⑧-俺になにができる-

 広大な平原は、朝露を纏う草が陽光を受けてきらきらと輝いていた。風はなく、気候も穏やかだ。

 そんな穏やかな光景とは不釣り合いなほど、平原に集まった人間達は殺気立っていた。


 群集は大きく二つに別れている。

 一つはドルニア平原の街道沿いに展開したゼスペリア州の布陣。

 もう一つはピレトー山脈側の麓の街道沿いに展開した、黒の甲冑を纏う兵士達の軍勢だ。至る所で竜の刺繍が入った軍旗を掲げている。それは聖ライゼルス帝国を示す証だった。

 ゼスペリア側の位置から麓を眺めるユキトは、黒い敵兵がずらりと並ぶ光景に思わず、黒い津波が来ているような錯覚を覚えていた。

 以前にドルニア平原を訪れたときとはまったく雰囲気が異なっている。人の気配に満ちた平原はピリピリとした空気が蔓延し、ここが会戦場だということを嫌が応にも知らせていた。


『なるほど……作戦については把握いたしました。しかしジルナール様はよくぞご決断なされたものだ』


 傍で感心したような声が漏れる。ユキトが振り返った先には、半透明のルゥナとギルバートが顔を付き合わせていた。

 ドルニア平原に留まるギルバートの幽霊は、いきなりゼスペリアとライゼルスの軍勢が押し寄せてきたことに動揺していた。そこでルゥナが、何も事情を知らない家臣に向けて、これまでの流れを説明している。

 話が終わったものとみて近づいたユキトは、開口一番にギルバートへ謝罪した。


「すみませんでした、ギルバートさん……当日になるまで会いにこれなくて」


『いや、気に病むことはない。際どい選択の連続で、それどころではなかったと理解している。それに戦への備えはやりすぎるということはないですからな。特に、この戦いに参戦する貴殿にとっては』


 ギルバートはユキトの全身を眺めて言った。

 ユキトはいつもの簡易的な革鎧ではなく、丈夫な銀の鎧に籠手やすね当てを装着している。

 ライゼルス軍との衝突の真っ只中を駆け回るために、そしてルゥナを召喚する<憑依騎士>としての威厳を示すために重装備を施していた。これもジルナの策の一部だ。

 間もなく、ユキトは国同士の戦争へと放り込まれる。まさか自分が戦争のただ中に突っ込むとは、この世界に来たときまったく想像できなかった。

 だが、彼の胸中は不思議と落ち着いていた。ルゥナという支えがいてくれるからこそ、ここに立っていられる。


『ユキト。間もなく軍議が終わるだろうから、一度戻ろう』


 ルゥナの声に頷き、丘の上を見上げる。ゼスペリア軍は先のドルニア戦役で野営した同地点に拠点を作っていた。今はジルナ達が最後の作戦会議に入っている。

 

『お気を付けくだされルゥナール様。導師殿と共に戻られることを、神に祈っております』


 ギルバートは胸の前に腕を掲げて一礼する。すると乾いた笑いが響いた。


『はは、すげぇなあんた。本気でライゼルス軍との戦争に参加するのかよ』


 横入りしてきたのはライゼルス軍の少年歩兵ファビルだった。

 彼は先ほどまでユキト達から離れ、興奮した様子でライゼルス軍を眺めていた。戻ってきたファビルは嘲笑を浮かべる。


『確か導師って中立の立場だったよな? あーあ、聖職者が聞いて呆れるぜ。それともなにか、メディウス教みたいに神様へ血肉を捧げる戒律でもあるとか?』


『こんなときまでお前は……!』


 ギルバートが叱咤するが、ファビルは構わずユキトの眼前に歩み出る。


『やっぱり偽善者だ。俺たちのこと救うとか言っておきながら、片方にしか肩入れしないじゃねぇか』


 軽蔑の視線が、嫌悪の感情が突き刺さる。胃に鉛でも詰められたかのような圧迫感にユキトは眉をしかめた。

 だが、彼は無言を貫く。なにを返しても言い訳にしかならないとわかっている。ユキトの感情を察しているルゥナも、気遣わしげな様子だが割って入るような真似はしない。

 ファビルは呆れたように首を振った。


『まぁ勝手にすれば? 相手はあのアスヴァール将軍率いる<不死者の軍勢>だからな。どうせ生きて帰るなんて無理に決まってる』


 聞きなれない単語が引っかかると、すかさずルゥナが説明した。


『帝国軍第四師団ロンバルディオ歩兵連隊。通称<不死者の軍勢>と呼ばれるライゼルスの部隊だ。仰々しい通名だが、あくまで一つの部隊に過ぎないよ』


『そりゃ過小評価ってもんだぜ州長代理さんよ。どんな死地からも生還してきた実績があっての二つ名だ。舐めてたら痛い目にあうぜ』


 ファビルの声には熱がこもっていた。同胞の武勇には憧れもあったのだろう。不安にさせまいとしたルゥナだが、想定通りにならず決まりが悪そうにする。

 ユキトはもう一度黒の軍勢を眺めた。この位置からでは敵兵の顔色や体つきは確認できず、力量のほども想像がつかない。だが隊列を一切乱さず軍旗を真っ直ぐに掲げる様は、統率が行き届いていることを物語っていた。


