⑦-檻の中の先客-
時間は少し遡る。
ユキトは鉄格子の檻の冷たい床にへたり込んでいた。両腕は手枷を嵌められ不器用にしか動かせない。体も痺れてうまく力が入らなかった。
女盗賊が漏らした言葉によれば筋弛緩系の毒の影響というが、一体どのタイミングで入れられたかユキトはわかっていない。気づけば街道の土を舐めていた。それほどに攻撃の気配も痛みもなく、一瞬で自由を奪われた。
相手のやり方がわからないのは不気味だが、時間が経過しているおかげで当初よりは痺れも薄まっている。しかしここは檻の中だ。逃げようにも堅牢な鉄格子が四方を塞いでいる。加えて剣は盗賊に取り上げられ手元にない。
ユキトは奥歯を噛み締めた。完璧な誤算だった。
馬や人が急死したのは毒物のせいかとユキトは推測していた。毒使いはセイラ達が相手をしていると思い込んでいたが、この認識も油断を誘う罠だった。わかっていればセイラ達から離れることもなかったが、今更悔やんでも遅い。
無力感を誤魔化すように、ユキトは敵側のことへ意識を向ける。
盗賊達が何者かは知らないが、殺すのではなく捕獲しにきているのは妙ではある。中央州での襲撃では容赦なく殺されかけた。行動に一貫性がない。それに盗賊達は、あの黒い戦士のような異質さもなく会話も成立する。
標的が一致しただけのまったく別陣営、ということだろうか。そもそも付け狙われる理由すら判明していないのだから、推論の域を出ない。
――とにかく、どうにか脱出してアルルを助けないと。
女盗賊はなぜかアルルを手元に置いて離さない。会話もできず、敵の手のうちにある状態は余計に気がかりだ。
自分が取り戻すしかない。そう考えたユキトは自身の掌を見つめる。
その手は微かに震えていた。
――……本当に、できるのか?
体に異変が起こっているのはわかっていた。
ついこの間まで剣を握ったこともなかったユキトは、今や熟練剣士のような卓越した実力を獲得している。八人も斬り殺すほどの圧倒的な技術を、文字通り一瞬にしてその身に宿したのだ。
普通では考えられない。しかし憑依能力のような何らかの力と考えれば話は別になる。前兆に思える変化は確かにあった。
孤児院の手伝いをしていたとき、男児の木剣を借りて素振りをしたときのことだ。自分のことだからユキトは実感も沸かなかったが、端から見ていたルゥナ曰くとても素人の腕には見えなかったという。少し気にした方がいい、とルゥナは、ニックスを連れていく前に忠告していた。
おそらくそのとき以上にユキトの剣技は向上している。しかも、自分がまったく意識しないままに。
さすがに空恐ろしさを感じるが、問題は別にある。能力だとすれば副作用が来る可能性があった。今ここで倒れることは避けたいが、現状頼れるのはこの不可解な力しかない。
そしてもう一点。これはユキトの心の問題だった。
八人の盗賊を殺したという事実は、彼の精神をヤスリで削るように摩耗させた。過去に苦しめられた悪霊の如く呪いを吐かれることを覚悟しながら、永劫にも感じる時間を待った。
だが結局、幽霊は現れなかった。
運が良かったとはいえ、何の解決にもなっていない。
自分の感情と仲間の命、どちらが大切かなど比べるまでもないが、胸の奥では恐怖が燻っている。
――余計なこと考えるな……俺が何とかするんだ、そうだろ?
