運命の人

ひょもと

第1話

 恥ずかしい話ではありますが、私は大学三回生まで「SF」をスペースファンタジーだと思っていました。


 当然、「SF」が一般的に指し示すのはサイエンスフィクションです。サイエンスフィクションがスペースファンタジーを兼ねることはあっても、その逆はないでしょう。兎も角も、全く恥ずかしい話です。


 SFが、スペースファンタジーではなく、サイエンスフィクションであると私に教えてくれたのは大学の先生でした。


 私が大学三回生のころに所属していたゼミの先生です。見た目は、冴えない若い学者と言った風体でした。うだつの上がらないと言いましょうか、私の恩師ではありますが、中々褒める表現が見つからずに苦慮する次第です。


 けれども、見た目に反してとても気さくで話しやすい方でした。


 当時の私というのは、周囲に溶け込むことが出来ずに肩肘を張って生きていました。

 私以外のゼミ生が仲良く食事している横で、小難しい参考書を広げてこれ見よがしに読んでいるような、嫌味たっぷりの人間だったのです。

 

 ですが、私を指導してくださった先生には、少し素直になることが出来ました。

 先生の持つ不思議な魅力とでも言いましょうか。おそらくは、警戒心を抱く必要を感じさせない先生の何とも言えない気の抜けた顔が、私に余裕を生んだのでしょう。


 さて。ちょうど今日と同じく暑い夏の日のことでした。


 その日は、夏休みに予定されるゼミ合宿の打ち合わせをするために、大学構内の食堂にゼミ生と先生が集まる約束となっていました。


 私は、午前中を図書館で過ごした後に、少し早めに学食へと向かいました。

 図書館で読んでいた書籍についての見解をすぐにでも先生に述べたいと思っていたためです。


 前述のとおり、学生生活を楽しんでいるとは言い難い私でありましたから、本の話など出来る友人はいませんでしたし、先生は大学の教授の任についているだけあって知識も知恵も豊富に持たれていました。

 そう言う次第で、先生は都合のいい話し相手だったのです。


 食堂に入ると、私はすぐにA男とB子という同じゼミに所属するゼミ生を見つけました。


 二人は、食堂の隅の方の席で乳繰り合うのに夢中になっていて、私が入ってきたことには全く気が付いていませんでした。

 二人がそういういやらしい関係であることは、周知の事実でありましたので、私としても無関心に目を逸らし、先生がご到着されていないか、あたりを見回しました。

 残念ながらその姿を確認することが出来ませんでした。仕方なく、私はA男たちから離れた席に座って先生を待ちながら読書をすることにしました。


 けれども、イチャイチャちゅっちゅと耳障りな音が聞こえて集中できません。

 活字を目で追いますが、内容が頭に入ってきません。


 人様に迷惑をかけずに痴態をさらすだけなら捨ておくものの、人の読書を阻害するというならば黙ってはおれぬ、と私は一念発起して二人に文句を言いに行こうと思いました。

 すでに、椅子を引いて立ち上がる寸前だったのです。


 ですが、にわかに二人の会話が聞こえてきて私はちょっと動くのを止めました。黙って二人の会話を聞きました。

「ねえねえ、 ワタシずっと怪しいって思ってたんだけどさ。あの二人」

「あの二人? はあ、そりゃあ誰のこと言ってんだ」

「だーかーらぁ。うふふ。センセイとあの子よ」

「ああ、ネ。怪しいよな。うんうん」


 二人が何を言っているのか、私には分からないはずでした。

 あの二人と仲が良いなどということはなく、趣味思考の合わない彼らの言動を理解することなど私には到底不可能であるはずでした。


 しかし、どういうわけか、すらすらと入ってくるのです。

 イメージが広がりました。

 私と先生が楽しく議論を交わしているある日の一こまを思い出して、言いようのない怒りを感じました。


 私は感情に任せて立ち上がりました。音を立てて椅子が倒れました。それを気にせず、A男たちを睨みつけると、彼らと視線が合いました。

 二人はにたにたと機嫌のよさそうな顔で私を見ていました。

 無性に腹が立ちました。


 私は、勇んで彼らに近づくと、生まれて初めて他人に立ち向かいました。

「ふ、ふざけたこと、い、いわないで」


 けれども声はがくがくと震えていて勇ましさの欠片もありません。それに加えて、A男の凄みのある目を見た瞬間に身がすくんでしまいました。

 私は結局「ください」と小声で付けたしました。


「あらぁ、なあにいたの? 聞いてたの? ねえねえ、何ムキになってんの?」


 二人は声を上げて笑いました。

 私は腹の底から怒りがこみ上げてくるのを感じました。

 それと同時に、A男なんかを怖がって二の足を踏んだ自分自身が情けなくて涙が出そうでした。


 ここで引き下がってしまえば、私の負けです。

 そうなれば、二度とこいつらと顔を合わせることは出来ないと私は思いました。それは幸いなことです。

 ですが一方で、それは二度とゼミに参加することが出来ないということを意味しています。


 踏ん張れ私、勇気をここに!

 そう思って、胸いっぱいに空気を吸いました。


「冗談でも、あんな先生との関係を疑うのは、止めてください! 名誉棄損です!だいたい、私はこの「スペースファンタジー」を読むのに夢中で、色恋なんかにうつつを抜かしている暇はないのです」

 二人は鳩が豆鉄砲という風に、ぱちくりと瞬きを繰り返しました。

 少しの間、食堂に沈黙が走りました。


 再び口を開いたのはA男でした。

 いえ、言葉を発したのではなく、腹を抱えて笑い出したのです。あまりの爆笑に自身の体を支えていられなくなったのか、椅子から転げ落ちてしまうほどでした。

 何がそんなにおかしいのか、何かおかしなことを言ったのだろうかと、私は思いました。


 A男は言います。

「お、お前。さいっこうだわ! ええと、名前なんつったっけ、まあいいや。見直したぜ、おう!」


 打って変わっての友好的な態度に、今度は私が困惑しました。

 いったいどういうわけかと思って、B子に目を向けると、彼女は私ではなく私の後ろの方を見ていました。

 つられて、私も振り返りました。

 

 するとそこには、うだつの上がらない風体の先生が立っていました。


 先生は視線を泳がせながら、何度も口を開閉していました。何かを言おうとしているようですが、言葉が出てこない様子でした。


 先生は、大きなため息をつくと、眼鏡を外しました。

「あのですねぇ。それ、スペースファンタジーじゃなくて、サイエンスフィクションですよ」





あとがき

 この小噺を読んで心当たりのあるA男もしくはB子がいましたら私までご一報ください。結婚式の日程についてご連絡いたします。

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運命の人 ひょもと @hyomoto

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