第9話:AngelEngage
「ぐぁぁぁああああッ⁉」
コックピットをいきなり大きな衝撃が襲う。何が起きたのかわからず、頭の中が混乱する。カメラが壊れたのか、ノイズの走る映像越しに、深淵がのぞいていた。いや、違う。これは敵のライフルの銃口だ。目の前の敵のコールサインはジュリエットフォー。
「うわぁぁぁぁぁああああああああッッッ‼‼‼」
このコンマ数秒後に、俺は死ぬ。
嫌だ。死ぬのは嫌だ。死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死ニタクナイ、死ニタクナイ、死ニタクナイ、死ニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイシニタクナイシニタクナイシネタクナイシニクタナイチニクタナイシンジナイシニタクナイシンタクナイシネタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイクナイシニタクナイ
「死にたく──ないッ‼」
目を開けると、その世界の時が止まっていて、世界がモノクロに沈んでいた。その中で、強く光り輝く、一羽の鳥がいた。
「おまえは……?」
まばゆく光り輝くその鳥は、ジュリエットフォーに背を向け、こちらをじっと、生贄を見定めるかのように見つめていた。
「あああああぁぁぁっ⁉ 入ってくる、俺の中に入ってくる‼」
その鳥が、俺に向かってじりじりと距離を詰めてきた。その翼端が、ハッチを突き抜けて俺の胸を突く。
「やめろぉぉぉッ! 俺の中に入ってくるなぁぁぁぁ‼」
その翼端がズブリと胸の中に沈み、鳥の体がそれに続いて吸い込まれていく。
「あああ、アアアアァァァァァァァッ‼‼」
その翼の先端が手のような形に変わり、俺の体をこじ開けて本体を入れてこようとする。その度にぶちぶちと体の肉を引きちぎる音が脳内に直接響く。
「ああ、あああ、あ、あぁ……………………」
その体の半分を俺の体の中に突っ込んだ鳥は、どろりと溶けて俺の体と同化する。
その時、俺は激しい痛みを感じながらも、自分の心のどこかで何かが満たされたかのように感じていた。
──オカエリナサイ
× × ×
『管制、こちらガルム1。胴体でのアプローチに入る。許可を求む。当機は右足を損傷している! 送れ』
『ガルム1、こちら管制。貴機の状況を理解した。誘導に従い、第三ハッチを使え。以上』
『感謝する』
「おい、胴着だ! 準備急げ!」
「緊急用のワイヤーを使え! ああ、全部だ!」
作戦行動を終え、帰還してきたガルムMAS分隊の隊長機が胴体着艦を行うとの知らせを受けたCRA航空巡宙艦CV‐183「デンドロビウム」の格納庫作業員が、一斉に、慌ただしく動き始める。
通常のMASによる航宙艦への着艦とは、専用のハッチから進行方向に向けて足を突き出し、仰向けになった機体が両足を制動板にかけ、その制動板が後退しながら機体にワイヤーをかけて止める方式をとる。その後、制動板に両足をロックし、機体を艦底に対し水平に起こして格納する。
しかし、何らかの理由で着艦作業が困難だと判断される場合(脚部欠損やワイヤーによる制動が難しい時)には、スラスターで慎重に制動をかけながら、ワイヤーで無理やり止める、胴体着艦を行う。
「帰ってきたぞ! ハッチ開けろ!」
格納庫にサイレンが鳴り響き、作業員たちの間に緊張が走る。実際、胴体着艦の際にワイヤーが切れて、機体が猛スピードを維持したまま気密壁を突き破ってエアロックに突っ込んだ事例がある。それ故に、艦全体がピリピリとした空気に包まれるのは仕方がないことだった。
「ガルム1、無事、着艦しました!」
「よし、ハッチを閉めろ。機体からパイロットを引きずり出すのが最優先だ! 機体がもう使えないようだったら処分する!」
『ガルム1、着艦を確認。パイロットも、無事です』
「そうか、良かった」
