⑨-豊嵐の王 セレスティア-

 レミュオルム城前での戦闘は熾烈なものになった。

 黒い兵士達は鋭敏かつ力強い攻撃を継続し、決して一筋縄ではいかない。中にはサイラスが知る歴戦の猛者達と遜色ない実力の者も混じっていた。しかも敵は亡霊のような虚ろな表情で襲いかかってくる。行動と感情が不釣り合い過ぎて奇怪さに拍車をかけていた。

 守護兵団やゼスペリア兵達も恐怖心の中で必至の抵抗を続ける。だが斬っても斬っても黒の兵士の数が減らない。フードの男が次々と兵士を生み続け、倒すそばから増えていくのだ。

 終わりの見えない戦いに加えて、正体不明の異形を相手にしている状況は精神的負担が大きい。騎士達の消耗はどんどん大きくなる。


「耐えろ! ヴラド諸侯王の待避まで時間を稼ぐんだ!」


 分隊長としてサイラスは部下達に檄を飛ばす。精鋭揃いの騎士達は彼に応えるように奮起するが、それを嘲笑うかの如くラウアーロが黒い兵士の量産を加速させる。


 ――くそ、一体どれだけ作れるんだ……!


 肥大する不安を押し込めながらサイラスは剣を振るう。正体がまったくわからない以上、敵の限界値を推し量るのも不可能だ。

 せめて団員をもう少し追加できれば状況も好転するだろうが、内地に留まる守護兵団の大半が街で起きた爆発の調査と犯行組織の捕縛――おそらく潜伏したガルディーンの部隊――に向かっているため、合流にはまだ時間がかかる。

 果たして増援まで耐え凌げるのか。そもそも悪鬼や悪霊の類いを相手にしているなら勝ち目もないのではないか。恐怖を色濃くさせる部下達も同じ想像をしているようで、皆が逃げ腰になりつつある。


「ほらほら、勢いがなくなってきましたよ。まだたくさんいるので頑張ってください」


 ラウアーロが麻布はだけさせ、腹部から黒い塊を吐き出す。それらは一気に五人分の兵士となった。頬を引き攣らせた隊員達めがけて、黒の兵士が猛然と襲撃する。

 サイラスは逡巡した。一端レミュオルム城を放棄してヴラドとジルナを連れて逃亡すべきだろうか。しかし、この得体の知れない存在を内地に残せば民衆にも危害が及ぶ。最悪、中央州が崩壊する事態も招きかねない。国の中枢部が機能停止に陥ると言うことは、即ち国全体の危機を招く。

 かといって、人智を超えた異形の存在にどう対処すればいいのか。

 懊悩するサイラスの脳裏に、一人の少年の姿が過ぎる。

 彼ならば。彷徨える魂を救い、己の力にできる導師の少年ならば、あるいは。


「うあああ!」


 悲鳴を聞いたサイラスは我に返る。直属の部下が地面に尻餅をつき暴れるように腕を振っていた。接近した黒の兵士は、虚ろな表情のまま剣を振り上げる。


「くっ!」


 襲い来る敵を斬り捌いてサイラスは助けに向かう。だが間に合わない。

 そのとき、風が吹いた。

 緩やかな風は急激に勢いを増して旋風となる。その風圧は、剣を振り下ろしていた黒い兵士の体をその場に押し留めた。

 兵士の首が落ちる。

 いつの間に現れたのか、部下と黒の兵士の間には、騎士姿の少年が立っていた。

 彼は剣を持つ腕を下ろすと、空いている反対の手を首なしの胴体に向ける。

 突風が巻き起こる。黒の肉体は粉々に砕け、黒い塵となって空高く舞い上がっていった。


「……は?」


 ラウアーロが間抜けな声を上げる。反応するようにユキトは振り返った。

 精悍な顔つきの彼の瞳は翡翠のように緑がかっていた。更に、少年の周りには幾つもの小さな竜巻が渦巻いている。風がそんな小規模に定置するはずはないのに、まるで意思を持っているかの如く彼に寄り添っている。


「サイラスさん。ここは俺に任せて」


 一瞬なにを言われたか理解が遅れたサイラスは、返事もできなかった。

 構わずユキトは疾駆する。激戦を続ける戦闘のただ中に潜り込むと、黒の兵士達めがけて剣を振るう。

 それはまさに疾風怒濤。目にもとまらぬ早さで繰り出された斬撃は黒の兵士達を一刀の下に両断していく。残された部位も彼が纏う竜巻の群れに吹き飛ばされ、黒い煤となって崩壊した。

