いない。ハデスの王国は益々栄え、どんどん巨大になっていくであろう。

 戦えば、人は死ぬ。どちらかが死ぬ。誰かが死ぬ。どちらとも死ぬかもしれない。

 だが、人は戦う。そして死ぬ。

 なら、私は殺す。戦えば人が死ぬ。だから殺す。論理的に破たんしているかもしれないが、それは戦争という便利な一言で片づけられる。

 人が戦い続けるなら、私も戦う。私も人である。故に殺す。人を殺さなければならない。

 だって、これは戦争だから。

「艦長、指揮所より入電です。ハデスの下で待つ。だそうです」

 ナターシャが、通信士から受け取った電文をマーシャに伝える。マーシャは物思いから覚めて、制帽のつばをいじる。

「プラントの崩壊を確認した後、最大船速に。瓦礫をパワーで押しのけて脱出します」

 数十秒後、プラント全体が鈍い振動音を響かせて震える。プラントの隔壁ががこんと外れ、内側から流れ出る大気によってゆっくりと虚空に押し出される。

 エリミネーターが停泊する港の外壁も、それぞれを止めるボルトが爆砕されたことにより、徐々にその形を失い、次々とただの瓦礫と化していく。

「艦長……」

 ナターシャがこれ以上港にとどまるのは危険だと判断したのか、焦ったようにマーシャを見る。

「そうね……。 主機全力運転、第一船速で急速離脱!」

「主機全力運転、第一船速!」

 ナターシャが、緊張した面持ちで復唱する。エリミネーターの吶喊用の艦首衝角は、艦のどの装甲版よりも硬く、厚い。艦の全長の三分の一を占めるそれは、一見時代錯誤はなはだしいが、通常航行で時に高速でぶつかってくるスペースデブリや小惑星から艦を守り、航宙艦同士の一対一の超近距離戦では敵艦の側面を喰い破る決戦兵器ともなる。

 地球で旧暦の二十世紀初頭で廃れた海戦兵器は、未熟な宇宙の軍事技術でその有用性を再確認された。

「主機全力運転!」

「第一船速、よーそろー!」

 エリミネーターの縮退路が唸り、ゆっくりと艦を押し出していく。推進機から吐き出されるエネルギーの尾が港湾施設を嘗め、一瞬で溶解させる。そして、クラウチングスタートのように急にスピードを出す。

「きゃっ⁉」

 急加速の衝撃で何人かの士官がシートに叩きつけられる。マーシャとナターシャもよろめくが、何とか踏ん張って耐える。

「総員、衝撃備え! 同時に主砲塔撃ち方用意、突破と共に撃ち方始め!」

 瓦礫と化したエアーロック隔壁に艦首衝角が接触した瞬間、艦に雷撃が直撃したかのような衝撃が走る。士官室の固定されていなかった物が崩れ落ちる。

 一枚目の隔壁を押し、次に二枚目の隔壁が積み重なる。その衝撃にエリミネーターの闘牛の如き勢いが抑えられる。が、それも一時の足止めにしかならず、すぐにエリミネーターの縮退路はその二枚の隔壁ごとお構いなしに押しのけていく。

 その様はまさに恐れを知らないベルセルクのよう。

「瓦礫群突破しました!」

「射線確保! 第一、第二主砲塔装填良し!」

「FCS起動、照準誤差修正。主砲旋回……迎角良し!」

 さすがは選抜された士官というか、先ほどの衝撃など知らない様子で士官たちは射撃の用意をこなしていく。

「艦長、撃ち方用意よろし……」

 士官たちは手際よくあっという間に53000メートル先の敵艦を照準の中に収めてしまう。

 ナターシャからの報告を受けたマーシャは僅かに制帽を深くかぶって目線を隠す。

 そして、肩の力を抜いて、改めて制帽の位置を正す。

「撃ち方始めッ‼」

「撃てェ───‼」

 マーシャとナターシャの号令一下、艦橋から望む右斜め上に日本の砲身を向けた主砲塔二基が同時に緑色の光線を吐く。

 その光線は狙い違わずに伸びて行って、暗い漆黒の宇宙に四筋の直筋を描いていった。


 × × ×


「こうも静かだと、逆に胸騒ぎがしてくるものだな」

「は……? と、言いますと?」

 エラン・ウェストンの飄々とした物言いに、航空巡洋艦デンドロビウム艦長は得も知れぬ不安感を抱く。エラン・ウェストンは艦長席の横に立って艦橋モニターに映し出された敵プラントの映像をじっと見つめていた。十分ほど前、艦長自身が敵プラントへの艦砲射撃を命じてから、定期的に主砲が砲撃を続けており、命中率は七割程度。悪くない数字である。一応、プラントの固定砲台の発砲も確認したが、この距離ではてんで当たらない。

