⑬-憑依騎士ユキト 下-

 オーレン・カムロは、ギルバート・カムロの嫡子として生を受けた。

 ゼスペリア州諸侯のカムロ家は代々多くの騎士を輩出し、当代ギルバートも騎兵隊の練兵長を務めるなど、貢献度の高さから一目置かれる存在だった。

 その誇りと責任感ゆえに、ギルバートは息子オーレンに多大な期待を寄せ、次期当主として恥ずかしくない騎士に育てようと教育に力を入れた。


 だがオーレンは、親の期待とは真反対の人間に育った。

 生来の気質か躾が厳しすぎたせいかはわからないが、何をするにも自信がなく不安に苛まれる臆病者になる。

 それでも彼は、何とか騎士に叙任されるまでは頑張った。

 晴れて騎士となり、父の重圧から解放されると安堵したのも束の間、待ち受けていたのは命を賭けた戦いだった。練習試合とは違う、本当の殺し合いを余儀なくされる。

 臆病者のオーレンが耐えられるはずもなく、野盗退治や暴漢制圧などの任務はことごとく失敗する。ギルバートは激怒したが、こればかりはどうしようもない。

 結局オーレンの引っ込み思案は悪化するばかりで、第四次ドルニア戦役のときも後方支援任務に志願して戦場から逃げた。どうせ父が存命のうちは自分に出番などないと、自虐的に捉えて。


 その戦争で、ギルバートは帰らぬ人となる。激情型だった父とは思えないほど寂しそうな遺体だった。

 そしてオーレンは、悲しみに暮れる暇もなく矢継ぎ早にカムロ家当主として担ぎ上げられてしまう。役立たずの騎士だろうと血統は守るべし、という大人の事情で。

 困り果てたオーレンは逃亡を考えたものの、臆病者ゆえに家を捨てる決断すらできない。

 ずるずると流されるまま、彼はライゼルス軍との会戦地に放り込まれた。


 ******


「死ぬ、死ぬぅ……!」


 憤怒、怨嗟、絶望の声が充満する平原のただ中で、オーレンは這いつくばるようにして逃げていた。

 どこにいっても敵だらけで、連中はギラついた目で獲物を探し求めている。標的にならないよう地面へ腹這いになって死体に隠れるか、あるいは死体の振りをしてやり過ごすしかない。

 領地から集めた配下も、カムロ家に仕えていた老騎士達とも逸れてしまった。生き延びるためには、無様な醜態を晒してでも野営地を目指すしかない。


 なぜこんなことになったのだろう。鼻水を垂らした情けない顔で、オーレンはつい数十分前のことを振り返る。

 獣射を使った奇襲戦法が発動し、一度はライゼルス騎兵を出し抜くことができた。騎兵として参戦していたオーレンも、結構うまくいくんじゃないかと希望を持っていた。

 しかし獣砲を搭載した移動砲台の登場で、戦況は一変する。

 獣砲は本来、外壁や建築物を破壊するための攻城戦兵器だ。重量があって持ち運びが難しく、次弾装填の隙も大きいため野戦で使用されることは滅多にない。

 その弱点は、荷台に搭載して壁で囲むという奇抜な策によって解決された。

 ただでさえ凶悪な破壊力を持つ獣砲が、人間に向けて使用されればどうなるか。結果は、火を見るよりも明らかだ。

 今やゼスペリアの各部隊は追い込まれ、応戦どころか陣形を整えることすらできない。稲光のような轟音は耐えることなく続き、その度に味方の命が戦塵と消えていく。


 ――くそ、くっそ……やっぱ出てくるんじゃなかった。ライラさん抱けるとか夢見るんじゃなかった……!


 オーレンは、実はライラに恋心を抱いていた。しかし臆病者の彼は見向きもされず、今までは叶わぬ恋だと諦めていた。

 だから発破をかける彼女の発言に舞い上がってしまい、柄にもなく武勲を上げようと最前線深くまで潜り込んでしまった。欲に駆られず適当な仕事をしていれば、こんな惨めな思いはしなくて済んだだろう。

 すぐ近くで血飛沫が舞う。誰かの腕が飛ぶ。絶叫が鼓膜を揺るがす。死体に隠れるオーレンは、誰が戦っているのかすら見届けられない。味方の死を無視するしかない。


 ――ルゥナール様も生き延びろって言ってくれたし! どうせ負けるの決定だし! 親父だって、もういないんだし……!