CATCC(航空管制センター)の飛行長からの報告をCIC(戦闘指揮所)で艦の指揮を執っていた艦長が聞き、安堵から背中を背もたれにどさっと倒れさす。そして、制帽の位置を直し始めた。
「一難去った……というところですかな?」
横でMAS隊の指揮及び特務陣頭指揮を執っていたデンドロビウム航空隊長エラン・ウェストン中佐が、レーダー員の座席の肩からレーダーを覗き込みながら言う。
「ええ、これで一つ、心配事が消え去りましたよ」
「ですが、作戦はまだまだだ」
ウェストン中佐が厳しい声で言う。それを聞いた艦長は、再びすっと背筋を伸ばす。
「わかっています。 本艦による、敵新造戦艦への艦砲射撃での戦力評価ですね」
「そうだ。……まったく、奴らも厄介なものを造ったものだな」
「この艦も沈むかもしれない、そうお考えですか?」
艦長の階級は大佐。ウェストン中佐は本来、艦長の部下であって、艦長を上司としてふるまわなければならない。それなのに、彼が上司である艦長に対して上位に出られるのは、ひとえに彼が指揮する一つの機甲分隊のせいだろう。
第六〇一機甲隊、CRAの全軍の中から一際優秀かつ調和性に欠けるものばかりが集められた、蛮族隊、第一狂ってる小隊、第一殴り込み隊とも揶揄される彼らは、その個々の優秀さから、最前線の危険な偵察任務や敵地潜入による要人救出などの任務を一手に担っている。彼らのおかげで、CRAの全機甲隊は前進することができるのだ。
「うむ、それも時にはやむなしだが……今沈ませるには惜しい」
「なるほど。……しかし、ガルム小隊にも損害が出てしまいました。パイロットは無事ですが、機体は隊員のために特別に調整された物と聞きましたが」
「いや、あいつらならどんな機体でもうまく使いこなすだろう。だが……」
そこで、ウェストン中佐が顎に手を当てて口ごもる。
「ですが?」
「アレは、荒れるぞ」
最後に、エラン・ウェストンは子供の駄々を見るかのように困ったように口の端を上げた。
「クソッ!……くそっ、くそっ、クソッ!」
ドガン、ドガンとロッカーをひたすらに殴り続ける。そのロッカーの扉はへこみつつあり、右拳には鋭い痛みが走る。
「やめときなよ、ミツキ」
ナッツ軍曹にたしなめられ、ロッカーを殴る手を止める。あちこちが擦り切れて、血が赤くにじんでいた。
「……これが、抑えて置けるものかッ!」
「う~ん、いいところでやられちゃって悔しいのはわかるけどさ、そんなのよくあることだし──」
「──そんなものじゃない! 俺は……俺は、作戦目的を忘れて、ただ強襲するように指揮したあげくに無様に逃げ帰ってきた俺が、許せないんだ……!」
歯が擦りつぶれるのではないかと思うほどに歯をかみしめるカミキ・ミツキを見て、ナッツ軍曹はすっと肩をすくめる。
× × ×
「敵機、全機離脱していきます」
レーダーを注視していた観測員が言い、プラントリリウム地国連軍エリア57中央指揮所の空気がどこか弛緩する。
「ほ、他に、敵機は、い、いないんだな⁉」
マーシャの隣でヒステリックを起こしたエリア57司令が、額に大量の汗をかきながら問う。すると、その観測員が即座に肯定の旨を返す。
「や、やったのか……これで、もう、安心なのだな⁉」
「いいえ、まだですわ。司令殿」
マーシャが厳しく言い放つ。その眼は、無能な司令に対して興味がないと言っている。
「だが、現に奴らは撤退した。君たちの試作機のおかげで、敵機一機を中破、他一機を小破させて、追い払った!これ以上、敵はここには来ようとしないはずだ!」
歓喜に満ちたように、声を弾ませる基地司令に対して、マーシャは蔑むような視線を送る。
「この前線に近いプラントに一機甲小隊が接近、迎撃機全機が撃破され、プラント防衛隊の半分を消失。しかし、敵機はいまだ全機健在。奥にはおそらく戦艦クラスが控えているでしょう。この状況で、なぜそうも喜んでいられるのです?」
「ここは、プラントだぞ! 軍事要塞じゃない。無実の民間人が大量にいるんだ! 新ハーグ交戦条約で、民間人への攻撃は禁じられているんだぞ!」