 よって、若干弛緩しかけていた艦橋において、エラン・ウェストンただ一人が懸念を持っているらしい。

「あの新型機だ。先ほどから動きがない」

「さすがに、この距離を詰められるMASはさすがに無いでしょう。現実的ではないです」

「だが、報告ではもう一隻、不明戦艦が居るはずだ」

 その一言を受け、艦長はすっと制帽のつばに指を掛ける。

「……確かに、先ほどから妙に静かですね」

「ああ、奴ならば汎用型の航空巡洋艦程度もうすでに沈めているかもしれん」

「ジャックの戦闘データを見るに、連中はかなりの技術水準の装備を持っているはずです」

「なのに、この静けさはなんだ……?」

 エラン・ウェストンがぽつりと漏らしたその疑問に、艦長が眉をひそめる。

「まさか……すでに本艦の後方に……⁉」

 得てして、兵器や軍隊というものは、側面、特に背面からの攻撃に対する脆弱性を常に抱えている。宇宙軍事技術で言えば、艦の後方の推進装置に防御装置や防護機銃などの兵器はなく、むき出しである。敵MAS、敵艦に後方に回り込まれれば、敵を先に撃滅しない限り、確実に撃沈させられる。

「いや……それはないだろう。さっきの戦闘でこの戦いはこちらの完全な奇襲であることは確かだ。付近にこの短時間で艦艇が接近できる距離の基地は無い」

「なら尚更、不気味ですね」

「ああ。こういうのを、ハリケーンの前の静けさ、と言うのだったかな?」

 エラン・ウェストンは茶化すが、艦長は眉一つ動かさない。エラン・ウェストンもそれを分かっているようで、静かに相変わらずモニターの敵プラントを見つめている。

 するとその時、観測員の男性士官が叫んだ。

「緊急脱出艇の射出を確認。敵プラント、崩壊始めました!」

「なんだと?」

 予想外のアクションに、エラン・ウェストンが珍しく眉をひそめて厳しい表情をする。

「何をしているんだ、あいつらは」

 エラン・ウェストンは唖然として理解不能だという。

「敵プラント港湾施設内に熱源を探知、縮退路かと思われます!」

「縮退路……」

「馬鹿な! 縮退路は地上建造型がようやく実用化に至ったんだぞ⁉」

 艦長が眼をむいて驚くが、CRAではマイクロブラックホールを用いた縮退路の技術開発は最近になってようやく試験段階での地上に建設するタイプのものが完成したばかりなのである。そもそもそれ自体が広大な土地と巨大な施設、維持にかなりの消費電力を必要とするため、実用化は現段階で不可能と判断されている。

 の、だが。今砲撃を加えて炙り出そうとしている敵戦艦からは、その縮退路の放つ膨大な熱量が発されている。いささか信じがたい話ではあるが、艦載どころか地上建造型でさえ実用化は十年先と見積もられている技術が、その常識を、CRAの技術の粋を集めた結果の常識をあざ笑うかのように平然と存在している。

 艦長はその存在を受け入れられない。その存在を容認すれば、ただでさえ国民を半ば騙してさえ戦線の膠着の事実から目をそらしているというのに、自軍の劣勢という危機を直視せざるを得ないから。

 ただ、エラン・ウェストンただ一人はそんな盲信に惑わされず、眼前の戦艦という脅威の判断をしていた。

「艦長」

「ウェストン中佐?」

「港湾施設に向けて陽電子砲の発射用意を。発射後、即座に退避してください」

「ですが、敵影は見えていません。直撃はいくら本艦でも望めません」

「それで構わない」

「そう言い切れる根拠は?」

 エラン・ウェストンに事実上指揮権を任せているとはいえ、艦長は艦運用の最重要責任者である。納得できない命令は、容認しない。


 エラン・ウェストンはふむ、と顎に手を当ててモニターに映し出された崩壊し行く敵プラントを睨む。そして何か得心したかのように笑い、艦長を見下ろしつつ、

「勘だ」

 と、言ってのける。艦長は間抜けに口を開きながら、目を見開いて唖然としながらエラン・ウェストンを見る。

「そうだな、強いて言うのであれば、私なら──」


「──私なら、こちらがここにいる間にプラントに陽電子砲を撃ちこみます」

「は、はぁ……」

 エリミネーター艦長マーシャ・ウリヤノフスクが発進直後に発した命令は、主砲射撃直後に急速退避せよ、であった。

「しかし、本艦と敵艦との射線は未だ開けていません」

「戦いに常識は常に通用するものと?」

 敵艦とエリミネーターの間にはエアーロックの隔壁が在る。いくらエリミネーターの縮退路の熱を探知することができたとしても、この艦が大きなプラント港湾施設の中の正確な座標までは分からない。その状態で陽電子砲を撃てば、加速陽電子の束はエリミネーターの傍をすり抜けて後方遥か彼方明後日の方向に向かって消え去っていくだろう。

