⑥-メディウス教-

 ギルバートには、ルゥナの方から経緯が説明された。

 胡座をかいて座るギルバートは、ゼスペリアの敗北を知った段階で顔を赤くし、黒い霧の謎で驚愕し、身内側に間者あるいは裏切り者がいると聞かされて青ざめるなど、その顔色はめまぐるしく変わっていった。

 最終的にギルバートは眉間に深い皺を刻んで腕を組む。


『つまりルゥナール様は、ドルニア戦役の時点で何者かに命を狙われていた可能性があり、其の者は我がゼスペリア、あるいは他州の人間と繋がっているかもしれない……このドルニア平原にはそれを確かめに来た、そういうことでよろしいですか』


『うむ』と地面に正座しているルゥナが頷く。


『黒い霧や消え失せる戦士など、普通の人間のなせる業ではない。どのような存在なのか不明だが、我々の近くに潜んでいることは確かだ。そこでギルバート。まず貴殿の死亡時について話を聞きたい……貴殿が死亡したのは、あの奇襲のときだったと聞くが』


 ライラとセイラによれば、異変に気づき野営地に向かったときは既にギルバートは冷たくなっていたという。セイラが心当たりがある風だったのも、ギルバートのことを思い浮かべていたのだ。

 苦々しい顔つきのギルバートは静かに頷く。


『面目ございませぬ。主君を守るどころかその場で討ち死になど……』


『責めているわけじゃない。事実を答えてくれるだけでいい。そこで何を見聞きしたのか、戦場に怪しい存在が紛れ込んでいたかを確認したいんだ。もし黒い霧を見ていたなら――』


『その前に一つ、お聞きしたいのですが』


 言葉の途中で割り込んだギルバートは、その目をルゥナからユキトに向けた。


『ユキト殿、でしたかな。旅の導師というだけあって霊魂と接触できる力をお持ちなのはわかる。ですが、どうにも神に仕えし者としてはこう、雰囲気が違うと言いますか……俺が見てきた聖職者とは異彩がある。よければ彼が所属する宗派や、どの神を信仰しているのかを聞きたい』


『あーっと……これはその、複雑な事情があってだな』


 ルゥナは困った様子で頬を掻く。彼女は説明中、ユキトを旅途中の異国の導師だ、と偽って紹介した。混乱を避けるための対処だと理解したユキトは、特に口を挟まなかった。ただでさえ情報量が多いのに、異世界の話を入れればますます混乱を招くだろう。

 だがギルバートは、得体の知れない人間が主君の側にいることを黙っていられない様子だ。ルゥナを変わらず案じ続けるその姿勢は、まさにゴルドフなみの忠誠心の表れだった。


『と、とにかくだ。それについては後で説明するが、彼が私の恩人であることに違いはない。信用に足る男であることは私が保証する。それでいいか?』


『馬鹿じゃねぇの?』


 小馬鹿にする声がルゥナに向けられた。ギルバートではない。

 声の主はもう一人の幽霊、少年兵からだ。彼は地面に寝転がってニヤニヤと笑っていた。


『何という無礼な口を聞きやがる! ファビル!』


 ギルバートが激昂するも、ファビルという少年兵は涼しい顔だ。まったく応えていない。

 対するルゥナは、大らかな笑みをファビルに向けた。


『すまない、勝手に話を進めてしまったな。決して無視するつもりではなかったんだ。君も……私たちのように現世に留まった霊なのだろう? ファビルといったか、よければ君のことを教えてくれ』


『俺みたいな末端の敵兵士のこと聞いてどうするんだい州長代理さんよ』


 嘲るような態度の少年兵を、ユキトはしげしげと観察する。黒の革鎧には竜のような紋章が刻まれていた。

 それは聖ライゼルス帝国の紋章だ。確かジルナからそう教えてもらっていた。

 つまりこの少年は敵国の兵士として、ゼスペリアと戦った人間なのだ。


『敵味方などもはや関係ないよ。君も、現世に留まるのは未練があるからだろう。いわば私達は同類じゃないか。いがみ合う必要などない』


『ははっ、とんだ笑い草だなおい。俺を懐柔して必要な情報を手に入れようって魂胆か? あんたらの話は筒抜けなんだ。誰が協力するかよ』


『ファビル! 貴様っ!』


 ギルバートが立ち上がるが、ルゥナは手で制した。


『この少年はライゼルスの歩兵だな。ここで知り合ったのか』


『……そうです。俺の死後、四日目の会戦時に打たれたようで。死亡地点が近かったせいかこうして顔を付き合わせ続けております。しかし口を開けば憎まれごとばかりの生意気な小僧でしてな。こちらが気を遣ってやっているのに一切素直にならん』