 竜巻に慄いた騎士達が咄嗟に腕で顔を覆うが、彼らには何も起こらなかった。

 竜巻は、ユキトが狙う標的だけを攻撃している。それ以外は障害物を避けるように流れていく。影響があったとしてもそよ風が頬を撫でる程度のものだった。

 サイラスの肌が粟立つ。理屈はわからないが確実に、あの竜巻は意図的に動いていた。

 気づけばその場にいた黒の兵士達は全て消え失せている。


「……残すは、お前だけだ」


 立ち止まり、疲労した様子もなくゆっくり息を吐いたユキトが、ラウアーロめがけて鋭い眼光を叩きつける。


「い、いやいや……そんな、ここに来て急に?」


 ラウアーロは慌てたように黒の兵士を生み出す。その数は三人。

 ユキトは鎖を握りしめて剣を回転させる。襲いかかった兵士達は旋風の一撃で難なく撃破された。

 フードの男の、閉じているかのような細い目が驚愕に見開かれる。血のように赤い瞳には困惑が浮かんでいた。


「まさか……貴様が力を貸しているというのか、セレスティア?」


 ラウアーロはなぜか豊穣神の名を叫んでいた。そしてユキトを、正確にはユキトの隣の空間に向けて憎悪の篭もった目を向ける。

 ユキトは答えず、近くに落ちていた鞘を取り上げて自分の腰に装着する。

 しばし睨み合う両者だが、ラウアーロは気が抜けたように嘲笑を浮かべた。


「今更なんの用でしょうかね。貴女が出しゃばったところで無駄骨ですよ? それに神降ろしを使ったその術者は、力の負荷に耐えきれず間もなく死ぬでしょう」


 ズッ、と沼に沈むような音と共にラウアーロの両手が崩れた。五指が消失し、代わりに霞のような黒い粒子の塊を形成している。


「何より、ルゥナールを憑依していないただの人間風情が、私に勝てるとでも?」


 ラウアーロは腕を引き絞り、勢いよく前面に押し出す。同時に黒い靄は波濤はとうとなって射出され、ユキトめがけて襲いかかった。

 直撃の寸前、彼の姿がかき消える。剣を構えていたユキトは横回転することで黒の波濤を回避し、直進する粒子の群れめがけて宝剣を振り下ろした。

 切断された瞬間、粒子の群れは小気味いい音を立てて霧散する。周囲には残滓だけが漂い、ほとんど跡形もなく消し飛んでいた。


 呆気にとられたラウアーロは、歯ぎしりするともう一度両腕を振り絞って波濤を放つ。対するユキトは円燐剣四の型「流舞」の旋風剣で迎え撃つ。

 勢いからして防御は無理だと焦るサイラスだが、それは杞憂だった。黒い粒子が回転する剣に衝突した直後、全て消失する。一粒たりとも彼には届かない。

 目を凝らせば、波濤と剣が衝突している接触面に輝く光が見えた。その光に触れた粒子が一瞬のうちに消え失せているのだ。まるで黒い粒子を浄化しているかのような振る舞いだった。

 ユキトの腕が止まり、剣もだらりと垂れ下がる。その頃には全ての波濤が消失していた。


「なぜそんな動きが……! それに、耐えられる時間などとうに超えているはず!」


 ユキトが無言で歩き出すと、男は何かに気づいた様子で低く唸った。


「その人間が依り代として大成するまで待っていたのか……?」


 傍観するサイラスには意味不明な台詞だ。しかし男の口調は変化し、人を食ってかかったような余裕は消え失せている。それだけでもユキトが優勢に立っていることを物語っていた。

