⑬-豊穣神はかく語る 下-

『他者の固有情報が上書きされると、ほんの短い期間だけども物質世界の肉体は別存在の人格、思考をトレースするんだ。この現象は普通の人間には起こらなくて、情報世界の残留思念を知覚できるような、お兄ちゃんみたいな変態だけに起こる』


「変態って……まぁでも、うん。なんとなくわかるよ」


『だけどさっき言ったように、物質の固有情報強度はちょっとやそっとじゃ変わらないから。特に人間なんていう複雑な物質はね。いくら上書きされてもすぐに修正力が働く。で、上書きしてた情報はぽーんと弾き出されるわけ』


「それが憑依の持続限界?」


『そゆこと。ではここで問題ですお兄ちゃん。前の説明を思い出して欲しいんだけど、物質世界アッシャー情報世界アストラルは互いに影響し合う。でも干渉は容易くない。これを踏まえて憑依という現象をどう捉える?』


 また問答形式か、と少々げんなりしたユキトだが、気を取り直して考え始める。

 どうやらこの幼女姿の神は知恵を絞らせるのを好むようだ。確かドルニア平原に向かへと助言してきた時も、回りくどく示唆するだけだった。もしかするとこのやり取り自体に意味があるのかもしれない。


「……普通は、干渉は難しい。でも密接に繋がってて影響はする……そうか」


 顎に手を添えて考えていたユキトは、閃きと共に浮かんだ仮説を言葉に変換する。


「憑依することで俺の固有情報に、一時的にだけどルゥナの情報が深く干渉する。当然、肉体にも影響は出る。だから俺は円燐剣が使えるようになったんだ……ルゥナの特性が、俺に移るみたいに」


 教師のような顔つきで答えを待っていたレティは、賞賛の拍手を送る。


『上書きはすぐに弾かれてしまうけど、ちゃんと影響は出てるんだよね。繰り返すことでお兄ちゃんの固有情報が少しずつ変化していくの。まぁ実際は、言うほど楽に変化するわけじゃないんだけど。肉体を強引に作り変えるわけだから、かなり辛かったと思う』


『それであの副作用が……!』


『ボクには肉体感覚がないから憶測だけど、気絶してるのは多分、肉体の急激な変化に驚いた脳が意識を遮断してるから。身体が熱を発したり倦怠感に襲われるのも、全部作り変えてる余波だね』


 言葉にしてしまえば容易い説明だった。しかし実際に「身体を作り変える」ことを体験したユキトとしては、そこに含まれる痛みをまざまざと思い出してしまう。

 一方で、積もりに積もった疑問が晴れていくのは、少しだけ清々しくもあった。


「ちなみに、何度も続けると副作用が低くなるのは?」


『修正力が働いてるおかげだね。憑依による変化を一つの系に組み込むことで、その行為自体に齟齬が生じないよう調整されていくんだ。ちなみに連続憑依は修正スピードが間に合わないから負荷が大きいよ』


「なるほどね……」と呟いたユキトは椅子の背にもたれかかって、ため息を吐く。

 ようやく、自分の身に起きている現象の謎が明らかになった。霊視能力や幽霊の正体まで知ることになるとは思ってもみなかったが、胸のつかえは取り除かれたと言っていい。

 だが今、彼の中では一つの疑念が膨れ上がってきていた。まだ確かめたいことは山ほどあったが、薄く笑い続けるレティを見ていると、胸の中がもやもやとする。


「……それを今まで黙って理由は、あるのか」


 ユキトは幾分か低くなった声で問う。

 レティにはアマツガルムの件で恩義がある。だからこそ、ここまで放置されたことへの反感や戸惑いが膨れ上がる。はぐらかすことなく質問に答えてくれている分、悪気があったとも思えない。

 ルゥナの目付きも若干鋭くなった。神に対して大っぴらに詰め寄ることはできずとも、彼女なりにユキトのことを真面目に考えた姿勢だった。


『……もちろん、お兄ちゃんに伝えられなかった理由がある』


 レティは、蝋燭の火を消すようにふっと真顔になる。そして再び祭壇の前に歩み出た。

 彼女は目をつむり、胸の前で手を組む。

 瞬間、淡い光がレティを包む。薄暗闇を切り裂くほどの光量に思わず腕で顔を覆うユキトだが、腕を下ろした瞬間に我が目を疑った。


『セ、セレスティア様の御姿が……!』


 ルゥナが驚きの声と共に息を呑む。

 そこに立っているのは、半透明の幼女ではない。絶世の美女とも呼べる女性がいつの間にか現れていた。

 柔らかく豊満な肢体を純白の布で覆い、緩やかに波打つ金色の髪を肩まで流している。頭には花と茨で出来た冠を戴いていた。包みこむような慈愛が、翡翠色の瞳を淡く輝かせる。

