⑭-決闘-
風に乗って届いた叫び声に、ルゥナとセイラの顔つきが変わる。
『十剣侯……!』
いつも泰然と構えているルゥナが、警戒心を最大にまで跳ね上げていた。聞き慣れない単語が出てくるのはもう今更の話だが、ユキトはこれまでにない不吉な感触を抱く。
「獣砲に十剣侯とは、つくづく面倒ですこと……!」
『単独で戦場を荒らし回る分、十剣侯のほうが遥かに厄介だといえる。この場で食い止めねば被害は増える一方だぞ、セイラ』
ルゥナの声は聞こえていないはずだが、セイラはまるで彼女の意思を汲み取ったように黒い騎兵へと方向転換した。
すると十剣侯の動きにも変化があった。ゼスペリア軍の襲撃を停止すると、今度はユキト達の方向へ真っ直ぐ突進してくる。
「狙いを変えた……!」
セイラは獣射を構え、ユキトも宝剣の柄に手をかける。
平原を走る騎馬と騎馬は瞬く間に接近し、両者はすれ違いざまに斬撃を放った。
鈍い金属音と衝撃が響き渡る。交差した二つの騎馬は反転し、停止した。
セイラは、馬上の十剣侯を睨み付けて舌打ちする。
「……この剣技。疑いようもありませんわね」
セイラは獣射を放り投げる。銃身の半分上は消失していた。
綺麗な切断面だが、獣射は金属材料だ。容易く真っ二つにできる代物ではない。
「ふむ。悪くはなかったぞ」
美食を吟味するかのように敵兵が呟く。その全容を視界に入れたユキトは、息を飲んだ。
騎士はかなりの巨漢だ。力士もあわやというほどの恰幅で、纏う甲冑は一般男性のそれと倍近い差がある。目と口元以外は黒い兜に覆われている。爛々と輝く深緑の瞳は、高揚と自信に満ち溢れていた。
だが、何より驚くべきは、男の持つ武器だ。
十剣侯は剣を持っていない。その手は拳を握りしめている。代わりに、両腕の籠手には長大な盾を装着していた。
金属製の二つの盾は厚みも十分で、触れずとも堅牢さが伝わる。二つ合わせれば上半身を覆ってしまえるほど横幅もある。
何より盾の一番の特徴が、その先端部にあった。両盾は下部へ行けば行くほどに面積が小さく細くなり、先端は鋭利に尖っていく。いわば逆三角形の形状だ。
見たところ盾以外の装備はない。では、どうやって人間を斬り殺していたのか。
それは先端部を見れば一目瞭然だった。刃物のように鋭利な先端部には、おびただしい血が付着してぬらぬらと赤く光っている。
盾を攻撃手段に転用することを目的とした、剣と盾の一体化武具といえた。
「問おう、ゼスペリアの騎士よ」
巨漢の男は戦場のど真ん中に騎馬を停止させたまま、よく響く低音の声で告げる。
「遠目ながら、第四師団が誇る<軍車>が制圧されたのを確認した。中心にいたのは貴公らと推察する。見事に制圧せしめた者は、どちらの騎士か」
仰々しい問いかけにユキトもセイラも眉をひそめる。自分です、などと答えれば標的にされるのはわかりきっている。答えるはずがない。
別の意図があるのかとユキトが勘ぐったところで、十剣侯は答えるように続けた。
「我は敬意を表しているのだ、ゼスペリアの騎士。あの状況でよくぞ挽回した。敵ながら天晴れ」
と、男はいきなり拍手を始めた。
敵味方が熾烈な争いを繰り広げる只中で、惜しみない賛辞を贈っている。あまりにも理解しがたい感覚の持ち主に、ユキトは返す言葉を見失ってしまった。
「どのような方法を取ったか詳しく知りたいが、悠長に歓談できる間柄でないのが残念だ。それに、あまり自由に動かれてもアスヴァールが困る。貴公らには、ここで死んでもらおう」
瞬間、男の体から強烈な殺気が放たれる。
胸焼けしそうなほど濃密な敵意を受けて、ユキトは知らず身震いした。もし地面に足をつけていれば後ずさっていたかもしれない。
セイラは脊髄反射的に鞘から剣を抜いている。彼女にしては珍しいほど余裕のない顔つきだった。
「セイラ殿! ルゥナール様! お逃げください!」
そのとき、ゼスペリア軍の歩兵数人が駆けつけてきた。長槍を持った歩兵達は即座に十剣侯を囲む。
だが間髪入れずセイラは叫んだ。
「その男に近づいては駄目!」
歩兵達が長槍を突き出す。穂先は黒い鎧に直撃する寸前で宙を舞った。
槍を握る腕部ごと。
十剣侯は盾の先端部で歩兵達の腕を切り飛ばし、更に反対の腕を一薙ぎするだけで首を両断してみせる。亡骸は腕と首から血を吹き出し、仰向けに倒れた。
冗談かと思うほど簡単に、人の命が奪われた。ルゥナは目を剥き、悔しげに唇を噛みしめる。
男は顔色一つ変えずに盾の先端部を振り、血糊を飛ばすとユキトへ向き直った。
「邪魔が入ったな。さぁ、どちらが我の相手だ」