「この無能どもごと跡形もなく消し去られて、どこに証拠が残ると言うのかッ!」
マーシャが一喝し、司令部は重苦しい緊張に包まれる。その面々は、先ほどのマーシャの気迫に気おされたのが半分、無能呼ばわりされた悔しさ半分といった風に顔を俯けている。
司令部の面々が俯いて黙っているのを見たマーシャは、すっと座っていた司令官専用の椅子から立ち上がる。
「では、私共はこれで失礼いたします」
そして、沈黙したままの司令室を去って行ってしまった。
「しっかし、防戦一方だったプロトがまさか、あんな華麗な反撃劇を見せるなんてねー」
「本当ですよ。私、艦の光学レーダーで見ていましたけれど、あんなの初めて見ました。こう、足を掴んで関節をこう!」
「あれは、両手版膝カックンっていったところだろうね」
三人のオペレーターが会話をしていると、背後で鈍い駆動音が鳴る。見ると、ナターシャ・ミンスク中佐、この艦の副長がCICに入ってくるところであり、三人はピシッと敬礼する。
「いかがなさいましたか、中佐」
「うむ、さっきの戦闘の履歴が見たくてだな」
「分かりました。どうぞこちらへ」
オペレーターの一人がナターシャをモニターの前に呼ぶ。そして、そのモニターに先ほどのプロトとCRAのZEKE四機編隊との戦闘の記録を映し出す。
「ん、最後のプロトのを見せてくれ」
「了解です」
〝最後のプロトの〟戦闘の最後に見せた、プロトの近接格闘のことを指していると瞬時に察したオペレーターが、映像をプロトの物に切り替えて問題の時間まで飛ばす。
敵ZEKE二機、ジュリエットツーとフォーとの戦闘で、接近してきたジュリエットフォーに小惑星にたたきつけられたプロトに突き付けられる銃口。
そこから炎の先端が見えた瞬間、ジュリエットフォーが映像から一瞬で消え去る。その後、プロレスのようにジュリエットフォーの右足を固めたプロトがその右足を機体のパワーに任せて無理な方向に捻じ曲げる。そして、それに耐えきれなくなったジュリエットフォーの右足が膝から欠損し、バラバラになった部品が宙に飛び散る。右足が外れた隙に、ジュリエットフォーがスラスターをふかしてプロトから逃れて去っていった。
その時間は、五秒にも満たぬものであったが、スロー再生にしてナターシャは何度も見返した。
「すごいですよね。これが、エースパイロット同士の戦闘なんですね」
女性のオペレーターが感動したような声を漏らす。しかし、ナターシャは厳しい顔をして口元に手を当てる。
「うむ……だが、それでもこれは高度な戦闘だ。普通、MAS同士の戦闘というと、システムに大きく依存しているものなのだが……少尉、プロトの戦闘履歴は?」
「完全手動ですね。ここだけ」
「うむ……」
ナターシャの思考を先読みしたオペレーターがプロトの戦闘履歴を漁って、衝撃の事実を掘り当てる。
しかし、これはナターシャにとってはある程度予想していたことではあった。だが──
「あの男に、これほどの技量があっただろうか?」
ナターシャが漏らした疑問に、コーヒーの入ったカップを片手にしていた男性オペレーターが肩をすくめていう。
「さあ。火事場の馬鹿力、ってやつじゃないですか?」
「ふむ、それならそれでよいのだが」
『艦橋要員の士官の方々は、至急航海艦橋にお集まりください。繰り返します。艦橋要員の士官の方々は──』
「む──」
なにやら懸念があるようなナターシャを遮るように、艦内放送が流れた。
「これで、全員ですね」
マーシャがその場に集まった士官を見回して言う。
「艦長、一体なぜ──」
「艦を、出します」
「んなっ──⁉」
なぜここにと問おうとしたナターシャを遮ったマーシャは言う。その一言に、その場の士官の全員が凍り付く。
「しかし艦長、まだ民間人の避難が完了していません。このままでは、軍法四条に違反します──」
「──それは重々承知の上です。それよりも、プロトの無事が優先されるかと」
