⑲-勝者と敗者-

 戦場は歓喜の雄叫びに包まれていた。

 ドルニア平原に立つ者達の表情は、明暗くっきりとわかれている。どちらの勢力に軍配が上がったのかを如実に物語っていた。

 そして明暗の差は、なにも生者に限った話ではない。


『勝ったのか……ゼスペリアが……!』


 声を震わせたギルバートだが、慌てて息子オーレンの姿を探した。ゼスペリアの勝利と同じくらい、息子の安否も重要だった。

 ギルバートは、野営地に戻ってくる団体の中で、騎馬に跨るオーレンを見つける。傷つきくたびれた姿ながらも五体満足だった。彼の傍にはギルバートもよく知る馴染みの騎士やライラがいる。声は聞こえないが、どうやらオーレンの奮闘を讃えているようだ。


『……大きくなったものだ』


 父親の顔で呟くギルバートの体が、更に透明度を増す。もうほとんど背景と同化するくらいには輪郭もぼやけている。

 ともすれば消えてしまいそうなほど満足気に笑うギルバートだが、隣からの呟きで現実に引き戻された。


『そ、んな……』


 ギルバートとは少し離れた場所で戦場を見守っていたライゼルス軍の少年兵士ファビルは、がくりと両膝をついた。信じられない、という面持ちで戦場を眺めている。

 ライゼルス兵達は武器を放り投げ、投降を始めていた。抵抗の意思は欠片もない。

 総大将アスヴァールが討ち取られたのだから、無理のない話だ。


『嘘だ、こんなの……』


 ファビルは現実を否定する。しかし、声に出したところで変わるはずもない。

 聖ライゼルス帝国は、敗北したのだ。

 ギルバートの知る限り、第四師団といえば帝国有数の生え抜き部隊だった。軍車という先端兵器を開発し、十剣侯という最強戦力を惜しみなく投入していることからも、期待度の高さが伺える。

 その名声と実力に、ファビルは憧れを持っていた。それがことごとく返り討ちにされた事実は、憧憬を抱いていた少年にとってはショックだろう。


 ギルバートは浮かれていた気分を通常に戻し、ファビルに声をかけようとする。だが言葉が見つからず、口を開けたまま止まってしまう。

 敵国の人間が慰めたところで感情を逆なでするだけだ。しかし、絶望する少年を放置しておくのも気が引ける。

 悩んでいると、馬蹄の音が近づいてきた。

 振り返ったギルバートは顔を晴らし、接近する騎馬へと駆け寄った。

 

『ユキト殿! ルゥナール様も! ご無事でしたか……!』


 騎馬の鞍にはセイラと、少年騎士が跨っている。彼の傍らには半透明の女騎士ルゥナの姿もあった。

 馬からゆっくりと降り立ったユキトは、お世辞にも無事とは言い難い姿だ。鎧は無数の擦過傷が刻まれ、泥と血で汚れている。露出した肉体にも痣や切り傷が至る所に確認できる。顔色は優れず、疲労の色が濃い。

 しかしユキトの双眸は前にも増して鋭く、覇気を携えている。顔つきも心なしか精悍になっていた。激戦を生き抜いた経験が、彼を更に逞しくさせたのかもしれない。

 近づいてくるユキトとルゥナを前に、ギルバートは跪き頭を垂れる。


『お務めご苦労でございました閣下。僭越ながらこのギルバート、十剣侯を仕留めたという一報を我が身以上に誇らしく感じておりました。先代マルス様も天界で喜んでおられるに違いない』


『そうではないぞ、ギルバート』


 頭を上げると、少し拗ねたような顔のルゥナがいた。なにが違うのか測りかねていると、彼女は咳払いしてチラリとユキトに視線を送る。

 合点がいった。ギルバートはすぐにユキトへ笑いかける。


『……うむ、そうでありましたな。ご立派でしたユキト殿。貴殿の活躍があればこそ、ジルナール様も活路を見出すことができたのでしょう。多くのゼスペリア兵に代わり、俺から感謝の意を申し上げたい』


 心からの賛辞を口に出しつつ、同時にギルバートはルゥナの態度が気に掛かった。

 彼女は生前から他者を優先しがちで、ともすれば自分を卑下することもある。ただそれはルゥナの信念からくる公平性であり、誰に対してもブレることはない。

 それがユキトに至ってはどうも違う。妙に肩入れするというか、ありのままの感情を出している節がある。現に今も、褒め言葉に同調してルゥナが嬉しそうに頷いている。

 まるで夫の功績を喜ぶ妻のようだと、ギルバートは感じてしまった。

 思い違いであって欲しい、と男は密かに願う。

 立場の問題はあるが、生前であれば微笑ましく見守ったことだろう。だが今、二人の間には奈落のような溝が横たわっている。

 生者と死者。決して超えられない関係の結末など、わかりきったことだ。


「……いや、俺なんかは、大したことなんて」


 ユキトは謙遜するように答える。

 しかも彼はどこか上の空だった。ギルバートではなく戦場に視線を向けている。

 心ここにあらずといった様子にギルバートは首を傾げた。


『どうされました。まだ気になることでも?』


『殺したりねーんだよそいつは』


 横合いから物騒な台詞が降りかかった。

 ギルバートは辟易して口元を歪める。こんなときにまで喧嘩を吹っかけなければ気が済まないのか。心配して損したと、盛大に溜息を吐きながら振り返る。

 そこで彼は眉をひそめた。声の主であるファビルには、いつもの挑発的な薄ら笑いがない。

 代わりに憎悪を滾らせて、ユキトを睨みつけていた。


『ゼスペリアの人間を守るためとか殊勝な言葉を並べてるけどよ、嘘に決まってんじゃねぇか。こいつはただ人を斬る口実を探してんだよ。導師のくせに戦争に参加して、一方に荷担するなんてそうとしか考えられねぇだろ?』


