⑧-世界を救おうか-

 操り人形となったガルディーンの凶刃を、ユキトは何とか弾き返していく。

 だが彼の腕では防戦一方ともならず、肉体には徐々に裂傷が刻まれ始めた。


 ――ルゥナはこんな奴と戦ってたのか……!


 今まで戦ってきたどの相手をも超える圧倒的な力に、畏怖を抱く。

 同時にユキトは、ルゥナとの実力差を痛感した。いくら円燐剣が使えるようになったといっても彼女とは熟練度が違う。体の動かし方や太刀筋は未熟そのものだ。

 このまま戦い続けても勝ち目がないことを、ユキトは瞬時に悟っていた。


『ユキト! 早く二回目の憑依を!』


 傍らでルゥナが声を荒げる。彼女も無理筋なことを理解している。

 しかしユキトは逡巡した。憑依でなければ勝てないことは承知の上で、ある懸念から動くことができなかった。

 躊躇いを見せるユキトにルゥナが訝しんだとき、複数の足音が響く。城内から大勢の騎士や兵士と、そして一人の少女が現れた。


「ユキト! 姉様!」


 戦闘中のユキトに気づいたジルナが呼びかける。

 なぜ出てきた、と剣を振るうユキトは別種の焦りを抱くが、おそらくガルディーンの策に気づいて城を飛び出してきたのだろう。さすがの慧眼だが、運の悪いことに今や外の方が危険な状況だった。

 しかし彼女の傍にはサイラスを始めとする守護兵団とゼスペリア兵が揃っている。ひとまずジルナは彼らに託すしかない。

 敵を見定めようと周囲を確認するサイラス達だが、立っているのはフードを被った正体不明の男とガルディーンのみ。そのガルディーンも先ほどとは違う身なりに変貌し、かつまるで幽鬼のような表情でユキトを追い詰めている。

 異様な状況に困惑を深めるサイラスだが、ユキトの切羽詰まった表情を見て気を引き締めた。


「ユキト殿! 今助けに参ります!」


「あー駄目駄目。今いいところなんだから」


 答えたのはラウアーロだ。声に反応して振り向いたサイラスは息を呑む。

 フードを被った男の背中がボコりと盛り上がっていた。突起物が塊となって地面に落ちると、すぐに別の塊が隆起する。地面にこぼれ落ちた幾つもの闇色の塊は、ボコボコと歪み体積を増大させて人型を形成していく。

 数秒後、そこには黒一色に染め上げられた兵士十人が並んでいた。


「余興の邪魔しないでくださいよ」


 ラウアーロが肩を竦めた瞬間、黒の兵士達が守護兵団へと突撃する。


「ジルナール様はお下がりください!」


 サイラスは配下にジルナを警護させると、襲いかかってきた黒の兵士へ剣を振るう。乱戦が始まり、騎士達は訳も分からぬまま迎撃していく。

 黒の兵士達はそれぞれ異なる姿形で、使う武器も戦い方もまったく違った。ただし連携する様子は一切なく、守護兵団とゼスペリア兵は互いを守りながら各個撃破していく。

 戦闘不能に陥った黒の兵士達は、倒れ伏すなり黒い粒子となって消滅していく。常軌を逸する光景に騎士達は動揺するが、しかし理解に費やす時間はなかった。畳み掛けるように、ラウアーロが次々と黒の兵士を生み出していく。


「さぁさぁ派手に騒いでください。その方が混乱も大きくなる。ジルナールもヴラドもこの戦闘の余波で死亡って筋書きなんですからね?」


「っ! お前!」


 戦闘中にも関わらずユキトは反応してしまった。意識が一瞬だけ相手から外れる。

 その隙を突かれガルディーンから横殴りの斬撃を叩きつけられた。反射的に剣腹で防御したユキトだが、踏ん張りが効かず後方へ吹き飛ばされる。

 城郭の外壁に背中から激突したユキトは血反吐を吐いた。壁面からずるずると地面に崩れ落ちる。

 激痛で呻く間にも、ガルディーンが急接近していた。ルゥナはユキトの正面にしゃがみこみ必至の形相で訴える。


『今だユキト! 憑依を!』


「……ま、だだ」


『なっ!?』


 拒否されるとは思っていないルゥナは面食らうが、ユキトは答えもせず横っ飛びした。直後、彼のいた場所をガルディーンの刀が切り裂く。壁には無数の、爪痕のような傷が刻まれる。

 地面を転がったユキトは起き上がりざまに全速力で走り始めた。痛みが酷いが強引に我慢する。

 後方を確認すると、ガルディーンは守護兵団に目もくれず追跡してきた。ラウアーロの指示を遵守しているのかもしれない。


『なぜだ! 今の君ではガルディーン卿には勝てない!』

 

 ユキトの袖を掴み取り憑くルゥナは、焦りのせいか苛立たしげに問う。


「制限時間、だ……はぁはぁ、ルゥナには、ラウアーロを倒して、もらわないと」


 喘鳴を吐きながら、ユキトは拙いながらも必死に答えた。

 もしラウアーロが無尽蔵に兵士を生産できるとしたら、根源を討伐しない限りこの戦いは終わらない。憑依を使えばガルディーンを倒すことはできるかもしれないが、ラウアーロを相手にする時間は失われる。そうなればユキトは昏倒し、ジルナや皆を守るどころかただのお荷物に成り下がってしまう。

 憑依に頼らずこの場を切り抜けるしか道はない。そう考えたユキトは城郭から離れ、市街地に向けて走った。貴族用の邸宅が並ぶ目抜き通りは、既に退避したのか怯えて立て籠もっているのかしらないが誰の姿も見当たらない。


