書籍部
@Sugra
第1話 「俺のポリデントをなめるなよ」
職員室から20分、旧校舎の4階にある旧図書室のさらに奥にその扉はあった。歴史を感じさせる海老茶色の扉の真ん中に札がかかっている。そこには『書籍部』と書いてある。
****
「来たわね!」
部室に入るや否や、机に腰かけた少女は僕の顔を見るなり開口一番言い放った。堂々と胸の前で腕を組んで、顔には自信が満ち溢れて輝いている。それだけならとても偉そうな少女なのだが、惜しむらくは全体的なサイズが小さいことと、その幼い顔立ちのせいで、まったく威厳は感じない。
僕はその顔にみなぎる無駄な自信とあふれるほどの開放感を見て、次の言葉を半ば予想した。
「新作ができたわよ!」
一言一句、予想通りだった。
「……部長は筆が早いですね」
いろいろ言いたいことはあったけれどとりあえず褒めると、机に腰かけていた少女――『書籍部』の部長である長嶋さくらは、ふふんと胸を張った。
長嶋さくらは『書籍部』の部長をやっている。『書籍部』とは書籍をする部活である。もちろんこれでは意味が分からない。初めて部活紹介の冊子をめくり、その文言を見たときの僕も全く意味が分からなかった。そもそも、日本語には書籍をするとなんて言葉は存在しない。
だいたい、一言書籍と言ってもいろいろある。和書から漢書、古文書に電子書籍、小説、漫画、経典、専門書からラノベに至るまで、書籍をするって言うのは一体どういう意味だ。ていうかどういう書籍をイメージして言ってるんだ? それが僕の最初の感想だった。
もっとも、答えはすぐ下に書いてあった。書籍部はあらゆる書籍に対していろいろ行動する部活である、と。クラブの説明欄にはそう書かれていた。ふわふわしすぎだろうと思った。思ったので、実際に部室に行って尋ねると、部活説明をしていた女子生徒、つまり今目の前でえらそうに腕を組んでいる部長はこう言った。
「本に関することならなにやってもいいのよ!」
だから、僕はその部活に入ることを決めた。
それが一か月前の話である。
けれど、それは少し早計過ぎたのかもしれないと最近の僕は思っている。
部長が何を言っているのかわからなかったのでとりあえず余っていた席に座る。
「遅かったわね」
机に座って静かにプリントに目を落としていた女性が目を上げた。
「もう、4時近いわ」
「すみません。貴子先輩、掃除が長引いてしまって」そう言って僕はその女性、志摩貴子先輩に頭を下げた。
貴子先輩は部長の友人で『書籍部』の副部長をやっている女性である。背が高く、凛とした視線で人を見るその様子は、まるで名のある日本刀のように冷たく美しい。
貴子先輩は僕の言い訳に頷きながら「まあ別になにかすることがあるわけじゃないからいいのだけど」と言い、僕が「はあ」と気の抜けた返事を返すと、先輩は微笑み言った。
「でも言い訳したから取り合えずこれを読んで感想を400字以内で言いなさい」
「理不尽だ……」
言いながらプリントを受け取る。最初の紙には堂々とした文字で『グレート・ダツゼイ』と書いてあった。
「これが新しい小説ですか?」
僕の質問に部長は、ええ、と自信満々に頷いた。
***
最初に言った通り、別に『書籍部』は本を書く部活ではない。
じゃあ何をするのかと言われると、前も言ったように書籍に関するあらゆる活動である。
書籍に関するあらゆる活動と言われても、僕には一つしか思い浮かばなかったのだが、部長は違ったらしい。
「だったら小説を書いてもいいじゃない」
と部長が言ったのがほんの数週間前の話である。
まあ別にいいのだろうとは思う。
だってあらゆる活動だし。
だが別に書かなくてもいいのだろうとも思う。
僕がそういうと、部長は猛烈に反対した。
「駄目よ! だってそんなこと言ってたら、どうせみんな本読んでるだけなんでしょう!」
部長の言葉は痛いところをついていた。
書籍部は書籍について何をしてもよい部活である。そして書籍に対して最も自然な行動は、読むことに他ならない。だから歴代の部員はみんな本を読んで過ごしていたらしい。
素晴らしい習慣だと思う。伝統万歳。文化とはかくあるべきだ。僕は偉大なる先輩たちに尊崇の気持ちを抱いた。そしてそんな部活を認めている母校の懐の深さに感謝した。
「でもこんなのいけないわ! せっかく部活なんだもの、何かもっと違うことをするべきよ」