「ですが、──」


「例え至近弾だとしても意味はある」

「は……?」

 エラン・ウェストンはくるっと器用に無重量の状態で浮遊しながら回頭する。

「至近弾でも、陽電子砲が通過すれば……」


「私たちが驚いて巣穴から出てくるとでも思うはず」

 ナターシャがマーシャの顔を盗み見るが、マーシャは制帽のつばで目線を隠していてその表情は見えない。

「その根拠は、一体どこから?」

 マーシャは右斜め上に視線を向ける。ナターシャに向けられたその視線は、つららのように鋭く、冷たい。

「あの男は、そういう男だ」

 その言葉を聞いたナターシャは、居心地が悪そうに背筋を伸ばす。そして、何の真似か、ナターシャも制帽のつばに右手をかけてその目を隠す。

「そういう、精神論が、あなたの口から聞くことになるとは……思いませんでした」

「精神論ではありません、統計です」

「ご経験がおありと?」

 マーシャは敵将に会ったことがあるということを言外に伝えてくる。それを悟ったナターシャは、息をのむ。

「主機そのまま、主砲発射後、急速離脱!」

 ナターシャは、何かを察したように、素直にマーシャの命令を復唱する。すぐさま、各科の担当士官が返答する。


「第一、第二陽電子砲、加速器稼働開始」

「目標推定座標を手動で入力、砲塔旋回、砲身仰角修正二十度!」

 デンドロビウム艦橋で艦長の号令一下、士官が手を動かす。地球連合軍の艦艇が搭載する実弾、陽電子弾兼用砲塔はスペース、製造のコストなどの関係上からCRA相互連合防衛軍の航空巡宙艦には搭載されていない。代わりにデンドロビウムに搭載された大口径砲兵器は連装四〇センチメートル実弾砲二基、単装二三センチメートル陽電子砲二基が艦の主線軸上にそれぞれ配置されている。

「陽電子加速良し!」

「陽電子砲照準良し!」

 各科の報告を受けたデンドロビウム副長が彼らの方向を向いてこくんと頷く。そして、艦長の方を向く。

「陽電子砲、撃ち方用意よろし!」

 そして、艦長とエラン・ウェストンは互いに目を見合わせる。そして、無言のアイコンタクトを交わした艦長は、眼を閉じ、意を決したように見開き、命を下す。

「陽電子砲、撃ち方始め!」

「撃てェ────!」

「────ッ!」

 艦長の号令一下、副長の復唱に呼応する形で射撃員が陽電子砲発射装置のトリガーを引く。

 環境から望む第一陽電子砲塔の砲身から発されたオレンジ色の光線が一筋伸びて、冷えた宇宙を引き裂いていった。


 × × ×


「電磁装甲起動、主砲撃ち方始め!」

 エリミネーターの衝角がリリウム隔壁を二枚とも押しのけ、宇宙空間に躍り出る。

「電磁装甲、モードをアクティブに。稼働率七六パーセント!」

「発射!」

 前部甲板が崩れゆく港湾施設から頭を出した瞬間、第一主砲塔が火を噴く。その次に、射線を確保した第二主砲塔が時間差で火を噴いた。

「右現斜め前方! 重力波観測!」

「なっ──ッ⁉」

 亜高速にまで加速された陽電子を収束させて放出させる陽電子砲は、陽電子を亜高速にまで加速させるため、一般相対性理論に基づいて、周囲の時空に影響を与える。まるで船舶がその航路に刻む白波のように時空の歪み、重力の波が発生する。その波は陽電子弾や超新星爆発、航宙艦のワープなどで発生するが、逆に言えば、その重力波を観測すれば敵の陽電子弾やワープを予測できる(と言っても、亜高速で接近する陽電子弾の重力波を観測したところで如何ともし難いが)。

