第5話:遭遇戦

 XM107、仮称プロトが漆黒の宇宙を青碧の尾を引きながら駆け抜ける。

 さすがは新型機といったところか。そのエンジン性能もさるもので、リリウムがあっという間に小さくなったかと思えば、すぐに元の大きさに戻ったりすることを繰り返していた。

 先ほど、ナターシャ中佐から通信が入った。曰く、せっかく動かすのならば性能を確かめてこい、とのことだった。一応、試作機の動作テストを謳った手前、それを破るわけにもいかず、アストレア大尉はこうやって機体をいじくり回している。

 もちろん、俺が乗っていることは未だ秘密である。

 その俺も、初めてのMAS搭乗を素直に楽しんでいた。

『どう? 初めてのMASの乗り心地は』

「欲を言えば、ちゃんと乗りたかったですね」

 楽しんでいるとは言っても、乗り心地は残念ながら良いとは言えない。先ほどから、あちこちにゴツンゴツンと頭をぶつけている。

 いまいち不満げな俺の様子を見たからか、アストレア大尉がけらけらと笑う。

『だったら、ウチに来るかい? 俺が推薦してやるよ』

「いえ、ドンパチは御免ですよ」

『それもそうだな』

 こうやって、試作MASを乗り回して遊んでいても、この男の職業は戦争屋である。俺も、MASは好きだ。このプロトに乗ったことも、いい思い出になるだろう。

 だからといって、殺し合いをしたいわけではない。

 だから、俺はこれからこの思い出を胸にしまい込んで生きていくのだろう。戦争なんかとは、無縁のところで。

「そういえば、こいつって、その、戦ったこと……あるんですか?」

 なんとなく、この楽しい時に聞くのは憚られる気がして口ごもる。すると、アストレア大尉がいいや、とかぶりを振った。

『こいつは試作機だぜ。傷つけちゃいけないから戦闘どころか、動かしたことすらねえよ』

「えっ……」

 俺が、間抜けにポカンと口を開けていると、アストレア大尉が我が意を得たり、と言った風にヘルメットのバイザー越しにニヤつく。

『そ、つまり俺たちがプロトに初めて乗ったヤツってことになるな』

「はは……」

 その、少し興奮した物言いに対して乾いた笑いが漏れてしまった。

 どこまでも少年みたいな人なんだ……。

『ま、お前の名前は残らないかも知れないけれど、俺とお前の中じゃこの事実は残り続ける。どうだ、カッコいいだろ?』

 アストレア大尉が、したり顔で言う。

「まあ、それ以外に無いですからね」

『なんだよ、つれないな──』

 アストレア大尉が肩をすくめてみせたその瞬間、ピピピピという警告音がコックピットに鳴り響く。

「な、なにが起きたんですか⁉︎」

 前面モニターに現れる«ENEMY ENCOUNT»の文字。

『くそっ、こんな時に敵かよ!』

「て、敵っ⁉︎」

 打って変わって切羽詰まった様子のアストレア大尉の放った一言に俺が困惑していると、アストレア大尉がモニターを真剣な眼差しで見ながら、俺に向かって言う。

『かなり荒っぽい運転になるけど、勘弁してくれよ!』

 そう言って、思いっきりエンジンをふかす。そのまま、機体をジグザグに、不規則に動かした。途中、右モニターから見える漆黒の宇宙を切り裂く一筋の緑色の光線が見えた。

(ビーム……ッ!)

 陽電子を収束させ、加速させてから放つ、現代宇宙戦に於ける戦艦の主力兵装、ビーム兵器。

 本来、主機出力などの関係から戦艦、巡洋艦などの大型航宙艦や、宇宙艦にしか搭載できないはずのビーム兵器をMASに搭載させるなど誰が考えただろうか。

 そう、誰しもが考えなかったのである。誰しもが不可能と考えたことを成し遂げたCRAは、地国連に技術的な面で一歩先んじていると言えなくも無いだろう。

 そのCRA、敵の機体が背後に付いている。

(し、死ぬ……のか…⁉︎)