『いい加減にしろファビル! ユキト殿も余計なことに捕らわれる必要はないですぞ』


『はっ、おっさんもお優しいことで。じゃあ俺はライゼルス軍の観戦でもさせてもらうとすっか。あんたの死に様も見届けてやるよ』


 低く笑ってファビルが遠ざかっていく。黙り込むユキトに対し、ルゥナは目で「大丈夫か?」と問うてくる。


「……大丈夫。行こう」


 そっと呟いてユキトは踵を返す。

 しかし離れようとしたユキトをギルバートが呼び止めた。


『ユキト殿! その、こんなときに私情を挟むのは気が引けるが……オーウェンは、来ているだろうか?』


 その名はギルバートの息子のものだった。しかしユキトは当該人物にはまだ会ったことがない。代わりにルゥナが答える。


『ざっと確認しただけだが、カムロ家の部隊は編成されていた。おそらくオーウェンが指揮を取っているだろう』


『そう、ですか……』


 ギルバートは複雑そうに口元を歪める。男の未練は、オーウェンが無事に家を継ぐかどうか見届けることにある。臆病と陰口を叩かれる息子が前線に出てきたことは喜ばしくも、初指揮がゼスペリアの命運をかけた決戦とあっては父親として不安にもなるだろう。

 下手をすれば未練を解消する前に、オーウェンの命が失われることも有り得る。

 肩を落とす死者の姿に、ユキトの感情が揺さぶられる。


「その、俺になにができるかわからないけど……」


 少しだけの躊躇いが混じったが、ユキトはすぐにそれを振り切った。


「皆のこと、絶対に助けてみせます」


 迷いがあってはいけない。言葉にすることで、決心を定める。

 ギルバートは神妙な顔つきで何かを言おうとしたが、結局言葉を発さずに頭を下げていた。


『格好よかったぞ、ユキト』


 ルゥナの声が胸をくすぐるが、まだやり遂げたわけではない。気を引き締めながら野営地へと歩いて行く。


 だが、到着したユキトは眉をひそめた。天幕の中では怒声に似た声が飛び交っている。軍議は終わっていないのか。それにしても慌ただしい雰囲気だ。

 ルゥナと顔を見合わせつつ天幕の中に入ったユキトは、唖然とした。

 家臣達は悄然とした様子でうなだれ、一部の諸侯は「もう一度状況を確認しろ!」と苛立ちげに配下へ命令している。


「どうしたんだ?」


 席に座るジルナに駆け寄るが、彼女は険しい顔で口を引き結ぶばかりだ。

 返答がないことにユキトが焦れると、ジルナはゆっくりと告げた。


「……守護兵団が、到着しません」


「え?」『なっ……!』


 ジルナは額に手をやり、前髪をくしゃりと握りしめる。


「ドルニア平原を目前にして事故に合い立ち往生していると、派遣された使者から報告を受けました。本日中の合流は絶望的です」


 ユキトは、事態の深刻さに言葉を失った。

 つまりゼスペリア軍単独で立ち向かうしか術がないのだ。


「私の失態です……ドルニア平原ではなく、ゼスペリア領域内で合流すべきだった」


「いや、ライゼルス軍の進行速度を考えれば、一日たりとて遠征は止められん。遅くなればドルニア平原は接収されておったろう。ジルナール様の決定は間違っておらん」


 傍らに立つゴルドフがフォローするが、男もまた厳つい顔を悔しげに歪めていた。

 この世界にはまだ電子機器が存在しない。電波を使ったやり取りであれば逐次状況を把握できるだろうが、連絡手段といえば手紙くらいのものだ。それ故に事前の計画通りに動くことが重要となる。だが、不慮の事故までは想定しようがない。


「命運も、ここまでか……」


 家臣の誰かが呟き、重苦しい沈黙が過ぎる。


「……ジルナ」


 なんと声を掛ければいいかわからず、ユキトはただ名前を呼ぶ。

 手で目元を覆ったままのジルナは、唇を噛みしめた。


「……ここまで来たのなら、やるしかない」


 全員の視線が彼女に集まる。ジルナはゆっくり息を吐き出すと、姿勢を正して皆を見回した。剣呑な目つきは、悲壮な覚悟を示している。


「何とかこの一日、耐えきるしか道はありません。明日に持ち込めば守護兵団の合流にも希望が持てる。この場は我らだけで戦うのです」


 誰も言葉を発さなかった。頭ではそれしかないと理解しているが、絶望的な感触に心を支配されてしまっている。

 ライゼルス軍一万五千の軍勢に対し、ゼスペリアは五千。三倍の開きがある。明日を待たずに蹂躙されることも十分にあり得た。


 ――どうする……この状況を変えるために、俺の力でなにができる……?


 考えたところで、この状況をひっくり返すような奇蹟は起こせない。できることには限度がある。

 だが、少しでも負担を軽くすることなら、あるいは。


「……ルゥナ。それにジルナ。頼みたいことがある」


 姉妹は揃ってユキトを見つめ、次の言葉で目を見開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る