自分自身を諌めて、ユキトは頭を振るう。それから馬上の女盗賊を注視した。
女盗賊はアルルにご執心で隙だらけだが、やはり武器もないままでは為す術がない。せめて剣を取り返す必要がある。
ユキトは配下の方を確認した。先程怒鳴られていた配下の男は黙り込み、黙々と馬を走らせ続けている。その男の鞍にはルゥナの剣がくくりつけられていた。
危険ではあるが、檻から出された一瞬の隙をついて奪い返すしかない。
そう考えた瞬間だった。
後方から、聞こえるはずのない囁き声が届いた。
『……本当にどうしたらいいんだろうか』
ビクリと肩を振るわせたユキトは、声のした方向へ振り返る。
檻の隅に、見知らぬ男が膝を抱えて座っていた。
視認したユキトは驚愕に目を見開く。
年は二十代前半といったところか。短く刈り揃えた薄い金髪や小奇麗な服装はどこか気品を漂わせるが、引き締まった身体つきをしている。貴族階級の人間か、さもなくば騎士のように見えた。
そんな男がなぜ檻の中でうずくまっているのか。
彼の全身が半透明に透けていることが、事態を物語っていた。
『柵が開いても出ることすら叶わないとは……神よ、豊穣神セレスティアよ。なぜこのような惨たらしい仕打ちを与えるのですか。どうして僕は、死してなおもこのような場所に囚われなければいけない。僕はそれほどの大罪を犯したというのか』
精悍な顔を陰鬱に染めて男は呟く。その様子を、ユキトは絶句しながら見つめていた。
幽霊が、いる。
さすがに驚きを隠せない。まさかこんな場所で見かけるど誰が予測できるだろうか。
しかし現実に、ユキトの目の前には男の死者が存在している。
口ぶりから察するに自分が死んだことは理解しているようだった。檻から出られないという台詞も、この場所で死んだことを表していた。
そこでユキトは、状況的にはあり得ることに気づいた。
連中に殺された人々の中に未練を抱える者が出ていてもおかしくはない。盗賊達に捕えられこの檻の中で死んだ被害者の一人というわけだ。
じっと観察するように見つめていると、ふと男が顔を上げた。
目と目が合うと、男は訝しげにする。
『しかし……この者はなぜこちらを向いたまま固まっているんだ? まさか僕が見えるわけもないだろうし』
独白したあと、男の目が徐々に見開かれていった。
自分で言及したことでその可能性に気づく。
『も、もしかして君は、この僕が見えるのか……?』
縋るような声だった。幻ではないと示すように手を振ってみせる。
ユキトはチラリと後ろを振り返って女盗賊を確認した。まだアルルにかまけていて注意は向けられていない。
ユキトは床にへばり付くくらいまで姿勢を落として、コクリと頷いた。
途端、男の顔がくしゃりと歪む。
『お、おお、おおおおおおああああ!!』
身震いした貴族風の男は雄叫びを上げると、両手をバンザイのように掲げた。
そしてユキトの前に飛び出し涙目で両膝を着き天を仰ぐ。
『神は僕を見捨てなかった! ありがとう、ありがとうございます……! この者をお送りいただいたことに感謝いたします!』
男は手を合わせると急に祈り始めた。
会話が成立したときの霊達は大なり小なり感動のリアクションを取るが、神に祈るというのは現代ではほとんど見かけない。確かルゥナも最初はそうだったので、この世界特有の反応かもしれない。
ひとしきり祈り終えた男は、先程よりも安堵した顔つきでユキトに話しかける。
『それで君は、僕が見えるというが……もしや導師か?』
やはり真っ先にその職を連想するようだ。ユキトはもう一度小さく頷く。アルル達と同じように嘘をついておいたほうがいいと判断した。
男は弛緩したように『やはりか』と呟くと、目頭を指で押さえる。
『すまない……僕はずっと、貴公のような者を待ちわびていた。気持ちを落ち着かせるから、少し時間をくれないか』
感極まったように声は震えていた。余程の孤独と不安に苛まれていたのだろう。裏を返せば、諦めず現世に留まり続けるほど強い未練を抱いていることでもある。