 その姿は、祭壇の上に飾られた彫刻と瓜二つだ。


『まず、改めてお礼を申し上げます、ユキト。数々の困難に耐え、また多くの試練を乗り越え世界の綻びを閉じてくれた貴方に最大限の敬意を。そして承諾なく異世界より召喚し、重荷を背負わせたことを謝罪します』


 女神の姿となったセレスティアは柔和な表情で黙礼する。声はレティのままだったが、姿が変わったせいか威厳と艷やかさを伴う美声にすら聞こえた。ルゥナはぼうっと見惚れている。


『なぜ今まで黙っていたのかと、責める気持ちは十分に理解できます。これには複雑な理由がありますが、それを伝える前に私やアマツガルムという神の存在についてお話しましょう』


 レティは抑揚のない声で語り始める。

 神、と便宜上呼ばれている存在は、正式名称を「情報思念生命体」と呼ぶ。それらは様々な情報が混成した結果に意識を獲得した特殊存在であり、いわばとも言えた。

 なぜ誕生したかといえば、それはやはりこの次元における物質世界と情報世界の曖昧な境界線が原因だといえる。

 この世界は、人の思考ですら寄り集まれば物体の性質を変えてしまえるという、ある意味で物理法則を簡単にねじ曲げる危うさを孕んでいる。しかし、人々の意思が一つの方向性にまとまることはそう起こらない。概念や常識といった普遍的なものとして人々の間に定着しない限り、情報世界もさほど影響は受けない。


 だが一つだけ、人々の意思が結集し具体的な像としてまとまりやすい事柄がある。

 それが宗教と、神の存在だ。

 人々は大いなる自然に畏怖を抱き、それを理解可能な存在に置き換えようと人の姿へ偶像化させた。豊穣神と、それを崇める宗教組織が生まれたことで人々の中にセレスティアという存在が確立される。

 セレスティアは風を操る女神として、ときに恵みの雨を呼び、ときに陽の光を注ぎ込ませ、ときに裁きとして嵐を発生させる。それが人々の求める、豊嵐の王セレスティアの役割になった。

 膨れ上がったセレスティア像はもはや一般常識となり、情報世界にも影響を与え初める。情報世界に書き込まれたセレスティアの莫大な記録は、やがて相互に干渉することで化学反応のような現象を起こし、意識を芽生えさせる。

 そうして彼女は、セレスティアとして誕生した。


『この世界には私以外にも幾つもの神が存在します。それらは全て、同じように人々の意思から紡ぎ出された思念体です。アマツガルムも同様でした』


『で、では、セレスティア様が我々をお作りになられたわけではない、と?』


『残念ですが、貴女達が期待するような背景や物語は私にはありません。ただし私たちは情報思念生命体として、物質世界アッシャーの固有情報にアクセスする力を持ちます。セレスティアに望む役割が風を操る女神という認識である限り、私は環境情報を書き換えることができる。とはいえ自然のようなカオス要素に与えられる影響は微々たるもので、精々が異常気象の発生を防ぐぐらいです』


 それだけでも立派に神らしい所業をしているとユキトは思ったが、ルゥナは複雑そうな面持ちで眉間に皺を刻んでいた。ラオクリア教の教義では、豊穣神が人間を含む自然を作ったことになっている。その教えが根本から覆された事態にショックを隠せていない。


『宗教という性質上、貴女達は私を上位存在として捉えている。だからこの話は、酷い裏切りとも取れるかもしれません』


『……そうですね。この話は、皆が信じる夢を壊すかもしれない』


 ルゥナはため息を吐く。それから諦観を滲ませて苦笑いを浮かべた。


『少しばかり衝撃的な話で、まだうまく飲み込めませんが……それでもセレスティア様は確かに存在し、我らを見守ってくださっている。それで十分だと、今は胸に秘めることにいたします』


