⑤-幽霊、喧嘩中- 

 一行は街道を進み、関所を超え、ユキトが歩いた湿地帯を通過し、ついにドルニア平原へ辿り着く。

 そこは見渡す限りの草原地帯だった。山の麓にぽっかりと空いたような平地で、周囲は鬱蒼とした森に囲まれている。平原の向こう側にはピレトー山脈の山々が悠然と屹立し、雲海を纏っていた。

 なぜここが会戦地に選ばれるのか、ユキトは肌で実感した。周囲の森を行軍するのは素人目から見ても困難だとわかる。聖ライゼルス帝国は山から続く街道を使うしかない。そして見晴らしの良いドルニア平原が、ライゼルスを待ち受ける格好の戦場に変貌していったのだろう。


「広いな……」


 街道沿いから平原を眺め、ユキトはぽつりと呟く。東京ドーム十個分は軽くあるだろうか。大勢の人間で踏みしめられた大地は短い草しか生えていないが、端から端まで移動するのも一苦労に思えた。


「それでどうするんすか?」


「まずは幕営地があった場所に行こう」


 奇襲があったという幕営地の付近に霊が存在していれば、あるいは黒い霧なども目撃しているかもしれない。

 ライラとセイラはすぐに幕営跡地に馬を向かわせる。街道付近を拠点に展開していたため、比較的距離は近そうだった。

 しかし到着間際にセイラが問う。


「差し出がましいようですがユキト様。司令部幕営地は自陣奥に位置しています。もっとも被害の少ない場所ですから、死者自体も少ないのでは?」


 当然の疑問だった。死者は前線に行くほど多いはずで、自陣奥は危険も少なくなっていく。加えて黒い霧は奇襲時に発生したものだ。奇襲後に死んだ者からは目撃情報を得られない。条件的に、幕営地付近で有益な話を聞く事は厳しいだろう。

 それも承知の上でユキトは行動していた。


「見込みは薄いかもしれないけど、司令部の人を当たってみたい。奇襲の中で亡くなった人がいるとはゴルドフさんからも聞いてたし、ルゥナにも近かったはずだから」


「戦死した将官、ですか……残っているとすれば、あるいは」


 セイラの言葉には含みがあった。何かと聞こうとしたユキトだが「着きました」と先んじて告げられる。

 そこは小高い丘の上で、戦況がほどよく見渡せる位置だった。


『懐かしいな、ここも』


 到着してすぐルゥナはある場所を見下ろした。草が刈り取られた場所が数カ所あ

る。天幕を張るために整地された名残だった。


『……あんな辛い目にあったというのに、緊張の連続で吐きそうになっていたというのに、いざ訪れてみると不思議と憎くはない。私が生きた証もここに残っていると思うと、全て消えてしまうのも惜しくなるものだな』


 死者と生者の考え方は似て非なるものだ。ユキト達はルゥナが悲しむのではと心配していたが、彼女は別の感情を抱いた。生きている者には気づけない捉え方だった。少なくとも、彼女が落ち込まずに済んで良かったというべきだろうか。


「めぼしい霊はいましたかー?」


 間延びした声でライラが問う。彼女らは近くの木々に馬を繋げて休ませていた。

 ユキトは周囲を確認したあと、静かに首を振る。


「いないな……残念だけど」


 到着前から薄々気づいてはいた。やはり近づいても影も形も見当たらない。


「ま、ないものはしゃあないっすね。満足して逝ってくれてんなら良いことだし」


 ライラの言うとおりではある。未練なく成仏しているならこれ以上のことはない。

 本当はドルニア平原に幽霊など一人も見当たらないのが一番望ましいのだ。ユキトにとって困る状況ではあるが、それならそれで構わない。

 もし幽霊がいたなら、少しだけ自分たちに協力してもらう。その代わりというわけではないが、ユキトは彷徨える幽霊達のために未練解消の手助けをするつもりだった。ルゥナ達の仲間なら尚更、救ってやりたい。


『いや待て。声が聞こえるぞ』


 ルゥナは真剣な顔になると丘の終端まで歩き出した。ユキトもハッとしてすぐに追う。ここにいる人間は三人しかいない。他に誰も見当たらない中で、何者が喋っているのか?

