⑭-勇者の運命-
『あーやっぱりこの姿が落ち着く。疲れたからこっちで話すけどいいよね?』
幼女姿に戻ったセレスティアはうーんと背伸びをしていた。先程までの威厳は軽く吹き飛び、また無邪気な面を覗かせている。かなりの美貌を誇っていたのにまったく頓着していない。
少し残念そうなルゥナだったが、レティは無視して『敵は神出鬼没だったからさー』間延びした口調で続きを話し始める。
『アマツガルムは取り込んだ死体から固有情報を走査して、変身することができる。お兄ちゃん達も、ガルディーンの息子に偽装してたことは見抜けなかったでしょ? どこに潜んでいるのか、どこで見られてるのか把握できない。ボクはあいつの目に見つからないよう隠れられるけど、お兄ちゃん達は別だから。お兄ちゃんがアマツガルム討伐を優先すれば絶対に殺しにくる』
「だけどあいつ、俺が何も知らない段階でも襲いかかってきたぞ」
『いつだったっけ、確かジルナールに取り入ろうとした司祭がいたでしょ。アマツガルムはその人間を吸収したことでお兄ちゃんが特殊な素質を持ってることを知ったんだ。で、暗殺されたお姉ちゃんを引き連れてたから、泥人形のことに気づいてたかどうか探ろうとした。結果的に何も知らないことがわかって一時的に放置して、その後もちょっかい出しはしたけど全力で殺そうとはならなかったわけ。多分、いつでも倒せると油断してたんだろーね』
ユキトの中で、カチリと何かが嵌った手応えがあった。
司祭というのはグリニャーダのことだろう。既に取り込まれていたことは驚きだが、そうであれば一連の展開にも筋道が通る。
ユキトがルゥナを連れていることを察知したアマツガルムは、中央州で襲撃を図った。ヘルメスに擬態していたので居場所も把握できたわけだ。同時に、ガルディーンが送り込んだ刺客ではなかったことが確定する。
ではギュオレイン州を出立した後の襲撃はどうなのかといえば、こちらはガルディーンの指図で間違いないのだろう。ルゥナ暗殺の真実を探ろうと動いたことが彼らにとって目障りだった。
つまりユキトは、まったく別の勢力二つに同時に狙われていたことになる。ヘレーネとアマツガルムが共同しなかったこともこれで辻褄が合う。
「ってことは、俺が何も知らないままだったから泳がされてたところもあるのか……」
『あるいは何かに利用しようとしたか。これは憶測だけどね』
思い起こすのは、自分の仲間になれ、というアマツガルムの言葉だ。おそらくレティの見立ては正しい。
『……それでも貴女様の助言で、色々と助かったこともあるのではないでしょうか』
一方でルゥナは、納得がいかない様子だった。咎めるような視線を受けてレティは苦笑いする。
『でもさ、お兄ちゃんは幽霊を一人しか連れ歩けないから。頼れるのがボクしかいなくて、憑依するしかないってなると、お兄ちゃん死んじゃうんだよね』
意外な言葉が飛び出して、ユキトとルゥナは揃って面食らう。
『曲がりなりにもボクは神だから。圧倒的な情報量をお兄ちゃんに上書きすれば、お兄ちゃんの固有情報は消し飛ぶんだ。だからまずはお姉ちゃんを憑依して慣れて欲しかったんだよ。順応すればボクの憑依にも耐えられるから。それにさっきも言ったけど、憑依すればするほどお兄ちゃんは強くなる。アマツガルムに対抗するにはお姉ちゃんの力を吸収して貰うことも必要条件だった』
『……だから私の元に召喚したのですか。ユキトを鍛えるために』
『もちろんこれはお姉ちゃんのためでもあるよ。アマツガルムがゼスペリア州を標的にしてるのはわかりきってたし』
まさに神の手の上で転がされている感触だった。アマツガルムも用意周到に計画を進めていたようだが、全てレティに覆されたといっても過言ではない。
『その点については感謝の念しかございません』とルゥナは頭を下げる。だが姿勢を戻しても、彼女の厳しい視線に変わりなかった。
『しかしやはり、黙っていた理由にはなりません。事情を話し、私に鍛えて欲しいと頼めば良かったと思うのです。確かにアマツガルムの脅威はありましたが、黙っていたことでユキトは辛い目にあったし、ともすれば彼が死ぬこともあったかもしれない。貴女の狙いに背いて逃亡することも』
ルゥナは怒りを滲ませていた。理由は、ユキトが傷ついていたから。それが彼女にとっては大事なのだ。
照れくさくなったユキトは止めに入ろうとするが、レティはくすりと笑う。
『好きなんだねーお兄ちゃんのこと』
『どどど、どうしてそんな話に……!』
