record5 博士 前半



「私のことを知ってるのか!?」

ミカが白衣の女に銃を突きつけながら尋ねる。女は拍子抜けしたように尋ね返す。

「また記憶をなくしたのか?」

「また?」

この女と出会った時の自分も記憶を失っていたのだろうか。つまり自分は2回記憶を失っているということか。

「それにしてもだいぶ変わったな。髪も切ったよな?」

白衣の女は相変わらず馴れ馴れしく話しかけてくる。ミカはこの女は安全だと確信し銃をしまった。

「すまないが記憶が無いんだ。前あんたに会ったのはいつだ?」

「ミカちゃん、敬語敬語」

フミが後ろからミカを小突く。ミカにとって、年上と話すのが初めてだったので、敬語いう概念をすっかり失念していた。しかし、フミに指摘され敬語というものの使い方は思い出すことができた。

「気にしなくていいさ。それに君も前会った時よりはだいぶ話しやすくなったしね」

「それで何処であったんだ?」

「まぁそう急かさない。そうだ君ら私の家に寄っていかないか?色々と話したいこともあるからな」

「どうする?」

2人は顔をお互いに顔を見合わせる。

「まぁいいんじゃ無いかな、折角だしお邪魔させて貰おうよ」

「そうか」

ミカはフミの返事を聞くと、女の方に向き直った。

「話はまとまったようだね。じゃあ行こうか」

「ちょっと待ってくれ。聞き忘れたが、あんたはなんなんだ」

「私か?」

女は嬉しそうに振り返ると、少し貯めてからキメ顔でこういった。

「博士、と呼んでくれ」



一行は30分ほど歩いて街の中にたどり着いた。前の街より少しさびれた町だ。入り口にはくまー村と書かれた看板が掛かっていた。

「ここさ」

博士の家は思っていたよりだいぶ簡素で普通な一軒家だった。

「小さくて悪いな」

そんなミカの気持ちに感づいたのか、博士が謝る。3人は靴を脱いで博士の家の中に入った。博士に招かれ客間に入る。部屋の家具はソファと机だけと、非常に簡素な構成だが、壁は本棚で埋め尽くされ、古びた本が所狭しと並んでいた。

「これは......凄いね」

フミが圧倒され思わず言葉を失う。これ程の量の本が並んでいるのを見たのは初めてだったのだろう、好奇心が隠しきれていない。

「まだ2階にもあるよ」

博士が自慢気に言った。これほど集めるのにどれほど苦労したのだろうか、そのことを聞こうと思ったが、これだけの量だと話も長くなりそうなのでやめた。今は自分の話を聞くのが先決だった。

「座りたまえ」

博士が2人をソファに座らせた。

「博士は何する人なの?」

フミが博士に目をキラキラさせて聞いた。ミカが自分が先に聞きたかったでも言いたげな嫌な目線をフミに送る。

「私か......まぁある程度推測はしていると思うが、本を読んで昔のことを調べている」

博士は足を組んでテーブルに両肘を置き、両手で顎を支えるような姿勢になった。

「どれくらい知ってるの?」

「君らの100倍は知ってるさ」

博士は得意気に言う。自信満々の表情からきっと本気で言っているのだろう。

「じゃあさじゃあさ、この世界について教えてよ!」

「ほう?具体的には」

「うーんじゃあさこうやって世界が滅ぶ前の世界はどうなってたの?」

「なるほど。それはいい質問ですね」

博士がなぜか声を変えていった。

「世界が滅ぶ前の世界今から約500から800年ほど前だね」

「範囲が広いな」

「その時代は残念ながら、あまり文献が残っていないんだよ。戦争中は文学が発展しづらい」

「戦争?」

「まぁ大規模な喧嘩みたいなものだ。それによって世界がこうなったのだよ」

「えぇ!喧嘩でこうなったの!?」

フミほどオーバーなリアクションはしなかったが、ミカにとってもその事実は衝撃的だった。最も強いと思っていた銃ですら看板を貫通する程度の威力であるのに、世界を壊すほどの威力など想像も出来なかった。

「昔の人はすごいんだなぁ......」

「そうだな。少なくとも今の私たちよりも、千年近く文明が進んでいたと考えられるな」

「じゃあなんでこんなになるまで喧嘩しちゃったんですか?」

「世界の華氏が限界に達したのさ」

博士が決め台詞風に言うが、2人の頭上にはてなマークが浮かぶ。博士はあえて凝った言い方ややしたことを少し恥ずかしそうにしながら、言い直した。

「つまり我慢の限界に達したってことだ」

「なんだーだったら最初からそう言えば良かったのに」

フミが博士の心の傷を抉る。本人には自覚が無いのだろう。無邪気な笑顔である。

「それで私のことについて何だが」

ミカが博士の心境を察し、話題を転換する。それにこのことさえ聞ければ、他のことはさして興味はなかった。

「ふぅん......。君のことか、まぁ出会ったと言っても1ヶ月ほど前に一晩泊めただけなのだが」

「どんな些細なことでもいい」

「うーん......そうだな。まず容姿だが、顔はそっくりなんだが髪は今よりだいぶ長かったな。あと服は今とはだいぶ趣向の違うヒラヒラしたスカートを履いていた。それに性格もだいぶ違ったなぁ。今の君は大人しくてクールな感じだが、その時の君はだいぶナルシストな感じでまあ言っちゃ悪いが少し痛い娘だった」

