⑳-この目に映る限り-

「心配しなくても、ファビルの未練だって救うつもりだから」


 ユキトだった。静かな声音で、微かな揺らぎもない意思で告げている。

 意表を突かれたファビルだが、すぐに激情を剥き出しにする。


『ああ!? 誰がいつそんなこと頼んだよ!? 俺が言いたいのは――』


「憑依能力が卑怯だってことだろ? 否定はしないよ。俺自身だって、ルゥナがいなければここまで来れなかったと思う。誇れるものじゃないし、卑怯だと罵っても構わない。気が済むまで続ければいいさ」


 淡々と告げられた言葉にギルバートは面食らう。

 先ほどから言い返さなかったのは、全て受け止めるつもりだったからか。しかし咎され続けて平気な人間はいない。

 なぜ自ら、辛い状況に身を置こうとするのか。


「ただ、それと未練解消の話は別だ。ギルバートさんもあんたも両方救う。どっちが特別ってわけじゃない。だからさファビル。ギルバートさんの言葉も、少しは聞いてあげてくれないか」


 鼻白むファビルだが、すぐに嘲弄の笑みを浮かべた。


『俺を救う? ならこの平原にいる死者は全員救うんだな?』


「ああ」


『この会戦でゼスペリア軍に殺された人間も、お前自身が殺した人間もか?』


 ハッとしたギルバートは思わずユキトを見つめる。

 自ら殺した相手を、死後に救う。そんなものは矛盾の塊だ。

 殺された人間は決してユキトを許そうとしないだろう。ましてや共に行動して、未練解消に乗り出すなどありえない。前提からして破綻している。


 だがユキトは、迷いなく頷いた。


 あまりにも早い応答にファビルが絶句するが、次第に怒りで顔が紅潮していく。


『っざけんなよてめえ……! 自分で殺っておきながら、霊体になったら救いますだ? 馬鹿かよ! だったら殺すんじゃねぇよ! 生きてるうちに救えよ!』


『し、しかしなファビル。ユキトはこの戦いで一人も殺していないし……』


『そういう問題じゃねぇ!』


 猛犬のように吠えるファビルに、ルゥナが押し黙る。眉根を寄せた表情が、擁護の難しさを物語っている。

 するとユキトは微笑して、ルゥナに優しく首を振る。


「ありがとうルゥナ。でも、庇ってくれなくていいんだ。俺がその手で殺してなくても、間接的に死んだ人は大勢いるはずだから」


『ははっ、理解しておきながら言ってんのか? 狂ってんだろお前』

 

 挑発するファビルを、ユキトは静かに見返す。澄んだ瞳は広大な湖のように思慮深く、少年兵の激情を受け止めている。


「……誰も死なせず終わらせる力があったならって、ずっと思ってたよ。でも結局、俺には止められなかった。見ないふりをしようとも考えたけど、放っても置けなくて……俺は身勝手で、最低な人間だ」


 ユキトは平原へ目を向けて「だから」と続ける。


「俺は俺の罪から、責任から逃げるつもりはない。償いでもなんでも、理由はなんだっていい。俺は幽霊を、救いたい。たとえ殺してしまった人でも。憎まれても恨まれても、それは変わらないから」


『なんで……』


 ファビルが呟き、一方下がる。少年兵は困惑を深めている。

 それはギルバートも同じだ。一人の男を、こうまで底知れないと感じたのは初めてだった。


「……昔からさ、放っておけないんだよな」


 年相応の幼さを滲ませながら、ユキトが苦笑して後頭部を掻く。


「俺には見えちまうから……悲しんでる人が。だから見捨てたくないんだ。この目に映る限り、俺は同じことを繰り返すと思う」


 ファビルは、瞬きもせずユキトを凝視していた。口では何か言おうとするが、開閉するだけで音は出てこない。


『……責任を取って死ねって言われたら、どうする』


 ようやく出てきた言葉に対し、ユキトはおどけたように肩を竦めた。


「それは困るな。救えなくなるから。未練を教えてくれるまで粘るよ」


 ファビルは『なんだそりゃ』とぎこちない笑みを浮かべた。筋金入りな態度に呆れ半分で、もう半分は、親しみが込められていた。

 少しの間笑いあう二人だが、ユキトはふっと肩の力を抜く。


「一度ゼスペリアには戻るけど、またここに来るから。そしたらファビルも、今度こそ未練を教えてくれよな」


『俺の、未練……』


 ファビルの瞳が揺れ動いた。彼の体が、まるで拒絶を示すように微かに震える。

 だが、何かに突き動かされたように、ファビルは言った。


『……妹が、いるんだ』


 告げた瞬間、ファビルは戸惑いを覗かせる。無意識だったのかもしれない。

 それでも堰を切ったように、言葉はとめどなく溢れ始めた。


『親父とお袋は、メディウス教の奴らに殺されて……家族はもう、俺しかいなかった。なのに、俺はここで、死んじまって……もう、帰れない』


 ファビルは鼻頭に皺を作り、拳を握りしめて俯く。

 ひたすら耐えてきた、彼の悲嘆と孤独が顔を覗かせる。


『あいつ、病弱なんだよ。俺がいないと駄目なんだよ……どうして一人にしちまったんだろうな。どうして俺、こんなとこで動けなくなってんだろう、な』


 ファビルがくしゃりと顔を歪ませる。その頬を一粒の涙が流れた。


『会いたくて会いたくて、どうしようもないんだ。あいつに、ごめんって、謝りたくて。兄ちゃん、なにもしてやれなかったから……せめて、俺のことなんか忘れて、自分のために生きろって、伝えたい……』


