空兵衛の店主、祖父の好み

 すっかり店のことにもなれた私は、くうでの店長生活に生き甲斐すら感じていた。


「つぐちゃん、今日は唐揚げくれや!」

「はいはい、油淋鶏ユーリンチーですね」


 幼い頃はお世話になった常連さんに、時々やってくる新しいお客さんとのやり取りも楽しい。


 駅のアナウンスを合図に始まり、深夜に店を畳む頃には住宅街はすっかり沈黙しており、その瞬間は実に心地よい疲労感に包まれるのだ。


「そういえばへいちゃんと空子さん、そろそろ長旅終えて戻るんだって?土産が楽しみだねぇ!」

「なぁんだ、ゲンキンでぇ辻さん!それらてがん、おめさんは土産話のひとつもしねんだすけ」


 酔った山原さんの方言は、もしかしたら聞き取れない人もいるかもしれない。そんな言葉に辻さんは聞いているのかいないのか。


「そんでよぉつぐちゃん、俺たちの頼みだ、へいちゃんとちょっと一杯、やりてんだて」

「そんとき、へいちゃんの好きなもの作ってやってくれよ~」


 二人に頼まれ、いやとは言えず…


「いいですけど…あ、はい、油淋鶏ユーリンチー

「おお、ありがとね!こりゃぁ楽しみだなぁ!」


 酌を交わし、二人は揚げたての鶏肉にタレを絡め、頬張る。


「……じいちゃんの、好きなもの…?」




 *




 じいちゃんの好きなもの。


 なぜそれがわからないって、私は祖父が好き嫌いについて話すところを見たことがないのだ。幼い頃に至っては、私やお客さんのごはんを作るばかりで、食事姿すらあまり見たことがない。


 年に数回、年中行事で親戚一同、集まって食事をするが、そういう時は寿司などの出前か祖父母の手料理と決まっている。


 詰まるところ、お手上げだ。私は実の祖父の食の好みすら知らずに20云年も生きてきていたのだ。


「ばあちゃんなら知ってそうだけど…聞きたくないなぁ」


 これは常連さんからのサプライズ計画だ。軽はずみな行動は避けたい。となると、次の手がかりは父だ。




 *




「え、じいちゃんの好きなもの?梅干し?なあんてなぁ!」


 真剣な娘の話に、はっはっは!と笑うこの父親を、1発殴ったくらいなら誰もとがめない気がする。


「ばあちゃんに聞くわけにいかないし、そうなるともう、しかたなく」

「うーん、そうだなぁ」


 父は立ち上がり、冷蔵庫を物色すると、梅干しやら大葉やらを取り出した。


継衛つぐえ、ここにあるものの共通点はなんだと思う?」

「共通点?」


 ショウガ、ミョウガ、大葉、梅干し、ネギ…どれも家庭でよく見られる食材だけど…


「香味菜?」

「そう。それもさっぱりしたものだ。梅干しは香味菜じゃないが、じいちゃんが好むもののひとつだ」


 すると父は両手のひらを天に向け肩をすくめると、これだけ、とお手上げのポーズをして見せた。


 祖父の好み、そして見えてきたくうの料理。


「香り立つ和中華!」

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