 逃げ帰っても、怒鳴りつける父親はいない。

 諦めたようにため息を吐かれることもない。

 だから、迷う必要だってない。

 そんな風に自分を誤魔化そうとしたとき、不意に涙がこみ上げてきた。

 配下や味方を助けに向かう気概もなく、頭を下げたルゥナの言葉に感涙することもなく、ただ生き残るために地べたを這いずり回る自分のことが。

 父親が死んでもなお変わることのない自分のことが、心底嫌になる。

 できるものなら変わりたいとオーレンは願っている。しかし勇気が出ない。奮い立てない。

 臆病者が煩悶していたそのとき、誰かが叫んだ。


「あれを見ろ……!」


 無視しても良かったが、なぜか気になってオーレンは振り返る。死体に隠れながらも、ゼスペリア兵達が指差す方向は確認できた。指し示しているのは移動砲台のある地点だ。

 獣砲を搭載した荷車は、木壁から突き出した砲口を一人の人間に向けていた。

 標的は騎士の姿をした少年――導師ユキトだ。

 彼はロド家の信任を得て<憑依騎士>という奇妙な称号を授けられている。そんなに大層なものかとオーレンは半信半疑だったが、ルゥナの憑依を目撃した彼はその実力が本物であると認めていた。

 しかしいくら導師とはいえ、獣砲を止められるはずがない。

 彼は砲門の射線上にいて、しかも荷車めがけて突撃していた。弾丸が直撃すれば一瞬後にはただの肉塊だ。

 ユキトは怯まない。そして彼は、円筒めがけて手を掲げた。


「おおおおおおおっ!」


 ユキトが吠える。何かしていると、オーレンは気づく。

 と、次の瞬間。

 荷車を牽引していた二頭の馬が、急に嘶いた。


「うぉ!?」


 馬が前足を上げて暴れ始める。そのせいで鞍に跨がっていた御者が木枠に激突した。操縦役を守るために馬上まで拡張してた防御壁が、逆に逃げ道を塞いでいたのだ。

 馬が暴れた余波で荷台の位置が傾く。砲門が明後日の方向に向けられ弾丸が発射された。弾丸はユキトの後方で着弾し、爆発が起こる。その暴風すら追い風とするように速度を上げたユキトは、宝剣の柄から伸びる鎖を握りしめ剣を回転させた。

 跳躍し、円燐剣四の型<流舞>で木壁を切断。切り裂かれた防御壁の内側から御者の姿が露出した。着地と同時にユキトが斬撃を放つ。敵兵の鎧に横一文字の切断面が刻まれ、血が吹き出た。

 呻き声と共に御者が落馬する。だがユキトはとどめを刺すことなく、馬と荷車を繋げていた牽引具を剣で切断した。途端に馬二頭が逃げ出し、木箱が傾いて内部から困惑の声が漏れる。


「き、貴様!」


 木壁の天井が開き、激昂した砲撃手が顔を出す。その眦をつり上げた表情は、すぐに真っ青へと変化した。


「今だぁ!」


 既にライラとゼスペリア歩兵数人が肉薄していた。ライゼルス兵も反応しているが、予想していなかった事態のせいで敵側の初動は数秒ほど遅い。

 先に到着したライラが木壁に向けて戦斧を叩きつける。壁はぶち破られ戦斧が内部に潜り込むと、天井から顔を出していた砲撃手が口から血を吐き出した。男は白目を剥いて内部へと崩れ落ちる。

 歩兵達も次々と長槍を突き刺した。木壁がズタズタに破壊されたところでライゼルス兵の群れが雪崩れ込む。後から他のゼスペリア兵も加勢に入り、移動砲台の周囲は混戦となった。

 そこに一頭の騎馬が駆けつけ、敵兵を蹴散らしながら誰かを回収する。騎士セイラは回収したユキトを自分の腕の間に跨がせると、人垣を避けるように安全な場所まで退避した。

 するとユキトが、剣を高らかに掲げてみせる。

 ロド家の宝剣<暁の王>が、陽光を受けて煌びやかに輝いた。


「聞いてくれゼスペリア軍のみんなっ!」


 剣を掲げたまま、彼は喧伝するように叫ぶ。敵味方問わず注目の視線が集まった。


「移動砲台は<法術>で無力化できる! だからまだ諦めるな! 俺が止めるから皆はその後に制圧してくれ!」


「我こそはと思う者はわたくし達に続きなさい!」


 号令をかけたセイラが騎馬を走らせる。向かうは中央で猛威を振るうもう一つの移動砲台だ。今度はそちらを止めるつもりなのだろう。

 負傷し混戦から離れていたゼスペリア兵達は、一連の光景を見て呆然としていた。彼らは怪我の影響もあってこの世の終わりかというほど絶望した表情をしていたが、その面貌に活気が戻っていく。


「すげぇ……あれが導師の力か……!」「もしかして、ユキト様がいれば獣砲を潰せるんじゃないか……?」「もしかしてじゃなくてできるんだよ! あのお方は本物だ!」「続け! 憑依騎士に続け!」「まだ俺たちは負けてねぇ!」


 雪崩を打つようにゼスペリア歩兵と騎兵がセイラの後に続いていく。たとえ負傷していても、彼らは何かに突き動かされるように動いた。

 一時的に人気のなくなった平原で、オーレンはゆらりと立ち上がった。細かくは確認できないが、既にユキト達は移動砲台の周りで戦闘を開始している。異変を察知したライゼルス兵達は躍起になってユキトを引きずり降ろそうとしていた。