部長は言った。
「それは別にいいんですけど、何をするんですか?」
僕が訊くと、部長は目を輝かせて言い放った。
「だからとりあえず小説書くのよ」
僕には何が『だから』なのかわからなかった。
「とりあえずわたしがまずお手本に書いてあげるから、貴子とあんたは感想を言いなさい」
それから数週間、部長は毎日小説を書いているらしい。完成したのはこれが二本目。
「それで前と同じように肝臓をせがまれてるの」
貴子先輩はため息とともに言った。
「えぇ……」
僕は部長を見た。
肝臓をせがむって、妖怪か何かなのだろうか。
「……僕の肝臓はたぶんおいしくないですよ?」
「そんなもの、いつわたしがせがんだのよ!」
部長はばんばんと机をたたく。貴子先輩は涼しい顔をして言った。
「でもこの間読んでたでしょ? 『君の雑炊を食べたい』って」
「そんな話読んでないわよ! ていうかなんで雑炊食べたいのよ!? 食べればいいじゃない!?」
「あら、間違ったかしら? 『君の雑炊を毎朝食べたい』?」
「プロポーズみたいですね」僕は率直な感想を言う。
「でも毎朝雑炊はちょっと重くない? 白米も食べたくなりそうだわ」
貴子先輩はピントの外れたことを言った。
「二人とも何言ってんの!? ていうかわたしの読んで小説なら膵臓よ!」
「つまりさっちゃんが食べたいのは膵臓だということね?」
先輩が言う。僕はその小説を読んだことはないが、どっちでも同じだなあと思った。肝臓でも膵臓でも猟奇殺人に変わりはない。
「あんたたち読んでもない小説をよくもまあそんなにネタにできるわねえ! わたしそういう態度嫌い!」
「あら、でも読んだこともない小説をネタにするくらいできないと本好きとは言えないわ」
貴子先輩がしゃーしゃーと言い放った。
「貴子先輩が言うことは正しいかもしれないですけど、やっぱり読まない小説をどうこういうのは良くないですよ」
僕は部長の肩を持つ。
「あら、私を敵に回す気?」貴子先輩が涼しい顔をして僕を見た。「私を敵に回すと怖いわよ」
「具体的にはどう?」
「そうね……私を敵に回すと昨日の夕日を拝めないわ」
「それは怖い、ですかね?」
ちなみに昨日は雨だったので、僕は夕日なんて見ていない。
「それから私が猫の皮をかぶった対応しかしなくなるわ」
「猫の皮!?」
僕は猫の生皮をかぶる美人の先輩の姿を思い描いた。とても怖い。
「とにかく、わたしが欲しいのはに内臓でも猫の皮でもないわよ、わたしが欲しいのは感想よ……」
部長はがっくりと突っ伏した。机の上につぶれて視線だけで貴子先輩を見る部長はなんだか可愛らしい。
「それで貴子、わたしの本当に読んだの?」
「もちろんよ、さっちゃん」貴子先輩がうなずいた。
「感想は?」部長は勢い込んで問う。
「とても面白かったわ。特に主人公の親友の騎士がポリデントを抱えながら魔王に向かって突撃するところでは笑いが止まらなかったわ」
「……そこ、笑うところ? むしろ感動のシーンじゃない?」
部長は不満そうに口をへの字に曲げる。
まだ読んでいないからわからないが、確かにポリデントを抱えた騎士が突撃する話は頭おかしいと言わざるを得ない。ていうかなんで騎士がポリデントを持っていたのだろう。入れ歯なのだろうか。
僕は入れ歯をした初老の騎士が魔王に突撃するさまを想像した。
その姿は切ない。
切なくて泣けるかもしれないが、感動するかは微妙である。
ていうか入れ歯だとしてもいつもポリデントを抱えることはないだろう、たぶん。
「……で、実際は何を抱えていたんですか?」
僕が問う。
「あら、信じてくれないの? 本当にポリデントを抱えた騎士が出てくるのよ」
ほらここ、と貴子先輩はプリントをめくった。
”
「ぐっ!」ゲラルドは襲い掛かってきた火の玉を手に持ったポリデントでなんとか吹き飛ばした。
「やるな!」魔王があざけるように言った。「しかし次はかわせるかな」
魔王の周りにはすでに次の火球が浮かび、今にも襲い掛からんばかりである。
くそ、リチャードは内心の焦りを隠しながらゲラルドに問う。
「どうする、このままじゃ全滅だぞ!」
「任せておけ」ゲラルドは不敵に笑った。「俺にはこれがある」彼の腕に抱えられた愛用のポリデントが光る。
「リチャード、お前は兵をまとめて西へ退け」
