行商ぎょうしょうは明日の朝一で村を出るそうだ。

 俺たちも帰ろうと思ったが、時刻じこくは夕方であと一時間もしたら日がしずんでしまうような時間だったので、ヒョイの両親が家に来るようにすすめてくれた。

 帰る途中から飛んでいくつもりだったので、暗くなる前に家にたどり着くことが出来るが、さすがに魔法使いでもない旅人がそんなことをやったら問題になるだろう、と考えお言葉に甘えることにした。


 イゾータに連れられて家に行くと、頭に大きなたんこぶを作り泣きながら出迎でむかえてくれたヒョイが居た。

 一歩間違えれば死んでいた状況だったので、これくらいでめば安いもんだろう。

 この村は、町から遠くはなれているので「豪華ごうか!」とはいかないが、焼かれた大ぶりな鹿肉しかにくかたまりが出てきたので、かなり無理をしてくれているんだろうと思う。



「へぇ? そんな奥に村なんかあったかねぇ?」


 俺たちが住んでいる場所を聞いたイゾータが、目を丸くして聞き返して来た。


「そこには私たちしか住んでいません。周りは森で、けものしか居ませんよ」


 さらに言えば、家もまだ建築中けんちくちゅうだ。先は見えているが、て小屋にすらなっていない。


「このスープ、美味しぃー」


 俺たちが住んでいるところについてイゾータと話に花をかせているとなりで、マリアはイゾータの奥さんのマルツェさんの料理に舌鼓したつづみを打っていた。


「それはね、鹿骨しかぼねをじっくり煮込んで作ったスープなの。その黒いかたまり骨髄こつすいで、いい出汁だしが出るし栄養もあって美味しいのよ」

「あっ、本当。臭そうな見た目なのに、臭くない」


 マルツェに教えられ、骨髄と言われた黒い塊を食べたマリア。見た目が赤黒く、魚の血合いのような色合いのため、そんな感想になったんだろう。


「だが、これから住むとなると領主様りょうしゅさまに話を通しておかないといけないな」

「旅人でもそうなんですか?」

「二、三日の滞在たいざいなら問題ないと思うが、さすがに当分住むとなっちゃあ話は変わってくるだろうな。それに、話を通しておくのはさっきも言ったように犯罪者の集落しゅうらくと間違っておそわれる可能性もある」


 この村の周囲になるが、ゴブリンといった魔物を追い払うために定期的に軍隊が森に入っているようだ。今回、ヒョイがおそわれたのは運が悪かっただけのようだ。


「森には、盗賊とうぞくが多いんですか?」

「いや、犯罪者と言っても盗賊はまず居ないと思っていいだろう。そんな奴らが住めるほど、楽な場所じゃないからな」


 イゾータの目が、暗に俺たちに「森に住むな」と言っている気がする。


「今、ここからずぅっと東に流れているアモ川をめぐって、こちらのサーペット伯爵様はくしゃくさま隣国りんごくのエベゴール伯爵様があらそっているんだ。サーペット伯爵様の方で戦っていた兵士が逃げる時に使うのが、北の森だ。中途半端ちゅうとはんぱだが、腕っぷしに自信がある奴らがたまにさまよっているから、こういった奴らが魔物よりも危ない」

「なるほど」


 これが、川から池に水を引かなかった理由だ。余りにも面倒くさすぎる。


「川を巡っての争いは、昔から起きていたんですか?」

「十年位前からだな。その前まで、季節で川の流れが大きく変わっていたんだ。春夏になれば川は増水して、両領地に十分な水が入っていた。だが、ここ最近は季節が変わっても流れが変わらないどころか、春夏になっても増水するどころか最近では水量が減ってきているらしい」


 珍しいこともあるんだな。まるで、水が必要となる時期をねらったかのように増水するなんて。


丁度ちょうどん中を川が流れていれば良かったんだが、エベゴール伯爵様寄りに流れちまって、サーペット伯爵様の方は不作続き。後がなくなって、上流から水を引いて来ようとしてエベゴール伯爵様と喧嘩けんかになったってわけだ」


 この話のお陰で、森にある魔物以外の危険性と、周辺地域の政治がどうなっているか理解できた。

 俺たちとしては森にこもっている以上、危険なのは魔物と兵士くずれの人間だろう。どちらも、よほど力を持っていない限り俺たちの敵ではない。

 そんな奴が居れば、そもそも問題になっているからあの森に危険な生き物は居ないという結果になる。



 食事を終えると、俺はイゾータと酒をわし、マリアはマルツェやヒョイと親交を深めていた。

 すでに外は暗く、周囲の家々の明かりはほとんどついていなかった。

 何軒なんげんかは小さな灯りで作業をしているんだろうけど、イゾーダ家のように部屋全体が見渡せるくらい明るい家は無い。俺たちが居るから、わざわざ明るくしてくれているんだろう。