男は深呼吸を繰り返すと、目尻の涙を拭ってユキトに向き合った。
『導師殿。ご覧の通り僕はこの世の者ではない。貴公に伺いたいこと、話したいことはたくさんあるんだが……今はそうも言ってられないだろうな』
男は女盗賊のほうへ目配せした。檻の中にいた彼も一部始終を見届けていただろう。
『僕は……あの連中に殺された』
予想が的中したことでユキトは神妙な面持ちになる。
『だから貴公に忠告しておきたい。賊を率いる隊長格の人間が三人いるが、そいつらは盗賊ではない』
「……え?」
『<三鬼>と呼ばれる、暗殺を専門とする特殊部隊の兵士だ。奴らを飼っているのはギュオレイン州の州長、ケイオス・ガルディーン・ギュオレイン。ここには一人しかいないようだが、あの女は毒を使うので気をつけてくれ』
息が止まりそうになった。ユキトが硬直すると男は眉をひそめる。
『どうした? なにかあったのか?』
答えようとして言葉に詰まる。心臓の音が邪魔に思えるほど高鳴っていた。
あまりに唐突すぎて事実をうまく飲み込めない。
だが男の言葉が正しいとするなら。
この襲撃は、ガルディーンの命令で行われている。
興奮を抑えながらユキトは素早く思考を巡らせた。
少し前にユキト達は、ニックスから伝え聞いた情報を踏まえて、ルゥナ奇襲作戦にガルディーンが絡んでいると推測した。
この展開は、その推測が正解であることを意味しているのではないか。
奇襲について調査されると不都合なのだろう。襲撃の目的は口封じ、捕獲は情報収集のためといった理由が考えつく。
ゴクリと唾を飲み込んだユキトは、限りなく声を潜めながら「名前を教えてください」と手短に問うた。
ガルディーンの部下に殺されたのならこの男にも何らかの因縁があるはずだ。名のある貴族であれば有力な情報源になるし、ガルディーンへの対抗策でも重要な存在になる。
『ああ、そうだった』と今気づいたように男は頷いた。
『僕の名はライオット。ライオット・アルメロイだ』
「…………は?」
ユキトは今度こそ言葉を失った。
聞き間違いだろうか。そんなはずないと、ユキトはつい自分の耳を疑ってしまう。
「本当、なんですか?」
『僕の名か? ここで嘘をついてどうする。もっと言えば、アルメロイ辺境伯の第二子息にして騎士の位を授与され、男爵の階位を持っている。ラオクリア教に所属する導師なら多少は聞き覚えあると思うが』
「う、嘘でしょ……」
『いやだから、嘘ではない』
ムッとするライオットを前にユキトは呆然となった。本人だと主張する男に嘘をついた感じはない。
混乱と大量の疑問の狭間で、ユキトはある事実に感づく。
どうりで探しても見つからないはずだ。ガルディーンによって、その死がずっと隠匿されていたのだから。
様々な事実に翻弄され目が回りそうになる。喉を鳴らすユキトは口を開閉させ、ようやく呟いた。
「ル、ルゥナは……」
反応は劇的だった。
ライオットは掴みかかるような勢いでユキトに接近し声を張り上げる。
『ルゥナール様はご存知なのだな! では話は早い! 僕はあの方と婚姻を交わす予定だったんだ!』
知っているどころではない。その張本人から話を聞かされている。
しかし説明を続けるかどうかユキトは逡巡した。
なにせ結婚相手のルゥナも、既に死んでいる。謀略に翻弄された当人達はお互いの状況をなにも知らない。ライオットはルゥナが生きている前提で話しているだろう。
こんな緊迫した状況で死を告げるには、あまりにも場が悪すぎた。
「……すみませんが、話は後です」
声を潜めながらそれだけ言うと、ライオットは名残惜しそうにしながらも興奮を抑えた。
『すまない。貴公の言うとおりだ。このままでは折角の幸運を手放しかねない』
するとライオットは、ユキトの腰当たりを見つめて渋い顔つきになる。
『だが正直、かなり分が悪い。貴公がどれくらい戦えるかは知らないが、丸腰では脱出すら危うい……なにか僕に手伝えることがあればいいが、この通り霊体の身ではできることなど――』
