record2 北へ
暖かいベッドの中ミカは目を覚ました。意識が少しずつ再構成され、視界が徐々にクリアになっていく。体温が上昇していくのが分かる。身体は急速に活動状態へと急激に変化していく。ミカは布団めくり立ち上がった。寝袋で野宿をしていた今までとは決定的に違う。体が完全に回復している。手を上に伸ばし、伸びをする。心地よい目覚めだった。
フミの方に目をやった。フミはまだ目覚めていないようだ、大きな口を開けて、幸せそうに寝ている。昨日夜更かししたのが効いたのであろう、まだ寝かせてやることにした。
ミカは部屋の壁に掛けられた時計を確認した。8時30分、いつもの起床時間より2時間近く遅い、時間を無駄にしたなと少し後悔したが、すぐにどうでもよくなった。念のため自分のリュックに取り付けられた時計も確認してみた。時計は8時32分を示していた。どちらが正しい時間か考えてみようかと思ったが、そもそもどちらも間違っているかもしれない。それにリュックに取り付けられている時計はどういう原理で動いているかも謎だった。
ミカは退屈なのでとりあえず着替えることにした。ミカの移動中の格好は、灰色の作業服とコートの中間のような服の下に、ぴっちりとしたインナーウェアを着ている。流石に室内でコートを着るのはおかしいと思い、上は、インナーウェアまでにとどめ、下はいつも通りのズボンを履いた。
ミカはふと机の上を見るとフミの地図が置いてあるのに気づいた。手に取って見てみると、中には色々と書き込みがしてある。今までに見てきた場所であろうか、星印や三角印が赤で書き込んである。地図を広げてみると、机では足りないほどの大きさであった。
どうやら、現在地はしまかご街というらしい。地図の南端に位置している。そういえば役所にも同じ名前が書いてあった。あれは街の名前だったのかと今更気がついた。
ミカは地図を閉じ机に戻した。フミはまだ寝ている。可愛らしい寝顔だ、開いた口からよだれが垂れている。じっと見ていると、フミが寝返りをうった。それだけなら良かったのだが、寝返りをうった所為で、布団がめくれはだけた胸元がさらけ出されてしまった。ミカは目のやり場に困り、目を逸らした。とりあえず布団を戻してやろうとフミに近づく。フミはベッドの反対側で寝ているため、ミカは膝をついて向こう側まで四つん這いで歩いて行こうとした。しかし、あと少しでたどり着くというところで、フミがこちらに転がってきて、上にのしかかってきた。フミの息がミカの首元にかかる。心拍数が一気に上昇する、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。しかし、フミはそんなミカの顔をさらに近づけてきた。
「すまん、フミ」
ミカはそう言い、フミをつき飛ばした。フミは大きく転がっていき、ベッドから転がり落ちた。
「うひゃわ!」
フミは大声を出して目を覚ました。急な覚醒に頭がまだ混乱している。
フミは辺りを見渡しようやく自分がミカに突き飛ばされたことに気がついた。
「もーミカちゃん寝相悪いんだからぁ〜」
いつも通りのおっとりした口調でフミは言った。今朝のことは一生の秘密にしようとミカは決意した。
「ちょっと、ミカちゃん歩くの速くない」
「そうか?」
ミカはフミに呼び止められ足を止めた。2人は遅い朝食を取った後、次の街を目指し歩みを進めていた。
「疲れたからちょっと休もうよ」
フミはまだ歩き始めたばかりだというのに、早くも息を切らしている。ミカはやや呆れながらもフミに合わせて足を止めた。
「このペースじゃいつまでたっても次の街まで行けないぞ」
「そうだけどさー」
ミカにとってはフミのペースは遅すぎるくらいだった。しかし、それでもフミにとっては限界のようだ。休みたいも駄々をこねている。