「マリア、もうそろそろ休ませてもらおう」

「そうね。あまり長く起きていると、悪魔がやって来てしまうもの」


 夜遅くまで大きな灯りを付けて作業をしていると、ランプの油を吸い取る悪魔がやってくると向こうの世界ではよく言われている。

 それは、ランプに油が貴重きちょうなのにかかわらず、昼間作業せず夜に行う者に対して注意をうながす意味もあるんだろう。

 ただの子供だましと思いきや、実際にやってくる。

 マリアは、輜重隊しちょうたいの人間が。俺の方は、執事しつじうるさく言ってくる。それも、悪魔・・のような形相ぎょうそうで。


「ベーベルの悪魔だな」

「こちらでは、そう呼ぶんですね」


 どうやら、世界が変わっても似たような話はあるようだ。まぁ、似たような生活様式であれば、似たような話が生まれるのも当たり前か。


「僕、悪魔なんか怖くないよ! 悪魔が来ても、追い払ってやるんだから!」


 椅子いすから飛び降り、ヒョイは威勢いせいの良い言葉と共にはねんだ。

 今日は客が来ている、というより、マリアというお姉さんが居るから、男としてカッコイイところを見せたいんだろう。男の子というのは、だいたいこんな感じだ。


「ヒョイ、もう寝る時間はとっくにぎてるだろ」

「え~! マリアさんから、もっと旅の話を聞きたい!」


 本来ならゲンコツをもらって渋々しぶしぶベッドへ行くんだろうけど、今日は俺たちが居るからイゾータも怒鳴どなることが出来ないんだろう。それを見越みこして、ヒョイはわがままを言っている。


「あんたのわがままで、マリアさんを困らせるんじゃないよ。ここまで野宿のじゅくしながら来てるんだから、休ませてあげなさい!」

「痛ッ!!」


 バシン、と部屋にひびき渡るくらい良い音を立てるくらいの強さで、マルツェはヒョイの頭を平手で叩いた。

 そこがちょうど日中ゲンコツを受けたところだったようで、ヒョイは跳びあがるように叫ぶと床に転がり出した。


「本当に大げさなんだから。それにあんた、今日は何をやらかしたか分かってるんでしょうね?」


 母親から今日の出来事できごとについて言及げんきゅうがあると、さすがに劣勢れっせいなのをさとったのかヒョイは渋々といった様子で立ち上がり部屋へ向かった。


「メイ・メーア様においのりをしてから寝なさい」

「はーい」


 母親から再度注意を受けると、ヒョイは一枚の絵画かいがの前に歩いて行った。

 この家に来た時から気になっていた、家の質や広さと不釣り合いな一枚の天使がかれた絵画。その天使の名は、メイ・メーアという名前らしい。


「美しい方ですね」


 天使とはいえ、あれが何なのか分からないので当たりさわりの無い言葉でさぐりを入れる。


さばきと豊作のつかいである天使、メイ・メーア様です。この村以外でも、大きさはまちまちですが農家であれば各家庭に一枚は必ずある絵です」

「なるほど」


 信仰しんこうの対象は、神様ではなく天使の様だ。こちらでは当たり前なのかもしれないが、俺から――マリアも含めて珍しく思う。

 説明を受けながら、もっと近くで見てみようと絵画に近づくと、マリアも同じことを思ったのかとなりに来ていた。


「これ、マリアに似てないか?」

「そうかな?」


 髪の長さはメイ・メーアの方が長いが、綺麗きれい金糸きんしのような髪に白と青を基調としたよろいに赤いマントは、まさにマリアが戦時中に付けていた鎧のようだ。

 でも、薄っすらとし描かれていない顔を見ると、マリアと似ていないかもしれない。


「やっぱり、気のせいかな?」

「最後まで似てるって言いなさいよ……」


 似ている、と言えばはぐらかされ、気のせいか、と言えばめられる。このけ引きは、ちょっとどころか、だいぶ不利ではなかろうか。

 そんな絵画を見る俺を見る視線がある。


「何だ?」


 寝室へと続くドアから顔だけ出しているヒョイが、俺を見て笑っていた。しかも、何も言うことなく、だ。

 その顔がすこぶるムカついて、手から小さな空気のかたまり射出しゃしゅつして、ヒョイのおでこにぶつけた。


「痛いっ!」


 指弾しだんは、ヒョイのひたいにクリーンヒットし、ヒョイはのたうち回った。


「あんたたんじゃなかったの! 早く寝なさい!」

「母さん! 今っ! 今、セシルさんから何かぶつけられた!」


 母親にチクったって無駄むだだ。証拠しょうこなんて何もないんだからな。


「何かって何なの! 言うこと聞かないから、メイ・メーア様から天罰てんばつが下ったんだよ!」


 早く寝なさい、とマルツェから怒鳴られると、ヒョイは渋々寝室へ戻っていった。

 天使メイ・メーアは、かなり万能ばんのうな天使のようだ。

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