 ユキトが振り返る。彼の目には、侮辱された怒りも悔しさもない。ただ達観したように見つめ返すだけだ。

 それが癪に障ったのか、ファビルは更に気炎を吐いた。


『良かったなぁ自慢の憑依で暴れられてよ。さぞかし気分が良かっただろうな。なにせルゥナールに任せてるだけで、あんたは自分で動いてないんだ。人を殺す感覚だけ味わうにはもってこいだろ』


『ファビル……お前、なにを言い出すんだ』


 睨み付けるギルバートだが、若干の戸惑いもあった。

 口を開けば皮肉ばかりの少年だが、小馬鹿にした態度を逸脱しているわけではなかった。それが今は敵意を剥き出しにして、故意に傷つけようとしている。


『ユキト殿がそんなお方でないことは、お前もよくわかってるはずだぞ』


『騙されんなよおっさん。考えてもみろよ? 憑依なんて、明らかに普通の人間を超えた力なんだ。鍛錬もなしに最強になれるんじゃ試したくもなるってもんだろ』


 ギルバートは横目でユキトを確認する。彼の顔色に変化はない。後ろめたさがある様子でもない。

 明らかな誤解だとして、ではなぜユキトは反論しないのか。


『しっかしいいよなゼスペリアは。こんな奴を味方に引き入れてよ。十剣侯も運が悪かったんだ。卑怯者相手じゃ自慢の腕も通用しないわけだし。はーあ、ズルして勝たれるとか、後味悪りぃぜ』


『君は誤解しているぞ、ファビル』


 黙っていたルゥナがずいと歩み寄る。彼女はユキトを庇うように、ファビルの前に立った。


『まず、ユキトには殺戮を愉しむような趣向はない。それに力試しというが、私を二度憑依すれば立ち上がれないほどに疲弊するんだ。死に直結するような状況に自らを置く者など、いるだろうか』


 ファビルは鼻で笑う。まるで余裕の態度だった。指摘されるのを初めから予想していたかのようでもあった。


『それにだ、ユキトがいたから勝利できたわけではない。確かにユキトの力は偉大で、戦果に影響を与えたことは否定しない。しかし先ほども言ったように憑依の力は限定的だ。体を貸す相手もたかだか私という存在でしかない。一人の騎士が戦況を変えるほどの力を持っているわけがない』


『はっ、結局そいつが特殊だってことに変わりはねーだろ』


『違う。憑依の力があろうと危機的な状況はいくらでもあった。君が考えるほど万能の力ではないんだ。挽回できたのはひとえに彼の機転と諦めない精神力にあったと思う。それは一人の人間としての力であって、他の者にも備わっている』


 根気よく諭そうとするルゥナだが、ファビルは聞く耳を持たない。

 ギルバートは、そんなファビルの気持ちが理解できてしまった。

 戦争は数の衝突で、各個人の練度や技量の差が勝敗を決する。だからこそ騎士達は絶え間ない訓練を重ねて、自力を上げようと努力した。

 しかし憑依の力は個人の領分を遙かに超えている。いくら制約があろうと、霊体の力を意のままに発揮するなど本来の戦闘からすれば異質で、鍛錬の否定にも繋がる。

 厳格な騎士としての側面が、憑依の力を否定的に捉えていた。


『……お前の気持ちはわかるぞ、ファビル』


 無意識に、ギルバートは同調を示していた。

 ファビルが荒々しい態度を取る理由も察していた。


『申し訳ないユキト殿。俺はこいつの意見が、的を外しているとも思えぬ』


『ギルバート!』


 ルゥナが目を剥く。主君に翻意するなど、ギルバートも滅多なことではしない。だが短くも密度の濃い時間を共有した少年だからこそ、他人事には捉えられなかった。


『逆の立場なら、俺もお前のように考えてしまうかもしれん。持たざる者からすれば卑怯で、不条理じゃないかとな。だがファビル、ルゥナール様の言葉は正しい。お前とて戦場に立った身なら、一人の兵士が勝敗を覆すなど不可能だとわかるだろう?』


 ファビルの反応は薄い。なぜなら、彼はそんな理屈などとっくに認めているから。

 わかった上でファビルは、ユキトに辛辣な言葉を投げかけている。

 故国の敗北を認められない少年は、意味のない行為は百も承知で、八つ当たりに興じている。

 彼より少しばかり長生きしてきたギルバートは、そんな虚しさに幾度も体験したことを思い出していた。


『ユキト殿を責めて、自分たちに落ち度はなかったと納得させれば気は済むかもしれん。しかし、それは一時凌ぎだ。苦しいかもしれんが、逃げられはしない』


『うっせぇんだよクソジジイが! 勝った側が都合いいことほざいてんじゃねぇ!』


 ギルバートを睨みつけるファビルは、男の身体を指差す。


『余裕のある奴は上から目線でいい気なもんだな、おい? 導師の話が本当なら、あんたはもう未練解消寸前じゃねぇか。浮かれたついでに説教かましてくとか嬉しくて涙が出るね』


 ギルバートはギクリとして、自分の体に目を向ける。透明度が上がっていることは薄々ながら感づいていた。オーレンに対する執着が薄れているからだろう。

 しかしファビルを宥めるには逆効果だ。勝利者側かつ、先に解放されることが決まった人間ほど皮肉な存在はいない。

 どうにか応えなければ。ギルバートが懊悩したとき、別の声が間に入った。


「心配しなくても、ファビルの未練だって救うつもりだから」

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