「取舵一杯、急速離脱!」

「とーりかーじいっぱーい!」

 航海長が舵を左に思いっきり引き倒す。右舷艦首スラスターがその小さな噴出孔には似つかない太さの青い炎を吐き出す。艦首が左にゆっくりと向く。

「敵陽電子弾、右舷に接近!」

「間に合わないっ!」

 ナターシャが叫んだ瞬間、エリミネーター右舷に敵陽電子弾が着弾する。が、その陽電子はエリミネーターの湾曲した装甲をなぞる様にして左舷へと抜けていく。

「一体、何が……?」

 衝撃に備えて艦長席の背もたれにしがみついていたナターシャが、困惑で目を見開き、呆けたように口を開けている。

「ラングレー技術少佐、解説を」

 その中で、平然としていたマーシャが、同じく変わらずに得体の知れないログを吐き出し続けるコンピューターのモニターを目で追いながら言う。

「金属装甲表面に、電磁波の流れを発生させることにより、陽電子などの荷電粒子を誘導することが可能です」

 陽電子は時空の歪み、電磁波の影響を受けて簡単には直進しない。そこを逆手に取った兵器が電磁装甲であり、敵の加速陽電子の束を誘導して別方向に受け流すことができる。また、これはレーダーの電磁波や不可視光線も誘導させるために、電磁装甲稼動中はステルス性を獲得することもできる。

「あ……そっか……」

 ナターシャが、先ほどマーシャが電磁装甲の起動を命じたのを忘れていたことを思い出し、間抜けな声を上げる。マーシャは、その様子に不満げに口をとがらせる。

「何をしているのです? 早く業務に戻りなさい」

 マーシャに冷たい目で睨まれた士官たちが、肩をびくりと振るわせていそいそと業務に戻りだす。心なしか、彼らの顔は赤いようにも思えるが、沈黙を守り、何事もなかったかのようにふるまっている。それを見たマーシャが小さくため息をつき、「本当にアナポリス卒なのかしら……」とぼやいたのは幸いにも彼らの耳に入らなかった。

「進路そのまま、急速離脱! 現戦闘宙域を離れる!」

「ですが、ホテル1、2がまだ現宙域に居ます!」

 敵機迎撃のため、緊急出動していたXM107仮称『プロト』とTF12『ナインテイルズ』。両機のコールサインはナインテイルズがホテル1、プロトがホテル2とされている。

 本来、プロトやエリミネーターに搭載された最先端技術を実戦評価しつつ、地球に輸送するというのが今回の任務である。その護衛のためのナインテイルズであり、最先端技術のモデルがプロトである。両機とも、必ず回収せねばならない。

 そこはマーシャも理解していて、素早く航空管制科の通信員に命令する。

「両機へ通達、ポイントチャーリー5にて待機、合流後回収する」

「了解……ホテル1、2。こちらコントロール。ポイントチャーリー5にて待機。本艦との合流の後、回収する。繰り返す──」


『──繰り返す。ホテル1、2両機はポイントチャーリー5にて待機。本艦と合流した後、回収する。復唱せよ』

 その声が聞こえ、肩がピクリと跳ねる。どれくらい膝を抱えていたのだろうか。体感としては一時間強そのままでいたつもりであったが、タイマーはまだ十分も経っていないことを告げている。

『ホテル2、どうした? 復唱せよ』

 指揮官の命令が問題なく伝達されたことを確認するために、命令を復唱するということがある。だが、今のレイ・アマギは民間人である。連中は専属の軍曹だと思っているはずである。

 今、命令を復唱すればその軍曹との差異がはっきりとしてしまう。

『ホテル2、復唱せよ。ホテル2、応答せよ』

 通信越しに先方が混乱しているのがわかる。レイ・アマギは自分を軍曹と思わせつつこの場を切り抜ける策を模索する。その頭の中でいくつもの案が生まれ出ては、シミュレートですぐさま消えていった。

「やっぱあんたに付いていくんじゃなかった……!」

 今更、あの戦闘機乗りの男に対する文句を言っても始まらない。レイ・アマギは奥歯をかみしめ、顔に苦渋を浮かべる。だけれども、この場を切り抜ける策は思い浮かんでこなかった。

(どうすりゃ、どうすればいいってんだよ!)

 胸の内で悪態を吐いたその時、いきなりアラートが鳴り響く。

「ぁっ──ッ!」

 直後、背後から激しい衝撃が襲い掛かり、肺から一気に空気が漏れ出る。

『おい、お前は誰だ! なぜプロトに乗っている⁉』

 どうやら背後から組み付かれたらしい。操縦桿をどんなにいじろうともそいつを振りほどくことができない。

『軍曹? なぜコスモブラストに? ……では、そちらのプロトに搭乗しているのは⁉』

 組み付いてきた相手は、この機体の持ち主の軍曹らしい。当人が出てきてしまっては、先方に対して騙し通すことができない。しかも、こう取りつかれてしまってはあがきようもない。

「万事、休したか……」

 そう言って、レイ・アマギは操縦桿から手を放し、ほっと溜息をつく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る