午前予約は一部の特権

郊外にある小さな町の中、住宅街の入り口に“くう”はある。


『ホームに列車が入ります、到着いたしますのは17時2分発、○○行きです』


まだ明るい17時過ぎ、このアナウンスをサインにこの店は開店する。





「よし!」

入り口にのれんをかけ、提灯を灯す。ぼんやりとした温かい光に照らされ、心なしか夕暮れが始まるような気がする。

空調の整った店内に夕方のニュースが流れ込む。まだターゲットの社会人が帰宅するには早い時間だ。

「はぁ、ばあちゃんもいないし、ひとりで大丈夫かなぁ…」

祖父にほぼ付きっきりの祖母が店に戻るのは21時頃だ。翌朝も早く出るため、店に立つのは数時間。もちろん無理はさせられない。

「うん、頑張ろ!常連さんばっかりだしね!」


「よーお!へいちゃんが倒れたって聞いてたけど、たまげた!つぐちゃんがやってんだねぇ!」

「あ、山原さん、お久しぶりで…いらっしゃいませ!」

「へへっ、堅いのはいいのよ」

そういうとカウンター席にどかっと座った。ぎしっと鳴いた椅子が挨拶をしているようだった。

山原さんはかなりの常連さんで、昔はよくお菓子やジュースを貰ったものだ。もう70代のはずなのに相変わらず元気そうだ。

「とりあえずいつもの、餃子と焼酎ね!」

「はいっ」

温かい声に後押しされるように、バットから餃子を取りだし、鍋を火に掛ける。途端に厨房の温度が跳ね上がる。この感覚、久しぶりだ。ジュウジュウと焼ける音がニュースを掻き消す。

始めは強火で一気に焦げ目をつける。その後、中火にして餃子が半分隠れるくらいのお湯をいれる。シャワシャワジュージュー、相性の悪い水と油が熱に激しく抗う鍋に蓋をする。蒸し上がってきたら水を蒸発させ、溶かした小麦粉を流しハネをつくる。鍋肌に胡麻油を投入、ふわりと香り鼻孔をくすぐる。



「…というわけで明日は午前に頼むよ!」

「え!?ちょ、っと待って、ください!」

いかん、聞いてなかった!

「だっけ、明日は親戚と飯食いに来るから午前営業頼むよ!」

餃子を皿に盛り付け、くう特製ダレを添える。煎りごまの食感、ラー油と山椒さんしょうが香り食欲をそそる。そこへまたガラガラと客足が向き、いらっしゃいませと声をかける。


「でもうちの営業時間は17時からですよ?」

「つぐちゃ~ん、ちっちっち、だぜ?へいちゃんは常連のために午前からも店開けるんだぜ?予約制だけどね」

そうだったんだ。祖父の愛客精神には本当に頭が下がる。

「すみません、勉強不足で…じゃぁ開けますね」

美味しそうに焼酎をあおる山原さんとゆっくり仕事をしていれば楽しいものだが、やることは一杯だ。バタバタと注文を受け、調理し、片付けをする。確かに祖父母には負担のかかる仕事に思う、私自身、若さに任せて動いているようなものだから。





20時頃、祖母は早々に帰宅した。

「おとうさんがね、継衛つぐえのことが心配だから早く帰れって」

にこにことして祖母は身支度を整え厨房に立った。

「おっ、空子そらこさんじゃないの~!待ってたよ!」

へいちゃんにグダグダ言われてない?」

「女将さんまで体調崩さないでくださいね!」

祖母に掛けられたのは優しい声の数々。若いサラリーマンから近所の常連さんまで、この店を愛している人の想いだった。


「大丈夫、継衛つぐえがいますし、この子はこの店を潰したりしませんから」


力強い言葉と笑顔にその場の誰もが驚き、笑った。

普段控えめで下準備や洗い物ばかりしている印象のある祖母は、人としての芯が強い。病室で祖父母の話し合いで顔色ばかり伺っていただけとは思えない物言いだった。

継衛つぐえ、カット野菜が不足してるでしょう、作るわ」

気配りができて柔らかい言葉遣いの端々から、この店の支柱であることを実感した。


「すみませーん、餃子ひとつー!」

「はあい!」

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