「大分凄い娘だね......」

「出会ったのは丁度30日ほど前だったかな。確か記憶をなくしていると言っていた。そして、確かトキョーに向かっているとも言っていたなぁ」

「トキョー?」

「トキョーっていうのは街のことだよミカちゃん」

「知ってるのか?」

「昔の若い人はみんなそこを目指していたっていう街なんだよ!きっととてつもない所なんだろうね〜」

「トキョーって言うのは人類崩壊前のこの国の首都、平たく言えば、中心ってことだ」

博士がフミの説明を分かりやすく補足する。

「国というのは何だ?」

ミカが更に問いかける。博士はミカの質問に対して嬉しそうだった。きっと生徒に講義しているつもりなのだろう。自分の知識を話すのが楽しくて仕方ないらしい。

「国というのはだな、つまるところ街の集合体とも言えるし、国を分割したものが街とも言える。人の文化の基盤と言ってもいい」

「文化の基盤......」

「まぁ血のつながりのある、同じ民族が暮らしていた地域ってのが、一番わかりやすい説明かな」

「成る程、つまりは生活コミュニティの大きいものと考えれば良いのか」

「いい理解だ。君は年の割に難しい言葉を知っているね」

博士は感心したという様子で、うんうん唸った。

「それで、そら以外は何か覚えていないか?」

「そうだな、そう言えば海を渡ってきたと言っていたな」

「つまり私は国の外で生まれたということか?」

「そうとは言い切れないな。国は必ずしも一つの島で構成されているとは限らない。事実、私たちが今暮らしているこの場所も昔は複数の島から成る国だったらしい」

「そうなのか」

「とまぁ私の知っていることはこれで全てかな。なにか質問は?」

「特に無いな」

「満足していただけたかな?」

「まぁボチボチだ」

ミカは会話を止め、ソファに背中を預けて、天井を見つめた。いささか不満足そうな様子だった。

「でもこれで次の目的地は決まったね!」

フミが突然言い出す。ミカは何を言い出すんだとでも言いたげにフミの方を見つめた。

「私たちの次なる目的地はトキョーだ!」

今までの旅に目的地があったのかは置いておいて、それでも急なフミの発言にミカは困惑した。確かに以前の自分はトキョーを目指していたが、だからと言って、再び記憶を失った自分がトキョーに行って何かを得ることが果たしてできるのだろうか。

「かつてのミカちゃんが目指したトキョーそこに行けばきっとミカちゃんの過去がわかる!」

予想通りの言葉に後ろに転びそうになったが、確かに他に目指すところも無い。

「そうだな。私も賛成だ」

それに自分で特にしたいことも無い。この度の決定権は全てフミが握っているも同然だ。

「それならこれを持っていくと良い」

博士が本棚から折りたたんだ巨大な紙を引き抜いた。本がパンパンに詰まっているらしく、取り出すのに少し苦労していた。

「かつてのこの国の地図らしい、屹度役に立つだろう」

博士は地図をフミに手渡した。セピア色に変色したその地図は、文字は薄れボロボロになっていたが、島の形や地形はまだ明瞭に残っていた。

「これくれるの?」

「ああ」

博士は当然のことのように言った。しかし、こんな貴重なものをもらって良いのだろうか、ミカは少し躊躇するが、フミはそんな様子など一切見せない。

「良いのか?」

博士は躊躇いなど無い様子であったが、ミカは念押しした。いくら古びているといえこんな高価な物をタダでもらうなどというのは人として申し訳ないように感ぜられたからだ。

「いやーいいよそう言うのは、それに君たちそんなにお金持っていないだろう。それともカラダで払うかい?」

唐突に飛び出してきた、言葉にミカは面食らった。笑えないジョークだ。

「冗談だよ。私はロリコンでも無いし、同性にも興味は無い」

「ならいいんだが」

ミカは良い加減不毛な会話に飽きてきたので、この件について食いさがるのは止めることにした。それに博士も屹度私たちに負い目を負わせないために敢えてこういう言い方わしているのだろう。なので、自分もその意を汲むことにした。

「そろそろ夜ご飯にしようか」

博士が提案する。

「やったー!」

フミが両手を挙げ喜ぶ。

「流石に悪く無いか?」

これだけして貰って更にご飯も戴くのは流石に気が引けた。

「でも折角ご馳走してもらえるんだし。それに夜ご飯代が浮くしさ」

やはりそれが、狙いだったか、確かにお金にはそこまで余裕が無い。ここはフミの案を、甘んじて受け入れ他方が良さそうだ。

「ごちそうになります」

ミカは深々とお礼した。

「いいよいいよ。気にしなくて。それで君たちはうどんというものを知っているかい?」

「私は知らないなぁ、ミカちゃんは知ってる?」

「いや私もさっぱりだ」

うどん一体どんな料理だろうか、どんとついているから何かのご飯ものだろうか。そう言えば、米という食べ物を知ってはいるが、記憶に残っている中では食べたことがなかった。それどころか、街の料理のメニューにも米を使ったものは見られなかった。恐らく貴重なものなのだろう。だとしたら客においそれと出すとは考えづらい。ならば何かのメニュー名だろうか、しかし、うどんという3文字から連想できる食べ物はなかった。