 だが、またしても馬は暴れ始める。

 味方が密集しているせいで獣砲も利用できず、移動手段も失った。こうなればもはや大きな的でしかない。セイラが敵兵を蹴散らす間に、馬から降り立ったユキトが御者を倒す。更に木壁が切断され、曝け出された砲撃手は泡を食って逃げ始めた。

 歓声が上がり、勢いづいたゼスペリア兵は恨みをぶつけるように木箱を破壊していく。


「……なんなんだよ」


 呆然と呟いたオーレンは、その場に立ち上がっていた。あれほど怯えていた敵兵の存在など、今はどうでもいい感じがした。


「逃げられないじゃん、俺」


 言葉とは裏腹に、オーレンは自分でも驚くほどの昂ぶりを感じていた。

 奇蹟は、ある。神秘の力はあるのだ。

 臆病な自分は信じ切れなくても、導師が持つ神がかり的な力なら信じられる。命を預けるに値する価値がある。

 全身総毛立つオーレンの耳に、獣のような咆哮が飛び込んできた。

 無力化された移動砲台の周辺では激しい戦いが続いている。その中でライラが戦斧を振り、大立ち回りをしていた。だがいかんせん、敵の数が多すぎて包囲網を突破できない。

 オーレンは剣を抜いた。不思議とすんなり決心はついた。大きく息を吸う。


「今行くぞライラさぁああん!」


 臆病者は、その衝動に身を任せた。


 ******


 中央の軍車はユキトの活躍で破壊された。だが右翼では二つ、左翼では一つの移動砲台が健在している。砲台の移動速度が遅いのでゼスペリア軍は射程圏外へと逃れつつあるが、畳み掛けるようにライゼルス軍の部隊が追撃していた。

 深い森に囲まれたドルニア平原は移動できる範囲も限られている。森に逃げ込めば助かるだろうが、一度足を踏み入れれば戦地に戻るのは難しい。そして一人逃げればまた一人と増え、部隊は瓦解するように遁走し始める。

 劣勢とはいえゼスペリア軍はまだ機能している。彼らの精神が折れない内に、軍車を無力化しなければいけなかった。

 そのため中央二つの軍車を無力化させたユキト達は、更に右翼へ突き進んでいた。移動がてらユキトは、馬が混乱した現象について説明する。

 

「なるほど……ルゥナール様の影響でしたか。確かにユキト様が騎乗できないのも、馬が霊体に過敏なせいでしたわね」


「その経験があったから咄嗟に思いついたんだよ」


「そうは言っても、あの土壇場でよく実行できたものですわ」


 セイラが感心したように呟く。だが馬を刺激しようと考えたのはこれが初めてではない。不発に終わったものの、ライオットと出会った際に試そうとしていた。だからユキトはあの数秒間で辿り着くことができたのだ。

 ユキトが乗馬訓練に失敗し続けたときのように、荷車を引く馬も霊的な存在の接近を嫌がる可能性は高い。そこでルゥナには、タイミングを合わせて馬に飛びついてもらった。作戦としては単純だが、思惑通りの結果となる。馬が戦場の中で神経を尖らせていたことも功を奏したのかもしれない。


『それにしても法術とは言い得て妙だ。あの宣言もなかなか様になっていたぞ?』


「し、仕方ないだろ。あれで皆を勢い付けないと……」


 ルゥナの指摘に、ユキトはむず痒さを覚える。咄嗟にとはいえ、あんな大上段に構えた自分を出せるとは思ってもいなかった。人間、追い詰められると変わるものだ。

 一転して縮こまるユキトに対し、ルゥナは頬を緩める。


『そういう君はやはり好ましい人間だ。案外、騎士が天職なのかもしれ――』


「っ! あれは……!」


 ルゥナの声を遮り、セイラが警戒心を剥き出しにする。

 ゼスペリア軍を追走するライゼルス兵士の群れから、一つの黒い塊が飛び出した。

 黒毛の大きな騎馬は凄まじい速度を出してライゼルス軍に接近し、最後尾にあたる歩兵を捉える。そして黒い騎馬に跨る騎兵が、腕を大きく振り上げた。

 逃げられないと悟ったか、歩兵達が迎撃しようと立ち止まる。

 首が飛んだ。

 騎兵が腕を振るうだけで、何かの冗談のように軽く頭部が切り落とされる。

 あまりの呆気なさに硬直した歩兵達を、ライゼルス騎兵は容赦なく惨殺した。

 まるで凄まじい暴風に巻き込まれたかの如く命が刈り取られていく。たった一人に怯むなとゼスペリア軍の部隊が応戦し、槍や剣や矢を放っても、ライゼルス騎兵はその全てを跳ね除ける。

 一線を画す存在にゼスペリアの兵士達は戦慄し、そして騎兵の出で立ちから気づいた。


「じ、十剣侯だっ!」


 叫びは、絶望と共に木霊していく。

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