幕間-十剣侯と将軍-
なだらかな勾配の続くピレトー山脈の街道を、何台もの馬車が通っていた。
箱馬車には有力諸侯が詰め寄り、そこかしこから談笑の声が聞こえてくる。馬車の前後には騎兵が等間隔で並んで警護にあたっていた。反対方向からすれ違う余裕がないほど、山道は人で埋め尽くされている。
馬車の行列から更に後方では荷馬車の列が続いている。貴族達の私物や戦道具、食料や嗜好品を運搬していた。その幌も張られていない荷台の一つに、寝転がる一人の男がいる。
「あ~、いい天気だねぇ」
荷物と共に揺られている男は、雲一つない晴天を眺めて呑気に呟いた。
垂れ目と緩んだ口元が人当たりの良さそうな印象を醸し出している。腰から下は黒の甲冑を纏っているが、上半身は鎧を脱いで布一枚という軽装だった。
顎に生えた一房の髭を撫でる男は、鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良さでぽつりと漏らす。
「こんなに天気いいんだから引き返さない?」
「なに言ってんですかアスヴァール将軍」
業者台に座る兵士が振り返りもせずに嘆息する。
「引き返せるわけないじゃないですか。掃滅作戦の真っ最中で、今も別隊はそれぞれ作戦遂行中なんです。ゼスペリア州を落とすまでの時間稼ぎを担ってくれてるのに、台無しにするつもりですか」
「わかってるけどさーこの任務に失敗したらライゼルスの敗北は確実なわけでしょ。荷が重いっていうか面倒くさいっていうか」
「あのですね、我ら第四師団が抜擢されたことをもっと誇りに感じましょうよ。この重要局面を成功に導けるのはアスヴァール将軍を置いて他には存在しません。こんなところで寝てないで、お歴々の方とどっしり構えていてください」
「やだよ、あっち行くの。酒と賭け事と下世話な宮廷話しかしねーじゃん」
本心からそう反論するアスヴァールに対し、兵士は嘆かわしげに首を振った。
「エミリオ王子も期待されてるってのに……成功させれば、次期皇帝の右腕になれるかもしれませんよ」
「期待ねぇ」
相変わらずのんびりと呟くアスヴァールだが、その目つきは若干鋭さを増していた。
帰るというのは冗談だが、迷いはある。このまま作戦を続行していいかどうかの、判断の迷いだ。
この壮大な計画は当初、大きな反発があった。
掃滅作戦は二段構えで、標的をゼスペリア州一つに絞っている。まず前哨戦で標的の戦力を削ぎ、間もない内に六街道を攻め入ることで、各州の足並みを乱すのが狙いだ。当然、各州は自領域の防衛に心血を注ぐことになり、ゼスペリア州は援軍を受けられず孤立する、という筋書きになっている。
発案者はオウギュスト帝の第二子エミリオ王子だった。しかし諸侯達は一切の遠慮なく「初戦に赴く兵士の命を無駄にするのか」「ゼスペリアが他州の援助を受けない保障はない」「大規模な武力侵攻で国内防衛力が手薄になる」と次々に難点を指摘した。
第一王子ルシオ、第三王子ガエリオ、第四王子アルビレオとの王位継承を巡る争いも影響して、各王子派閥が一斉にエミリオを批難した。
だがエミリオは、息のかかった諸侯を使って前哨戦を断行してしまう。
一次侵攻に抜擢された部隊は運がなかったな、と誰もが同情するくらい、成功の確率は低いと思われていた。
しかし、大方の予想に反して、ライゼルス軍は勝利を収めた。
後にゼスペリア側の指揮系統に乱れがあったことが原因と判明するが、要因はともかくこの結果にライゼルスは活気づいた。多額の身代金やビジ鉱山を奪った成果も、懐疑的だった諸侯達の目の色を変えさせた。
そうして瞬く間に六街道侵攻は開始され、ゼスペリア陥落の責務はアスヴァールに委ねられる。
「できすぎなんだよなぁ」
「なにかいいました?」
「いいやなにも」とアスヴァールは嘯く。今はまだ心の中に留めておく。
だが、彼の熟練した勝負勘は、嫌な予感を訴えていた。
この状況は、あまりにもライゼルスに都合が良すぎるのだ。
いくら自軍の弱体化を懸念するとはいえ、他州が手をこまねいていればゼスペリアは陥落する。一つの州が敵の手に渡るという事態を、軽く見ているいるはずがない。