 歩を進めていたユキトは立ち止まり、短い息を吐くと、一気に駆け出した。


「貴様らなどに……!」


 ラウアーロが両腕から黒の波濤を放つ。粒子の群れは、彼の手前で堰き止められた。

 留めているのは剣ではなく、竜巻だ。ユキトの周囲に漂う風が急激に増幅して防壁となり、波濤を押し止めていた。

 風と粒子が衝突する中、空白の隙間を抜けたユキトはラウアーロめがけて突貫する。ラウアーロは両腕を掲げたまま頬を強ばらせる。

 だがユキトが懐に入り込んだ瞬間、男の口角がつり上がった。

 麻布で隠された腹部から黒い粒子の群れが顔を出す。わざと近づけ至近距離から黒の粒子を浴びせるつもりだ。

 しかし、放出された濁流は彼に衝突することはない。粒子の群れはユキトの頭上めがけて射出され、広い空へと突き進む。射出角度が変わった理由、それは――


「お見通しだ」


 脚部に巻き付けた鎖をユキトが引いたことで、ラウアーロは足払いされていたのだ。

 しかし仰向けに倒れる寸前、ラウアーロの全身が黒の粒子として分解される。

 羽虫の大群のような嫌悪感を誘う変貌を遂げたラウアーロは、鎖の拘束から免れようと空中へ向かう。


「それもな!」


 ユキトの放つ旋風剣によって粒子の塊がゴッソリと削り取られる。

 黒い染みが漂白されていくように、回転する宝剣がラウアーロの構成物を消し飛ばして突き進む。そしてユキトは、ある部位で渾身の斬撃を放った。

 斬り飛ばされた塊の一部がボトリと地面に落ちる。残された粒子の群れは空中へと四散していった。

 だが、黒の兵士達を倒したときとは様子が違う。黒い粒子は空にまだら模様を描くように低空で留まっている。今までと違うとサイラスが直感したとき、ある物が視界に映り怖気が走った。

 路地に落ちていた、人の頭部ほどある黒い塊はのっぺりとした表面だった。

 そこに二つの赤い目玉が出現し、ギョロギョロと蠢く。

 息を呑むサイラス達だが、ユキトは自然体のまま塊に向けて近づき、剣の切っ先を向けた。


「まだ終わりじゃないはずだ。そろそろ正体を見せろ、ラウアーロ……いや、黒死の王アマツガルム」


 死と再生の神の名が告げられたとき、赤い目玉が歪んだ。それは、嗤っているようでもあった。

 地鳴りが響く。立っていられないほどの揺れで騎士達が態勢を崩した。か細い悲鳴を上げるジルナを、兵士達が慌てて支えに入る。


「また敵襲か……!?」


 そう叫びながらサイラスは市街地の方へ目を向けた。

 だが異変はない。黒煙もなければ新たな叫び声も起きていない。

 つまり、異変が起こっているのはこの場所だけだ。


「カミゴロシヲイトワヌ、ニンゲンヨ」


 腹の底に響く、重苦しい声が全員の耳朶を震わせた。

 声は、二つの目が生えた塊から発せられている。


「ミノホドヲシラヌ、オロカナモノドモニ。シヲ、アタエヨウ」


 赤く濁った二つの目がどろりと溶け、塊はボコボコと形を変えながら瞬く間に巨大化していく。ユキトの背丈を超えて膨れ上がると、更には低空を漂っていた黒の粒子を引き寄せて体積は加速度的に増大する。

 ユキトは飛び退り、距離を置いてから静かに剣を構えた。


 彼の正面には、巨大な黒い獣が屹立している。


 地面を踏みしめる四肢は大樹の幹ほどの大きさがある。胴体は、小さな家屋を軽く越すほどの面積を誇った。その上に鎮座する頭部は肉食獣のように口吻部が長く伸び、大きく横に裂けた口は闇色の牙が生え揃っている。爛々と輝く赤い目玉二つが、周囲を威嚇するようにせわしなく動く。

 黒一色に塗り潰された身体は、生物としての質感を一切感じさせない。そして最も特徴的な部位――背中から生えた巨大な二枚羽が、この世のどんな生物とも異なる存在であることを示している。


「あ、悪魔……」


 騎士の誰かが呟いた。サイラスも、同じ感想を抱いていてしまう。

 神話や伝承に出てくる神、あるいは悪魔の類。理性は否定しようとしても、本能の部分が、超常の存在だと警告を発している。

 化け物が大きな口を更に広げた。鼓膜をつんざく咆哮が発せられる。ビリビリと空気を振動させる叫びは、内地の端から端まで届くほどの大音響だった。

 気圧された騎士が一人、また一人と後ずさる。恐慌一歩手前で、逃げ出さずにいるのが精一杯だった。

 しかし、一人だけ抗う者がいる。


「悪いけど、消えるのはお前だ。アマツガルム」


 巨大な怪物――アマツガルムを相手に少しも怯まず、ユキトは覇気を携えて告げる。


「俺が、皆を救う」

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