「休憩しよ。休憩」
フミは遂に道端の石の上に腰を下ろしてしまった。
「だめだ。行くぞ」
ミカがフミの腕を掴んで立ち上がらせた。自分と出会う前はどうやって旅をしていたのだろうかと疑問に思った。
「も〜。ミカちゃんの鬼ぃ」
フミは文句を言いながらも歩き出した。ペースは上がら今までと変わらないが、フミの口数は明らかに減っている。ミカは歩く速度を少し落とした。
周りの景色はミカが今まで歩いてきた風景とは少し違い、建物がまだ原型をとどめていた。今まで歩いてきた場所では建物は元々の形が想像できぬほど見るも無残な石クズと化していたが、この辺りではまだ外壁が残っていたり、鉄筋コンクリートが残っている建物もちらほらあった。
なぜここまで廃墟になってしまったのか、ミカには想像もつかなかったが、壊れた建築物にはなぜだか少し物悲しい哀愁を感じた。
今朝までいた街も、人がいなくなってしまったらこうなるのだろうか。ミカはそんなことを考えながらぼんやりと歩いていた。
そこから少し進むと前方に何か動く影が見えた。警戒しているのか、こちらをじっと見つめている。ミカは目を凝らしその動物をじっと見つめた。種類は分からないが愛嬌のある見た目をしている。尻尾にはしましま模様があり、大きさは30センチほどだ。
「アライグマだよ」
フミが言った。
「知っているのか?」
ミカは尋ねた。
「本で読んだから」
「そうか」
アライグマ、ミカは胸の中でその名前を反芻した。しかし、アライグマというにはやや汚い見た目だなと思った。なにかを洗うからアライグマというんだろうが、その動物は、自分の体も洗っていないようだった。フミに聞こうかとも考えたが、答えを聞いたら敗けな様な気がしてやめた。
「ものを食べるときに、食べ物を洗うからアライグマっていうんだって」
ミカはフミに思考を読まれたのかと思って、ぎょっとしてフミの方を見た。
「なんでアライグマっていうんだろうって顔してたよ」
得意げにフミは言った。ミカは悔しくなって顔をそらした。
「あれなんだ?」
ミカが前に目を向けるとそこには赤色の旗が立てられていた。他の建造物に比べて新しい比較的最近立てられたような色だ。
「なんだと思う?」
またも得意げにフミがこっちを向いた。調子に乗らせるのも嫌なので、ミカは意地でも当てようと思った。旗が立っているのだから、何かしらの目印なのだろう。しかし、周りには特に何もない。何かの記念だろうか。だが、旗には何も書かれていなかった。
フミはミカが真剣に考えているのを愉快そうに見つめている。ミカはそれに気づくとさらにムッとして、絶対当ててやろうと意気込んだ。今までの短い記憶を次々と呼び起こしていく。そうすると、今朝見た地図のことを思い出した。
「冒険家用の目印か」
「分かっちゃったかぁ〜」
答えを当てられて、フミは少し残念そうだった。今度はミカが得意げにフミの方に向き直った。
「ミカちゃんもそういう顔するんだ!」
フミが驚いてそう言った。ミカは自分がこんなことに必死になっているのに気づき赤面した。
「先駆者たちが遺した未来への道標。ロマンだよね!」
「遺したって、勝手に殺すなよ。しかもこの旗まだ結構新しいし多分生きてるだろ」
「ぐぅぅぅ。確かに......」
「くだらないこと言ってないで早く行くぞ」
「分かったよぅ〜。ここ右ね」
「分かった」
2人は右の道へ進んだ。だんだん昇っていく太陽は正午を告げていた。この季節でもこれくらいの時間になるとだいぶ暑い。2人の間に会話は無い。だだ黙々と足を進めていた。
2人が歩いていると、何か音が聞こえてきた。水の音だ。2人が廃墟の中をくぐり抜けて進むと、そこには川があった。幅30メートルほどの中流河川だ。2人は土手を滑り、河原に腰を下ろした。