だというのに、現在も州同士に協調の気配がないのはなぜか。複雑な政治事情が絡んでいるにしても、ゼスペリアを見捨てるなどあり得るだろうか。
もしかするとなにかの罠かもしれないと、アスヴァールは勘ぐっている。理論派の将は、物事を理屈で片付けないと気が済まない性質だった。
そもそも、ゼスペリアを標的とした点もアスヴァールにとっては疑問だ。
正式な州長不在のゼスペリアならば軍の統制が行き届いていないとエミリオは述べたが、根拠としては乏しい。
前哨戦の最中にゼスペリア州総大将が死亡した件といい、自分たちが知り得ない情報を持っているのだろうか。
――そういえばあの王子、最近妙な男を相談役に迎えていたな。確かラウアーロとか言ったか。
エミリオは貴族特有の傲慢さと短絡さを併せ持つ男だ。先を読む力などあるわけがない。ラウアーロという男が入れ知恵を行ったとするのが妥当だ。
一体何者で、どんな情報に精通しているかを見極める必要があるかもしれない。
――それも帰ってからになるなぁ。まずは仕事を、やるしかないかね。
得体の知れない人間に帝国が動かされているという嫌悪感はあれど、一軍人であるアスヴァールは命令に背くことは出来ない。
何よりダイアロン連合国同時侵攻作戦の鍵は、アスヴァール率いる第四師団が握っている。ゼスペリア軍に勝利すれば、州内地は陥落したも同然だ。あとは敵領地を占領しつつ、他街道にいる別隊を集結させて一大拠点の形成に持っていける。
憂いはあるが、目先の希望もある。欠伸と共に迷いをもみ消したアスヴァールは、上半身を起こすと後方へ振り返った。
歩兵がぞろぞろと隊列を組んで山道を進んでいるが、その中に巨大な荷車を押して歩く集団がいる。
負け戦に挑む趣味はない。引き受けたからにはゼスペリアを完膚なきまでに屠る。そのための秘策はアスヴァールの手中にあった。
「自慢の軍車を使うことになるか、アスヴァール」
横合いから声をかけられた。業者台の兵士ではない。
アスヴァールの乗る荷馬車の隣には、いつのまにか一人の騎兵が並走していた。
その騎士は、圧巻という言葉が似合うほどの大男だった。成人男性を軽く羽交い締めできるほどの横幅がある。太っているのではなく、全てが筋肉の塊だ。
その屈強な肉体を竜の意匠が施された黒い鎧で包み、頭部も兜で覆われている。露出しているのは目元と口元くらいで、鋭い眼力は見る者に威圧感をもたらした。
「おやデルガド殿、まだ騎乗中ですか。休まれたらいいのに」
「兵が装備を担いだまま山越えをしているのだ。上に立つ者が怠けてどうする。常に先導し、威厳を示さねば士気は緩む」
「はは、耳が痛い」
アスヴァールがおどけて笑っても、デルガドはくすりともしない。暑苦しい限りだ。
「アスヴァール将軍。ゼスペリアは籠城を選ばず、ドルニア平原での会戦に赴くと思うか」
「俺だったらそうしますね。この状況での籠城は精神的にかなりきつい。民という足手まとい兼混乱の種もある。だったら策でも罠でも用意して賭けた方がマシだ」
「うむ、策に罠か。楽しみだ」
デルガドは口の端をつり上げた。同調するように、彼の馬もブルルと鼻を鳴らす。
「まぁ向こう側は余裕などないですし、大したことはできんでしょう。物量でも圧倒的にこちらが有利だ。例のアレを稼働させるまでもないかもしれませんな」
「我としては、秘策を呼び起こすくらいの猛将に登場願いたいものだが」
「ご冗談を。できれば楽に通らせてほしい」
本心からの願いだった。秘策といえど使えば消耗は避けられない。内地の占領と他州との衝突も待ち受けているのだから、使わないに越したことはない。
だが、出し惜しみする気はなかった。完膚なきまでに叩き潰してこそ、残る諸侯達の抵抗意思を挫くことができるのだ。
「ま、どれほどの猛将が出てきたとしても、こちらには貴殿がついておりますから心強いですな。十剣侯デルガド殿。奮迅を期待しておりますよ」
デルガドは答えない。その目はただ山道の奥を見つめる。
これから繰り広げられる死闘を前に、猛りを抑え切れない好戦的な表情だった。
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