「ですが……」
「これは、軍法第三条に基づく、艦長命令です」
「わ、分かりました……」
地球国際連合軍における軍法の四条──敵味方を問わず、民間人をはじめとする非戦闘員及び武装解除した者の身の安全が可能な限りにおいて優先される。
第三条──特定の非常時において、その場の最高責任者が最高指揮権を有する。尚、この最高指揮権はその場の半数以上の士官の反対で剥奪することができる。
第三条に従い、この場においてはプラントリリウムエリア57司令長官が最高指揮官に任命される。しかし、当人の意向により、最高指揮権はマーシャ・ウリヤノフスク大佐に委譲されている。
「出港用意」
「出港用意!」
艦長席に座ったマーシャの指示をナターシャが復唱する。
「主機、始動します……主機内、圧力上昇中!」
「主機、出力上昇中。主機表面、内部温度問題なし。安全基準A3をクリア。A2クリア。A1クリア……主機の安全稼働を確認」
「了解、発電機への動力伝達回路開け」
「動力伝達回路、開きます」
「ブロックA1からD13までの動力伝達を確認」
「タラップ格納、全ての出口の閉鎖を確認」
「抜錨、固定具収納します」
「主機、接続します!」
主機関の縮退路が推進装置と接続される。
「収納を確認……プロセスBに移行──きゃっ!」
その時、艦を激しい振動が襲う。
「艦長、巡航艦が一隻、接近してきます!」
「敵か⁉」
ナターシャが慌てた様子で言う。
「早い……この手際、エラン・ウェストンか……!」
マーシャが唇を噛む。目は鋭く開かれ、モニターに映し出された光学レーダー越しの巡航艦をきっ、と見据えている。
敵艦は距離53270メートルの位置から実弾による艦砲射撃を行ってきた。結果は夾差。命中はしなかったが、近接信管が作動したことにより、発射された四発の砲弾が炸裂してプラントにダメージを与えたようである。幸い、港湾には影響はなかったが、プラントの崩壊はもはや時間の問題である。
しかし、通常は艦艇がこんな前線にまで出張ってわざわざ砲撃をしてくることはない。現に、プラントの砲台の射程圏内であり、プラント外壁に設置された30口径28センチメートル砲が火を噴いている。
敵の砲撃が飛んでくる中を単艦、切り込んでくることなど自殺行為である。だが、敵はこちらの戦力が基地配備の残りのMAS三機と試作機一機、可変戦闘機一機、戦艦一隻、プラントの固定砲のみだと見切っているのだろう。躊躇なくこちらに向かってくる。
MASは敵艦に接近することはできない。システムに制御された固定砲はある程度は持つだろうが、MAS隊のあの練度から見て敵艦もかなりの強敵と見たほうがいいだろう。しかし、今艦を出すと、敵艦の砲撃によってハチの巣になるだろう。
ビーム兵器を使わずに実弾兵器を用いてくるあたり、こちらをおびき出そうとしていると思われる。
「そんな、MASを引かせてまだ一時間だぞ……⁉」
MAS隊を帰還させて尚、一時間でのこの行動の速さには目を見張るものがある。基地に配備されているレーダーの探知範囲は半径470キロメートル。敵艦は今まで探知されていなかったことから、電磁迷彩を装備していたと思われる。しかし、電磁迷彩の技術もまだまだ進歩していない。プロトに搭載された最新版をもってしてでも、近距離までのレーダー波無効が限界だ。研究途中の技術であるせいでもあるが、光学迷彩によるレーダー波無効は現用で30000メートルが限界といわれている。また、常時展開すると大量の電力消費が発生し、艦体を完全に覆うとなると膨大な費用と資源が必要になる。
だからこそ、もって50000メートルが電磁迷彩を併用した軍艦の隠蔽範囲である。
それを考慮すると、MAS隊の帰還に四十分程度かかるだろう。決断、行動合わせてわずか二十分の間でのことだというのだ。これは、常識においては考えられないほどの速さである。