「ゲラルド?」
雄たけびを上げて、ゲラルドは魔王にまっすぐに突っ込む。魔王は余裕をもって迎撃した、はずだった。
「なに!?」魔王の声に焦燥が混じる。ポリデントの切っ先が魔王をとらえた。
「俺のポリデントをなめるなよ!」……
”
「ほらね」貴子先輩が言う。
僕は今までこれほど頼もしいポリデントを見たことがない。そうか、魔王にもポリデントは効くのか。そういえばバイキンマンは石鹸で縮んでいた。
「ちなみにポリデントはさっちゃんの創作武器で、先端が多数に分かれた槍のことよ。トライデントの変形みたいなものかしら」
「ああ、三叉じゃなくて多数だからポリとかそういう……」
「そうよ、強そうでしょう!」部長が胸を張る。
「別に数が多ければ強いって物ではないのでは……」
僕が言うと、部長は不思議そうに首をかしげた。なぜ首を傾げられるのだろう……
****
夕方過ぎには部長の新作を読み終わった。
海神ネプチューンから伝説の槍、ポリデントを授かったゲラルドと脱税で王位を追われたリチャードが、起死回生を図って魔王を倒しに行くという、王道ファンタジーだった。武器の名前をポリデントにするだけでここまで笑えるのだから、僕は割と安い男だと思う。
「で、どうだった」
「そうですね」
僕は感想を考える。
はっきり言って微妙だ。ところどころ面白いところはある。でも、全体を通して言えるのだが文章が読みにくい。読みにくい文章は基本的に悪文だと僕は思う。そして読みにくい娯楽小説は面白くない。
けれど読みにくいのは当たり前だとも思う。だって部長は小説家じゃないし、文章がきれいでないのは当たり前だ。
「もう、はっきり言ってよ!」
部長が言う。僕はそれならと言った。
「おもしろくないです」
部長は涙目になった。はっきり言えって言ったのは部長なのに……
「そんなはっきり言わなくてもいいのよ?」
なぜか貴子先輩が僕の手をやんわりとつかむ。僕は思わずときめいた。だって貴子先輩は大変な美人なのだ。そんな人に手を握られたら誰だってこうなる。僕は調子に乗って続けた。
「それにファンタジーはそんなに趣味じゃないし信じられないほ腕が痛い!」
思わず手を振り払った。
「なにをするんですか!?」
「なにって」貴子先輩が可愛らしく小首をかしげる。「後輩への指導、かしら?」
「指導と暴力は違いますよ!?」
「……最近の教育現場は窮屈ね」昔は良かった、と昔も何も知らない、そもそも教師ですらない貴子先輩は遠い目をして言った。「ジャンプコミックスが390円で買えたのに」
「確かにそれはちょっとうらやましいですけど、あんまり関係ないですよ」
「風雲たけし城であれだけ無茶ができたのに」
「知らないですよ! そんな昔の番組!!」
「わたしも敢闘賞取ってみたかったわ」
ショックから回復した部長が話に加わる。
「ってなんで部長まで知ってるんですか!?」
「先輩だからね」
「2年だけですけどねえ!?」
少なくとも僕が子供のころにはそんな番組なかったし、ぜえったい部長たちの世代も違う! 僕は頭が痛くなった。
「で、さっちゃんの新作の感想は?」
貴子先輩がもう一度問う。
「……」
「いいの、確かにわたしも面白くないなって思ったわ」
僕が何も言えないでいると、部長が救いの手を差し伸べてくれる。
「でも書くのは面白かった。うん、一回あんたたちもやったらいいと思うわ」
「……そうですね、それじゃあ今度書いてくるので、ズタボロにしてください」
ちょうどその時下校時間を知らせる鐘が鳴り響いた。
「せっかく3人も読書好きが集まっているんだもの。3人がからできることをなにかしたいわ」
部長が言う。
「そうね、これから探していきましょう」
貴子先輩が言った。
「わかりました」
僕は頷いた。
本好きが3人でできることなんてたかがしていると思うが何かをしよう。
それに、と僕は思った。
割とこの先輩たちのことは好きだし、きっとこの人たちと一緒なら楽しいだろう。
僕たちは施錠して部室を後にした。
****
書籍部はあらゆる書籍に関する何らかの活動をする部活である。
もっとも、ほとんどの場合は本について部員がわいわい語り合っているだけである。
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