最終章 神は言っている、世界を救えと

①-ヴラド諸侯王を救出せよ-

 夜の帳が落ち、ゼスペリア州内地は宵闇に包まれつつあった。本来であれば宿場や酒場で煌々と光が灯り始める時間帯だが、まるで廃墟になってしまったかのように人工光の数が激減している。

 理由は一つ。内地の住人そのものが減っているからだ。全てはダイアロン連合国と聖ライゼルス帝国の武力衝突の余波だった。


 ゼスペリア州の危機的状況を打開するため、ジルナはドルニア平原でライゼルス軍を迎え撃つことを選択した。同時に、会戦に敗北した場合は内地での籠城戦に切り替え、敵軍もろともに自壊させる二段構えの作戦を決断する。

 これを受けて、住民たちは一時的に故郷を離脱することを余儀なくされた。ゼスペリア軍が出立した直後、内地に住む人々は外地安全圏や他州領に向かって疎開を始めている。民の中にはゼスペリア軍の勝利を信じて残ると言い張った者もいたが、敗北してからでは遅いとジルナが強引に脱出を命じた。


 現在の内地はゼスペリア軍の兵士と、一部の住人しか残っていない。光の乏しい街はしんと静まり返っている。

 そのためか、馬蹄が地を蹴る音はよく響いた。

 計五頭の騎馬が内地大通りを全速力で駆け抜け、領主館へと突き進んでいた。

 領主館の門は固く閉ざされ警備兵が夜通し見張りを行っていたが、五頭の馬は減速することもなく門扉を目指す。警備兵達はすぐさま警戒態勢を取るが、騎乗している者の正体に気づくやいなや、泡を食って門扉を開け放った。

 馬達は正門をくぐり抜け広場へと到着する。騎乗していた人間達は軽やかに飛び降りた。一人だけもたついているのは長距離移動に慣れていないジルナだけだ。

 彼女はサイラスの手を借り、足を乗せた鐙からゆっくりと降りる。と、地面に足をつけた瞬間にふらついた。

 サイラスが慌てて支えに入ろうとするが、その前に一人の騎士が彼女の肩を優しく支える。

 ジルナは振り返り、柔和な眼差しを送った。


「ありがとうユキト」


「大丈夫か? 徹夜で乗ってきて疲れたろう」


「それはユキトだって同じじゃないですか。貴方は戦闘もしてるんだし。私だけへこたれているわけにはいきません」


 気丈に振る舞い、ジルナはしっかりとした足取りで歩き始める。少なからず焦燥の影もチラついていた。彼女の気持ちが理解できるだけに、ユキトは心配の声を引っ込めて後を追う。

 ジルナを筆頭にしてユキト、守護兵団分隊長のサイラスと隊員三名が領主館の中を大股で進む。魂であるルゥナは、ユキトにぴったりと付き添っていた。

 一行に遭遇した兵士達はギョッとして硬直する。会戦終結の翌日に戻ってきたことで度肝を抜かれ、跪くのも忘れていた。ただならぬ雰囲気に声をかけることもできない。

 ジルナは執務室に辿り着くと、勢いよく扉を開ける。

 室内にはクザンがいた。彼は一片の驚きもなく、慇懃無礼に頭を下げる。夜でありながら部屋は明るく、暖気も十分だった。ジルナが今日到着することを最初から計算しての対応だ。


「只今戻りました。クザン」

 

「……此度の勝利、お見事でございましたジルナール様。ゼスペリア州の一員としてこの上なき清福にございます。気高き我が主君の凱旋を、全州民が讃えることでございましょう」


 賛辞を贈るクザンの表情は、ユキトにはいつも通りに見えた。しかし隣のルゥナが『嬉しそうだな』と顔を綻ばせている。何となく間違い探しをしている気分だった。


「……同時に、会戦直後にも関わらず帰還願いの文を送りつけましたこと、心からお詫びいたします。敵部隊の追跡や捕虜の搬送など戦後処理の途中であったはず。この不遜、処罰を受けることも覚悟しております」


「気にする必要はないですよ。ライゼルス軍の敗残兵は領内に潜伏しないのであれば極力見逃すことにしました。どのみちゼスペリア軍は山を越えての追跡は無理ですしね。捕虜の処遇や、他街道の合流路封鎖および撤収作業はゴルドフに一任しました。彼の方が手慣れてるでしょうから、大丈夫です」


 一気に説明したジルナは、ふうと息を吐くと椅子に腰掛けた。流石に一昼夜走り続けてきた疲労は大きいようだ。

 ユキトも疲れてはいたが、気が昂ぶっているせいかまだ立っていられる。ルゥナと共に壁際の定位置で話を聞いていた。


「……では、お疲れのところ誠に申し訳ございませんが、ギュオレイン軍部隊の動向について、子細をご説明いたします」


 ジルナが真剣な面持ちで頷くと、クザンは小さいながらも明瞭な声で話し始める。

 今までクザンは行軍に同行せず、内地に留まっていた。主な理由は疎開作業の円滑化と籠城戦の準備を進めるためだが、他にもガルディーン一派の情報収集を行うようジルナから指示されている。