 嗚咽を噛み殺すファビルは、膝をついて項垂れる。

 それから、縋るようにユキトを見上げた。


『……会わせて、くれるのか?』


「任せとけ。そのために、俺がいるんだ」


 ユキトが胸を張って頷く。ルゥナも優しげに微笑んでいた。

 想いが決壊するように、ファビルはポロポロと泣き始める。その小さくなった姿を眺めたギルバートは、空を見上げてため息を吐いた。


 互いの存在に気づいてから、敵同士ということでいがみ合ってきた。意見は食い違うばかりで口論は耐えなかった。肉体があったら取っ組み合いでもしていただろう。

 しかし心の底では、騎士相手に一歩も引かない姿勢を評価していた。なかなか骨のある奴だと認めていた。

 そんな少年が泣き崩れている。ようやく出てきた、感情の発露だ。

 こんなものを見せられて、一人だけ先に消えるなどできるはずもない。


『まったく、頑固な奴だなお前は。さっさと言わんかそれを。俺も付き合ってやるから、ユキト殿の手が空くまで二人で待つぞ』


 驚きを示したのはファビルだけではなく、ユキトもだった。


「いやでも、ギルバートさん。オーレンさんはここにいるし、未練もあと少しで……」


『あいつは馬鹿息子ですから。ちょっと活躍したところで安心などできませぬよ。もう少し立派になってから連れてきてくだされ。それまで俺は此奴の話し相手にでもなりますわ』


『おっさん……どうして』


『行きずりとはいえ、多少の縁はある。結末を見届けぬと気分がすっきりしないだけだ』


 照れくさげに返して、ギルバートは頬を掻く。

 ファビルは唇を噛み締め、涙を流し続けた。『泣くな泣くな』とギルバートは笑いながらしゃがみ込む。背中でも擦ってやりたいところだが、生憎と触れることはできない。だから泣き止むまで、側にいてやろうと思った。

 それからふとギルバートは振り返る。ユキトとルゥナは顔を見合わせて、嬉しそうに笑っていた。


 ――この御方なら、心配はいらんのかもな。


 たとえ生者と死者の間柄でも。ルゥナが叶わぬ恋をしていたとしても。

 ユキトが相手なら、悲劇で終わることはないかもしれない。

 そう感じさせてくれるほどに、少年騎士は頼もしく映った。


******


 会戦が終結し、敗残兵の投降と死者の回収は粛々と進んでいく。既に日は傾き、平原は茜色に染まっていた。

 小高い丘の上から眺めるユキトの顔は、浮かない。人の動きが途絶え粉塵が止んだ今、戦場にははっきりと見える存在があった。

 半透明な姿の兵士達が茫然とした顔で立ち尽くしている。ルゥナが見知った顔もあれば、まったく知らない人間もいる。以前と比べて、その数は確実に増えている。

 彼らは周囲の人間に声を掛けているが、誰の反応もないことに戸惑っていた。幽霊となった彼らの声は届かない。撤退していく人たちに置き去りにされ、広大で静かな平原のただ中でひたすら叫び続ける。

 ルゥナには容易に想像できた。彼らが絶望と共に諦め、消え去っていくことを。


『ユキト』


 ルゥナは優しく呟き、ユキトの言葉を待つ。彼がなにを考えているか、彼女にはお見通しだった。

 ユキトはゆっくりと頷く。


「俺は、助けるよ。ここにいる皆を。どんなに時間がかかっても、恨まれても……俺は、そういう人間でいたいんだ」


『うん。それでこそ君だ』


 思ったとおりの言葉が返ってきた。彼への尊敬と愛情が溢れてくる。

 ルゥナはそこで、ユキトの手を握るように身を寄せた。

 触れられはしない。それでも、重なり合うことに意味がある。

 たとえ自分の気持ちを伝えられなくても、彼女はこれだけで満足だった。


「ユキト!」


 後方から呼びかけられた。ジルナの声だ。

 もう少し浸りたい気分ではあったが、後ろ髪を引かれつつ振り返る。だが妹の様子にルゥナは眉をひそめた。

 血相を変えて走ってくるジルナは、ユキトの前で立ち止まり荒い息を吐く。切羽詰ったような表情に、ただ事ではないとユキトも気づいていた。


「ユキト。申し訳ないのですが、今すぐゼスペリア州に戻ります」


「今すぐって……なにがあった」


「先程、クザンから伝達がありました。ガルディーン卿の一部隊がダイアロン中央州に向かっています」


 その説明だけでは事態を把握できず、ユキトもルゥナも反応に迷う。

 だが次の言葉で、二人は衝撃に目を見開いた。


「これは私の予測ですが、十中八九間違いありません。ガルディーン卿は、ヴラド陛下を実力で排除するつもりです……!」

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