祖父と豆板醤漬けは客を掴む



「結局じいちゃんには敵わないってか」


 折り畳まれたレシートを開く。




【辻さん攻略作戦】


 ・魚を使うこと(食べやすく切れ込みをいれ、臭み取り用に生姜を挟む、出すときはとる)


 ・大根おろしは若大根にし、刻んだねぎとかいわれ大根を入れ、出すときにさっと火を通

 す



 …ひとつも思い付かなかったわけじゃない。大根を変えることなら初めから分かってた。でも祖父は

 自分なら断るといいながらもお客さん思いなのだ、店が好きなのだ。


 片や派手でなくても地域で愛される居酒屋の店主、一方で私は出戻りニート店主代理。だからといって落ち込んではいられないのだ。


「じいちゃんが戻るまでの店長は、私なんだから」


 決心し直し今夜のための仕込みを始める。



 *



豆板醤トウバンジャン漬け】

 …豆板醤を効かせた漬け物で、くうではお通しとして出している。


「多目に作っておいて損はないよね」


 キャベツ、きゅうり、にんじんを洗い、それぞれ食べやすいサイズにカットしていく。


 くうでは、キャベツときゅうりは一口大、にんじんは千切りにしている。


 それらをひとつまみの塩で揉み、水分を出したあとで、塩、醤油、豆板醤、酢、ごま油で作った漬けダレを加えて冷蔵庫で寝かせる。


「レシピ自体は簡単だけど、それなりに野菜をカットする手間がかかるんだよね…」



 しかしこの豆板醤漬けは、くうの隠れた人気メニューである。祖父は近所の奥様方にレシピを教えたらしく、常連さん宅でも時々出てくるらしい。


「豆板醤って、中華料理のときにちょーっと欲しくて買っても、使わなくなっちゃうのよねぇ」


 家計をやりくりする奥様には大事なことらしい。自宅で食べていても「酒に合う!」と食べてくれるのだから、よほどだろう。



 *



へいちゃん、まだ具合悪いのかい?」


 山原さんの言葉に、思わず顔が上がった。


「いやぁ、つぐちゃんがだめだとかじゃないんだよ?むしろ華があって酒は進むけど」

 いつもの明るい山原さんの言葉は、心を暖かくする。


「でもへいちゃんがいないと、なんだか寂しくなるなってなぁ」

「………」


 そういわれるまで気づかなかった。私は祖父の容態をしばらく聞いていない。と言っても5日ほどなのだが、入院してからは2週間経つ。


 なんでもなければそろそろ退院してもいい頃合いだろう。


「まぁ、心配しすぎても仕方ねえ!つぐちゃん、もう一杯!」

「あ、はい」



 *



「で、なんでオレに聞くんだ?」

「だってなんか聞きづらい」

 私は父に伺うことにした。


「まぁ良くはないな。ぎっくり腰はいいんだけどについてはまだ結果か出てない」


 そう、ぎっくり腰の時から気にしていた影。ガンの腫瘍の可能性だって捨てきれない。

 すぐに検査結果を伝えないところから、芳しくはないのかもしれない。


「そう、なんだ」

「気になるなら直接聞いた方が速いぞー」


 自然と顔が下がる。何とも言えないもやもやが、心の奥でうずく。


「…なぁ、継衛つぐえ、いっそこのまま、あの店継いだらどうだ?」

 背中が凍りつくように伸び、心の中に一瞬で一言浮かび上がる。


 ふざけんな。

 あの店はじいちゃんのものだ。



 *



 行き場のないもやもやを抱え、内心毒づいていた父の言葉に従い、私は今病院に向かっている。祖父自身から真実を聞きたい。


 真っ白で清潔そうな建物の中に、病気や怪我が蔓延している、包み隠している。その隠しものの中に、祖父の容態も含まれてる。


 3階の大部屋、私はそーっとカーテン越しに聞き耳をたてた。祖父母の会話が聞こえる。


「でもおとうさん、そんなこと、みんなは許してくれるかしら…」

「なぁに、最後の思い出らて」

「やめてください、そんな言い方!」


“最後の思い出”

 その言葉の真意は恐らく、が本当に悪質ななにかだったのだ。私はたまらなくなって、シャッ!と勢いよくカーテンを開けた。


「おお、継衛つぐえ…………もしかして、聞いてたか?」

「…うん」


 祖父に何かあってほしくない。でももしそうなってしまっていたら、私は決めていたことがある。店に関しては店主の祖父に今後を委ね、祖父の遺言や頼みをなるべく叶えると。


「じいちゃん、しなよ、思い出作り。家族に反対されても、私が何とかしてみせる。……お店も、任せるよ」


 ふたりはきょとんとしたのち、顔を見合せ…


「…プッ、ふふふ」

「はっはっは!ばかたれ~!」

「え?」


 二人は私をみて、ひとつの本を差し出した。


「この小説の舞台になった場所に行きてんらて」

「最後の思い出なんていうから、私とも行ってもらわないとって」


 楽しそうに笑い、旅行なんて滅多にできない、というのだ。


「…つまり?」

「おう、退院してもしばらく店は頼むわ!」


 祖父はお客さん第一、……なんだろうか。

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