第72話 123回10日目〈2〉S★0

 しかし、メルクオーテも多忙な身だ。


「うぅ……おでかけしてる時間なんてないんだってばぁ」


 彼女が涙ながらに返答すると、構ってもらえないことを察してサクラは頬を膨らませた。


「じゃー、諦めない」


 そう言うなり、サクラはのぺっとメルクオーテに重なったまま動かなくなる。

 そのメルクオーテに甘えるが故の奇妙な姿勢は、端から見る分には微笑ましく、俺はつい笑いを誘われた。

 口元が緩み、うっかり表情をほころばせてしまう。

 だが、その一瞬を、彼女は決して見逃さなかった。


「ちょっとタケ……なに笑ってんのよ」


 メルクオーテの棘のように鋭い眼差しが、ギロリッと俺を捉える。

 彼女の視線には、見つめ返せば目玉をえぐられるのではないかという迫力があり、とても応えたいものではなかった。

 だからこそ、俺は目を逸らし、やり過ごそうと考えたのだが。


「ありゃ?」


 サクラの間の抜けた声に気を取られ、思わず彼女達に目線を移してしまう。

 すると、ちょうどメルクオーテがサクラを背負ったまま立ち上がったところで、彼女はサクラを引きずりながら、俺へと向かって来ていた。

 顔をうつむけ、じりじりと俺に詰め寄るメルクオーテ。

 彼女は鼻先が胸元に触れそうな程近づくと、人差し指をぴんと立て、それを俺の胸に押し付ける。

 そして、顔を上げるなり口を裂き、ぎゃんっと吠えた!


「だいったいねぇっ! 育児はあんたの仕事でしょう!」


 破裂音のような怒声に一瞬気圧され、俺はその言い分を受け容れそうになる。

 だが、よくよく考えれば、そんな仕事を了承した覚えはない。


「ちょっと待て、そんなのいつ決まって――」

「ばっかじゃないの! いつもなにもないわよっ! 最初にあんたがアタシに言ったことでしょ! 何でもするってっ!」


 その、彼女に都合よく変換された言葉には覚えがある。

 しかし俺は、やはりなんでもするとは言っていなかったと思うのだが……。

 この言い分は今、メルクオーテの耳には届かないだろうと悟った。

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