このある種非情ともいえる命令をこんな短時間で決定できるのは、エラン・ウェストン。あの男以外に他ならない。
「謀略家めが……!」
マーシャの語調がいつになく荒々しくなる。
「艦長」
ナターシャがマーシャを見て指示を仰ぐ。
「一番、二番主砲塔展開。主機からの直接回路開け。陽電子砲に切り替え。発射用意……」
マーシャが、一見落ち着いているように聞こえる声で静かに命令する。しかしその眼には、宿敵への明確な敵意と殺意が宿っていた。
「艦長、今ここで陽電子砲を放てば、このプラントは崩壊します!」
「そんなこと、百も承知ッ!」
マーシャが鋭く言い放つ。その並々ならぬ気迫と、その眼に宿した激しく狂おしいまでの仄暗い激情に気おされたナターシャが、片足を一歩引く。
「しかし、この艦のSiMTaBSは最適化処理を行っていません。今すぐの戦闘は……」
「ラングレー技術少佐。この場で最適化処理を行った場合の所要時間は?」
ラングレー技術少佐と呼ばれた20代後半の眼鏡を掛けたスレンダーな女性がマーシャを見ずに機器のほうを向いたまま、即座に答える。
「この艦の処理能力をすべて使って、さらに手動でも処理した場合に2時間13分です。艦長」
「遅い」
「これが最速です」
いらだったようなマーシャの批難に、悪びれもせずにさらっと言いのけるラングレー技術少佐。
この艦は、地国連のありとあらゆる最新技術を全て使って建造されている。その一つが、この艦独自の戦闘システム『SiMTaBS(Simultaneous Multiple Target Battle System)』同時複数目標戦闘システムである。このシステムは、艦のすべての装備、周囲の敵機や敵艦の位置、速度や進行方向、装備などといった要素を同時に処理し、艦を取り囲む複数の目標を搭載された火器を使用して同時に対処するというものである。旧来、人が担っていた戦闘時の艦の運用をシステム一つで完全にカバーするというものである。
しかし、このシステムを使用するには、艦のありとあらゆる装備や機関、力学や物理学に基づいた艦の航行の特徴といった様々な要件をシステムに覚えさせて最適化させなければならない。そしてそのSiMTaBS含め、この艦に搭載された最新技術の選任技師がラングレー技術少佐というわけである。よって、システムに関してはラングレー技術少佐が言うことが全てである。
「仕方がありません。主砲をSiMTaBSを使用せずに照準、発射用意」
「しかし艦長、CASなしでの戦闘は……」
「FCS(火器管制システム)などのシステムはあるでしょう?」
「りょ、了解。一番、二番砲塔展開、陽電子砲を手動管制で発射用意!」
ナターシャが、復唱する。呼応したように、オペレーター達が主砲発射の準備を始める。航海艦橋の構造物から衝角にかけて緩い曲線を描いている艦体外壁のハッチ二つが開き、縦に二つの新たな構造物がその穴から出てきて、ぴったりとはまる。その構造物の二本の細長いフタが両方とも同時に開いて、中からゆっくりと十一メートルの砲身が二門出てくる。
35口径32センチメートル連装多目的砲。実弾と加速陽電子弾の両方を状況に応じて使い分けることができる、地国連軍の大半の艦艇がこの方式の砲を採用している。
「エアーロック、隔壁を緊急開放──」
「なにをしているのです?」
「艦長……?」
射線を確保するべく、前方の隔壁をエアーロックを挟んだ二つとも開こうとしていたオペレーターをマーシャが止める。それに怪訝な顔をするナターシャ。
「なぜ、隔壁を開こうとするのですか?」
「しかし、艦長。射線を確保するには、隔壁を開放するほかにありません」
「必要ありません。隔壁越しに射撃しなさい」
さらりとマーシャが言い放ったその言葉に、ナターシャが顔を青ざめさせる。そして、焦ったように抗議しだした。
「しかし、それではこの港ごとプラントが崩壊する危険性が──」
「結構。構いません。撃ちなさい」
非情ともいえるその命令に、副長以下艦橋にいる士官たちがざわつく。