人を殺しておいて、それを些細な出来事のように、どうでもいいと言わんばかりの態度で語っている。
ざわり、とユキトの体は総毛だった。
腹の中に溜まる恐怖を、怒りが塗り替えていく。
目の前の男は、死んだ人間がどういう末路を辿るのか知りもしないで、無責任に絶望だけを増やしている。殺すことに罪悪感も持たず、悲しむ人が現れる事実を顧みない。
死者の慟哭と、残された人達の嘆きを見続けていたユキトは、はっきりと感じた。
許せない、と。
「……俺が相手になる」
呟き、彼は騎馬から降りた。
ギョッとするセイラを置いて、ユキトは十剣侯に接近する。
「その代わり、俺との勝負がつくまで他の人間には手を出すな」
「なっ……!? なにを言うんですのあなたは!」
『うむ、その案しかないだろうな』
対照的な二つの声が重なった。狼狽えるセイラとは違い、ルゥナはこの行動を予見していたかのような冷静さでユキトの隣に立つ。
「ほう」と興味深げに呟いた騎兵は、ユキトの顔を無遠慮に見下ろす。
「両軍の勝敗を決める決闘ならいざ知らず、他者の安全を確保するための申し出とは珍しい。が、面白いな。貴公の名は」
「ユキト」
簡潔に答えると、男は一つ頷く。そして馬から降りた。ズシン、とまるで鉛が落下したような地響きと共に、十剣侯は大地に立つ。
「十剣侯と知りながら我に挑むその気概や良し。よかろう騎士ユキト。一対一の勝負といこうではないか」
愉快げに肩を揺らしながら男が歩み寄る。
正面に立たれると、壁を相手にしているような錯覚を覚えるほど体格差は歴然としていた。
「ま、待ちなさい! その男を相手に一人でなんて!」
「俺のことより、セイラさんは他の人たちを助けに向かって。まだ移動砲台は三つ残ってる。こいつを倒したらすぐ行くから」
それは傲りでもなければ自棄でもない。ユキトは本心から告げていた。
淀みない発言に言葉を飲み込んだセイラは、ややあって諦めたようにため息を吐く。彼女は騎馬の手綱を引いて方向転換した。
「……生き残りなさい。本気で口説きにいくから」
なにやら困る台詞を残してセイラは去って行く。
彼女と入れ替わるようにライゼルス歩兵の群れがユキトへと押し寄せたが、十剣侯がひと睨みするだけで彼らは立ち止まった。邪魔をするな、と言葉にせずとも威圧感だけで制している。
それから男は双眸を細めてユキトを見る。臆することのない彼の内面を探ろうとする目付きだった。
「己の勝利に疑いを持たぬ顔だな。慢心でなければ、酔狂とも言い換えられるが」
「信頼してるだけさ」
意味のわからぬ発言に十剣侯が眉をひそめる。構わず、ユキトは隣へ目を向けた。
全てを承知しているという顔で、ルゥナは頷く。
『あの男は十剣侯という称号を得た騎士だ。帝国内で選りすぐられた豪傑、もしくは偉人しか授かることのできない最高位を得ている。名実共に、敵軍の中で超える者はいないだろう。だからこそ、ここで憑依を実行する……そうだな?』
「凄く強いのは俺でもわかるよ。でも、そんな相手を倒すことができたら、まだ希望はあるって示せる。それにいま止めておかないと……あんなにも簡単に人が殺されて、たまるかよ」
静かな憤怒と共にユキトは十剣侯を睨み付ける。そんな彼に、ルゥナはそっと腕を伸ばした。半透明の手がユキトの額に当たり、少しだけ境界が曖昧になる。
『十剣侯の名は、人を捨てたものが到達する頂点と言われるほどだ。正直、勝てる自信はない。それでも……私に、託してくれる?』
「俺はルゥナを信じてる。だから、負けて一緒に死んだとしても本望だ」
ルゥナは微かに頬を赤らめると、ユキトの体に飛び込んだ。接触面が微かに光り、ユキトはかくんと頭を垂れる。
だがすぐに態勢を立て直し、ゆらりと宝剣を構えた。
「……私も確認したいことがある」
言葉遣いも雰囲気もガラリと変わったが、十剣侯は動じない。男は、獣のように鋭い眼光を携える少年を静かに見返していた。
「<盾陣のデルガド>殿と見受けるが、いかがか」
「うむ、いかにも。我が名はデルガド・エルズオーグ。二つ名が示す意味は、わかろう」
デルガドと名乗った男は右の盾を前面に出し、左を脇腹当たりで構えた。ちょうどファイティングポーズのような姿勢だ。
「かの十剣侯と相まみえることを光栄に思う。だが、負けてやるつもりはない」
憑依したルゥナは剣を腰だめにして姿勢を低くした。
「騎士ユキト。押して参る!」
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