 ゼスペリア州の実権を狙うガルディーンが、会戦に伴う混乱や籠城戦後の空白期間を見逃すはずないと、ジルナは考えていた。

 しかし調査の中で明らかになったのは、予想外の事態だ。クザンが放った斥候によれば、ギュオレイン州は管轄街道へ大軍を遠征しつつ、一方で独立部隊をダイアロン中央州へ移動させているという。他州へは何の報告もなく、完全な隠密行動だった。

 この不可解な行動を知ったクザンは一つの仮説を立てる。

 そしてジルナも、同じ結論へと辿り着いていた。


「……ダイアロン中央州の防衛を担う守護兵団は現在、我が軍に五千の兵を出向させております。防衛力が低下している今が王都を制圧する絶好の機会。おそらくガルディーン卿は、派遣した部隊でヴラド陛下を強制退陣に追い込むつもりです」


「その予測は確実なのか?」


 疑問の声を上げたのは守護兵団分隊長のサイラスだ。

 彼も詳細を聞くためにゼスペリアへと赴いている。戦後処理の途中で帰還するという無茶な行程に付き合い、ジルナとユキトの移送役を買って出てくれたのも、ひとえに主君ヴラドの身を案じているがためだった。

 しかし今のサイラスは、少しの猜疑心を覗かせている。


「ガルディーン卿、そしてアルメロイ辺境伯の暗躍はジルナール様からお聞きしている。驚愕を禁じ得ないが、今は真実であると前提しよう。現段階で中央州に攻め入るという点が、私はどうも解せない。ライゼルス軍との抗戦中で、内乱を起こしている場合でないことをガルディーン卿も理解しているはず。それにいくら手薄といっても、守護兵団は陛下を守りし最強の部隊だ。一部隊程度で制圧できるわけがない」


 サイラスの否定的な疑問に、ジルナが答える。


「少なくとも、ガルディーン卿が味方を味方とも思わないお方であることは、我がロド家に起こった悲劇が物語っています。好機とあらば同胞を敗北させることも厭わないというのに、この場合は除外できるなど言い切れるでしょうか」


 ジルナの声は硬い。ユキトとしても、散々ガルディーンの策謀に振り回されてきただけに、サイラスの発言は悠長なものにしか聞こえなかった。

 難しい顔になったサイラスはそこで、ちらりとユキトの隣に目を向けた。霊視能力のない彼には見えていないが、ルゥナの存在はジルナを含め多くの人間の証言により知らされている。

 一瞬、サイラスの瞳に憐憫が過る。ロド家の悲劇という言葉に反応したのかもしれない。だが彼はなにも言わず、再びジルナに向き合う。


「私としても、ガルディーン卿は一筋縄でいかないお方という認識です。しかしこの段階で国の代表を失脚させることは、州の連携を乱し国の崩壊を招きかねない。とてもではないが危険すぎる」


「それは貴方の考えであって、ガルディーン卿の考えではありません。そもそも州の融和を尊重する方であれば、ライゼルス軍との戦争中に州長代理を暗殺するなんて方法は取らないはず。そうは思いませんか?」


 棘棘しい言葉は、彼女と最初に出会った頃を彷彿とさせた。緊急の事態に気が立っているのかもしれない。

 サイラスは眉根を寄せるが、負けじと言い返す。


「では、守護兵団の制圧については? 戦力を把握している分隊長の私の言葉は信じられませんか」


「そうは言っていません。ギュオレイン軍の一部隊だけなら、制圧は不可能でしょう。しかしそれとは違う者達が、既に陛下に迫っているとしたらどうですか」


 サイラスはハッとした。意味に気づいた分隊長は、苦々しげに口元を歪める。


「……アルメロイ辺境伯、ですか」


「戦力の薄くなった守護兵団の一時的な増援、あるいは籠城戦に賭けるゼスペリア州への支援。理由はなんとでも考えられますが、アルメロイ卿は直属部隊を容易く中央州に潜り込ませることができる。実弟の提案ならばヴラド陛下も断りはしないでしょう。自ら逆賊を周囲に置いているとも知らずに」


 サイラスは奥歯を噛みしめ拳を握りしめた。守護兵団の制圧などよりも遥かに危険性が高いことを実感している。

 王都が手薄になることを危惧したヴラド諸侯王が、辺境伯領からいくらかの兵を借り受けていることはユキトも聞いていた。このままでは、王城はアルメロイの息がかかった兵士によって占領され、ヴラド自身が人質に取られてしまう。