「艦長、それはさすがに……」
「民間人はすでにシェルターに避難しているはずですが……さて、遅れたものでもいるのでしょうか?」
それは、副長に向けた、『民間人は避難済みであるため安全である』という説得であると共に、『民間人は全員避難したものであるとし、逃げ遅れたものは無視せよ』という命令でもあった。
しかし当然、彼らは軍人とは国のため、国民のためにあると教わった生粋の軍人であり、人道に反するその命令に従うはずもなかった。
「艦長、自分はその判断には従えません……例え、ここで倒れようとも、民間人を見捨てていくことは、できません……」
すぐさま、一人の男性士官が抗議する。それに続く形で、一人の女性士官が立ち上がる。
「私もです。敵に向かって引き金を引くことはできます……けど、何の罪もない人たちを盾にしてその引き金を引く外道にまで堕ちた覚えはありません」
部下たちの反抗的な態度に、マーシャは閉口し、口をへの字に曲げる。そして、眼をつむって思考してから、言う。
「よろしい。民間人が退避していればよいわけですね?」
「艦長?」
マーシャの質問の意図を掴めないナターシャは、困惑し、真意を問う。しかしマーシャは、そんなナターシャを無視して通信士に命令する。
「基地司令部に繋ぎなさい」
「は……は?」
「基地司令部です。早くなさい」
「は、はっ!」
通信士がプラントリリウムエリア57基地司令部と繋ぐ。モニターに映し出された基地司令部の映像では、その場にいる士官たちが慌ただしく動いている。盛んに指示が飛び交い、怒号さえ聞こえる。しかし、その奥で基地司令官の男だけが虚脱したような状態で、椅子の上で目と口を間抜けに開いてぼーっと座っている。
マーシャはその間抜け面を一瞬、道端の糞を見るかのような目で刺し、その色をひっこめる。
「こちらエリミネーター艦長、マーシャ・ウリヤノフスク大佐です」
通信に気づいた指揮所が一段と騒がしくなる。マーシャの声を聴いた基地司令の目に急に生気が点り、椅子の上から上半身を前かがみになって乗り出させる。
『ウ、ウリヤノフスク大佐! おお、私たちを見捨てはせぬか! 今すぐ、発艦させて、奴を撃破してくれ!』
彼の目に点る生気は、常人のそれはではなく、マーシャに縋りつくような、追い詰められた人間のそれであった。そのくすんだ光を目にしながらも、マーシャは動じることはなく、ともすれば微笑ともとれるような表情をする。
「ええ、分かっております」
『なら、今すぐにでも!』
「ですが……」
『ですが……?』
マーシャはいかにも悩まし気といった感じで視線を斜め下に反らし、間を置く。
「エアーロックの隔壁が障害となって発艦できません。なんとかして、取り除くことができるとよいのですけれど……」
『構わぬ。どうすればいい、我々はなんでもする!』
待ってました、とばかりにマーシャは微笑む。それは、一見するとただの微笑かもしれないが、見るものが見れば、悪魔の舌なめずりが幻影として映り込む。
「嫌な笑い方……」
その悪魔の微笑を見た女性士官が肩を震わせて小声で言った。
「誰か、このプラントを崩壊させてくれるとありがたいのですけれど……」
瞬間、エリミネーター航海艦橋がざわつく。
プラントを自発的に崩壊させる。それは、高度な生体認証を用いた保護システムに守られた先にある認証装置を作動させることで、プラントを構成する隔壁を拘束している柱全てを爆破、拘束を解いて宇宙空間に解放させることである。
しかしそれは、作業員がプラントに取り残されるため、かなり危険な作業である。もちろん、脱出用舟艇はあるが、それでも崩れゆく質量1000トンもの鉄塊を潜り抜けていくのは至難の業である。
結論として、その作業員は人柱になる。
『だ、だが、まだ民間人が!』
「ええ。ですから、基地司令官の権限でシェルターを一斉射出してください」