 眼下から声がすることに気づき、二人は丘の上から顔を覗かせた。

 そして唖然とした。


『だーから言ってんだろおっさん! ライゼルスがこの大陸を統一するんだよ!』


『小童が、よもやダイアロンを滅ぼせるとでも? 七つの国を総動員した我が軍事力に貴様らが叶うはずなどないと何度も言っている!』


『はっ! 七つの国とかいってようは王様が全部を束ねる実力も実権も持たねぇってことだろ? そんな統率力のねぇ国なんざすぐに瓦解すんのがオチだ! いっそうちのオウギュスト帝に飼ってもらったらどうだ?』


『き、貴様! 我がヴラド諸侯王を侮辱するか! なおれ! そこにたたっ切ってやる!』


『おうやれやれ! できるもんなら切ってみな!』


 ユキトの目には口喧嘩する二人の幽霊が映っていた。

 一人は壮年の男だ。重厚な甲冑を纏い立派な口ひげを蓄えている。左目は眼帯で覆われているが、もう片方の目は炎のような赤色をしていた。

 もう一人はユキトと同じくらいの少年だった。灰褐色の癖毛で、生意気そうな目つきで壮年の男を睨んでいる。纏っている黒の革鎧は、壮年の男と比べれば一つ見劣りした。

 壮年の男が剣を抜き少年に斬りかかる。だが剣は少年の体をすり抜けた。二人共に体が透き通っているため、幽霊同士であっても干渉しないのだ。少年もそれがわかっているのか胸を張って鼻を鳴らした。男は悔しそうに唸る。


『ギルバート!』


 ルゥナが叫ぶ。ユキトが問う前に、彼女は丘を駆け下りて一目散に駆けていく。ユキトが追いかけると異変に気づいたライラとセイラも彼の後を追った。


『ギルバート! ギルバート・カムロ男爵!』


 ルゥナの呼び声に壮年の男が振り向いた。

 近づく彼女の姿を視認すると、ギルバートと呼ばれた騎士は呆気にとられる。


『ル、ルゥナール様?』


『そうだ私だギルバート!』


 息を切らして走り寄ったルゥナは、ギルバートの前に立った。表情が抜け落ちたかのような男に対し、ルゥナは喜びと悲しみをない混ぜにした苦笑いを浮かべた。


『久しぶりだ。元気にしてたか、というのはちょっと変か。お前が現世に残っている理由は……言わずともなんとなく想像はつく』


 一方的に話しかけられてもギルバートは硬直したままだ。そばにいる少年兵は怪訝そうにルゥナを見つめる。


『ほ……本当に、ルゥナール様、なのですか』


 ようやく男がそれだけを言った。ルゥナが頷くと、ギルバートは彼女の全身をくまなく見回す。頭の先からつま先までじっくりと眺めていた。


『こ、この俺が見えるので? いやそもそも、御身のお体は、その……』


『透明だ。つまりお前と同じだよ』


 ユキトがルゥナの傍らに辿り着いたとき、彼はちょうどそこで目撃した。

 男の顔が絶望と悲しみに塗り潰されていくところを。


『では、こ、ここにおられるルゥナ様は……!』


『みなまで言うなギルバート。もう終わった話なんだ』


 ギルバートの瞳から光が失われる。男はガクリと膝をつくと顔を両手で覆い苦しげな嗚咽を漏らし始めた。

 家臣を見つめるルゥナは、一歩近寄って片膝を突く。


『最後までよくやってくれたな、ギルバート。貴殿の忠義に感謝したい』


『バカなっ……! 何なのだこれは!? こんな、こんな結末が俺の最後の戦など、認められるものか……!』


『気持ちはわかる……だが、嘆くんじゃない。私の跡はジルナが継いでくれる。そして貴殿の跡目は彼女らが継ぐんだ』


 ルゥナが振り返る。そこには片膝を突いて頭を垂れる二人の女騎士がいた。


「……ギルバート様、ライラにございます。おめおめと生き延びちまいました……本当は将官の盾になるのが騎士の本分だったにも関わらず。姿形は見えませんが、こんなあたい達の不甲斐なさに、さぞお怒りでしょうね」


「ですが我々は、ゼスペリアの危機を放ってはおけません……もし我々をお許しいただけるのであれば、この命を尽くし、ライラと共に奮迅いたします。ギルバート様に教えていただいた技の数々を、無駄にしないためにも」


 ライラとセイラは人が変わったような殊勝な態度で、見えないはずの男に語っていた。

 ギルバートの霊がいることはユキトの口から説明したのだが、その途端に彼女らは豹変した。二人にとってギルバートは、戦術を教わった指導官でもあった。


『そうか……お前らは、生き残ったのだな』


 男の声に少しだけ冷静さが戻る。そして『託す、か』と呟いたギルバートは、ルゥナを真っ直ぐ見つめた。


『お教えくだされ、ルゥナール様。ゼスペリアはどうなったのか。そして、どうして貴女様がここにおいでになられたのかを』

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