「疲れたぁ〜」
「そろそろ飯にするか」
時計を見ると1時過ぎだった。昼食にはちょうどいい時間だ。2人はリュックの中からクッキーと水筒を取り出して、食べ始めた。
川のせせらぎが心地いい。廃虚の世界の中でこの河原は砂漠の中のオアシスの様だった。
「なんか眠くなってきちゃったなぁ〜」
フミがあくびをしながら言った。
「寝てていいぞ」
「本当?」
「ああ。1時間後に起こす」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
フミは目を閉じるとすぐに眠りの世界へと落ちていった。そんなに疲れていたのか、それともそういう体質なのか。ミカも眠りにつくのは早い方だが、流石にこれほどでは無い。
何かの病気でもあるんじゃ無いかと心配したが、すぐ寝れることは旅をする上では寧ろ好都合な能力だ。すぐにどうでもよくなった。
フミが深い眠りについてるのを確認すると、ミカは立ち上がり、どこかへ歩いて行った。
突然の破裂音によりフミの安寧の時は終わった。どうやら寝ている私の顔の前でミカちゃんが手を叩いて鳴らしたらしい。フミはぼやける視界に均衡を取り戻すため、目をこすった。視界の中央には、ミカちゃんが見下ろす様に立っていた。スカートがったらよかったのになぁそんなことを考えながら、ゆっくり上半身を起こした。川の上流から流れる風が気持ちいい。ぽかぽかと照らす太陽がフミにまた睡魔を送り込んでくる。
「もう一回寝ちゃだめ?」
フミは出来るだけあざとく、そういった。
「だめだ」
ミカは冷徹にそう返す。
「そっか〜」
フミはそう言いながらまた草の生えた土手に
寝転がった。
「おい。寝るな」
ミカがフミの体を揺する。しかし、フミはそれをひらりとかわして、大の字に寝そべった。
「こういうくさまくらで寝ると旅してるな〜ってなるよねぇ〜」
「意味がわからん」
ミカはフミの身体をさらに強く揺すった。そんなフミの努力をあざ笑う様に、フミは眠りにつこうとする。
「分かった。じゃあ先に行くからな」
ミカは自分のリュックを背に背負い、フミのリュック抱えると、ダッシュで下流の方へ走っていく。
「ちょっと!待ってよー!!」
フミが慌てて起き上がりミカを追いかける。
ミカはある程度走ると止まりフミの方を振り返った。
「じゃあ行くぞ」
フミにリュックを返すと、ミカは歩き出した。
「どこへ行くの?」
フミが尋ねる。
「下に橋がある。さっき見てきた」
「近い?」
「ああ」
ミカは素っ気なく返した。
フミはミカの隣に並ぶとまた歩き始めた。
「あれだ」
少し歩くとミカがそう言った。
「どこ?」
しかし、フミには橋の様なものは何も見えない。何かの間違えかと思ってミカの方を見るが、ミカはずんずんと進んで行く。
「これだ」
そこにあったのは対岸に渡されたロープと、足場にするための浮きが縄にくくりつけられて、対岸までゆらゆらと続いているだけの簡素な橋だった。
「これを渡るの!?」
フミが驚愕の声わやあげる。
「無理か?」
ミカが尋ねる。
「無理じゃないけどさぁ......」
フミは不安そうにその橋を見た。それは橋と言えるのかもわからないほど、弱々しい見た目をしていた。
「ほら行くぞ」
ミカはロープを手で掴み浮きの上をひょいひょいと軽やかに進んでいく。ミカちゃんはクールそうに見えて案外馬鹿なのかもしれないと、フミは思った。
「行くのかぁ〜......」
フミは仕方なく最初の浮きに足をかけた。
グラリ。浮きが揺れる。少しでも気を抜けば落ちてしまいそうだ。ミカちゃんはもう半分ほどまでにたどり着いていた。あの体力馬鹿めそう思いながら、フミは慎重に進む。
一つずつ。慎重に慎重に。
