第5話 ~ ソ ~

 その日、久しぶりにお見舞いに訪れると、珍しく、お姉さんのほうから音楽の話題を振ってきた。


『心に迫る、ゆったりと響くものがあると思うの。ちょっと違和感があるメロディーラインも好き』


 二十歳の女性シンガーソングライターが奏でるミディアムテンポのナンバー。

 発売当時はそれほど話題にならなかったけれど、有線やラジオでゆっくりと火がつき、今や聴かない日はないというほどヒットしている歌だった。


 お姉さんがインストゥルメンタルを好んで聞くことを知っていたから、彼は少々面食らって訊き返した。


「ありふれた恋愛の歌じゃないか。歌詞もメロディーも、どこかからとってきたものをつぎはぎしているだけだし」


 否定的な言葉を、ほとんど無意識に吐いていた。

 そんな自分に自分で驚いた。彼がそんなふうに歌をあしざまに言ったのは、はじめてのことだったんだ。


 お姉さんは少しだけ眼を大きくして、「そう?」というふうに首を傾げて先を促した。


「最近は似たような歌しかないよ。歌の世界の中で、どうして誰かが傷つかなきゃいけないのさ。おかしいよ。しかも、やたらと感動させようとする。お涙ちょうだいもやりすぎると逆効果だ」


『そういう歌を必要としているのでしょ』


「だとしてもだよ。安易すぎる。前みたいに一気に爆発的に売れる曲が出なくなったのも、みんなの心に余裕がなくなったせいなのかもしれない」


『売れている曲もあるでしょう』


「売れてる曲イコールいい歌ではなくなってきてるよね。すてきな曲はいっぱいあるのに、疑いが先立ってしまって、インスピレーションに従えないんだ。まずは、隣の人の顔色を窺って様子見。そして右向け右。個性もなにもあったもんじゃない」


『それはとても哀しいことね。周りの反応次第ということでしょ? 好きなものは好きっていうのが、そんなに恥ずかしいことなのかしら』


「コアすぎる嗜好は浮いてしまう。浮いてしまうよう仕向けられる、が正しい表現かな。でこもぼこもない。個性をとうとぶ時代なんて言っているわりには、なんだかね」


『心底くだらない』


 お姉さんはときどき辛辣しんらつな言葉を吐くことがあった。

 そういうときは、たいてい窓の外を見つめていた。それはまるでガラスに映った自分に言っているようにも見えた。

 彼はお姉さんの気持ちを推し量って、いつも小さい頷きを一つだけ返すことにしていた。


『フューチャリングが流行っているの?』


「コラボも多いよ。懐かしいメロディーをカバーしたり、リスペクトと称して、解散してしまったバンドのコンピレーションアルバムを作ったり。男性が女性の曲をしっとりと歌い上げることもあれば、外国のバンドが日本のアニメソングを歌うこともある。なんでもありさ」


『ボーダーレス化が進んでるってことでしょ。すてきなことじゃない』


「ちょっと節操がない気もするけど」


『そうかしら。音楽に携わっている人たちって、とても素直だと思うわ。共有できる感覚の幅が広いのでしょうね』


 そこで言葉を切ったお姉さんは、彼にやわらかい笑みを送った。


『きっと音楽って、この世でもっとも柔軟性に富んだシステムなんだわ』


 その瞬間、彼の頭の中で何かが弾けた。

 ずっと探し求めていた能力の使い方についての、とても大事なヒントだった。


 でも、それはとても曖昧で、無理やりつかみ取ろうとすると壊れてしまいそうなほど、脆いものだった。

 だから、彼はあえてそのままにしておくことにした。


 もどかしい気持ちを隠して、お姉さんに別れを告げて外に出た。

 近くに幼稚園があり、そこから元気いっぱいに歌う声が聞こえてきた。

 しばらく行くと、今度は女子高生たちと擦れ違った。

 どうした偶然か、彼女たちもまた、楽しそうにポップなメロディーを揃って口ずさんでいた。

 彼の視線に気づくと、彼女たち恥ずかしそうに眼を伏せた。

 家に着いて靴を脱いだ瞬間、台所から母親の鼻歌が聞こえてきた。

 お姉さんが好きだと言っていたあの曲だった。


 その瞬間だった。

 彼はとびっきりすてきなアイデアを思いついた。


 

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