松戸さん家の優しい時間

振悶亭 めこ

第0話 始まりのミックスナッツ

仕事帰りの俺が少し寄り道をして、酷く寂しげな神社に立ち寄ったのは、夏至の日の、真夜中だった。バーテンダーという職業上、帰宅は終電も終わった、静まり返った頃合い。時の頃合いを除いたとしても、寂しげな佇まいはきっと変わらなかっただろう。

鳥居を潜り、拝殿の前に立つ。願う事など特に思いつかなかったものの、とりあえず賽銭でも……と、ポケットを漁ってみたものの小銭は無く、賽銭も入れられずにいた。代わりに入っていた、ミックスナッツの小袋を、賽銭箱の横にチョコンとお供えする。両手を合わせて、俺は静かに目を閉じた。


今思えば、この時の俺は、寂しげな佇まいの神社と、俺自身をほんの少し重ね合わせていたのかもしれない。



いつもと変わらぬ、退屈で寂しい夜じゃった。今年もまた、ワシは独りで寂しい熱帯の季節を過ごすのかと思って、ウンザリしていた……夏至の日じゃったかのぅ?

久しぶりの参拝者に、興味を惹かれて本殿から拝殿へ出て、そっと様子を見守る。その男は、何を願う訳でもなく、静かに手を合わせ目を閉じていた。歳の頃は三十路を過ぎた辺りじゃろう、男の横顔は美しいだけでなく、憂いを含んだ未亡人のような色香を醸し出していたのじゃ。ただ美しいだけならば、これ程までに惹かれたりはせぬ。長い生の中で、美しいものも醜悪なものも、たくさん見てきたからのぅ。

物思いに耽りながら、男の様子を見ていた。ふと、賽銭箱の傍に備えられた、小さな袋が目に入ってくる。こんな場所に、こんな時期に、供物を捧げに入るものなど久しく見ておらんかったのじゃ。益々興味を惹かれたワシは、拝殿の中からそっと出て、男の傍に姿を現したのじゃ。



「……えっ!あっ、これは……」

閉じた瞼を、ゆっくり開いた。賽銭箱の傍に、先ほどまでは居なかった男の姿があった。驚いて一歩後ずさり、現状を把握しようと頭がフル回転し始める。

目の前の男は、服装からしたら神主とかその類いなのだろう。白衣に紫袴を身に纏っている。時間からしたら、それでも不自然だ。暗くて良くみえないものの、白髪にツリ目の男の頭には、動物の耳。後ろの方からユラユラ揺れているのは、動物の尻尾で……そう、言うならば白い狐の耳と尻尾の生えた、人ならざる者。けれど、不思議と怖さは感じなかった。

男は、賽銭箱の傍に備えたミックスナッツの袋をつまみ上げ、袋の上から匂いを嗅いでその場にチョコンと座り、何の躊躇いも無くミックスナッツを食べ始めた。

「ふむ……珍しい味のする、誠に美味い豆菓子じゃのぅ。お主、名は何と申す?」

ポリポリと良い音を立ててミックスナッツを頬張った後、男はふんわりと柔らかな笑みを向けて、俺に問いかけてきた。

「……松戸真也、です。えぇと……あなたは一体?」

向けられた笑みに気を抜かれ、答えてしまった。悪意の類いは微塵も感じないが、得体の知れない男に名を名乗る行為は迂闊だったと思う。

「真也よ、寂びれた社では大してもてなす事は出来ぬが、豆菓子の礼はするぞぇ」

「豆菓子……ああ、ミックスナッツか。そのぐらいしか、供えられるものが無かったんだ。で、あなたは一体何者?ですか?」

食べかけのミックスナッツの小袋を片手に、緩やかな仕草で男は俺と同じ目線に降りてきた。顔をじっと見つめられる。緊張感から、一瞬息が止まるかと思った。

「ここは稲荷の社で、ワシはこんなんじゃ。見ての通りじゃと思うがのぅ」

柔らかな口調で告げられた。お稲荷さん、白い狐の耳と尻尾……不思議なものではあるけれど、夢でないならば、これが現実。

「あの、お稲荷さん?ですか?」

「うむ……稲荷の眷属、間違いではない。が……ワシは壱と申す。真也よ、仲良くしてくれたら嬉しいのじゃ」

「……神様って、本当に居たんだ」

現実味の薄い、目の前の現実に、呆気にとられてボソっと呟く。

「うむ、うむ!この国には八百万の神がおるじゃろ?普段は姿が見えなくとも、居るものは居るしの、見える時は見えるものじゃ」

言うだけ言って、壱と名乗った目の前のお稲荷さん?は、ミックスナッツをつまんでポリポリと食べていた。どうしたものかと考えて、社に背を向けようとした時、後ろからガバっと抱きつかれた。

「ワシは真也に興味が湧いたのじゃ!豆菓子の礼も兼ねて、憑いて行くぞぇ?」

「えっ?あの……それは……」

「何の願いも聞かずに、供物だけ受け取る訳には行くまいて。大した願いは、叶えられぬのじゃがな」

横目でチラリと壱を見る。よく見たら、案外整った顔立ちをしていた。軽い口調ながらも、何処か説得力のある物言いに流されて、拒めないまま。少しの寄り道から珍しい同居人が俺に出来たのだった。


変なのに好かれた、どうしよう……そう思った。けれど、独り暮らしの長い俺の部屋は、ミックスナッツをきっかけにした壱の存在で大きく変わっていくなんて、その時は全く考えてもいなかった。



【始まりのミックスナッツ/おしまい】

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