第1話 とろり半熟目玉焼き
「朝じゃぞ、いつまで寝ておるのじゃ真也!ワシは腹が減ったのじゃーっ!」
身体の上にのしかかる重みと、元気の良い声に、俺はゆっくり瞼を開く。今では見慣れてしまった白い髪に、白衣、紫袴姿の彼の姿に、苦笑い。
「……んーっ、壱……重い。……相変わらず朝早いのな。分かったよ、すぐ作るからとりあえずそこから退いてくれ」
「む、すまぬ……」
素直な返事の後、壱は大人しく俺の上から退いてくれた……だけで済む筈は無く。次の瞬間、勢いよく布団を剥がされた。
「うっ……寒っ!」
「真也は朝が弱いのぅ。最近の人間とは皆、遅くまで動き過ぎなのじゃ」
まだ2月、室内だって寒いのだ。俺は身ぶるいしながら身体を起こして立ち上がる。
「壱が朝強過ぎるんだよ。まあ、俺の場合は夜の仕事だからな……あ、壱。朝食はパンとご飯、どっちにする?」
「ふむ、ぱん……とやらを食してみたいのじゃ。それから……」
パサリ、と、俺の肩にかけられたものは、壱の羽織りだった。こなれた感じながらも、しっかり暖かい。
「えあこん、とやらが暖かくなるまで、それを羽織っているが良いぞぇ?」
「クスっ、ありがとう壱。了解、目玉焼きも付けとくよ」
壱の行為がなんだか微笑ましくて、小さく笑ってしまう。俺は羽織りを着て、キッチンへ向かった。パンを出して、冷蔵庫からは卵を出す。
「おおおっ!卵とは高級品じゃぞ?ワシの為に用意してくれるとは、真也は愛い奴じゃの〜!」
カウンターキッチン越しに壱に目を向けると、あからさまに時代について来れていない喜び方をしながら、テーブルの上を片付けて拭いている。そんな様子に、はにかんでしまう。
「そこまで喜んでくれると、なんだか恥ずかしいな……さて」
トーストに、目玉焼き。ありふれた朝食。それでも壱にとっては珍しいのだろう。
フライパンを熱したら、オリーブオイルを1たらし。中火ぐらいで油を広げてから、出しておいた卵を優しく流し込むように。
白身が薄く固まるまでの間に、食パンをオーブントースターに入れて、焼き始める。
「そろそろ、良いかな?」
フライパンの蓋を片手に、一旦強火にしてから蓋をして、すぐにコンロの火を止める。後は2分ぐらい余熱で焼くと、割と俺の好みの焼き加減になるのだ。
「真也、面を上げよ!」
「……ん?壱、どうした?」
視線を感じて振り向いて、言われた通りに顔を上げる。至近距離に、いつの間にか近くに寄ってきていた壱の顔。
壱の手が、俺の頬に触れる。目を細めてニヤリと笑う表情は、狐そのもの。唇に、唇が触れ、周りをペロペロと舐め回される。
「成る程。こちらも美味じゃのぅ」
「ん……っ!ちょっ、んっ……くすぐっ、た……壱っ、朝食!」
制止も抵抗も控えめに。強く言い過ぎると耳を垂らしてしょぼくれてしまうし、激しく抵抗しようものなら拗ねて何処かに行ってしまう気がする。壱は、なんとなくそんな感じだから。
「まずは、朝食じゃ。何事も腹が減っては力が湧かぬからのぅ」
朝から思考を回転させる俺の気持ちなど分かっていない素振りで、壱はププッと笑ってゆっくり身体を離し、テーブルの側の椅子に座った。解放された安心感と同時に、何処か残念さを感じる想いは、今は伝えてやらない。
フライパンの蓋を開け、半熟の目玉焼きを、トースターで程よい焦げ目のついたトーストを皿に盛りつける。
用意したお盆に皿を乗せ、ジャム、マーガリン、ソースと一緒に壱の待つテーブルに運んで、壱の隣に座る。
「はい、壱お待たせ」
「待ち侘びたぞょ!ぱん、とやらはタレの種類が多いのぅ……米の時の漬け物の種類が多いのに、似ておるわい!」
朝食の匂いにスンと鼻を鳴らし目を輝かせる壱の前に運んできたものを並べる。喜び、興奮したのだろう。壱の身体から狐の耳と尻尾がポンと飛び出て生えている。
「では、頂くとしようぞ」
「あはは、一瞬邪魔したのは誰だか」
トーストを手に匂いを嗅いでから一口目はそのまま齧る壱。二口目を齧る前に、ソースを構えていた。その仕草や発言から、俺は楽しい気分になれる事も増えてきている。
「美味い?……言っとくけど、ソースは目玉焼きにかけるもんだからな?」
分かっているのかいないのか、分からない壱にとりあえず説明をする。壱はトーストにかけそうになったらしきソースを、目玉焼きにかけ、何事も無かったフリをした。俺の視線は現れた壱の耳と尻尾に向かってしまい、じっと見つめてしまう。
「……なぁ、耳と尻尾出てるけど、それって触ってもいいって事か?」
「タレも卵のトロトロ具合も美味じゃ!美味い飯を食えば耳も尻尾も出るじゃろ。触るのは構わぬ……が、飯の後にじゃ。一方的に触られるのは割に合わぬからのぅ、真也の身体も触らせよ!」
一瞬だけ、壱の顔付きが、いやらしく悪い表情になる。あまり良い予感はしない。
「本当か?……って、結局それっていつもの俺が流されるパターンじゃね?」
それでも、あのモフモフした耳と尻尾には、触れてみたい。
トーストにマーガリンをたっぷり塗って齧り、朝食を完食した壱は軽く両手を合わせる。
「ご馳走さまなのじゃ。ふむ、流されるとな?真也が流しそうめんになったら、ワシが完食してみせようぞ?」
「お粗末さま」
真面目な顔で開き直って言っている内容は、どうかと思うけれども、壱が朝食を完食してくれた事は嬉しくて、笑みが溢れる。
「……冗談じゃ。ワシは人間のままの真也を好ましく想うておる。悪いようにはせぬぞぇ?」
使った食器をキッチンに持っていく壱の後ろ姿、ふわふわの白い尻尾は機嫌良さげに揺れていた。
【とろり半熟目玉焼き/おしまい】
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