『どこがだよおっさん! そっちこそ上から目線で来やがって挙げ句に説教ばかりしやがる! ゼスペリアの自慢もうんざりだ!』


『な、なにをいうか! お前こそライゼルスの話しかしないだろうが! それにゼスペリア兵を討ち取った自慢をしてきたのはお前の方だろう! こちらとて頭に血も上る!』


 二人は言い争いを始める。幽霊同士の喧嘩という珍しい光景にユキトが気を取られていると、ルゥナがこっそりと聞いてきた。


『なぁユキト。霊同士が同時に存在するとこんな感じになるのか?』


「いや、たぶん二人の相性がすごく悪いだけだなこれ」


 幽霊とはいえ、中身は生きていた頃と何も変わらない。合わない人間とは合わないままだ。互いの立場もさることながら、遠くに離れられないこの状況も二人を険悪にさせているのだろう。

 やれやれと首を振ったルゥナは二人の間に割って入った。


『まぁ落ち着けギルバート。ファビルはライゼルスの人間だ。そう思うのはしょうがない……だがファビル、一つだけ聞かせてくれ。私の言葉を否定する根拠が君にあるのか?』


 声は平坦だったが、彼女の視線は鋭かった。


『君とてユキトとは初対面だろう。もし彼の見てくれや印象だけで疑っているなら改めるべきだ。ユキトは私のような存在を救おうと努力してくれた。その気高く尊い心は何者にも勝る。それにこう見えて土壇場に強いし機転も利くし度胸もある。何より人一倍優しい。控えめに言ってこれほど格好いい男はいないのだが?』


「いやあのルゥナさん?」


 何か途中から妙な自慢話になっている気がする。しかしルゥナは『事実を言ってるだけだ』となぜかムキになっていた。

 ルゥナの真剣さに面食らうファビルだが、すぐに反論した。


『……考えたら当たり前だろうが。導師ってのは権威がある奴なんだろ。喧伝するくらいが普通で、自慢したっていい。なのに誤魔化してるってことは、元々どこかで学んでたけど、宗教組織にも認めてもらえなかった異端者ってことじゃないのか?』


 なるほど、とユキトは心中で呟いた。この世界の常識と少ない情報を繋げればそういう考えに行き着くかもしれない。


『俺は知ってるぜ。宣教師や修道士崩れの腐った連中を。奴らはメディウス教と名乗って信者相手に無茶苦茶なことをやりやがった。だから導師だって認められた奴は一人もいねぇ。お前もそこの仲間じゃないのか?』


 明らかな誤解だったが、それを指摘する前にユキトは聞いた。


「メディウス教って?」


『聞いたことがある。確かライゼルスよりも更に南方の国で発生した、邪神を崇拝する過激派の宗教組織だ。ライゼルスでも布教活動が行われたそうだが、非道な儀式と独自の武装化が問題視されて、数年前に軍に取り潰されたと聞く』


 ルゥナが答えると、ファビルは忌々しげに口を歪めた。


『潰されて当然だ……生と死の神「アマツガルム」なんて邪神を崇拝して、死を克服するとか唆して何人もの女子供を殺し回った。もしお前がメディウス教だったら、俺はお前を絶対に許さねぇ』


 ファビルの言葉には明らかな憎悪が込められていた。他人事にしてはあまりに感情が昂ぶっている。もしかするとメディウス教と何かあったのかもしれない。

 事情は知らないにせよ、ユキトはその強い視線を受け止めながら答えた。


「俺はそのメディウス教には入ってないから安心してくれ。この力は生まれつきだし」


『ああ? なんだそりゃ。余計怪しいじゃねーか』


 鼻で笑うファビルだが、ユキトにふざけた様子がないことを悟ると眉をひそめた。


『……てめぇ、一体何なんだよ』


「後で説明するってルゥナも言ってるだろ? それより今はギルバートさんの話を聞きたい。話してくれますか?」


『う、うむ……』


 釈然としないギルバートはルゥナに目配せする。彼女が頷くと『承知しました』と主君の意向に従った。

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