唐揚げが嫌いとは言わせない

「つぐちゃん、お酒ついでくんて!」

「はーい」


 異常のなかった体は、通常運転を取り戻し退院許可が出次第、思い出作りに久々の旅行に出掛けるらしい。


 拍子抜けするが、健康で何よりだ。私はこれからまだしばらく、くうの店主として働く日々が続きそうだ。


「しっかし、へいちゃんが旅行とはねぇ!どこまでいくんだって?」

「熱海と鎌倉らしいです。祖父母それぞれの希望を回るみたいで、当分帰ってこないかもしれませんね」


 しかしこの小さな店のどこにそんなお金があったことやら。



 *



 夕方、独特の空の色合いが枝豆と相性抜群な今日この頃、扉を叩いたのは見慣れない眼鏡の若者だった。


「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」


 店内をぐるりと見回した後、座敷に上がってこちらに背を向けた。

 私はお冷やとおしぼりをもって小上がりの靴を揃える。


「ご注文が決まりましたら、お声がけください」


 お通しとして豆板醤漬けを出し、私はカウンター前の厨房へと下がった。程よく店内が温かく賑やかになった頃、座敷にいた眼鏡の若者が手をあげた。


「ご注文お決まりでしょうか?」

「ビールのほかに、1500円くらいで “イイカンジ” に作って」

「え、…はい」


 先ほど眼鏡の“若者”といったが、近くでみると私と同じか少し年上な印象だ。まさかそんな人が初めてきたお店で “イイカンジに” と言うとは思ってもみなかった。


 1500円というけして高くないつまみ代、相手のことを全く知らない現状から言って、危険すぎる。


「ちなみにどのようなお味がお好みでしょうか?小鉢がお好みなら、数品お作りいたします」

「だから、“イイカンジ”ですって。料理人てそういうの“ナントナク”わかるんじゃないの?」


 わかるかっ!!!!!!


 初めてきた客の顔だけで味の好みまで分かりゃ看板メニューなんてなくても繁盛店だわ!


 でもここはおとなしく引き下がるしかない。私は厨房で食材と睨み合った。


 基本的にメニューに使わない食材はここにないため、即席で作ることはあまりよくない。正規メニューの食材不足はあってはならない。


 悩んだ末、私は冷蔵庫から鶏肉を取り出した。同時に油を熱し、もうひとつの鍋でタレを作る。


「はい、お待たせ致しました。“油淋鶏ユーリンチー”です!」



 *



油淋鶏ユーリンチー

 …唐揚げに長ネギを乗せ、酢醤油のタレで絡めた中国料理。


 まず、下味をつけた鶏肉に衣をつけて揚げていく。本場中国では衣をつけずに骨付きなものが多いが、空兵衛くうべえでは日本馴染みの衣つき骨無し唐揚げを用いている。


 その間にタレを用意する。醤油、酢、胡麻油、砂糖、酒を入れて熱し、千切りにした長ネギや生姜、ニンニクで香りをつけて味を馴染ませる。


「きつね色にカラッと揚がったら取り上げて…」


 肉全般が嫌いならまだしも、唐揚げが嫌いという人にはあまり遭遇しない。唐揚げが嫌いだなんて言わせない。


 お皿に盛り付け、タレを上からかける。ネギの鮮やかな彩りに食欲がそそられ、あぶり出させる。


「仕上げに白いりごまを少しふりかけ、食間にアクセントをつけたら」


 これぞ、厨房幻の“油淋鶏ユーリンチー”!

 1皿540円とお手頃価格!



 *



油淋鶏ユーリンチーか」


 彼はあからさまに残念そうな顔をする。もしや鶏肉が苦手だったか?…それなら先に言ってほしいものだが。


 湯気と共に薫り立つジューシーな唐揚げは、眼鏡がくもっても近寄ってしまう。表情のわりに興味がそそられたようなので、「さぁ、どうぞ」と食事を勧めてみる。


 箸から持ち上がった唐揚げには、食欲をそそるタレの甘酸っぱい醤油タレがたっぷりと絡んでいる。


 それを一気に口へと運ぶと、タレの旨味を一身に受けたのち、鶏肉から肉汁が溢れじゅわりと舌を濡らす。


「…っ!甘味と塩味だけじゃない!ネギの刺激と鶏肉の旨味が往来し続ける…っ」

「いかつい名前のせいか、常連のおじさんはあまり挑戦しないんです」


 頼まれなさすぎて最早幻のメニューだった油淋鶏ユーリンチーも、ようやく日の目を見たようだ。


 したり顔で男性を見ると、悔しそうに口許を結んでいた。そして指を2本立てて小さく呟いた。


「これ、あとふたつ」




 *




「お会計が3000円になります」


 おつまみをきっちり予算内で納めた彼は食べ終わると早々に会計を始めた。その表情は満足げで、私も料理人としてやりがいを感じる。


「ありがとうございました、お気を付けて!」


 私の言葉に彼は振り返り、はにかみながら手をあげ応えた。


「あんまうまい唐揚げはずるいけど、今度は違うものでお願いシマス」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る