 そうなれば守護兵団は抵抗の術なく、ギュオレイン軍に降伏して終わりだ。


「おそらくアルメロイ卿が陛下を拘束し、守護兵団の反抗はガルディーン卿の部隊で押さえつける目論見です。事態は一刻を争います。これから部隊を編成し、私が率いて陛下の救出に向かいます」


 驚いたのはサイラス含む守護兵団一同だった。

 壁際にもたれるユキトとルゥナは特に反応していない。彼女がそう言い出すであろう事を、二人は既に予測していた。


「ジ、ジルナール様自らが救出に向かわれると……!?」


「ええ、そうです。一兵である貴方が強引に動けばいらぬ騒動を招く恐れもあります。同等かそれ以上の権力者である私が出向き、アルメロイ卿を牽制するしかありません。ガルディーン卿が戦地にいる今だけが私達の好機なのです」


「理解はできるが危険すぎる!」


「心配には及びませんよ。私には最高の護衛が、二人もついていますから」


 ジルナはユキトへ流し目を送り、ウインクする。照れくさくもあったが、ユキトは安心させるように頷いた。ルゥナも手を上げて応えている。

 戦争だろうと救出作戦だろうと、二人でジルナを守り抜くことに変わりはない。


「それと、万が一に私の言葉で動かずとも、確たる証拠を持参すれば反応はあるはず」


「証拠?」


「ガルディーン卿とアルメロイ卿の謀反を記した、決定的な代物です。入手には既に動いていますが……どうなっていますか、クザン」


「……予定では本日未明の到着となっております。使者から受け取った後は、日の出と共に出発できるよう部隊を編成いたします」


「わかりました。それでいきましょう」


 計画の全容を語らないジルナに、サイラス含む守護兵団は困惑する。

 ジルナは、彼らへと真っ直ぐな目を向けた。


「サイラス殿。無理を承知でお願いいたしますが、我が部隊の指揮を取っていただけませんか。多くの騎士がまだ会戦地に残っているため、この場ではサイラス殿が最適な人材です。間に合わせの部隊で申し訳ありませんが、どうかヴラド陛下を助けるためにお力を貸してください」


 下手に立った物言いではあるが、彼女の瞳は自信に満ちている。力を貸してくれるなら必ずヴラドを助け出してみせると、その姿勢が語っていた。

 ジルナを見返すサイラスの顔つきも、徐々に覚悟を決めたものへと変わっていく。


「勇敢なお方だ……もし私がヴラド陛下に仕えていなかったなら、きっと貴女の騎士にさせてくださいと申し出ていたでしょうね」


 サイラスが急に態度を軟化させたが、ジルナは驚かずふっと微笑む。


「別にいいですよ? ゼスペリアは人材不足ですからいつでも歓迎です。お給金は減るけど我慢してくださいね」


 その言葉にサイラスが笑う。見つめ合って笑う二人は、はたから見ればお似合いなカップルだった。

 しかしジルナは素っ気なく視線を外すと、ユキトに流し目を送る。そちらのほうがより艶がある。


「申し出については承知いたしました。分隊は未だ貴殿に随伴する立場でもあります。我が主君を救うため尽力いたします」


 話はまとまった。そこで緊張が解けたのか、ジルナは弛緩した息を吐くと椅子に深くもたれかかった。


「少しお休みになられたほうがいい。ドルニア平原からこの内地まで一休みもなく移動してきたのですから、かなり堪えたでしょう。それに出発すればレミュオルム城までも休む暇はありません」

 

 気遣わしげなサイラスの言葉にクザンが深く頷く。


「……サイラス殿の仰る通りかと。控えの部屋を用意しておきましたので、そこでお休みください」


「でも」と反論しかけたジルナだが、そこで彼女は額を手で押さえた。顔色が青くなっているので、目眩でも起こしたのかもしれない。

 判断に迷う素振りのジルナは壁際に目配せする。視線が合ったユキトは口パクで、休みな、とひっそり助言しておいた。


「……わかりました。少し仮眠を取ります。でも使いの者が帰ってきた際はすぐに起こしてください。あとお菓子持ってきて」


 最後の部分は実にジルナらしい。まだ余裕はありそうで、そこは安心だった。

 ジルナは侍女に付き添われて部屋を出て行く。守護兵団の面々も馬の手配と装備の確認ということで部屋を後にした。

 誰もいなくなたっところでルゥナが話しかけてくる。


『君も休んだ方がいい。二戦目から動きっぱなしだろう?』


「まぁそうなんだけどさ。疲れてはいるんだけど頭は覚めてるっていうか――」


「……ユキト殿」


 ぼそりと耳元で囁かれた。ユキトは肩を揺らして振り返る。クザンが立っていた。


「ク、クザンさん。いたんですか」


「……折り入ってお伝えしたいことがございます」


 相変わらず小声だが、先ほどより神妙な感じだ。ユキトは真面目な話だと気づいて居住まいを正す。


「……メディウス教とラウアーロの関係、そしてロダンという棒術使いについての調査結果が出そろいました」

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