『でも、お姉ちゃんの言い分はわかるよ。ボクも酷いことをしたって自覚はある……だけど賭けたかったんだ、勇者の素質を持つ人間に』
レティは、翡翠色の瞳に真剣味を浮かべてユキトを見つめた。
『お兄ちゃんを選んだのは、霊感を持っていたからだけじゃない。その能力を活かすだけの気質と頭脳を併せ持つ、勇者の素質があったからなの。はっきり言ってお兄ちゃんは生まれる時代を間違えてる。世が世なら、英傑とか偉人って呼ばれる部類の人間になっていたよ』
『ああ……それはまったく仰る通りですね』
何やら凄く褒められているがユキトは腑に落ちない。勇者の素質というが、本人としては正義感や大義などまったくなくここまで来たのだ。
『勇者に相応しい人間は、誰かに命令されて動くわけじゃない。他人の悲しみから目を背けず、誰かのために道を切り拓いていける人が勇者なんだ。その点、お兄ちゃんはたくさんの人を救おうと動いた。人も幽霊も関係なくね。これでお兄ちゃんが駄目だったら、他の誰にもアマツガルムは止められなかったと思う』
称賛の言葉が胸をくすぐるが、ユキトの芯の部分までは響かなかった。結果良ければ全て良し、と割り切ることはできない。自分のことはともかく、犠牲になった人々を助けられた過去があったかもしれないと、どうしても邪推してしまう。
しばらく黙っていたユキトだが、体の力を抜くように息を吐いた。
「たとえ期待されてたとしても、黙ってたことは正直、嫌な気分だな」
『うん、そこはごめんなさい』とレティは頭を下げる。幼女の頭頂部を眺めたユキトはルゥナへと視線を向ける。険を含んだ雰囲気はなりを潜め、彼女は穏やかな顔で頷いていた。
全てが正解となる方法などこの世界には存在しない。大切なことは誠意だとルゥナも理解している。
『許してもらおうとは思わないから……これから話すことも含めて』
だが顔を上げたレティは、更に深刻さの度合いを上げていた。
『お兄ちゃん、ここから少し大切なお話をします。まず、わざわざ異世界からお兄ちゃんを呼んだ理由から。別の世界の人間に託さなくても、ここにいる導師の人達に頼めばいいのにって、思わなかった?』
ユキトはすぐに頷く。いくら素質のある人間とはいえ、別の世界から引っ張ってくるなどあまりにも大袈裟で効率が悪い。だからユキトは、そうせざるを得ない理由があると踏んでいた。
『あのね、この世界で導師の能力を持つ人間はこれだけしかいないの』
と、レティは掌を広げて掲げる。五という数字で表しているようだ。
導師という役職は限られた人間のみがなれると聞いていた。だから、五百はいないだろうと推測する。
「五十人くらい、か?」
『なんでそうなるの? 五人だよ』
『「ごっ!?」』
ユキトとルゥナの素っ頓狂な声が重なった。いくら何でも少なすぎる。
『そんなはずはありません! ラオクリア教に所属される導師だけでも十数人はいらっしゃるというのに……!』
『うーん、その事情はそっちで調べてほしいなぁ』
レティは言葉を濁していたが、ユキトはなんとなく察した。おそらくラオクリア総主教庁全体が、グリニャーダのように能力を詐称して人心を誑かしていたのだろう。確かガルディーンも近しいことを言っていた。『なんてことだ』とルゥナは天を仰いでいる。
『ごめんね、ちょっとそこは後にして。重要なのは、この世界で霊視できるのが五人だけということ。つまり神を憑依できるのも五人。そのうち一人はラウアーロといって、アマツガルムに肉体を乗っ取られた』
「……残りの、四人は」
聞き返しながらユキトは、嫌な予感を覚えた。
素質がある人間がいながら、異世界から別の人間を召喚することになった理由。それは一つの結果を想起させる。
『四人とも、他の情報思念生命体に、神に肉体を乗っ取られた』
予想を上回る最悪さに、一瞬だけ頭が真っ白になる。
重苦しい沈黙が過ぎった。物音一つない静寂の中、耳の奥で高鳴る心臓の音が聞こえた。
『アマツガルムに同調した思念体がいて、全てこの世界に顕現してる。今もどこかに潜伏してると思う』
「……そいつらも、世界を作り替えるために?」
『さぁ、どうなのかな。アマツガルムほど自分の進化に固執はしてないだろうけど、少なくとも人間社会には悪影響だと思う。誰かが止めないと、また世界の危機が起こる』
誰かが、と話しているときのレティの視線は、ユキトにぴったりと注がれていた。
『ボクは豊穣神で、自然の摂理を守るのが役目だ。色んなものは変わってくけど、世界の在り方まで変えようなんて少しも思ってない。だから時女神ちゃんの力を借りてでも勇者を召還しなきゃって思った。ボク一人じゃあいつらを止めることはできないから』
