⑦-操り人形-

 ガルディーンを包む黒い繭は、ぐずぐずと熟れた果実のように崩れ始めた。そして崩壊した部位から微細な粒子が生まれ始め、羽蟲の大群のような粒子の塊はラウアーロの腹部へと入っていく。

 麻布の前をはだけさせたラウアーロの漆黒の腹部に、黒の粒子は全て吸い込まれる。繭どころか、ガルディーンの遺体は影も形も残されていない。

 ラウアーロは麻布を元に戻して満足げに腹をさする。


「いやぁ僥倖でした。この肉体を狙ってはいたんですけど、まるで隙がなくて。諦めずに粘ったかいがあるというものです」


 肩を揺らすラウアーロに対し、ルゥナは愕然として反応できない。あまりにも現実離れした出来事に思考が追いついていなかった。


『なんで、生きてるんだ……!』


 ルゥナよりも先に自失から復帰したユキトだが、動揺だけは抑えきれなかった。

 あのとき、ライオットの一撃は確かに額を貫いていた。脳髄を刺し貫かれて生きている人間などいるわけもなく、目の前でピンピンしているラウアーロの姿が信じられないでいる。

 だがユキトは、自分の思い違いに気づいた。そもそもの話、肉体を黒い粒子に変換できる人間が、普通のはずもない。

 額を貫かれたラウアーロの体は黒い粒子となって分解していった。他の兵士同様に崩壊を示す現象だと捉えていたが、この男に限っては単に分裂して逃亡していただけかもしれない。死んだふりを見抜けなかった迂闊さに腹が立つ。


 ――でも、じゃあこいつは、不死身だっていうのか?


 剣で刺し貫こうが銃で撃とうが平然としている存在を、どうやって倒せばいいというのか。


「き、貴様ぁ! 閣下に何をした!?」


「殿下に成りすますとは……! ヘルメス殿御本人をどこに隠した!」


 ガルディーンの配下が騒ぎ始めたことでユキトは我に返る。

 彼らはラウアーロを包囲すると剣の切っ先を突きつけた。おそらく精鋭部隊なのだろう、この得体の知れない事態でも理性を失わず主君の救出に思考を切り替えている。


「ああ、ガルディーン卿ですか? 彼ならいますよ、私の中で。そんなに再会したいなら出してあげましょうか」


 ラウアーロは唇の端を釣り上げる。

 直後、ぐにゃり、と男の背中が隆起した。肩甲骨から突き出た黒い塊が重力に負けるようにぼとりと地面に落ちる。塊はナメクジのように地面を這って男の横に移動すると、ぼこぼこと歪み始める。

 嫌悪感と恐怖で顔を引きつらせる騎士達の前で、黒い塊は更に巨大になり人型を形成した。徐々にデティールが鮮明になって、鎧を纏う人間の形状がくっきりと現れる。両手に持つは黒い刀。顔はフードで覆われ目元が隠されているが、見える範囲からしてもその人物が誰なのかは明白だった。

 ルゥナは息を飲む。混乱の只中に突き落とされながらも、その名を呟く。


「ガルディーン卿……」


 黒一色の鎧と黒い二刀を装備する人間は、さきほどラウアーロの肉体に吸収されていったガルディーンその人だった。


「な、なにが起きてるんだ……」


 戦慄した一人の騎士が茫然と呟く。するとガルディーンはゆっくりと首を巡らせ、声を上げた騎士へと視線を向けた。

 ユキトは、身を引っ掻くような鋭い寒気を感じた。

 内部に引っ込められ感覚などあるはずもないのに、魂ともいうべき部分が確かな恐怖を覚えたのだ。


『そいつはもう、ガルディーンじゃない……!』


 理解したわけではない。本能が警告を発し、ユキトは思わず叫んでいた。

 同時に、黒い刀が振り落とされる。騎士は茫然としたまま、肩口から上半身を斜めに切り裂かれる。臓物と血をまき散らして騎士が倒れると、仲間の一人がくぐもった悲鳴を上げた。その男もまた横薙ぎに放たれた刀に胴体を切断されて絶命する。