「あります」
はっきり断言するとライオットは目を瞬かせた。ユキトは憑依についてを掻い摘まんで説明する。女盗賊の耳に入ることが心配だったが、滑車と蹄の音でうまく相殺されているようだった。
『まさか……導師はそのような力を持つのか。凄いな』
「といっても剣がないと何もできません。だからまず、奴らを足止めします」
『どうやって?』
「俺が喋っている間にライオットさんが馬に手を伸ばして触ってください。反応がなくてもしつこいくらいに。もしかすると逃げ出すきっかけを作れるかもしれません」
具体的内容までは伝えられなかったが、ライオットは迷う素振りもなく頷いた。彼なりに信じようとしてくれているのだろう。
頷き返したユキトはすぐに女盗賊へ話しかける。挑発的な態度に出ると、予想通り女盗賊は苛立ち始めた。ここで馬を暴れさせれば移動を止められるかもしれない。
馬が霊的存在に敏感だというのは既にルゥナで証明済みだ。ライオットが刺激し続けることで敵を落馬させ、移動を停滞させることがユキトの策だった。
武器を奪い返せなくとも、留め続ければセイラ達に発見して貰える可能性がある。
薄氷を渡るような賭けだったが、少しでも生き残る確率は上げておきたかった。
そして話している間にもライオットの手が馬の尻へと伸びる。
同時に、配下の男が声を上げた。
「ヘレーネ様! 前方に人が!」
ヘレーネと呼ばれた女盗賊の怒声の狭間で、ユキトは前方にいる人影を確認した。
フードを目深に被った男が唇の端をつり上げて笑っている。
その姿に見覚えはない。だというのにユキトは以前から知っている気がした。
どこで、と考えて、ニックスの話を思い出す。
確かニックスを欺したのも、フードを目深に被ったラウアーロという男だったはずだ。
「知らん。轢き殺せよ」
ヘレーネの声でユキトは我に返る。
――仲間じゃないのか?
ガルディーンの部下が顔を知らないのであれば、ユキトの当てが外れたことになる。だがなにか引っかかりを覚えた。
その思考は、目の前に闇が襲いかかってきたことで遮断された。
馬は飲み込まれ、アルルと盗賊達は衝撃で吹き飛ばされた。ユキトの入っている檻にもその触手が襲いかかる。
狼狽するユキトは咄嗟にライオットへと叫んだ。
「俺が気絶したら中に入れ!」
危険を察知し、ユキトは本能的にそう指示していた。酔い潰れたときルゥナが代わりに身体を動かしたのだから、ライオットにも同じ真似ができるはずだ。
直後、闇が檻へとぶち当たる。まるで自動車に追突されたような衝撃を食らい、檻は軽々と空中へ放り出された。そのまま水の中に落下する。
気づいたときすでに水の中だった。咄嗟に呼吸を止めるも檻の中からは出られず、急な水の勢いも合わせてユキトはパニックに陥る。
だが死者であるライオットは水中の影響は受けない。彼は冷静に脱出の方法を探った。
『あそこに隙間ができてるぞ!』
檻の隙間を示され、ユキトは正常な思考を取り戻した。ライオットがいなければ危うく混乱のまま死ぬところだった。
すぐに出ようとしたところで裾を引っ張られた。見れば水中に潜ったアルルが手を引いている。助けに来てくれたことに感謝しつつ、脱出を試みた。
だがあまりにも緊張しすぎてうまく抜け出せない。
『はやくするんだ導師殿!』
ライオットが急かす。しかし鉄格子に体の半分をねじ込んだところでユキトの限界がきた。
口を開けた途端に大量の水が浸入してくる。頭の中を、死へ繋がる苦痛が埋め尽くす。
そんな中でユキトは、ライオットに向けて自分の肩を指さした。そこに掴まれと目で示す。掴まっていればライオットも取り憑き移動することができる。
ライオットをこんな水の底に留めたくないという一心での指示だったが、結果としてユキトの命はその機転に救われた。
次にユキトが目覚めたとき、意識は既に内側に押し込められていた。
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