避難シェルターは、必要とあれば脱出艇として射出することができるようになっている。その際に、そのプラントの最高指揮権を保持している者の生体認証が必要である。しかしその認証には、最高指揮権を保持している者がその場にいる必要がある。
今この瞬間の、最高指揮権はマーシャ・ウリヤノフスク大佐に委譲されているが、システム上は未だにエリア57基地司令にある。
つまり、マーシャ・ウリヤノフスクは通信越しに対話する男に対して死にに行けと命じている。
『だ、ダメだ。私は、まだ死ぬわけにはいかない。私が死ねば、せっかく脱出した民間人は……』
パニックになりながらも、いや、なったからこそ、自らの身の危険だけは野性の嗅覚のようなもので瞬時に感じ取ったらしい。
マーシャが、小さく舌打ちをする。この男に対して面倒くさがっていることは確かである。
「どの道、あなたがたは死にます。どうあがいても、道はヴァルハラへとつながっています」
『────ッ⁉』
基地司令が、息をのむ。
「最後に、民間人を救い出して英雄になるか、私たちと諸共に敵の艦砲射撃でヴァルハラへの集団旅行へと出かけるか……お好きなコースをどうぞ」
最後に、女神のような微笑をたたえながら言う。
『あ……あ、え……』
基地司令は、完全に思考能力を失ってしまっていた。そして、目の前に現実を突きつけられ、行く先には絶望しかないと無理やりに理解させられた瞬間、思考回路がスパークしてしまっていた。
そんな基地司令官の様子を見たマーシャは、最後に左の口の端を歪めると、芝居がかった口調で言った。
「その身を挺してまで民間人の脱出を第一に考え、奇跡のタイミングでプラントを自壊させ、友軍艦の発進を援助。その功績によって民間人は無事脱出、敵艦も撃破。ああ、なんて英雄なのだろう。その身を賭してでも民間人のことを第一に考える基地司令官のことを、民衆は英雄と呼び、後世に語り継いでいくことでしょう」
『…………。』
基地司令は沈黙していたが、マーシャはニコリと微笑んで言う。
「民衆は、英雄譚を期待していますよ」
そういったマーシャは、通信士に通信を切れと指示する。通信を切ったのを見計らい、ナターシャが渋い顔をして言った。
「このような、洗脳に近いやり方は、気に入りません……」
「私は、彼に選択肢をあげたまでです。そして、その後の予測をしたまで」
「ですが、結局は一択の選択肢を押し付け、無理やりに破滅の道を選ばせただけでは!」
ナターシャは、奥歯をかみしめながら言う。その様子を一瞥したマーシャは、制帽を正す。
「たとえそうあっても、それが真実。 彼に、それ以外の道はなかった」
「それでも! 生きる道を授ける訳にはいかなかったのですか!」
それを聞き、マーシャは、若干、制帽を前に引っ張る。そして、少しの間黙考し、口を開く。
「割り切りなさい、ナターシャ・ミンスク中佐。彼は民間人の為にその身を捧げた。最後は美談で飾るのが、せめての手向けでしょう?」
その言葉を、マーシャは無表情で言ってのける。
「この……悪魔……」
ナターシャが小声でつぶやいた一言は、幸いにもマーシャの耳には入らなかった。
「さあ、後は待つだけです。ラングレー少佐、紅茶はあるかしら?」
「さあ? 私は技師ですので。わかりかねます」
モニターから目を離さずに、ラングレー技術少佐が言う。
「そう……なら、音楽でも聞きましょう。副長、ワルキューレの騎行を流して?」
「は、はぁ……」
副長は、訳がわからないといった風で、ワルキューレの騎行を流す。強襲揚陸戦闘艦エリミネーターの戦闘艦橋に、ワルキューレの騎行のヴァイオリンとホルン、トランペットの力強い旋律が流れる。
「本当に、いい趣味してる……」
ふと、女性士官が小声でつぶやく。
戦乙女ヴァルキューレに選ばれた勇敢な戦士は、ヴァルハラへと送られる。
彼女は、一体誰を選ぶのだろうか?
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