「う、うああああああ!」


 恐慌状態に陥った騎士達が散り散りに逃げ始める。だが黒の騎士ガルディーンは一人たりとも逃がすことなく、二刀を振るってかつての部下達を惨殺していく。

 あっという間に、その場は死体の転がる凄惨な光景へと変貌した。


「あはははは! これは凄い! 連合国一の剣士は伊達じゃないねぇ!」


 ラウアーロが嬉しそうに手を叩く。そして愉悦の笑みを維持したまま、彫刻のように固まるルゥナを指さした。


「さぁ第二幕の開始だよユキト君。いや、今はルゥナールかな? 死に損ないの魂はきっちり消滅させてあげよう」


 告げた瞬間、ガルディーンが凄まじい速度で接近する。

 我に返ったルゥナは宝剣で斬撃を受け止めるも、もう片方の刀が首筋狙って放たれた。ルゥナは間一髪のところで姿勢を傾け回避する。しかし次々と斬撃が襲いかかる。


「こ、の太刀筋は……!」


 豪雨の如く放たれる斬撃は息をつく暇すらない。防御するだけで精一杯だ。

 翻せば、彼女を追い詰めるほどの力量を持った存在――ガルディーン本人であることを示している。

 だがその顔は、激闘の最中だというのに微塵の感情も現れていない。

 決して激情を剥き出しにする男ではなかったが、それでもガルディーンの瞳は覇気と殺意で禍々しく輝いていた。それが今は、瞳に生気すら映っていなかった。

 無感情と言うに等しいが、斬撃の威力も速度も衰えているわけではない。そのアンバランスさにユキトは、まるで操り人形と戦っているような錯覚を覚える。


「しかしまさか、ガルディーンに匹敵するほどの力量を持っていたとはお見それしましたよルゥナール。今にして思えば貴女の遺体も探し出して取り込めばよかったですね。おかげで色々邪魔されることになってしまった」


「貴様は……!」


 ルゥナは斬撃を弾くと大きく飛び退る。ガルディーンは追撃せず、距離を取って二刀をだらりと地面に垂らす。意思があるとは到底思えない姿だった。

 油断なく剣を構えたルゥナは、双眸を細めラウアーロを睨みつける。


「……私の暗殺を実行したのが貴様であることは、既にわかっている。だが不可解なことばかりだ。その面妖な力もそうだが、貴様はガルディーン卿の配下ではないのか。主君を欺き何を企んでいる」


「配下? 私が?」


 訝しげに首を傾げるラウアーロだが、ややあって可笑しそうに腹を抱えた。


「ははは、勘違いですよーそれ。計画自体はガルディーンの発案ですがね、私はそれに相乗りさせてもらったに過ぎない。従っていた事実はないのです。まぁそのフリはしてましたけども」


 するとラウアーロは、おもむろに両手で自分の顔を隠す。そしてすぐに下ろした。

 ルゥナとユキトは絶句する。

 フードの奥には、ヘルメスの顔が現れていた。先ほどもヘルメスの格好をしていたが、今度は顔だけが変化している。


「全てこの人間の格好で聞いていましたから、色々と介入できたわけですよ。息子のつもりで接していましたけどバレませんでしたね。なかなかの演技でしょう?」

 

 ラウアーロは嗤いながら再び両手で顔を隠す。手を戻すと、先ほどと同じように顔が変化していた。

 擬態、という言葉がユキトの脳裏を掠める。本人と見紛うほどの姿はもはや変装の粋を超えている。この状態はさすがのガルディーンでも見破れはしないだろう。

  

「……一体、どこからすり替わっていた」

 

 ルゥナが厳しい声で問うと、ラウアーロは頬に人差し指を当てて考え込む仕草を取る。


「えーと、貴女の暗殺方法を提案した時点ではもうこの格好でしたっけね……いやぁ忘れちゃいました。この人間、取るに足らない小物でしたし覚えておく必要もないかと」


 ラウアーロがおどけて舌を出す。

 ルゥナの顔から感情が抜け落ちた。直後、彼女はこれまで以上の怒りを抱えて剣の柄を強く握りしめる。


「そうやって何人もの人間を愚弄してきたのか、貴様は……!」


「うっふふ、その通りです。貴女の想像を遙かに超える人間を踏み台にしてここまで来たのですよ。全ては悲願のために」


 閉じているかと思うほどの細い目が微かに開く。

 瞼の奥から覗く赤い瞳は、血よりも濃い妖しい光を放っていた。


「そして君たちは邪魔。特にユキト君、君が一番いらない。仲間になりさえすれば命は助かったでしょうけどねぇ、命は」


 含みのある台詞にユキトは訝しむも、ラウアーロはすっと腕を伸ばしてルゥナを指さす。


「殺せ、ガルディーン」


 ガルディーンが突進する。ルゥナは剣を水平に持って斬撃を待ち構えた。

 瞬間、ドクンと心臓が暴れる。


「しまっ……!?」『まずい!』


 見開いたユキトの目には、驚愕の表情で立つルゥナの姿が映る。宝剣を握る手の感触もあった。肉体の制御権が戻っている。

 ユキトはすぐさま顔を上げる。鈍い銀光が視界を遮った。


「ぐっ!」


 ユキトは咄嗟に宝剣を振り放つ。斬撃を受け止めたことで衝撃が腕を貫いた。その凄まじい威力にユキトは思わず一歩下がる。

 だが二つの刀は容赦なく彼を追い立てる。

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