ぽんぽんぽんぽん。なんだかリズムがつかめてきた。これは行けそうだと思った時、急に浮きが揺れた。流れてきた流木が後ろの浮きにぶつかった様だ。足が落ちそうになる。
下の水は真っ黒でどれ程の深さなのかは見当もつかない。
落ちる。そう思ったとき対岸から声が聞こえた。
「飛べ!」
ミカが発した声を聞き、フミは不安定な体勢から次の浮きへと飛び乗った。
バランスが崩れるのを、腕の力で回避する。
なんとか、平衡を取り戻したフミは次また流木が流れてくる前に急いで対岸へと渡った。
「危なかったな」
ミカがフミに言った。
「危うく死ぬところだったよ。」
「でも、大丈夫だっただろ。それにこんなところで死んでたら旅なんてできないぞ」
ミカがどこかで聞いたことのある様な台詞を吐く。フミはなんだか違和感を感じたが、よく分からないので、気にしないことにした。
「でここからどっちだ?」
2人が土手から上がると、ミカが尋ねた。
「え?」
フミは素っ頓狂な声を上げた。慌てて地図を見るが、変なところから川を渡ったせいで場所がわからなくなっていた。
「ちょっと貸してくれ」
ミカがフミの手から地図を抜き取って、広げた。
「ミカちゃん分かるの?」
ミカは記憶がなく、まともに地図など見たことなど覚えていないはずだ。フミはミカの横から地図を見つめた。
「こっちだ」
ミカが地図を折りたたみ、歩き始めた。
「分かるの!?」
フミが驚きの声を上げる。
「え?ああ」
ミカは意外そうな反応をした。これくらいなら誰にでもできるだろう言いたい様な態度だ。
「でも方向とかなんで分かるのさ?」
「そりゃ、歩いてきたから」
ミカには当然のことなのだろう。フミはこのことをこれ以上詮索するのはよすことにした。しかし、初めて地図を見た人間が一瞬でじぶんの現在位置を特定し、そこから更に次の街への方向が分かるなど、果たしてできるのだろうか。それに初めて出会ったときのあの強さ。
そんなハイスペックな人間が記憶を失って、旅をしているなど怪しすぎる。ようやくそのことに気づいたフミだったが、まぁどうでもいいことだと、すぐに考えるのをやめた。ミカちゃんはミカちゃんであって、それ以外のことはどうだっていい。楽天的な思考だが、どうせ、これ以上のことはわからない。フミは考えることを諦めて、歩くことに集中するとこにした。
しばらく歩いていると、地図を見ながら歩いていたミカがフミの方を向いて話しかけた。
「地図はこれで全てか」
ミカがフミに尋ねた。
「持ってるのはね」
「やはりこの外にも世界があるのか」
「知らなかったの?......ってそりゃそうだよね。記憶ないんだから」
「この地図の外か。どれくらいあるんだ?」
「さぁ〜。分かんない!」
「お前も知らないのか?」
「このフミ様だって知らないことくらいあるのさ」
フミならばなんでも知っていると期待していたわけではないが、それを知らないのは予想外だった。
「で、どこまで行くんだ?」
「無論どこまでもさ!」
なにかの本で見た台詞なのだろうか。フミが格好つけて言った。ミカはため息が出そうになるのを堪えた。無計画すぎる。だがそんなフミが少し愛おしく感じた。
「そうだな。どこまでも行こう」
2人は寝袋に入り、寝る準備を整えた。
フミがノートを取り出して、なにやら書き出した。
「なにを書いてる」
ミカが尋ねた。
「日記だよ。今日のことをいつまでも忘れないように。ミカちゃんの今までの記憶がない分これからのことをいっぱい覚えるために」
「そうか」
ミカはそう言った後小声で付け足した。
「ありがとう」
2人の頭上には星が瞬いていた。
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