「……」
『ボクらは所詮、作り物の神。皆のために生まれ、皆に寄り添うだけ。皆がいらないと言えば消えていく、そういう代物であるべきなんだよ。それをはき違えちゃいけない』
まるで自戒を込めるように、幼女姿の神は静かに告げる。
それから自嘲気味に笑った。
『強引に連れてきて、勝手に責任を押しつけて本当にごめんなさい。でもボクはお兄ちゃんに、勇者に託すしかない。世界を救って、って』
向けられた期待の視線から目を背けたユキトは、ふと天井を見上げた。天窓の向こうにある星空は淡く輝いている。元の世界と同じようで、やはりどこか違う夜空だ。
思えば遠いところまで来た。変わってしまった自覚もある。そして変わらないものがあるということも。
様々な情報を一変に与えられた頭は混乱のまっただ中にある。しかし心の方は、凪いだ海のように感情の起伏がまったくなかった。
――親とか、学校の皆は、どうしてるかな。
ふと元の世界のことを思い出してみる。会いたいという気持ちがないといえば嘘になる。
しかしここには、離れたくない人がいた。好きな人も。
『これで話は全部終わり。あとはお兄ちゃんの気持ち次第。すぐにとは言わないから、また返事を聞かせて』
ユキトが何も言えずにいると、慈愛の眼差しを向けたルゥナが背中に手を置く。
『行こう、ユキト。まずは休息して、それからゆっくり考えればいい。私も相談に乗るから……一緒にいるから』
半透明の手は透き通ってしまい触れた感触はないが、暖かな気持ちは伝わった。
だがレティは言葉を挟む。珍しく物憂げな表情で。
『……残念だけど、その時間はないと思う』
振り返ったルゥナに向けて、レティは首を振る。
『お姉ちゃんの未練はもうほとんど解消されてる。物質世界に留めていた楔はなくなったんだ。ほどなくして貴女は、消える』
*******
教会を出た二人は、孤児院の中庭で茫然と夜空を見あげていた。
今後のことを考えなければいけない。それはわかっているが、心がついていかない。
もうじき、ルゥナは消えてしまう。
ユキトはふとルゥナに目を向ける。言われれば確かに、彼女の姿はもう透明に近い。何人もの幽霊を見てきたユキトにとって気づかない方がおかしいほどの、消え去る前の兆候だった。
いや、本当はどこかで気づいていた。気づいていながら認識するのを後回しにしていた。
彼女がいなくなるという、事実を。
『……いよいよ、なのか』
ルゥナがぽつりと呟く。自分の体が少しずつ薄まってきていることを、彼女も自覚していた。もしかすると夜明けを待たず消えてしまうかもしれない。
確かに、ルゥナの未練は解消されたといえる。ジルナの決断、そして州長代理として立派に活躍する姿も見届けることができた。自分の死の謎も、ゼスペリア州を覆う陰謀も全てが解決されたのだから、心残りがあるはずもない。
だがルゥナの表情に感慨はなく、どこか虚しさを抱えた表情だった。とても未練を解消した幽霊には見えない。
おそらく、レティの話が尾を引いているのだろう。このまま消え去っていいのかと悩みを見せ始めている。
それはルゥナらしい優しさだった。しかし今という段階ではただの足枷にしかなっていない。
ユキトは思う。こんな暗い顔のまま、消え去ってほしくないと。
「ルゥナ、俺は――」
「ユキト!」
そのとき声がした。振り返れば、孤児院の門から見知った少女が駆けてくる。
「もうどこに行ってたんですか! 起きたのなら一声かけてください!」
ぷりぷりと怒りながら近づいてくるのはジルナだ。ユキトが夜更けに抜け出したことに気づき探し回っていたのだろう。その証拠に額には汗をかき、肩で息をしている。
謝罪の言葉を出そうとしたユキトだが、そこではたと気づく。
まだルゥナには、やり残したことがある。
「ルゥナ。俺に憑依してくれ」
『……え?』
「前に言ってたろ? 自分の本心を、ちゃんと伝えたいって」
思い出したようにルゥナがハッとする。中央州でジルナが酔い潰れていたとき、ルゥナはユキトの話を聞いて誓った。妹のために、自分の胸の内を全て伝えきると。
消え去る前のこの瞬間こそが、叶えるための最後のチャンスだ。
「ええと、今なにを話してるのですか?」
訝しんだジルナが問う。彼女と正面に向き合いながら、ユキトは告げる。
「……ルゥナが、消えようとしてる。だからジルナ。二人きりで、話して欲しい」
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