『しかしユキト! 君が死んでは元も子もないんだ!』


「わかって、る……市街地に逃げ込んで、何とかやり過ごし――っ!」


 左肩に激痛が走った。ユキトは顔をしかめながら地面を転がる。肩当ては鋭利なもので切り裂かれ、内部の肉がぱっくりと割れていた。

 ユキトの肩を裂いた飛来物――ガルディーンの投げ放った刀は、貴族用邸宅の門扉に突き刺さっている。

 血が溢れる傷口を手で押さえ、ユキトは奥歯を噛み締めながら立ち上がる。ガルディーンはゆっくりと彼に接近していた。

 男の片手は空になっている。あったはずの刀がない。自分の武器を飛び道具にするなど騎士らしくない戦い方だが、判断力も消失しているのだろうか。

 いや、違う。がら空きだったガルディーンの手に、黒い粒子が集積する。それは寄り集まって刀の形を形成していく。

 ユキトは思わず門扉を確認した。刺さっていたはずの刀が消え失せている。かつて中央州で戦った弓兵の矢と、同じ現象だった。


「……卑怯だってそれ」


 苦情を呟いたユキトへと、ガルディーンが急接近した。ユキトは宝剣を振るい防御したが、瞬きの間に飛来する幾重もの斬撃に翻弄され態勢が崩れる。

 がら空きになった彼の胴体に蹴りがめり込み、その体は弾き飛ばされた。

 地面を転がり土埃が舞う。停止したユキトは四つん這いの状態で胃液を吐いた。チカチカと明滅する視界の中に、ゆっくりと近づくガルディーンの姿が映る。満身創痍であることを見越した、余裕の態度のようにユキトは感じた。

 それはガルディーンらしい傲岸不遜さとも言い換えられる。ロダンのときも同じだったが、操り人形になったとしても本人の性質は残っているのかも知れない。

 だとすれば、いくら理性が残っていなくとも、ガルディーン相手にハッタリや奇襲は通用しないだろう。


『ユキト! お願いだから!』


 ルゥナが叫ぶ。すぐ傍にいる彼女は泣き出しそうなほど顔を歪めて懇願している。まるで自分のことのように、いやそれ以上に必死になって。

 そのとき、ユキトは理解してしまった。


 彼女の、自分に向けた感情の正体を。


 突然、ユキトの中に生きることへの衝動が沸き起こる。

 彼はぐっと手を伸ばした。ルゥナはその手を掴もうとする。

 だが触れ合う直前、ガルディーンが半透明のルゥナを遮るようにして斬撃を放つ。ユキトは剣で防御したが踏ん張りが利かず再び後方へと弾かれた。接触していなかったせいでルゥナとの距離も離れる。

 ガルディーンが、膝をつくユキトめがけて襲いかかる。

 ルゥナも走っているが、間に合わない。

 終わった、とユキトは思った。


 その瞬間、景色がスローモーションになる。虚ろな表情で刀を振り下ろすガルディーンも、目に涙を溜めて叫ぶルゥナも、全てがゆっくりに見える。

 盗賊に襲われたときと酷似していることに、ユキトは気づいた。


『よくここまで来たね、お兄ちゃん』


 声がした。ユキトは目線だけで声の主を探す。

 すぐ隣に、幼女が立っていた。半透明な姿の彼女には見覚えがあった。

 孤児院の隣の教会で出会った、レティという幼女だ。

 それがどうしてここにいるのか。いや、なぜ今まで気づかなかったのか。

 ユキトが数々の疑念を抱く中、気にするなとでも言いたげにレティは微笑む。


『時は来たよ。ボクの手を取って』


 スローモーションの中で、幼女だけが普通に手を動かしていた。

 開かれた小さな手を、握り返せと目で訴えている。

 不思議なことに、その瞬間から一切の疑問や迷いが消失した。

 これは最初から決められていた流れなのだと、確信に似た思考に至っていた。


 この手を取れば、全てがわかる。そして、これが自分の役目だ。


 小さな手を握った瞬間、接触面から眩い光が放出される。


 ガルディーンの刀がユキトの頭部に直撃する寸前。

 突風が、巻き起こった。

 暴れる風は刀を押し戻し黒い巨体を後方へと退ける。仰け反っていたガルディーンは腰を落として突風に耐えると、追撃のために刀を構えた。理解不能の現象に対する動揺はない。

 刹那、一陣の風が男の懐に入り込んだ。

 鎧の胸部に横一文字の銀閃が走った瞬間、ガルディーンの体は胴体から真っ二つに切断され、ずるりと傾いて地面に落ちる。

 二つに分たれた身体は黒い粒子となって崩壊していく。およそ理性の見当たらないガルディーンの虚ろな顔も、砂糖を崩すかのようにさらさらと地面に溢れていった。

 人間一人の身体は全て黒い塵と化して空中に飛散し、消し炭のような痕跡だけが残される。

 その前に佇む少年は、構えを解いてゆっくりと息を吐いた。


『……ユキ、ト?』


 ルゥナは呆然と呟く。彼女は、自分の目を疑うように何度もまばたきを繰り返していた。

 そこにいるのはユキトで間違いはない。

 だが、彼は変化していた。

 ユキトの周囲には風が渦巻いている。はっきりと視認できるほどの濃い気流が、小さな竜巻のように吹き荒れていた。黒みがかっていた瞳も、今では翡翠色のように淡い緑に輝いている。

 そして彼の傍には、小さな女の子が付き添っていた。彼女の体は半透明で、普通の人間でないことは明確だった。

 幼女――レティは薄く笑い、告げる。


『さぁ、お兄ちゃん。豊嵐の王セレスティア  ボ ク  と一緒に、世界を救おうか』

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