 ふと、誰かに背中を撫でられたような気がして、身震いをする。

 気がつくと、歯の根が合わなくなってガチガチと音を立てていた。目は見開かれ、息は浅くなっている。

『大丈夫だ。お前は死なせやしない、俺が生きて送り届けてやる!』

 俺の様子に気づいたアストレア大尉が、モニターの様々な情報に目をやりながら言う。

「は、はい……」

『落ち着いて、一回深呼吸でもしてみろ!』

 アストレア大尉の声には、明らかな焦りが混じっていた。しきりにモニターに映し出された情報に目をやり、その度に大きく足や腕を動かしている。

 怖がっているのは、アストレア大尉も同じだ。

 元々、戦闘機に乗っていた男にMASで敵から生き延びろと言う方が本来はおかしいだろう。

 大尉は言っていた。MASはさっぱりだと。

 なら、丸腰のMASで敵から逃げ延びるのは不可能に近いのでは無いだろうか。さっきから見ていると、その操縦には若干の稚拙さと、雑さが見られる。

 アストレア・ケーリー大尉は冷静さを欠いている。このままだと、この機体諸共に死ぬのは時間の問題だろう。

 なら、この場を生き延びるためにはどうすれば良い。

「大尉」

『なんだ!』

 一つ、深呼吸をして呼吸を整えてから話す。

「あの小惑星の影にまで、全速力で行ってください」

『な、どういうことだ⁉︎』

「いいから、言う通りにしてください!」

『あ、ああ、分かった。やってみるよ』

 ヘルメットの中で、右のこめかみを汗が一筋、つっ、と伝うのが分かった。成功するのかどうかは分からない。ましてや、生きて帰ることができるのかも分からない。

 だけど、やらなければ始まらない。

『これで、いいかい?』

 先ほど指示した、小惑星の影にまで付いた。俺は、息の上がっているアストレア大尉に問う。

「敵との距離は⁉︎」

 アストレア大尉は、上下する肩を抑えて、操縦席のカバーに付いている小さな液晶画面に映し出された、レーダーをチラと見る。

『全速力で飛ばしてきたから、五〇〇メートルぐらい離れてる。だけど、敵の方もあと十秒くらいで追いついてくる』

「充分です。変わってください!」

『え、変わる……?』

「そうです、俺が動かします!」

 俺が言うと、アストレア大尉が目を皿のように見開いて俺を見る。

 その目に、真剣な眼差しで答えると、アストレア大尉はふっと笑って、操縦席の拘束を解く。

『分かった。死ぬときは共々、だな』

「いいえ、死にませんよ。俺はまだ、死にたく無いです」

 俺がはっきりとそう言うと、アストレア大尉はやれやれ、と言ったような感じで肩をすくめる。

『任せるよ』

 そう言って、俺の方を叩くと、操縦席から両腕両足を抜いて、俺と場所を交換する。俺は、シートベルトを着けてから操縦席に両腕両足を突っ込む。すると、キュッと締め付けられるような感覚がした。

 これで俺は身動きが取れなくなった。これで、もう後戻りはできない。

『で、どうするつもりだい?』

 操縦席の背後、先ほど俺がいた場所からアストレア大尉が顔をのぞかせて言う。

「一旦、この小惑星の横、奴の進路からの死角に隠れます」

『だけど、この機体はもう既に奴に捕捉されているけど?』

「大丈夫です。さっき、面白いものを見つけましたから」

『面白いもの?』

 アストレア大尉が決死の逃亡を繰り広げている隙に、俺はざっとモニターの情報を見ていた。その時に、機体の機能の表示の中に、使えそうなものを見つけていたのだ。

「これです」

『ん、どれどれ?』

 一時的に左操縦桿から手を離し、─MASの操縦桿を握りこまないと手足が拘束されず、操縦できない─左モニターの一部を指し示す。

 そこに表示されている、このプロトに搭載された種々の機能名の中の一つであるECA(電磁迷彩装甲)の状態はNA(非稼働状態)であり、タブが赤色になっていた。

『へえ、こいつは確かに面白そうだ』

「そろそろ、動かないとまずそうですね」

『そのようだね』

 再び、操縦席のカバーの奥の操縦桿を握る。カバーが閉まり、両手足が拘束されたことを確認すると、レーダーをチラと見る。

 敵は、隠れているこちらの動向を伺っているらしく、先ほどよりもゆっくりと近づいてくる。

 全速力で突っ込んでこないあたり、どうやら敵はこちらがどのような装備なのかを知らないらしい。なら、好都合だ。こちらの戦闘能力を隠し、敵を慎重に行動させる。そこを、ECAを稼働させて背後から近づき、徒手でヤる。

「ECA、アクティブ!」

『了解、ECAの状態をアクティブに変更。パイロットへ、ECA稼働中においても通信は可能ですが、敵に捕捉される危険性があります』

 強弱や抑揚などのイントネーションがおかしい、男性の合成音声が聞こえてくる。

 MASは、完全に人間の操縦に頼っているわけではなく、OSの補助もあって行動している。

 MASの専門雑誌の最新MAS関連技術のコラムで、音声認識型のAIを搭載した機体の開発が紹介されていた。

 このプロトは、最新技術を積み込んだものだと、アストレア大尉が言っていた。ならば、その技術も入っているのではないかと思ったが、予想通りだった。

『音声認識の、AI……よくこんなもの知ってたね……』

 そして、予想通りアストレア大尉はこの機能を知らなかったようだ。目を大きく見開いて驚いている。

「既に、研究されていたから、もしかしたらと思っただけですよ」

『へぇ……』

 レーダーを改めて確認する。

 奴との相対距離は三四七メートル、相対速度時速七八キロメートルで接近中。進路は、隠れ蓑にしている小惑星の裏、こちらに向かって着実に進んできている。

 ECAを稼働させているとはいえ、完全に消えたわけじゃない。慎重に、ゆっくりと小惑星の縁に沿って進んでいく。相手の視界ギリギリにまで進み、逆噴射を吹かせて機体を制止させる。