 セレスティアは小さく頷き『ありがとう』と眦を下げる。そして女神は続きを語る。


 情報思念生命体はセレスティアの他にも存在し、宗教と密接に関係がある。アマツガルムも、人々の願望が結集して生まれた神の一つだった。

 しかしアマツガルムを崇拝するメディウス教は聖ライゼルス帝国によって滅ぼされた。信仰する人間は激減し、人々の記憶は薄れ、やがてアマツガルムはその役目を終えて情報世界に拡散していく、はずだった。

 <死と再生の神>という性質が災いしたのか、アマツガルムは死の克服に異様なまでの執着を見せ、己の破滅を回避しようと足掻いた。

 丁度ラウアーロという司祭が肉体的な死を迎え、固有情報が消失していたことに目をつけたアマツガルムは、残っていた肉体に己の情報を上書きして乗っ取ることに成功する。

 そして自分の役目――即ちヒトの蘇生を果たすために、情報世界の真理を書き換える存在へ進化しようと目論む。

 アマツガルムが考えた方法は、自分を崇拝する人間を増やし、その巨大な認識の力で情報世界へ過干渉を行うこと。そのために戦いに明け暮れる残酷な世界を作り、人々がメディウス教を求める流れを作ろうとしていた。


『アマツガルムがガルディーンの計画に便乗したのは、この国と聖ライゼルス帝国の戦火を拡大させるのが目的でした。今回の六街道動乱もアマツガルムの手引きによるものです。最終的にはガルディーンすら葬り、内乱を誘発させていたことでしょう』


 ルゥナは愕然となり声を失っている。既に断片的な情報を掴んでいたユキトはまだ驚きが少なかったが、それでも信じ難い気持ちが芽生えてくる。

 神が、自分の進化のために世界を作り替えようとしていた。こんな事態など誰も想像はできない。正体すら掴めないのだから、普通の人間が止めるのも不可能だ。

 もし計画を阻止できていなかったら、果たしてどうなっていただろうか。


「……たとえば、なんだけど。メディウス教の信者が爆発的に増えたとする。そうすればアマツガルムの力は増加して、人間を生き返らせるような神様になるのか?」


『なりません』


 即答だった。あまりに早い断言にユキトは眉をひそめる。


『人間を蘇らせるなどという事象は、それこそ世界の根幹を覆すことと同義です。情報世界のルールそのものを変えるなど無謀な挑戦に他なりません。たとえ全世界の人間がアマツガルムに願いを託しても、無駄でしょう』


「じ、じゃあアマツガルムのやってることは、何だったんだ?」


『アレを生み出した人々の思考は、怨念とも呼べる強力で歪な願望でした。その情報で構成されていたからこそ目的のみに囚われ、暴走する思念体になったと推測しています。しかしアマツガルムに刻まれた役割は、不完全ながらも機能を果たしていました。死を操る、つまり死体を再生するという力は発揮され、結果的にあの泥人形が生まれたのです』


 泥人形、というのはおそらく黒の兵士達のことだろう。


『ですがそれは、死を克服した末の産物ではありません。あくまでアマツガルムの力で死体を操っているに過ぎない。肉体に刻まれた記憶はあっても、魂はないのです』

 

 ユキトの脳裏に浮かんだのは、黒の兵士達の虚ろな表情だった。まるで操り人形だと連想していたが、あながち間違いではなかったかもしれない。形式的にはゾンビに近い存在とも読み取れる。


『しかしアマツガルムは、自分への信仰心が集まればいずれ完璧な蘇生を行えると信じていました。おそらくあの神は、世界中の人間を泥人形にするまで何も気づかず、盲進していたはず』


 背筋を怖気が走る。全ての人間がアマツガルムに取り込まれ、魂のない抜け殻で埋め尽くされた世界。まさに世界の危機という言葉に相応しい事態だ。もし止めていなかったらと思うと空恐ろしくなる。

 そのとき、自失から戻ったルゥナが鋭い声で問うた。


『……ならば、なぜもっと早くに説明いただけなかったのですか』


 ルゥナは真っ直ぐセレスティアを見つめている。その目には、ほんの僅かだが不信感が過ぎっていた。


『憑依のことやアマツガルムの危険性を最初からお話しいただければ、もっと初期の段階で食い止められていたのでは?』


『それなんだけどねー』


 女神の声が幼く間延びした。

 瞬間、ポンと何かがはじける音がして、セレスティアの姿が煙に包まれる。次に姿が見えたとき、女神はまた幼女の姿――レティに戻っていた。

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