「そうか。じゃあ作ってくるから待っていてくれ」

私たちがうどんを知らないと知り、博士はご機嫌だった。さっきも無償で話してくれたので、恐らく自分の知識を話すのが好きなのだろう。

「そらにしてもなんか凄い人だね博士」

「ああそうだな。これだけ本を持っているし只者では無いんだろう」

「やっぱり憧れるよね。あんなに賢いと」

「そうだな」

そんな他愛も無い会話をしていると、フミが本棚の中のある一冊に興味を示した。

「それなんだろう?」

フミは本棚の中のとびきり大きい一冊に手をかけた。その本は他の本に比べても頭一つ抜けて大きく、更に装丁も凝っている。

「勝手に読んでいいのか?」

ミカはフミが一番高そうな本を選んできたことに少し不安を覚えた。

「大丈夫だって!」

フミが本めくる。そうすると、中にはたくさんの写真が載せられていた。一見すると普通の写真集だが、しかし、写真の中の人物たちは、何か一つはとてつもない特徴を持った人物たちだった。周りの人と比べても明らかに身長が大きすぎる男、余りにも太りすぎている女、全身にありえない量のピアスを付けている男、全身にイラストを描きまくっている女、いかにも特殊な人物ばかりがこの本には挙げられている。

「この本は世界で一番凄い人をいっぱい載せた本なんだね」

フミが感心したように言った。ミカに話しかけながらも、熱心にページを見つめている。

とてつもなく大きな建造物、一分間に大量の瓦を破壊した男、この本には人類崩壊前のとんでもない人間たちが、数多く挙げられていた。

2人は暫くの間、その本を熟読していた。



「ギネスブックは気に入ってもらえたかい?」

うどんを作り終えた博士がお盆の上に湯気が立つお椀を3つ載せ、厨房から歩いてきた。

「見ればわかると思うが、その本には過去の世界で一番をとった者たちが載せられているんだ」

そう言いながら、お盆を机の上に乗せる。お椀の中にはなにやらつゆの中に、白く細長い糸のような者がぐにゃぐにゃに曲りながら盛り付けられていた。

「これは食えるのか?」

ミカが心配そうに尋ねる。そんななか、フミはというと、

「凄い凄い!こんなの初めて見た!」

興味津々である。それに今日1日で、凄いという言葉を何回発しただろうか、博士と会ってから、カルチャーショックのせいで、ボキャブラリーが貧弱になっている。

「小麦粉が原料なんだがな、うまいぞ」

博士は箸を器用に使って、麺を啜る。フミもそれを見て、箸を使い、うどんを食べる。

「んー!おいしぃー!」

フミはものを食べるにはややオーバーなリアクションをした。それほどまでに未知の味だったらしい。ミカはまるで食用をそそられ、唾が口の中から分泌される。美味そうな湯気が立つそれをじっと見つめた。

「食べないの?」

フミが食べ出さないミカを不思議そうに見た。

「いや、食べるぞ」

ミカはちょっぴり震えた声でそう言うと、これまた震える手で箸を持った。何故か箸のうち一本を人差し指と中指で掴み、もう一方の箸を薬指と小指で持っている。

「もしかしてミカちゃん箸持てないの?」

ミカの体がビクリと少し跳ねる。どうやら図星だったらしい。非常にわかりやすい反応だ。

「そ、そんなことないぞ!」

ミカはそのまま右手で箸を操り、うどんを挟んだ。そして絶妙なバランス感覚で口へと運んでいく。

「それはそれで凄いけど、全然違うよ!」

フミが珍しくツッコミを入れる。そしてミカの後ろに回り込み耳元で囁く。

「私が手取り足取り教えてあげる」

「え......」

ミカが反応するより早く、フミはミカの右手を手に取った。そして指の間に自分の指を潜り込ませ、本当に手取り指取り指導する。

ミカは余りの恥ずかしさに、顔を真っ赤にする。

「やめろ、フミ!博士も見てるだろ!」

「別にいいじゃん。それに箸くらい使えないと後々困るよ」

フミは耳に唇がつきそうなくらいの距離感で再びミカに囁いた。ミカはヒィ......と呻いた。完全に怯えている。

「博士もなんか言ってくれ」

ミカは耐えきれず博士に応援を求めるしかし、博士は暖かい笑顔でその光景を黙って見つめていた。


1時間後、ミカはフミの熱心な指導のおかげで完璧に箸を使いこなしていた。しかし、その代償に失った者は大きい。

「飯も食べ終わったところだし、お風呂にするか」

博士が提案する。

終わったと思ったミカの苦労の1日はむしろここから始まるのであった。


後半につづく



























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