 レーダーを見ると、敵は相対距離一三メートルにまで接近していた。

「…………ッ」

 溜まっている唾を飲み込む。息が浅くなり、視野が狭まっていく。奴に気付かれずに近づく。ただそれだけに集中力を全て注ぎ込んでいた。

 奴が減速しながら、小惑星の裏へと進んでいく。ECAを全面的に信頼して、頭部だけを影から出す。

 奴は、ライフルを構えていた。つまり、まだ小惑星の裏に俺たちがいると思っている。

「……ッ!」

 意を決し、影から飛び出して、奴の背後めがけてスラスターをふかす。

(頼むから気付かないでくれよ……!)

 ECAが隠すのは、この機体の装甲のみである。それ以外の関節部、イオンエンジンの陰極線などは視認できてしまう。だから、この奇襲が成功するためには、奴が振り向かないことが絶対条件である。


 コンマ数秒の刹那。その間に心臓が一.五回鳴り、呼吸を二回行った。体の至る所から冷たい、気持ちの悪い汗が吹き出し、脳内に直接氷が触れたかのように頭の奥が冷える。


 果たして、奴は振り向かなかった。俺は、ガラ空きの奴の背中に向かって、右操縦桿を振り上げる。

「……ッ、ぉ、ぉお!」

 震え、恐れ、恐怖を誤魔化すために雄叫びを上げながら、振り上げた右操縦桿を前に向かって突き出す。

 すんでのところで、奴が気付いて振り向くが、もう遅い。

 ゴンッ!

 という、音と衝撃が、操縦桿を伝って来た。

 そのまま、スラスターの勢いで小惑星に叩きつけようとしたが、敵もさる者で、プロトの右拳からするりと抜け出す。

 そのまま、プロトの右に機体を滑り込ませ、左腕で突っ張ったままの右腕を引っ張る。

「ッ! しまっ……」

 プロトは、慣性にしたがって逆に小惑星に叩きつけられてしまう。

「かはっ……!」

 衝撃で肺を揺さぶられ、息を一気に吐き出してしまい、肺が大量の空気を欲する。

「はっ、はっ、はぁ」

 息を整えながら、機体を起こして奴を見据えた。

 距離は大体二〇メートルぐらいといったところか。奴の右腕が大きく破損している。もう、奴は右腕を使えないはずだ。

「…………。」

 互いに僅かたりとも動かず、睨み合う。

 すると、側の地面に勢いよく突き刺さるものがあった。

「これは……」

 奴が持っていたであろう、ライフルだった。長く、大きなライフルが奴の背中に付いているが、それはビームを発射するライフルであろう。だから、たぶんこれは実弾のライフルだ。ビームに比べれば、遥かに劣る。

 だが、それでも十分だ。この間合いなら、コックピットを撃ち抜ける。

 そのライフルを拾うと、データ解析が始まった。それは即座に終わったが、今度はハックが開始される。

 鹵獲を防ぐために、MASのライフルなどの主武装は電子キーによる制御が行われている。そして、プロトはその鍵をこじ開けようとしていた。ログを目で追っていると、プロトに搭載されたシステムはやはり、かなりの高性能であることがわかった。恐らく、今存在するどのプログラムの追随を許さないだろう。

 ハックが終わると、FCS(火器管制システム)が作動し、自動的に目の前にいる奴をロックオンする。連動して、ライフルを持つ両腕が動き、引き金を引けば即座に撃てる状態となった。

 これで奴は詰みだ。このまま、確実にヤる。




 その逡巡の刹那、奴はいきなりこちらに背を向け、スラスターを吹かせて逃げていってしまった。

『……プロト、聞こえるか、プロト! 応答せよ!』

 間発入れずに、リリウムからの通信が入る。通信越しの声は、焦っている様子である。

『はいはい、こっちはなんとか生きてますよ』

 それに、アストレア大尉が答える。

『今そっちにコスモブラスト三機が向かっている』

『救援、遅いよ。中佐殿』

 大きく、呆れたようにアストレア大尉はため息をついて言う。それには、この死地を生き延びた実感が籠っているのだろう。

『仕方がないだろう、プロトの機関出力にコスモブラストが追いつけない──』

『あー、分かったよ。で、そっちに帰ればいいわけ?』

 話を強引に打ち切られてしまった、通信の向こうの女性(ナターシャ中佐といったか)が一瞬黙ったが、咳払いをして続ける。

『理解が早くて助かる。直ちに帰還し、ナインテイルズで再出撃をしてくれ』

『りょーかい』

 そして、通信が切れた。すると、アストレア大尉はこっちを向いて言う。

『こんな状況になっちまって、すまん。ま、とにかくさっさとリリウムに戻ろうぜ』

「はい……」

 薄っすらと、ヘルメットのゴーグルが白く濁った。

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